1 / 1
公爵夫人の幸せな契約破棄
しおりを挟む
「……契約を見直してもらえないだろうか」
テーブルをはさんで正面。私の偽の夫であるユーリの言葉に私は顔をあげて彼を見つめる。
「どういうこと?」
私の言葉にユーリは視線を私から外し、言いにくそうに口を開閉させる。
「えっと……」
何度も口ごもり、話が進まない。
「添い遂げたい方が見つかった?」
つい、待ちきれなくなってしまい、口をはさむ。ユーリは小さく首を振る。
「それは、そうなのだが……」
「だったら、契約は破棄ね。今までお世話になりました」
軽く頭を下げる。ユーリがなにやら言いたそうにしているが、手が上がったり下がったりするだけなので、待つのが面倒になってしまった。
「では、出ていく準備をするわね」
「ちょっ……レナ……待ってくれ……」
「どうしたの?」
「あ、えっと、すまない。まとまったら話に行く……」
ユーリがそう言って話すのをやめてしまったので一礼して部屋を出た。まとまったら話に行く。彼が時々使う手段だ。ユーリはおっとりとした性格に口下手なのもあって、せっかちな私と決定的に会話のテンポが合わない。
私が表情から察して言いたいことを先回りしてしまうことも多々あった。
そんな彼と私は契約で結ばれた偽夫婦だった。
侯爵家の長男であったユーリと、伯爵家の次女であった私は高等学園の同期だった。偽の結婚のきっかけは利害の一致と周囲の勘違い。
学生時代特有の色恋沙汰に辟易としていた私と、何もわからないまま泥沼に巻き込まれ疲弊していたユーリが形だけの付き合いを始めた。それがいつのまにか互いに将来を約束している仲という噂に形を変え、双方の家に届いた。あれよあれよという間に婚約は成立。後には引けなくなっていた。
互いに恋愛感情を持たない私たちはかといって別の相手がいるわけでもなく、婚約を受け入れた。
二人で話し合った結果、卒業後私たちは契約を結び、互いに必要な時だけ協力し合う偽の夫婦となった。
私たちの根底にあったのは、いち早く社交界にはびこる縁談やら色恋やらの話から抜け出したい、それだけだった。
侯爵夫人としての仕事はかなりあったが、それ以外は自由にしていた。趣味のお茶だって好きに買わせてもらえている。
なので、この生活はおおむね気に入っていた。1つだけ、後継ぎ問題に目をつぶれば。結婚して2年、子供はまだかと周囲はそわそわしている。しかし、ベッドを共にしていないのだ。そわそわするだけ無駄である。
契約時の取り決めに、誰かを愛したら、速やかに契約の見直しを提案する、というものがあった。ユーリはそれに従ったのだ。
自室に戻り、一息つく。長くは続かないと思っていた偽の結婚だが、ここまで早いとは思っていなかった。
動揺している自分に驚いた。ユーリが人を好きになったのは喜ばしいことだろう。
棚の一番端、美しく彫刻の施された木箱を手に取る。ユーリと二人で出かけたときに買ったものだ。中に入っているのは小さな便せんに書かれた手紙。
ユーリが発動するまとまったら話に行く、は話すのではなく、書いておくが正しい。
小さい便箋に、あの時はこう言いたかった、実はこれはこういう意味だったとあれこれ書いて扉の隙間に差し込んでおくのだ。
契約結婚と言っても全く干渉しないということでもなく、共同生活を送る友人くらいの距離感だった。当然言い争いもたびたび起こっている。せっかちな私とのんびりな彼の言い争いは当然、私の一方的なものになる。すぐにまとまったら話に行くと言われ、便箋が扉に挟まれる。
そこまで待っていると、私も頭が冷えている。そして、向こうも同じなようで、便箋にはごめん、とだけ書いてあることが多かった。私もその手紙を持って謝りに行って円満に終わる。
それでも話し合う必要があるときは、私も手紙で返事を書いた。同じテンポで会話ができない私たちは、手紙を使って無理やり歩調を合わせて会話をしていたのだ。
今思うと並々ならぬ努力である。
そして、それをすべて残してある私も私だ。
彼の流れるような筆跡をなぞる。少々癖のある文字は最初読むのに苦労した。
今では周囲の誰の文字よりも慣れ親しんだ文字だ。これがもう見られなくなるのは少し寂しい気がした。
私は自分が思っていたよりも、ユーリのことが好きだったらしい。
感傷に浸っているとノックで現実に引き戻される。
返事をしても誰も応えない。
もしやと思い、扉をみた。いつもの便箋が挟まっている。
立ち上がって手に取る。きっとこれが最後の手紙だ。
少し泣きそうになるのをこらえながら2つ折りにされた便箋を開く。
『さっきはうまく話せなくて、ごめん。僕が添い遂げたいのは君だ』
飛び込んできた文字に目を疑う。扉を開けて廊下に出ると、ユーリが立っていた。
「ユーリ……」
「契約を破棄して、改めて僕と結婚してほしい。だめかな」
相変わらずの弱気な顔。しかし、目の奥には確固たる思いがあるのを知っている。
「ちゃんと、話してよ」
「うん、ごめん、結局手紙になっちゃった」
口下手は直さないとね。そう言って下を向くユーリ。思わず小さく笑ってしまった。
「……でも、手紙のほうがユーリらしいわね」
私の言葉に、ユーリが顔をあげた。目を丸くしているユーリの顔をみてどうしようもなく愛しさを感じる。
「契約破棄しましょう。私も、あなたと添い遂げたいわ」
私が笑うと、ユーリは嬉しそうに私を抱きしめた。
******
私の夫が、紙に文字を書いている。書き終えるとこちらに向きを変えて私の前に置かれた。
「この子の名前なんだけど……」
流れるような線の癖字。誰よりも慣れ親しんだ、彼の文字。
愛しい子の名前。彼が一番最初に送る我が子への手紙だった。
「いいわね」
私は文字を指でなぞり、すぐそばで眠る我が子の名前を呼んだ。
テーブルをはさんで正面。私の偽の夫であるユーリの言葉に私は顔をあげて彼を見つめる。
「どういうこと?」
私の言葉にユーリは視線を私から外し、言いにくそうに口を開閉させる。
