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第2話 不機嫌と不機嫌
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髙橋は一週間か十日に一度の間隔で、遠野の家を訪れるようになった。
訪ねるたびに「先生ェは三十分前にお出かけになりました」とコマが答えるので、最近ではコマに会いにきているようなものだ。
その証拠に手土産の甘味は二人分しか持ってこない。
「いいんですか、俺で?先生ェに会いに来ているんじゃ?」
「いいんです。コマくんは僕の癒しです」
曖昧な笑みを浮かべて髙橋はコマに団子の包みを渡した。
「お茶を淹れますね。縁側にしますか?今ならあそこが一番涼しいですよ」
「じゃあ、そうさせてもらおうかな」
確かに、髙橋にとってコマは癒しの存在となっていた。
出版社にいても居場所がないので、外回りをしているほうが気が紛れるのだ。
それに髙橋はコマのことを心配していた。
コマの話によると遠山はちょくちょく行き先も言わずに家を留守にしているようだった。
帰ってくると情事の名残を濃厚に漂わせ、コマに乱暴な態度で接し、自堕落な生活を送っている。
「コマくんはまだ子どもなんですよ。こんな家にひとりで何日もいるなんて。僕は心配です」
ここに通い始めてすぐに髙橋はコマにそう言った。
コマはけらけらと笑って、「大丈夫ですよ。俺がここに来てからそんなことは一度もなかったし」と髙橋の心配を軽く受け流した。
「お待たせしました」
慣れたようにコマが盆にお茶と団子を載せてやってきた。
二回目の訪問に「もう香榮庵のお菓子じゃないんですね」とコマが言ったことをなんとなく髙橋は思い出していた。
「あれは榎本さんからの応援があったから買えたんで、いつもは買えません」と答えたな。
ふんわりと髙橋の頬が緩んだ。
コマが出してくれるお茶はうまい。上等な茶ではないので、コマが上手に淹れているのだと思う。髙橋はそれも好ましく思っていた。
二人で三色団子を食べる。たわいのない話をする。
前にも「先生ェに会いに来てるんでしょう。こんなことしてていいんですか」と聞かれたことがある。
「どうやら遠山先生は千里眼をお持ちのようで、僕がここに来るちょっと前にお出かけされてしまうから、いいんです」
そう答えた髙橋を気の毒そうにコマは見た。しかし髙橋はむしろそのほうがよかった。
気難しい作家先生の相手をするより、うまい茶を淹れてくるくると立ち回る元気なコマと話すほうがよっぽどか気が楽だった。
コマも「先生ェがいない時はそんなにやることはないんですよ。洗濯はたまらないし、部屋もそう汚れませんからね」と少し持て余した時間を髙橋と過ごすのを嫌がっていないようだ。
それも髙橋には嬉しいことだった。
なのに。
「コマっ。いないのか、コマっ!!」
恐ろしいほどの大声が突然聞こえてきた。
「え、先生ェ?!」
コマが心底驚いて、すっとんきょうな声を上げた。
のっしのっしと重い足音がして、二人がいる縁側に遠山がぬっと姿を現した。
「コマ、なにしてやがる。勝手に人を家にあげるんじゃねぇ」
「いや、髙橋さんは先生ェに会いにこられているのに、先生ェがいないんじゃないですか」
「うるせぇ。風呂、風呂だ。風呂を沸かせっ」
「ふぇ?なに言ってるんですか」
コマは遠山に近づいてくんくんと鼻を動かす。
「亀の湯の一番風呂に入ってきたでしょう。今日はよもぎ湯の日ですよ。先生ェからよもぎのいい匂いがします。それに髪もまだ乾いていないし」
「飯っ。飯だ」
「えぇぇ。いい加減にしてくださいよ。歯に葱がついてます。鶴屋さんでお蕎麦食べたでしょう」
遠山がちっと大きな舌打ちをしても、コマは平然としている。
「寝るっ。布団を敷け」
「もう、そんなに怒鳴らなくても聞こえてますって。髙橋さんもびっくりしてるじゃないですか」
「こいつを家にあげるな」
「先生ェのお客様ですからね。お相手をしなくちゃ」
「なんだ、団子に釣られてるだけじゃねぇのか」
「まぁ、そうかも。髙橋さんはおいしいお菓子を持ってきてくれるし、俺の話もちゃんと聞いてくれますからね」
「うるさいっ。俺は眠いんだ。布団っ」
遠山はわざと髙橋にぶつかりながら縁側から家に入り、自室に向かった。
「コマあっ」
向こうから大声でコマを呼ぶ。
「はいはい。聞こえてますよ。髙橋さん、すみません。ちょっと行ってきます」
「ううん。いいんだ。今日はこれでお暇するよ」
「はい。また来てくださいね」
「ああ、また来る。あの、コマくん」
「はい?」
「先生に、その、ひどいこと、されてないのかい?」
「またそれですか?前にも話しましたけど、暴力も暴言もないですよ」
「でも、あれは…」
「なぜだかわからないけど、今日はご機嫌斜めみたいです。あれくらいなら大丈夫。それにお金も滞っていないです。八百屋にも魚屋にも月末にちゃんとお支払いできてるし、俺のお賃金も大丈夫です。
心配性なんですね、髙橋さんは」
「心配性じゃなくて、コマくんが心配なんだ」
「ありがとうございます。困ったら髙橋さんにも相談します」
「本当にそうしてくれよ」
にこっと笑ったコマに髙橋が声をかけようとしたときに「コマあああっ!」と雷のような声がした。
「じゃあ、失礼します」
コマはぺこりと頭を下げ、「はいはーい。今いきますよ。お布団くらい、一人で敷いてください」と言いながら、行ってしまった。
髙橋は中途半端に終わってしまったコマとの時間に、少し面白くない気分になった。
***
ブログ更新「お待たせお待たせ / 先生ェ!第2話」
https://etocoria.blogspot.com/2021/03/senseie-2.html
訪ねるたびに「先生ェは三十分前にお出かけになりました」とコマが答えるので、最近ではコマに会いにきているようなものだ。
その証拠に手土産の甘味は二人分しか持ってこない。
「いいんですか、俺で?先生ェに会いに来ているんじゃ?」
「いいんです。コマくんは僕の癒しです」
曖昧な笑みを浮かべて髙橋はコマに団子の包みを渡した。
「お茶を淹れますね。縁側にしますか?今ならあそこが一番涼しいですよ」
「じゃあ、そうさせてもらおうかな」
確かに、髙橋にとってコマは癒しの存在となっていた。
出版社にいても居場所がないので、外回りをしているほうが気が紛れるのだ。
それに髙橋はコマのことを心配していた。
コマの話によると遠山はちょくちょく行き先も言わずに家を留守にしているようだった。
帰ってくると情事の名残を濃厚に漂わせ、コマに乱暴な態度で接し、自堕落な生活を送っている。
「コマくんはまだ子どもなんですよ。こんな家にひとりで何日もいるなんて。僕は心配です」
ここに通い始めてすぐに髙橋はコマにそう言った。
コマはけらけらと笑って、「大丈夫ですよ。俺がここに来てからそんなことは一度もなかったし」と髙橋の心配を軽く受け流した。
「お待たせしました」
慣れたようにコマが盆にお茶と団子を載せてやってきた。
二回目の訪問に「もう香榮庵のお菓子じゃないんですね」とコマが言ったことをなんとなく髙橋は思い出していた。
「あれは榎本さんからの応援があったから買えたんで、いつもは買えません」と答えたな。
ふんわりと髙橋の頬が緩んだ。
コマが出してくれるお茶はうまい。上等な茶ではないので、コマが上手に淹れているのだと思う。髙橋はそれも好ましく思っていた。
二人で三色団子を食べる。たわいのない話をする。
前にも「先生ェに会いに来てるんでしょう。こんなことしてていいんですか」と聞かれたことがある。
「どうやら遠山先生は千里眼をお持ちのようで、僕がここに来るちょっと前にお出かけされてしまうから、いいんです」
そう答えた髙橋を気の毒そうにコマは見た。しかし髙橋はむしろそのほうがよかった。
気難しい作家先生の相手をするより、うまい茶を淹れてくるくると立ち回る元気なコマと話すほうがよっぽどか気が楽だった。
コマも「先生ェがいない時はそんなにやることはないんですよ。洗濯はたまらないし、部屋もそう汚れませんからね」と少し持て余した時間を髙橋と過ごすのを嫌がっていないようだ。
それも髙橋には嬉しいことだった。
なのに。
「コマっ。いないのか、コマっ!!」
恐ろしいほどの大声が突然聞こえてきた。
「え、先生ェ?!」
コマが心底驚いて、すっとんきょうな声を上げた。
のっしのっしと重い足音がして、二人がいる縁側に遠山がぬっと姿を現した。
「コマ、なにしてやがる。勝手に人を家にあげるんじゃねぇ」
「いや、髙橋さんは先生ェに会いにこられているのに、先生ェがいないんじゃないですか」
「うるせぇ。風呂、風呂だ。風呂を沸かせっ」
「ふぇ?なに言ってるんですか」
コマは遠山に近づいてくんくんと鼻を動かす。
「亀の湯の一番風呂に入ってきたでしょう。今日はよもぎ湯の日ですよ。先生ェからよもぎのいい匂いがします。それに髪もまだ乾いていないし」
「飯っ。飯だ」
「えぇぇ。いい加減にしてくださいよ。歯に葱がついてます。鶴屋さんでお蕎麦食べたでしょう」
遠山がちっと大きな舌打ちをしても、コマは平然としている。
「寝るっ。布団を敷け」
「もう、そんなに怒鳴らなくても聞こえてますって。髙橋さんもびっくりしてるじゃないですか」
「こいつを家にあげるな」
「先生ェのお客様ですからね。お相手をしなくちゃ」
「なんだ、団子に釣られてるだけじゃねぇのか」
「まぁ、そうかも。髙橋さんはおいしいお菓子を持ってきてくれるし、俺の話もちゃんと聞いてくれますからね」
「うるさいっ。俺は眠いんだ。布団っ」
遠山はわざと髙橋にぶつかりながら縁側から家に入り、自室に向かった。
「コマあっ」
向こうから大声でコマを呼ぶ。
「はいはい。聞こえてますよ。髙橋さん、すみません。ちょっと行ってきます」
「ううん。いいんだ。今日はこれでお暇するよ」
「はい。また来てくださいね」
「ああ、また来る。あの、コマくん」
「はい?」
「先生に、その、ひどいこと、されてないのかい?」
「またそれですか?前にも話しましたけど、暴力も暴言もないですよ」
「でも、あれは…」
「なぜだかわからないけど、今日はご機嫌斜めみたいです。あれくらいなら大丈夫。それにお金も滞っていないです。八百屋にも魚屋にも月末にちゃんとお支払いできてるし、俺のお賃金も大丈夫です。
心配性なんですね、髙橋さんは」
「心配性じゃなくて、コマくんが心配なんだ」
「ありがとうございます。困ったら髙橋さんにも相談します」
「本当にそうしてくれよ」
にこっと笑ったコマに髙橋が声をかけようとしたときに「コマあああっ!」と雷のような声がした。
「じゃあ、失礼します」
コマはぺこりと頭を下げ、「はいはーい。今いきますよ。お布団くらい、一人で敷いてください」と言いながら、行ってしまった。
髙橋は中途半端に終わってしまったコマとの時間に、少し面白くない気分になった。
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ブログ更新「お待たせお待たせ / 先生ェ!第2話」
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