上 下
175 / 324
第5巻第1章 ヘンダーソン王国にて

気付けなかった刺客

しおりを挟む
「殿下」

 ある日の夕方、執務室で書類に目を通していたジョンは、ノックの後に聞こえてきた声に顔を上げた。

「クロエか。ノックの必要はないといったはずだが」

「そういうわけにはいきません。私はただの王立魔導師団員ですから」

 部屋へと入ってきたクロエは、真面目な顔でそんなことを言う。

「ただの、ではないだろう? 師団長殿?」

「おやめください殿下、私如きに敬称など」

「はあ、それじゃあクロ姉がその話し方やめてよ。結構疲れるんだから」

「いけませんよ殿下、どこで誰が聞いているかわからないんですから」

「誰も聞いてないって。それに、この前マヤに俺とクロ姉の結婚を認めるって宣言してもらったじゃん。だからもう俺たちは正式な夫婦なんだよ?」

「それは……そうですけど……」

 マヤが魔王会議を経て魔王になった後、マヤは全世界に向けてヘンダーソン王国のジョン王子と同国の王立魔導師団団長クロエの結婚を国家として認める宣言をした。

 なぜマヤが突然こんな宣言をしたかといえば、この宣言を行うことが、ジョンがマヤへ諜報部隊の情報を教える条件だったからだ。

「その後父上だって認めてくれたし、お義母さんだって最後は認めてくれたじゃん? だから俺はクロ姉とその……」

 流石に面と向かって、もっとイチャイチャしたいとは言えず、ジョンの言葉は尻すぼみとなる。

 その様子を見たクロエは、昔のジョンを思い出して少し気が楽になった。

「ふふふっ、ごめんねジョンちゃん」

「謝らなくていいって。それに、クロ姉が神経質になるのもわかるしね」

 ジョン王子はクロエが来るまで見ていた書類に視線を向ける。

 そこには現国王、すなわちジョンの実の父の診断結果が詳細に記されていた。

「やっぱり無理だった?」

「うん、私の治癒魔法、妖精姫の御手でも駄目だった」

 妖精姫の御手とは、ハーフエルフだけが使える強力な治癒魔法の通称だ。

 死んでさえいなければどんな状態からでも治せるのではないか、と思ってしまうほど強力な治癒魔法だが、もちろん例外はある。

「寿命か」

「おそらくね」

 自身の王位継承はまだまだ先だと思っていたジョンは、そのまま椅子に深く座って天井を眺める。

「いよいよ俺が王位を継ぐときが来たというわけか。しかし……」

 ジョンは父の診断書ではなく、もう一つの書類に目を移す。

 そこにはジョンお抱えの諜報部隊が街で集めて来た王家に関する市民の声が纏められていた。

「半々といったところだね。やはり、俺に国を任せるのは皆心配なようだ」

 諜報部隊が集めてきた情報によれば、今市民の意見は真っ二つに割れているらしい。

 一方は王家を存続させるべきとするグループ。

 もう一方は現国王を最後の王とし、民主主義に切り替えるべきだとするグループ。

「そんなことっ……」

「いいんだよクロ姉、事実だからさ」

「そんなこと言わないで。ジョンちゃんはいい王様になるって、私は信じてるんだから」

「あはは、クロ姉は優しいなあ。でも、クロ姉がそう言ってくれるだけで頑張れる気がするから不思議だよ。よしっ!」

 ジョンは微笑むと、両手で自分の頬をパンパンと叩いた。

 ジョンはそのまま部屋においてあったポットからコップに注いだお茶を一気に飲むと、再び書類に向き合い始めた。

「あれ、ジョンちゃんそのお茶自分で入れたの?」

 クロエは自分が入れた記憶のないお茶をポットから注いで飲んだジョンを見てそう呟いた。

 確かにジョンは極稀に自分でお茶を入れることがあるが、基本はクロエの入れたお茶を飲んでいる。

 王子であるジョンには当然侍女の1人や2人当然いるのだが、昔からの習慣でお茶だけは未だにクロエの担当だった。

「何言ってるのさクロ姉、さっきクロ姉が入れてくれたんじゃん」

「え?」

 ジョンの言葉に、クロエは一瞬で不安が広がるのを感じた。

 クロエは今日、1日中魔導師団の仕事で忙しく、ジョンとも朝別れてからついさっきこの部屋に入って来るまで1度もあっていない。

「何驚いてるのさクロ姉。…………って、あれ? クロ姉が2人? いや3人?」

 うわ言のように呟いたジョンは、そのまま突然身体から力が抜けたように机へと倒れ込む。

「ジョンちゃん!」

 慌てて受け止めたクロエによって、ジョンは机に激突するのを免れた。