「えっと……」
何度も口ごもり、話が進まない。
「添い遂げたい方が見つかった?」
つい、待ちきれなくなってしまい、口をはさむ。ユーリは小さく首を振る。
「それは、そうなのだが……」
「だったら、契約は破棄ね。今までお世話になりました」
軽く頭を下げる。ユーリがなにやら言いたそうにしているが、手が上がったり下がったりするだけなので、待つのが面倒になってしまった。
「では、出ていく準備をするわね」
「ちょっ……レナ……待ってくれ……」
「どうしたの?」
「あ、えっと、すまない。まとまったら話に行く……」
ユーリがそう言って話すのをやめてしまったので一礼して部屋を出た。まとまったら話に行く。彼が時々使う手段だ。ユーリはおっとりとした性格に口下手なのもあって、せっかちな私と決定的に会話のテンポが合わない。
私が表情から察して言いたいことを先回りしてしまうことも多々あった。
そんな彼と私は契約で結ばれた偽夫婦だった。
侯爵家の長男であったユーリと、伯爵家の次女であった私は高等学園の同期だった。偽の結婚のきっかけは利害の一致と周囲の勘違い。
学生時代特有の色恋沙汰に辟易としていた私と、何もわからないまま泥沼に巻き込まれ疲弊していたユーリが形だけの付き合いを始めた。それがいつのまにか互いに将来を約束している仲という噂に形を変え、双方の家に届いた。あれよあれよという間に婚約は成立。後には引けなくなっていた。
互いに恋愛感情を持たない私たちはかといって別の相手がいるわけでもなく、婚約を受け入れた。
二人で話し合った結果、卒業後私たちは契約を結び、互いに必要な時だけ協力し合う偽の夫婦となった。
私たちの根底にあったのは、いち早く社交界にはびこる縁談やら色恋やらの話から抜け出したい、それだけだった。
侯爵夫人としての仕事はかなりあったが、それ以外は自由にしていた。趣味のお茶だって好きに買わせてもらえている。
なので、この生活はおおむね気に入っていた。1つだけ、後継ぎ問題に目をつぶれば。結婚して2年、子供はまだかと周囲はそわそわしている。しかし、ベッドを共にしていないのだ。そわそわするだけ無駄である。
契約時の取り決めに、誰かを愛したら、速やかに契約の見直しを提案する、というものがあった。ユーリはそれに従ったのだ。
自室に戻り、一息つく。長くは続かないと思っていた偽の結婚だが、ここまで早いとは思っていなかった。
動揺している自分に驚いた。ユーリが人を好きになったのは喜ばしいことだろう。
棚の一番端、美しく彫刻の施された木箱を手に取る。ユーリと二人で出かけたときに買ったものだ。中に入っているのは小さな便せんに書かれた手紙。
ユーリが発動するまとまったら話に行く、は話すのではなく、書いておくが正しい。
小さい便箋に、あの時はこう言いたかった、実はこれはこういう意味だったとあれこれ書いて扉の隙間に差し込んでおくのだ。
契約結婚と言っても全く干渉しないということでもなく、共同生活を送る友人くらいの距離感だった。当然言い争いもたびたび起こっている。せっかちな私とのんびりな彼の言い争いは当然、私の一方的なものになる。すぐにまとまったら話に行くと言われ、便箋が扉に挟まれる。
そこまで待っていると、私も頭が冷えている。そして、向こうも同じなようで、便箋にはごめん、とだけ書いてあることが多かった。私もその手紙を持って謝りに行って円満に終わる。
それでも話し合う必要があるときは、私も手紙で返事を書いた。同じテンポで会話ができない私たちは、手紙を使って無理やり歩調を合わせて会話をしていたのだ。
今思うと並々ならぬ努力である。
そして、それをすべて残してある私も私だ。
彼の流れるような筆跡をなぞる。少々癖のある文字は最初読むのに苦労した。
今では周囲の誰の文字よりも慣れ親しんだ文字だ。これがもう見られなくなるのは少し寂しい気がした。
私は自分が思っていたよりも、ユーリのことが好きだったらしい。
感傷に浸っているとノックで現実に引き戻される。
返事をしても誰も応えない。
もしやと思い、扉をみた。いつもの便箋が挟まっている。
立ち上がって手に取る。きっとこれが最後の手紙だ。
少し泣きそうになるのをこらえながら2つ折りにされた便箋を開く。
『さっきはうまく話せなくて、ごめん。僕が添い遂げたいのは君だ』
飛び込んできた文字に目を疑う。扉を開けて廊下に出ると、ユーリが立っていた。
「ユーリ……」
「契約を破棄して、改めて僕と結婚してほしい。だめかな」
相変わらずの弱気な顔。しかし、目の奥には確固たる思いがあるのを知っている。
「ちゃんと、話してよ」
「うん、ごめん、結局手紙になっちゃった」
口下手は直さないとね。そう言って下を向くユーリ。思わず小さく笑ってしまった。
「……でも、手紙のほうがユーリらしいわね」
私の言葉に、ユーリが顔をあげた。目を丸くしているユーリの顔をみてどうしようもなく愛しさを感じる。
「契約破棄しましょう。私も、あなたと添い遂げたいわ」
私が笑うと、ユーリは嬉しそうに私を抱きしめた。
******
私の夫が、紙に文字を書いている。書き終えるとこちらに向きを変えて私の前に置かれた。
「この子の名前なんだけど……」
流れるような線の癖字。誰よりも慣れ親しんだ、彼の文字。
愛しい子の名前。彼が一番最初に送る我が子への手紙だった。
「いいわね」
私は文字を指でなぞり、すぐそばで眠る我が子の名前を呼んだ。
99
お気に入りに追加
18
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
今さら、私に構わないでください
ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。
彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。
