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本編
第1話
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その店はいつもむっとするくらいの暖かさだった。
今は真冬だというのに、それは変わらない。
私が初めてこの店に連れてこられてからずっと続いている。
それはそうだろう。
内装は落ち着いたワイン色をベースに重厚なマホガニーで統一されている。
座り心地が最高のソファに、気持ちのいいクッション。
それらが一つの空間を適度に圧迫感なく区切っていた。
客は上質のスーツを着た男がメイン。
その間を行き来するのは、長く黒い耳をつけ、ふんわりと丸い尻尾がつき、足のつけ根に深く切れ込んだ黒いバニースーツに身を包んだ少年たちだった。
彼らが快適に過ごせるように、ここの室温は保たれている。
「桐谷様、お久しぶりですね」
中に入ると黒服に身を包んだ男が穏やかに声をかけてきた。
「ああ、優也か。
久しぶりだね。
とうとう君も黒服かい」
「お恥ずかしながら。
しかし、もう私にはあのスーツを着るには見苦しい歳になりました」
「そうかな。
まだいけると思うけど。
私がリクエストしたら、着てくれるかい?」
私は優也の滑らかな手を意味ありげになでた。
優也は特に動じた様子もなく、「お席にご案内します」と私の前を歩き出した。
「ブラック・バニーズ」は会員制のバニー・ボーイズの店だ。
私も二十歳になるかならないかの頃、面白半分に取引先のお偉いさんに連れて来られたのが最初だ。
私が知っているうさぎの耳や尻尾をつけて給仕してくれるのは、網タイツにピンヒールのバニー・ガールズだけだった。
それも雑誌の中だけで知っている、ニセモノで、卑猥な写真が沢山載った雑誌でそういう格好をしただけのシロウトの女だった。
行き先が「ボーイズ」の店だと聞いて、私は嫌がった。
どうせ行くなら、たわわな胸としっかりした尻の女がいる店がいい。
どうして男の俺が男がいる店に行かなくてはならないのか、と生意気にお偉いさんに食いついたのを当時の上司に頭をはたかれ小声で「相手さんが行くところには喜んでついていくもんだ」と厳しく言われた。
しかし、「ブラック・バニーズ」に足を踏み入れて驚いた。
すらりとした足を惜しげもなく晒し、長い耳と上品なのにエロティックなバニースーツ姿の少年たちに見入った。
まるで現実の世界ではない感覚だった。
こんなところが日本にあるのだろうかと思った。
店内を不躾にきょろきょろと見回し、バニーズにも遠慮のない視線を送る私にお偉いさんが一人のバニーをつけた。
バニーズたちは女っぽい仕草をするわけではなかった。
ただとても丁寧に優雅に動き回る。
熱々のおしぼりを渡され、手や顔を拭いてさっぱりすると飲み物のオーダーを聞かれた。
面倒で任せると言うと、「じゃあ、水割りにしますね」と私の横でグラスに氷を入れ、ウィスキーを注いだ。
なんとも不思議だった。
自分が好きな豊満な胸もむっちりした腰も持たないバニーズが、ただ静かに水割りを作って出しただけなのに非常にエロティックだった。
きめの細かい肌をしているが、しなやかに筋肉もつき、私よりもいい身体をしているバニーズもいた。
股間も膨らんでいて、明らかに男だとわかる。
それなのに、店に来るまでの嫌悪感はなくなり、ただただ正体がなんなのか知りたくなってずっと見ていた。
どんな肌ざわりなのだろう、と手を伸ばしたところで黒服の男が現れ、私は手を止めた。
それから何度か、例のお偉いさんは私が営業で出向くと必ずといっていいほど「ブラック・バニーズ」に連れていった。
何度か行くうちに作法を覚え、バニーズにさわるにはある程度の常連にならなくてはいけないことも知った。
その中の誰かに惚れたわけではなかった。
しかし、店にいくと熱にうなされたような目でバニーズを見ていた。
個人的にはしばらくは行けなかった。
会員制で、会員と一緒でなければ会員からの紹介が必要だ。
私が仕事の接待で「ブラック・バニーズ」を使い始めたのは、独立して会社を興し、ある程度金が回せるようになってからだ。
紹介はあのお偉いさんが今際のきわの置き土産のようにしてくれた。
一見、閑静な住宅街の中にこんな店があるとは想像もつかないので、私は客を選んでこの店に連れてきた。
その頃は私もまだ若く、「ブラック・バニーズ」の裏ルールにも手が出せるようになって、金を払って気に入ったバニーズを幾人か抱いてもきた。
今、黒服を着て私の隣で水割りを作っている優也も、元バニーズで私が抱いた中のひとりだ。
出された水割りを飲むと、私好みの濃さに作ってあった。
変わらなくて、自然と頬が緩む。
「桐谷様、どの子かつけましょうか。
私より若いバニーズのほうがお好きでしょう?」
優也が柔らかく言った。
私が抱いたバニーズの中で、一番多く相手をさせたのは優也だった。
私のお気に入りで、私に恋心を持っていたようだが、私はそれに気がつかないふりをしてずっと通してきた。
優也は賢い男で、もし私に関係を迫れば「ブラック・バニーズ」にいられなくなることを重々承知していたので、その胸のうちをさらすことはなかった。
「あの子、なんて言うんだい?」
長い髪を緩く三つ編みにして、胸元に垂らしている。
裏ルールに手を出してもいい会員がそのバニーに言い寄っていた。
それを上手にいなしながらも、後ろ向きになり、尻を突き出すように上半身を折り、客のほうを向いてなにやら煽り言葉を投げかけている。
酔った客はバニースーツの尻のところに札を何枚か挟んでいた。
そのバニーはエロティックな目つきで客を眺めながらも、非常に冷めた視線を送っていた。
面白い。
「またあんなことをして。
美崎、というんですよ。
三か月前からうちで働いています」
「三か月であれとはなかなかだね」
「ええ、だからオーナーも気に入っているのですが、少々お痛が過ぎることもあって」
おひねりをバニースーツと尻の間にねじ込ませるのは、とても下品でこの「ブラック・バニーズ」の雰囲気を壊しかねないのだが、それを「少しエロティックな遊び」のようにしているのも、美崎の力量だろう。
本当に面白い。
顔もスタイルも他のバニーズより飛び抜けている。
視線を集める。
それを快感に思う。
生意気な視線で私を一瞥し、自分の客に愛想を振りまいていた。
不躾な私の視線がお気に召さなかったらしい。
「お気に入りにしている客も多そうだね」
「ええ、お陰様で。
桐谷様も美崎に関心がおありですか?」
黒服として古い常連客に人気のバニーをあてがって機嫌を取ろうとしているのか、かつての恋心がまだくすぶっていて嫉妬の混じった声で聞かれているのか、正直わからなかった。
「いや、いいよ。
もう私も歳だからね、若くて元気のいいうさぎの相手をするのは疲れる」
「まだそんなお歳ではないでしょう?」
「もうすぐ四捨五入すると七十になるよ」
「どうして四捨五入するんですか。
桐谷様はいつでも魅力的な方ですよ」
優也とのやり取りは慣れた感じがあって、心地よかった。
「黒服の君に申し訳ないけれど、優也さえよければこの年寄りの相手をもう少ししてほしいのだがね」
「そんなふうにおっしゃらないでください。
本当に私でいいんですか?
大人しいバニーがよければ、何人か呼びますが」
「君がいいんだよ、優也」
私は優也の手を取ってなでた。
かつての張りのある手ではなくなっていたが、懐かしい手だった。
そんな優也と私のやり取りを美崎はちらりちらりと見ている。
ほら、食いついた。
きっと自分に声がかかると思っていたに違いない。
誰でも自分に関心を持つわけじゃないよ、坊や。
しかし、視線は投げてやる。
「美崎にはお気入りの客がいるのかい?」
私の手の中で優也の手が固くなった。
今度こそ嫉妬だ。
昔のように甘く接しながら、若いバニーのことばかり尋ねるから。
「……さあ、私にはわかりかねます。
特定の人がいるとは聞きませんが」
優也が少し声のトーンを落とす。
「真偽のほどは知りませんが、外でも派手にウリをしているというのはよく聞きますね」
ふうむ、どこまでも面白い子だね、美崎。
私は優也の手を離し、優也にも水割りを飲むように勧めた。
優也は素直に自分用に水割りを作り、私たちは軽く乾杯をしてそれを飲んだ。
「君はどうなんだい、優也?」
「私、ですか?」
「君も現役バニーの頃は派手だったじゃないか」
「もう昔の話ですよ。
忘れました」
私は平生を装い、優也の尻をなでてやる。
優也は身体をびくつかせたが、さすがに声を上げるのは堪えた。
私は優也の耳に口を当て囁く。
「相変わらずの敏感さだね。
今はもう、誰にも抱かれないの?」
優也は顔をさっと染めて小さな声で言った。
「もう引退して長いんです。
冗談はやめてください」
「あとで私につき合わないか」
「もう私には桐谷様の相手は務まりませんよ。
やっぱり代わりのバニーを呼びますね」
優也はひらりと私のそばから離れ、他の黒服に声をかけると奥に引っ込んでしまった。
それからすぐ、声をかけられた黒服は美崎を連れて私のテーブルにやってきた。
「桐谷様、こちらが美崎と申します」
「ああ、随分派手にやってたから優也から少し話を聞いたよ」
私が黒服に答えると、美崎はするりと先程まで優也が座っていた場所に座り込んで、身体をすり寄せてきた。
「初めまして、美崎です」
もう頃合いだ。
私は立ち上がった。
「会計を頼む」
「え、まだ…」
「君、会計には優也を呼んできなさい、いいね」
私は黒服にゆっくりと申し付けた。
そしてまたソファに腰かけ、隣のバニーに言った。
「さあ、美崎、優也が来るまで私の相手をしてくれ。
あいつはへそを曲げると時間がかかるから、少しは相手をしてやれるよ。
好きなものを頼むといい。
短い時間しかつき合えない詫びだ」
美崎はすぐに高いシャンパンの大瓶を入れた。
ふふ、いい度胸だ。
美崎が封を切り、二つのグラスに注ぐと二人で乾杯した。
「派手にしているんだね。
たくさんの人とつき合うのはどうだい、美崎?」
「一人に決めるほうが難しくないですか?
気が向いたときに、気が向いた人とつき合えるほうが私には気楽です」
「おいおい、他人行儀だな。
さっきの客には『俺』やもっと乱暴な言葉遣いだったのに」
「桐谷様は初めてだから…」
「遠慮せずにさっきと同じにするといい。
オーナーに叱られそうになったら、私の名前を出すといいよ。
老いぼれでも、まだ少しは効力があるから」
シャンパンに口をつけかけたが、止めてテーブルの上に置いた。
このメーカーもこんな味のものを出すようになったらおしまいだな。
これに「ブラック・バニーズ」のオーナーが気がついていないとなると、ここもいずれはダメになる。
やはり二代目、三代目だと廃れていくな。
「一人に決めるのもいいものだよ、美崎。
それを一生続けるのではなくても、人生の中のどこかの時間、たった一人と愛し愛された経験を持つのは、いいものだ。
浮草みたいな虚しさを感じる人生に、一瞬だけでもゆるがないなにかが生まれるのはたった一人と過ごした時間だけだったからね」
奔放に振舞う美崎を見て、真っ先に思い出したのは自分のことだった。
そのときには何にもとらわれない自由な自分に酔っていたが、歳を重ねると虚しさのほうが大きくなる。
そんなときに思い出すのが、短い時間だったが一人の男と愛し合ったことだったし、それがあったからこそ私は救われ、ここまで来た。
「ああ、面白くない説教だったね」
私は上着の胸ポケットから財布を取り出し、美崎の胸元に紙幣をねじ込んだ。
「年寄りを慰めると思って、キスをしてくれないか」
財布の中の札を見せつけるようにすると、美崎は素直に私の乾いた唇に自分の唇を押しあて、そして優しく愛撫した。
悪くはない。
「ありがとう」
私はもう一枚を今度はさっきの客がやっていたようにバニースーツと尻の間にねじ込んだ。
「やれやれ、やっと来たか」
渋い顔をした優也が革のケースを持って私のテーブルに近づき、恭しくそれを渡した。
私は中を開いて金額を確認すると、財布から黒いカードを抜いて挟み優也に戻した。
「優也、上着を着ておいで。
外は寒い。
一緒に温かいものでも食べに行こう。
私のカードも持って来てくれ」
「しかし」
「大丈夫、君は来るだろう?
私が言っているんだから」
私が立ち上がると優也は首を項垂れながらも小声で「はい」と返事をした。
「私をあまり待たせないでくれよ。
風邪をひいたら大変だ。
じゃあ、美崎、またいつか」
私は美崎に手を上げて挨拶をした。
美崎は立ち上がり、綺麗な仕草で頭を下げた。
ドアのそばでは黒服が私のコートを用意していた。
「あまり優也さんを泣かさないでくださいね、桐谷様」
黒服は私にコートを着せながら言った。
「君、なにか言ったかい?
どうも聞こえが悪くなってね」
私は愉快になり笑いながら、「ブラック・バニーズ」から出て行った。
今は真冬だというのに、それは変わらない。
私が初めてこの店に連れてこられてからずっと続いている。
それはそうだろう。
内装は落ち着いたワイン色をベースに重厚なマホガニーで統一されている。
座り心地が最高のソファに、気持ちのいいクッション。
それらが一つの空間を適度に圧迫感なく区切っていた。
客は上質のスーツを着た男がメイン。
その間を行き来するのは、長く黒い耳をつけ、ふんわりと丸い尻尾がつき、足のつけ根に深く切れ込んだ黒いバニースーツに身を包んだ少年たちだった。
彼らが快適に過ごせるように、ここの室温は保たれている。
「桐谷様、お久しぶりですね」
中に入ると黒服に身を包んだ男が穏やかに声をかけてきた。
「ああ、優也か。
久しぶりだね。
とうとう君も黒服かい」
「お恥ずかしながら。
しかし、もう私にはあのスーツを着るには見苦しい歳になりました」
「そうかな。
まだいけると思うけど。
私がリクエストしたら、着てくれるかい?」
私は優也の滑らかな手を意味ありげになでた。
優也は特に動じた様子もなく、「お席にご案内します」と私の前を歩き出した。
「ブラック・バニーズ」は会員制のバニー・ボーイズの店だ。
私も二十歳になるかならないかの頃、面白半分に取引先のお偉いさんに連れて来られたのが最初だ。
私が知っているうさぎの耳や尻尾をつけて給仕してくれるのは、網タイツにピンヒールのバニー・ガールズだけだった。
それも雑誌の中だけで知っている、ニセモノで、卑猥な写真が沢山載った雑誌でそういう格好をしただけのシロウトの女だった。
行き先が「ボーイズ」の店だと聞いて、私は嫌がった。
どうせ行くなら、たわわな胸としっかりした尻の女がいる店がいい。
どうして男の俺が男がいる店に行かなくてはならないのか、と生意気にお偉いさんに食いついたのを当時の上司に頭をはたかれ小声で「相手さんが行くところには喜んでついていくもんだ」と厳しく言われた。
しかし、「ブラック・バニーズ」に足を踏み入れて驚いた。
すらりとした足を惜しげもなく晒し、長い耳と上品なのにエロティックなバニースーツ姿の少年たちに見入った。
まるで現実の世界ではない感覚だった。
こんなところが日本にあるのだろうかと思った。
店内を不躾にきょろきょろと見回し、バニーズにも遠慮のない視線を送る私にお偉いさんが一人のバニーをつけた。
バニーズたちは女っぽい仕草をするわけではなかった。
ただとても丁寧に優雅に動き回る。
熱々のおしぼりを渡され、手や顔を拭いてさっぱりすると飲み物のオーダーを聞かれた。
面倒で任せると言うと、「じゃあ、水割りにしますね」と私の横でグラスに氷を入れ、ウィスキーを注いだ。
なんとも不思議だった。
自分が好きな豊満な胸もむっちりした腰も持たないバニーズが、ただ静かに水割りを作って出しただけなのに非常にエロティックだった。
きめの細かい肌をしているが、しなやかに筋肉もつき、私よりもいい身体をしているバニーズもいた。
股間も膨らんでいて、明らかに男だとわかる。
それなのに、店に来るまでの嫌悪感はなくなり、ただただ正体がなんなのか知りたくなってずっと見ていた。
どんな肌ざわりなのだろう、と手を伸ばしたところで黒服の男が現れ、私は手を止めた。
それから何度か、例のお偉いさんは私が営業で出向くと必ずといっていいほど「ブラック・バニーズ」に連れていった。
何度か行くうちに作法を覚え、バニーズにさわるにはある程度の常連にならなくてはいけないことも知った。
その中の誰かに惚れたわけではなかった。
しかし、店にいくと熱にうなされたような目でバニーズを見ていた。
個人的にはしばらくは行けなかった。
会員制で、会員と一緒でなければ会員からの紹介が必要だ。
私が仕事の接待で「ブラック・バニーズ」を使い始めたのは、独立して会社を興し、ある程度金が回せるようになってからだ。
紹介はあのお偉いさんが今際のきわの置き土産のようにしてくれた。
一見、閑静な住宅街の中にこんな店があるとは想像もつかないので、私は客を選んでこの店に連れてきた。
その頃は私もまだ若く、「ブラック・バニーズ」の裏ルールにも手が出せるようになって、金を払って気に入ったバニーズを幾人か抱いてもきた。
今、黒服を着て私の隣で水割りを作っている優也も、元バニーズで私が抱いた中のひとりだ。
出された水割りを飲むと、私好みの濃さに作ってあった。
変わらなくて、自然と頬が緩む。
「桐谷様、どの子かつけましょうか。
私より若いバニーズのほうがお好きでしょう?」
優也が柔らかく言った。
私が抱いたバニーズの中で、一番多く相手をさせたのは優也だった。
私のお気に入りで、私に恋心を持っていたようだが、私はそれに気がつかないふりをしてずっと通してきた。
優也は賢い男で、もし私に関係を迫れば「ブラック・バニーズ」にいられなくなることを重々承知していたので、その胸のうちをさらすことはなかった。
「あの子、なんて言うんだい?」
長い髪を緩く三つ編みにして、胸元に垂らしている。
裏ルールに手を出してもいい会員がそのバニーに言い寄っていた。
それを上手にいなしながらも、後ろ向きになり、尻を突き出すように上半身を折り、客のほうを向いてなにやら煽り言葉を投げかけている。
酔った客はバニースーツの尻のところに札を何枚か挟んでいた。
そのバニーはエロティックな目つきで客を眺めながらも、非常に冷めた視線を送っていた。
面白い。
「またあんなことをして。
美崎、というんですよ。
三か月前からうちで働いています」
「三か月であれとはなかなかだね」
「ええ、だからオーナーも気に入っているのですが、少々お痛が過ぎることもあって」
おひねりをバニースーツと尻の間にねじ込ませるのは、とても下品でこの「ブラック・バニーズ」の雰囲気を壊しかねないのだが、それを「少しエロティックな遊び」のようにしているのも、美崎の力量だろう。
本当に面白い。
顔もスタイルも他のバニーズより飛び抜けている。
視線を集める。
それを快感に思う。
生意気な視線で私を一瞥し、自分の客に愛想を振りまいていた。
不躾な私の視線がお気に召さなかったらしい。
「お気に入りにしている客も多そうだね」
「ええ、お陰様で。
桐谷様も美崎に関心がおありですか?」
黒服として古い常連客に人気のバニーをあてがって機嫌を取ろうとしているのか、かつての恋心がまだくすぶっていて嫉妬の混じった声で聞かれているのか、正直わからなかった。
「いや、いいよ。
もう私も歳だからね、若くて元気のいいうさぎの相手をするのは疲れる」
「まだそんなお歳ではないでしょう?」
「もうすぐ四捨五入すると七十になるよ」
「どうして四捨五入するんですか。
桐谷様はいつでも魅力的な方ですよ」
優也とのやり取りは慣れた感じがあって、心地よかった。
「黒服の君に申し訳ないけれど、優也さえよければこの年寄りの相手をもう少ししてほしいのだがね」
「そんなふうにおっしゃらないでください。
本当に私でいいんですか?
大人しいバニーがよければ、何人か呼びますが」
「君がいいんだよ、優也」
私は優也の手を取ってなでた。
かつての張りのある手ではなくなっていたが、懐かしい手だった。
そんな優也と私のやり取りを美崎はちらりちらりと見ている。
ほら、食いついた。
きっと自分に声がかかると思っていたに違いない。
誰でも自分に関心を持つわけじゃないよ、坊や。
しかし、視線は投げてやる。
「美崎にはお気入りの客がいるのかい?」
私の手の中で優也の手が固くなった。
今度こそ嫉妬だ。
昔のように甘く接しながら、若いバニーのことばかり尋ねるから。
「……さあ、私にはわかりかねます。
特定の人がいるとは聞きませんが」
優也が少し声のトーンを落とす。
「真偽のほどは知りませんが、外でも派手にウリをしているというのはよく聞きますね」
ふうむ、どこまでも面白い子だね、美崎。
私は優也の手を離し、優也にも水割りを飲むように勧めた。
優也は素直に自分用に水割りを作り、私たちは軽く乾杯をしてそれを飲んだ。
「君はどうなんだい、優也?」
「私、ですか?」
「君も現役バニーの頃は派手だったじゃないか」
「もう昔の話ですよ。
忘れました」
私は平生を装い、優也の尻をなでてやる。
優也は身体をびくつかせたが、さすがに声を上げるのは堪えた。
私は優也の耳に口を当て囁く。
「相変わらずの敏感さだね。
今はもう、誰にも抱かれないの?」
優也は顔をさっと染めて小さな声で言った。
「もう引退して長いんです。
冗談はやめてください」
「あとで私につき合わないか」
「もう私には桐谷様の相手は務まりませんよ。
やっぱり代わりのバニーを呼びますね」
優也はひらりと私のそばから離れ、他の黒服に声をかけると奥に引っ込んでしまった。
それからすぐ、声をかけられた黒服は美崎を連れて私のテーブルにやってきた。
「桐谷様、こちらが美崎と申します」
「ああ、随分派手にやってたから優也から少し話を聞いたよ」
私が黒服に答えると、美崎はするりと先程まで優也が座っていた場所に座り込んで、身体をすり寄せてきた。
「初めまして、美崎です」
もう頃合いだ。
私は立ち上がった。
「会計を頼む」
「え、まだ…」
「君、会計には優也を呼んできなさい、いいね」
私は黒服にゆっくりと申し付けた。
そしてまたソファに腰かけ、隣のバニーに言った。
「さあ、美崎、優也が来るまで私の相手をしてくれ。
あいつはへそを曲げると時間がかかるから、少しは相手をしてやれるよ。
好きなものを頼むといい。
短い時間しかつき合えない詫びだ」
美崎はすぐに高いシャンパンの大瓶を入れた。
ふふ、いい度胸だ。
美崎が封を切り、二つのグラスに注ぐと二人で乾杯した。
「派手にしているんだね。
たくさんの人とつき合うのはどうだい、美崎?」
「一人に決めるほうが難しくないですか?
気が向いたときに、気が向いた人とつき合えるほうが私には気楽です」
「おいおい、他人行儀だな。
さっきの客には『俺』やもっと乱暴な言葉遣いだったのに」
「桐谷様は初めてだから…」
「遠慮せずにさっきと同じにするといい。
オーナーに叱られそうになったら、私の名前を出すといいよ。
老いぼれでも、まだ少しは効力があるから」
シャンパンに口をつけかけたが、止めてテーブルの上に置いた。
このメーカーもこんな味のものを出すようになったらおしまいだな。
これに「ブラック・バニーズ」のオーナーが気がついていないとなると、ここもいずれはダメになる。
やはり二代目、三代目だと廃れていくな。
「一人に決めるのもいいものだよ、美崎。
それを一生続けるのではなくても、人生の中のどこかの時間、たった一人と愛し愛された経験を持つのは、いいものだ。
浮草みたいな虚しさを感じる人生に、一瞬だけでもゆるがないなにかが生まれるのはたった一人と過ごした時間だけだったからね」
奔放に振舞う美崎を見て、真っ先に思い出したのは自分のことだった。
そのときには何にもとらわれない自由な自分に酔っていたが、歳を重ねると虚しさのほうが大きくなる。
そんなときに思い出すのが、短い時間だったが一人の男と愛し合ったことだったし、それがあったからこそ私は救われ、ここまで来た。
「ああ、面白くない説教だったね」
私は上着の胸ポケットから財布を取り出し、美崎の胸元に紙幣をねじ込んだ。
「年寄りを慰めると思って、キスをしてくれないか」
財布の中の札を見せつけるようにすると、美崎は素直に私の乾いた唇に自分の唇を押しあて、そして優しく愛撫した。
悪くはない。
「ありがとう」
私はもう一枚を今度はさっきの客がやっていたようにバニースーツと尻の間にねじ込んだ。
「やれやれ、やっと来たか」
渋い顔をした優也が革のケースを持って私のテーブルに近づき、恭しくそれを渡した。
私は中を開いて金額を確認すると、財布から黒いカードを抜いて挟み優也に戻した。
「優也、上着を着ておいで。
外は寒い。
一緒に温かいものでも食べに行こう。
私のカードも持って来てくれ」
「しかし」
「大丈夫、君は来るだろう?
私が言っているんだから」
私が立ち上がると優也は首を項垂れながらも小声で「はい」と返事をした。
「私をあまり待たせないでくれよ。
風邪をひいたら大変だ。
じゃあ、美崎、またいつか」
私は美崎に手を上げて挨拶をした。
美崎は立ち上がり、綺麗な仕草で頭を下げた。
ドアのそばでは黒服が私のコートを用意していた。
「あまり優也さんを泣かさないでくださいね、桐谷様」
黒服は私にコートを着せながら言った。
「君、なにか言ったかい?
どうも聞こえが悪くなってね」
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