 クロエは支えたジョンの身体がどんどんと熱くなっていくのを感じた。

「やっぱりさっきのお茶に何か入ってたんだ!」

 クロエはジョンの頭をゆっくりと机の上に下ろすと、急いでジョンがお茶を注いでいたポットへと駆け寄った。

 しかし、その中身はすでに空っぽだった。

「そんな……っ」

 なんの手がかりもなくなったクロエは、とにかくジョンを助けるためにできそうなことを試すことにした。

 しかし……。

「治癒魔法もだめ、解毒系の魔法もだめ、熱冷ましの薬も効いてないみたいだし……どうしよう!?」

 状況的に医者を呼ぶこともできないクロエは、焦りに焦る。

 なぜ医者を呼べないのかといえば、今の状況で王子であるジョンが倒れたと知れれば、国内の民主主義を志向するグループを勢いづかせてしまい、王家が打倒されかねないからだ。

「今度は何!?」

 しかし、焦るクロエを更に焦らせるように、今度はジョンの身体から煙が吹き出し始めた。

 それはどんどんと勢いをまし、あっという間にジョンの姿が見えなくなってしまう。

「ジョンちゃん!」

 思わず叫んだクロエだったが、だからといって何ができるわけでもない。

 というより、大きな声を出せば侍女が来てしまいそうなものだが、それがなかったのはジョンとクロエが夫婦だと認識されているからだろう。

「…………んんっ、クロ姉、声大きいよ」

 しばらくして、煙の向こうから聞こえてきたのは、どこか懐かしいジョンの声だった。

「ジョンちゃん? 無事だったん――――え?」

 煙が収まってようやく確認できたジョンの姿に、クロエは思わず言葉を失ってしまう。

 そこには、クロエの記憶が正しければ7才くらいの頃のジョンの姿があった。

 驚くと同時に、クロエは先ほど声を聞いた時に感じた懐かしさを正体を理解した。

(懐かしくて当然だ。だって昔のジョンちゃんの声だったんだから――って、今はそれどころじゃない)

 クロエはにわかに騒がしくなり始めた廊下に、急いで頭を切り替える。

 程なくして、クロエの予想通り侍女が部屋のドアをノックしてきた。

「殿下? クロエ妃殿下? 何やら煙のようなものが出ているようですが、大丈夫ですか?」

「ああ、だいじょ――んぐっ」

「気にしないで下さい。その――ちょっと夜のことに使う薬を作っているだけですから」

 声変わり前の高い声で答えようとしたジョンの口を塞ぎ、クロエはわざと大きな声で答えた。

(恥ずかしいけど、こういうことを言っておけば……)

 クロエの予想通り、ドアの向こうで小さくキャーという歓声が聞こえた。
 
「それは失礼いたしましたっ! 後でどんな感じだったか聞かせてくださいね!」

 そして侍女は、楽しそうな声でそう言い残し、足早に部屋の前から去っていく。

(ああ、これでしばらく噂されてしまう……)

 クロエは先のことを考えて少し気が重くなるが、何はともあれ侍女はごまかせたので良しとすることにした。

「ぷはっ、何するのさクロ姉。それに、夜のことって何?」

「へっ? いや、それは……って、ん?」

 またジョンが自分のことをからかってそんなことを言っているのかと思ったクロエだったが、ジョンの目を見てどうやらそうではないことに気がついた。

 その瞳は、全く持って面白がる様子がなく、純粋にクロエが言っていることが分からず質問している、という感じだったのだ。

「もしかして、本当にわからない?」

「当たり前だろ? 夜は寝るものなのに何するっていうのさ」

 その回答でクロエは確信した。

 このジョンは、身体が小さくなったのではなく、まるで時を戻したかのように、昔のジョンになっているのだと言うことを。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ようこそ異世界へ!うっかりから始まる異世界転生物語

Eunoi
ファンタジー
本来12人が異世界転生だったはずが、神様のうっかりで異世界転生に巻き込まれた主人公。 チート能力をもらえるかと思いきや、予定外だったため、チート能力なし。 その代わりに公爵家子息として異世界転生するも、まさかの没落→島流し。 さぁ、どん底から這い上がろうか そして、少年は流刑地より、王政が当たり前の国家の中で、民主主義国家を樹立することとなる。 少年は英雄への道を歩き始めるのだった。 ※第4章に入る前に、各話の改定作業に入りますので、ご了承ください。