愛し合う二人の前では私は悪役。
幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。
しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……?
タイトル変更しました。
悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。
三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。
何度も断罪を回避しようとしたのに!
では、こんな国など出ていきます!
ほらやっぱり、結局貴方は彼女を好きになるんでしょう?
望月 或
恋愛
ベラトリクス侯爵家のセイフィーラと、ライオロック王国の第一王子であるユークリットは婚約者同士だ。二人は周りが羨むほどの相思相愛な仲で、通っている学園で日々仲睦まじく過ごしていた。
ある日、セイフィーラは落馬をし、その衝撃で《前世》の記憶を取り戻す。ここはゲームの中の世界で、自分は“悪役令嬢”だということを。
転入生のヒロインにユークリットが一目惚れをしてしまい、セイフィーラは二人の仲に嫉妬してヒロインを虐め、最後は『婚約破棄』をされ修道院に送られる運命であることを――
そのことをユークリットに告げると、「絶対にその彼女に目移りなんてしない。俺がこの世で愛しているのは君だけなんだ」と真剣に言ってくれたのだが……。
その日の朝礼後、ゲームの展開通り、ヒロインのリルカが転入してくる。
――そして、セイフィーラは見てしまった。
目を見開き、頬を紅潮させながらリルカを見つめているユークリットの顔を――
※作者独自の世界設定です。ゆるめなので、突っ込みは心の中でお手柔らかに願います……。
※たまに第三者視点が入ります。(タイトルに記載)
【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?
つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。
彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。
次の婚約者は恋人であるアリス。
アリスはキャサリンの義妹。
愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。
同じ高位貴族。
少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。
八番目の教育係も辞めていく。
王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。
だが、エドワードは知らなかった事がある。
彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。
他サイトにも公開中。
【完結】27王女様の護衛は、私の彼だった。
華蓮
恋愛
ラビートは、アリエンスのことが好きで、結婚したら少しでも贅沢できるように出世いいしたかった。
王女の護衛になる事になり、出世できたことを喜んだ。
王女は、ラビートのことを気に入り、休みの日も呼び出すようになり、ラビートは、休みも王女の護衛になり、アリエンスといる時間が少なくなっていった。
十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!
翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。
「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。
そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。
死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。
どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。
その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない!
そして死なない!!
そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、
何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?!
「殿下!私、死にたくありません!」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
※他サイトより転載した作品です。
お母様と婚姻したければどうぞご自由に!
haru.
恋愛
私の婚約者は何かある度に、君のお母様だったら...という。
「君のお母様だったらもっと優雅にカーテシーをきめられる。」
「君のお母様だったらもっと私を立てて会話をする事が出来る。」
「君のお母様だったらそんな引きつった笑顔はしない。...見苦しい。」
会う度に何度も何度も繰り返し言われる言葉。
それも家族や友人の前でさえも...
家族からは申し訳なさそうに憐れまれ、友人からは自分の婚約者の方がマシだと同情された。
「何故私の婚約者は君なのだろう。君のお母様だったらどれ程良かっただろうか!」
吐き捨てるように言われた言葉。
そして平気な振りをして我慢していた私の心が崩壊した。
そこまで言うのなら婚約止めてあげるわよ。
そんなにお母様が良かったらお母様を口説いて婚姻でもなんでも好きにしたら!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる