ブラック・バニーズ

Kyrie

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本編

第13話

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「桐谷とセックスしたい」

美崎がそうこぼしてから、しばらく誰もそれにふれようとはしなかった。
この微妙なバランスの上に成り立っている三人の生活が脆いものだということは、三人ともよく知っていた。
綿菓子のようなふわふわした手ごたえのない甘い生活をもう少し続けてもいいような気にもなっていた。
黙っていれば、ちょっとだけ延ばせる。
しかし、何かが歪んだ居心地の悪さをどこかで常に感じていて、それを解消したくもあった。


朝食後、ソファで新聞を読む桐谷の横で体操座りでちょこんといる美崎は、桐谷の横顔を盗み見ていた。
顎から喉のラインは張りがなくなり、ちょっぴりたぷたぷしていたが、その緩んだ皮膚の感じからも重ねた年月から生まれる余裕のようなものを感じ取っていた。

美崎は変わりたかった。
もし、上野より先に桐谷に出会っていたらどうなっていただろうか、と想像する。
自分がヘテロではないことを自覚し、それを最初に丸ごと認めてくれたのは上野だったが、あの人は自分好みに美崎をいやらしく成長させてしまった。
最初に桐谷に抱かれていたら、こんなにもセックスに溺れていただろうか。
自分を必要以上に強く見せていただろうか。
早霧を変身させ、自分にもうさぎの耳のカチューシャを頭に載せながら「プライドを持って生きるように」と言った桐谷の手で開花していたら、どんな自分になっていただろう。
間に合うならば今からでもそうしてほしい。

これまで誰でもいい、と思っていたのに、「もし初めての相手が桐谷だったら」を想像する。
もしかしたら、このふわふわしたすぐにどこかに行ってしまう自分を変えることは難しいかもしれない。
しかし桐谷と自分をつなぐ糸を桐谷は手繰り寄せて自分を彼の隣に戻してくれるかもしれない。
あるいは自分がその糸を必死にたどって桐谷の元へ帰るかもしれない。
妄想だけがあふれ出す。


だが、桐谷には優也がいた。
「一人に決めるのもいいものだよ」と言った桐谷の意識の先には、優也がいると美崎は感じていた。
店によく通ってくるくせに、プライベートについてはほとんど知られていない桐谷が、自分のパーソナルエリアに優也を住まわせていたのに驚きもしたが、そのことが桐谷の優也に対する気持ちを垣間見たような気がした。
色んなバニーズを相手にしちょっかいを出しているのに、桐谷が引いた一定の線を越えるようなことはしなかった。

もう自分が入っていく隙間はない、と思っていた。
でも、暴行を受け傷ついている自分がすがれば、桐谷が同情なりなんなりして、自分を抱いてくれるかもしれない。
実際にはここまで深く考えてはおらず、「これが最後のチャンス」と自覚もないまま、美崎はあのとき「桐谷に抱かれたい」と言っていた。







優也はベッドに眠る桐谷の横顔をぼんやりと眺めていた。
夏用の薄い掛け布団が軽く上下する。

息をしてる…

それだけで胸が苦しくなった。


優也が出勤したときは、桐谷を起こしたくないからとゲストルームのベッドを使っていたが、美崎がゲストルームに運び込まれたので、優也は桐谷のベッドで寝ていた。
今夜も夜更けに帰宅し、シャワーを浴び、桐谷の寝室に入った。
「遮光カーテンは好きじゃないから」と桐谷がコットンのカーテンをつけているので、明かりを消していてもぼんやりと桐谷の寝ている姿を優也は見ることができた。


これまでの自分なら、桐谷に美崎を抱くように言っていたと思う。
自分の気持ちより周りの状況で判断したり桐谷の好むようにしていた。
しかし、桐谷にマンションに押しかけてから覚悟が変わった。

それでも不安は募るばかりだった。
傷を負った美崎になにかしてやりたいと思った。
弱った美崎が包容力のある桐谷に魅かれるのも当然だった。
若く魅力的な美崎と比べ、自分の衰えを感じていた。
一緒に住んでいるとはいえども優也からの一方的な関わりで、桐谷からのアクションはなく、特別な約束も交わしていない。
なんの保証もない。

それでも、なにもせずに後悔したくない。
あのときのように。
もうあの時の俺とは違う。
そしてこれが最後のチャンスだ。

優也に強い意思が宿った。



生きている桐谷のそばにいることが、たまにまだ信じられないことがある。
夢の中では何度も見ていた桐谷が自分の横にいる。
ふれれば温かく、呼吸もしている。
まるで奇跡のような時間に優也は泣きそうになりながら、桐谷が眠るベッドにするりと入った。

「おかえり」

眠っていたと思っていた桐谷が優也のほっそりとした腰に腕を回してきた。

「起こしましたか?」

問いかけには答えず、桐谷は優也の髪に顔を埋めた。
優也も桐谷に身体をすり寄せた。

「美崎のこと、抱くんですか?」

気づけば一番気になっていたことが口を突いて出ていた。

桐谷は優也の首筋に顔を埋めた。
温かい桐谷の息がかかり、ぞくぞくする。

「なにも考えていないよ。
ただ、経過もいいしそろそろ自分の部屋に帰そうと思ってる」

「……そうですか」

「あまりここに長居をするのも、美崎のためにもよくないだろう」

「……ええ」

「君もこれからのことを考えておくといいよ、優也」

なんとでも取れる残酷な桐谷の言葉に、優也の心は凍った。

自分もどこかへ帰されるの?
もう帰るところはここしかないというのに。

「……はい」

そう答えるしか、優也にはなかった。

二人はもう言葉を交わず、いつまでも寝息が聞こえることがなかった。







*

静寂を破ったのは桐谷だった。
翌日の午後、昼食の片づけが終わったときにさらりと言った。

「君たち、思いは決まった?」

話しかけられた二人に緊張が走った。

「三人のことだから、三人で話をしよう。
二人ともおいで」

桐谷は二人をリビングのソファに座らせた。
いつもは誰かが桐谷のそばに座っているのに、今日はばらばらに座っていた。

「美崎、君はもうそろそろうちに戻るといいよ。
森崎のことは草津が片をつけた。
もう美崎を傷つけることはないよ」

草津から森崎への対処について桐谷は連絡をもらっていた。
しかし、その報告は聞かなかった。

「私には関心はないよ。
森崎がどうなろうと、私の知ったことではない。
ただ美崎を傷つけないかどうかが気になるだけだ」

草津からの電話に、桐谷はそう答えた。


「もし困ったことがあったら草津に連絡をすればいい。
これが名刺だ」

すっと美崎の前に一枚の名刺が差し出された。
美崎はもう桐谷のマンションにいられる時間が終わってしまうことを悟った。
駄々をこねることも考えたが、どうやっても桐谷は動かない気がしてこれに対しては何も言わなかった。

「わかった。
長い間、ありがとう」

美崎は名刺をつまみ上げる。

「それで、俺のこと抱いてくれるの?」

誘うような視線で美崎が桐谷を見る。
それを優也は無表情で見ている。

「本当にそうしたいの?」

「うん」

桐谷の念押しに美崎はうなずく。

「あんなに私のことを説教臭いジジィ扱いしていたのに」

意地悪く桐谷が言うと、美崎はいつになく真剣な眼差しで桐谷を見た。

「桐谷なら、なにかを変えてくれそうだし。
それに今、安心できるのは桐谷だけだ」

「ふーん、そう簡単に変わるとは思わないけどね。
美崎はそう言っているけど、優也はどうする?」

急に話を振られ、優也は驚く。

「どう…って?」

「このままなら私は美崎を抱くよ。
いいの?」

抱くんだ……

もしかしたら、自分を理由に美崎の申し出を断ってくれるかもしれない、と優也は期待しているところがあった。
しかしそれは呆気なく崩れてしまった。

「私がいやと言えば、仁は止めてくれるの?」

悔しくてそんなふうにしか、優也は返せなかった。

「止めないよ。
二人きりになって美崎を抱いていい?
どんなふうに抱くのか、君は知らなくてもいいの?」

一見穏やかな老人のような桐谷がちらりとその本来の姿を垣間見せた瞬間だった。
優也も、そして美崎も桐谷の言葉に唖然となった。

優也は奥歯を噛みしめた。
そう、これが桐谷の残酷で、なのに自分を掴んで離さない力だった。
魅了された自分が悪い、としか思えなかった。
桐谷が美崎をどんなふうに抱くのか見たいはずもなかった。
しかし、あの若くて魅惑的な美崎にいつ桐谷の心が傾くかわからない。
近くにいるからといって安心はできない。
桐谷と自分の関係をつなぐものは何一つなかった。

「ちょ、ちょっと桐谷…!」

美崎が慌てて桐谷に声をかける。

「なんだい?」

「それって、あの…」

「優也がかわいそう?
残酷なことをしているのは君だよ、美崎。
優也の気持ちを知った上で、私に抱いてほしいとねだったんだろう?
自分の言葉に責任を持つんだね。
今なら撤回もできる。
どうする、美崎?」

畳みかける桐谷に美崎は「ふふふ」と笑った。

「欲しいものは欲しい。
だから撤回はしない。
桐谷が俺のところに落ちてこないかなって期待してるし」

美崎は桐谷に艶やかな視線を送る。

「もう一度、言うよ。
桐谷、俺を抱いて。
俺を変えて」

「どうする、優也?」

優也は「あなたって人は…」と唇を噛みしめる。

「私は…」

声に出してしまうと後戻りができなくなる。
そう優也は思った。
それでも言い放った。

「全部知りたい」

仁がどんなふうに美崎を抱くのかも、俺のことをどう思っているのかも、秘密なんてなしで全部、全部知りたい。
仁がどんなふうに乱れるのか、美崎だけが知っている時間があるのは許さない。

優也は静かに燃える意思を灯した目で桐谷を見た。

桐谷は鋭い視線で二人を見ると言った。

「じゃあ、明日の夜にしよう」

「明日?!」

美崎が声を上げる。

「そう、明日だ。
ぐずぐずしても仕方ないだろう。
もう潮時なんだよ」

桐谷が静かに言い渡す。
突然、優也が叫んだ。

「ここじゃ嫌です。
ここじゃないところがいい!」

桐谷のマンションは優也との二人だけの空間でありたかった。
いつまでもいつまでも美崎の匂いや存在が残るのは嫌だった。

「いいよ」

桐谷はうなずいた。

「じゃあ、ホテルを取ろう。
場所はまた知らせる。
優也は明日から二日休みを取りなさい。
あとで草津には私から口添えをしておいてあげる。
それから美崎、荷物をまとめておきなさい。
終わったらホテルから自分の部屋に帰るんだ。
いいね」

桐谷はそう言い残すと、仕事部屋として使っている部屋に入っていった。
残された二人は気まずく、美崎はゲストルームに入り、優也は桐谷のベッドルームに入っていった。




その日の夜は、誰も一緒に夕食をとらなかった。






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