魔力吸収体質が厄介すぎて追放されたけど、創造スキルに進化したので、もふもふライフを送ることにしました

うみ
ファンタジー
魔力吸収能力を持つリヒトは、魔力が枯渇して「魔法が使えなくなる」という理由で街はずれでひっそりと暮らしていた。 そんな折、どす黒い魔力である魔素溢れる魔境が拡大してきていたため、領主から魔境へ向かえと追い出されてしまう。 魔境の入り口に差し掛かった時、全ての魔素が主人公に向けて流れ込み、魔力吸収能力がオーバーフローし覚醒する。 その結果、リヒトは有り余る魔力を使って妄想を形にする力「創造スキル」を手に入れたのだった。 魔素の無くなった魔境は元の大自然に戻り、街に戻れない彼はここでノンビリ生きていく決意をする。 手に入れた力で高さ333メートルもある建物を作りご満悦の彼の元へ、邪神と名乗る白猫にのった小動物や、獣人の少女が訪れ、更には豊富な食糧を嗅ぎつけたゴブリンの大軍が迫って来て……。 いつしかリヒトは魔物たちから魔王と呼ばるようになる。それに伴い、333メートルの建物は魔王城として畏怖されるようになっていく。

スキル【僕だけの農場】はチートでした~辺境領地を世界で一番住みやすい国にします~

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
旧題:スキル【僕だけの農場】はチートでした なのでお父様の領地を改造していきます!! 僕は異世界転生してしまう 大好きな農場ゲームで、やっと大好きな女の子と結婚まで行ったら過労で死んでしまった 仕事とゲームで過労になってしまったようだ とても可哀そうだと神様が僕だけの農場というスキル、チートを授けてくれた 転生先は貴族と恵まれていると思ったら砂漠と海の領地で作物も育たないダメな領地だった 住民はとてもいい人達で両親もいい人、僕はこの領地をチートの力で一番にしてみせる ◇ HOTランキング一位獲得! 皆さま本当にありがとうございます! 無事に書籍化となり絶賛発売中です よかったら手に取っていただけると嬉しいです これからも日々勉強していきたいと思います ◇ 僕だけの農場二巻発売ということで少しだけウィンたちが前へと進むこととなりました 毎日投稿とはいきませんが少しずつ進んでいきます

俺のスキルが回復魔『法』じゃなくて、回復魔『王』なんですけど?

八神 凪
ファンタジー
ある日、バイト帰りに熱血アニソンを熱唱しながら赤信号を渡り、案の定あっけなくダンプに轢かれて死んだ 『壽命 懸(じゅみょう かける)』 しかし例によって、彼の求める異世界への扉を開くことになる。 だが、女神アウロラの陰謀(という名の嫌がらせ)により、異端な「回復魔王」となって……。 異世界ペンデュース。そこで彼を待ち受ける運命とは?

異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~

宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。 転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。 良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。 例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。 けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。 同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。 彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!? ※小説家になろう様にも掲載しています。

異世界転生雑学無双譚 〜転生したのにスキルとか貰えなかったのですが〜

芍薬甘草湯
ファンタジー
エドガーはマルディア王国王都の五爵家の三男坊。幼い頃から神童天才と評されていたが七歳で前世の知識に目覚め、図書館に引き篭もる事に。 そして時は流れて十二歳になったエドガー。祝福の儀にてスキルを得られなかったエドガーは流刑者の村へ追放となるのだった。 【カクヨムにも投稿してます】

一緒に異世界転生した飼い猫のもらったチートがやばすぎた。もしかして、メインは猫の方ですか、女神様!?

たまご
ファンタジー
 アラサーの相田つかさは事故により命を落とす。  最期の瞬間に頭に浮かんだのが「猫達のごはん、これからどうしよう……」だったせいか、飼っていた8匹の猫と共に異世界転生をしてしまう。  だが、つかさが目を覚ます前に女神様からとんでもチートを授かった猫達は新しい世界へと自由に飛び出して行ってしまう。  女神様に泣きつかれ、つかさは猫達を回収するために旅に出た。  猫達が、世界を滅ぼしてしまう前に!! 「私はスローライフ希望なんですけど……」  この作品は「小説家になろう」さん、「エブリスタ」さんで完結済みです。  表紙の写真は、モデルになったうちの猫様です。

6回目のさようなら

音爽(ネソウ)
恋愛
恋人ごっこのその先は……

処理中です...