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第4巻第3章 剣聖とウォーレン

カーサの暴走2

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『神おも殺す剣士だと? 本当にどうしたんだお前……』

 ウォーレンを乗っ取った何者かの意味不明な発言に、知人らしき男はますます困惑する。

『察しの悪い男だ。もう良い、死ね』

 カーサはその視界の中で男の腕が振り下ろされるのを何もできずに見ていることしかできない。

 何気ない動きながら鋭く目の前の男の首へと迫る剣撃に、知人らしき男性はとっさに剣を抜いてその一撃を受け止めようとする。

『反応できただけ褒めるべきかもしれんが、それだけだな』

『なっ……っ!』

 まるで剣が曲がったかのように、ウォーレンの剣は男の構えていた剣をすり抜けると、そのまま心臓を一突きする。

 信じられない思いで自らの胸に突き刺さる剣を男が見下ろした瞬間には、剣は抜かれ、そのままその首を斬り落としていた。

『この程度では、なんの鍛錬にもならん』

 剣を振って血を飛ばしたウォーレンは、再び逃げ惑う一般人を殺し始める。

 結局この後も、ウォーレンを止めるものは現れず、カーサは大好きだった優しい兄が次々と無抵抗の一般人を殺し続ける様子を、その兄の視点から見せられ続けた。

 (もう……やめてっ……!)

 カーサがどれだけ拒絶しようが、目を閉じようが、耳をふさごうが、その映像が止まることはない。

 そこでようやく、これは幻覚などという陳腐なものではなく、兄を操っていた何者かの記憶が自分の中に流れ込んできているのだと気がついた。

 カーサが幻覚の正体を理解したちょうどその時、記憶の中のウォーレンが剣を取り落とす。

『ふむ、これが限界か。脆弱な身体だ』

 カーサに流れ込む記憶の中のウォーレンは、それだけ言うとそのまま意識を失って倒れる。

 それと当時に、カーサが見せられていた記憶も終了した。

「終わ、った、の?」

 カーサは涙でぐちゃぐちゃになった顔から手を離すと、ゆっくりと立ち上がった。

 眼の前には、あの記憶が流れ始める前に見ていた歓楽街があり、カーサはほっとした。

「よか、った、戻って、これた……」

 ようやく落ち着いたカーサが改めて歓楽街に目をやると、夜への準備をしていたはずの街には、千鳥足で歩く酔っ払いがちらほらといるばかりで、店じまいにのれんを片付けている店などがほとんどだった。

 カーサは夕方から夜に変わる頃にここに来たので、おそらく今が明け方であることを考えると、一晩中あの記憶を見せられていたということになる。

「疲れた。でも、早く、今、見たことを、マヤさんに、伝え、ないと」

 そう思ってマヤの屋敷に足を向けようとしたカーサだったが、なぜだか思うように足が動いてくれなかった。

「どう、して?」

 カーサが動かない自分の足に首をひねっていると、どこからか声が聞こえてくる。

「いいのか? あの王、お前の兄を人殺し呼ばわりしたんだぞ?」

「っ!? 誰!?」

 カーサはどこからともなく聞こえてくる声に、驚いて周囲を確認する。

 ぐるりと周囲を見渡したカーサだったが、近くにそれらしい人影は見当たらない。

「そんなことをしても無駄だ。それより、お前があの王のところに行けない理由、知りたくないか?」

「あなたは、なにか、知って、いるの?」

「ああ、知っている。お前が動けないのはお前があの王を信じられなくなっているからだ」

 謎の声の指摘に、カーサは心臓が跳ねるのを感じた。

「私が、マヤさんを、信じ、られない?」

「そうだ。お前は兄が人殺しなどしないと信じている。しかし、あの王は、諜報部隊を使ってお前の兄が人殺しだという情報を掴み、それを信じている」

「それは……」

 冷静に考えれば、マヤが掴んだ情報は、剣神に操られているときのウォーレンが行ったことだ、と反論できたかもしれない。

 なぜならカーサは優しい兄が自分を捨てて出て行ってしまったのは、剣神に操られているからだと信じているのだから。

 しかし、目を背けたくなるような記憶を一晩中見せられたカーサには、そんな冷静な判断は下せなかった。

「否定できまい? その点私は、お前に真実を知る機会を与えることができる」

「それは、どういう、こと?」

「こういうことだ」

 謎の声が頭の中で反響したかと思うと、カーサは自らの意識が段々と薄れていくのを感じた。

「な……にを……した……の……?」

 カーサは薄れゆく意識の中、懐かしい兄の姿を思いながらその意識を手放してしまったのだった。

***

「歓楽街で人斬り!?」

 マヤは飛び込んできたオリガに叩き起こされるやいなや聞かされた報告に、思わず大きな声で聞き返してしまう。

「そうです。幸い死者は出ていません。重傷者もいましたが、私とお母さんでどうにか治療できました」

「そうなんだ……よかったあ~」

 マヤはひとまず犠牲者が出なかったことに、安堵のため息をつく。

 しかし、オリガが飛び込んできた理由は、実はそれではなかった。

「ただ、犯人が問題でして……」

「そうだ、犯人について聞いてなかったね。誰がそんなことしたの? ことと次第によっちゃあ私、その人をぶちのめすだけじゃ許せないよ?」

 安堵して弛緩させていた身体に再び力を入れ怒気を放つマヤに、オリガはとても言いにくそうに話し始める。

「その……驚かないでくださいね?」

「なにさ、そんなにもったいぶって」

「実は、今回の人斬りの犯人は、カーサさんなんです」

「………………へっ?」

 マヤは一気に怒気を引っ込めると、間の抜けた返事を返す。

 だってそうだろう。

 マヤにとってカーサとは、人斬りなどという行為とは対極にいる存在なのだ。

「えーっと、それは本当なの?」

「はい、本当です。目撃者もいましたし、カーサさんの姿も見当たりません。唯一、魔法で解析した切り口の太刀筋だけが、いつものカーサさんのものと一致していないのが気がかりですが……もっとも、カーサさんが人を斬ったことなんてほとんどありませんから、この解析はそこまで信憑性が高いものではありませんが……」

 自分も仲良しのカーサが突然人斬りをした上逃走してしまい、気が気でないだろうに、オリガはなんとか冷静にマヤへと状況を説明してくれた。

 そんなオリガの頑張りに、マヤは立ち上がるとカーサの小さい頭を胸に抱きしめた。

「――うぷっ……マヤさん?」

「ありがとうね、オリガ。だいたい状況はわかったから…………もういいんだよ?」

 マヤはそう言って頭を撫でてあげると、しばらくしてオリガはゆっくりと嗚咽を漏らし始めた。

「うっ……カーサさんが……カーサさんがあんなことっ……ううっ……絶対なにかの間違いなんですっ……だからっ……だからっ!」

「うん。うん。わかった。私がなんとかするから」

 マヤはその後、オリガが落ち着くまで胸を貸して続け、頭をゆっくりと撫で続けてあげた。

 優しい声と言葉でオリガを慰めるマヤだったが、その目にはカーサを唆し人斬りなどさせた挙げ句何処かへ連れ去ったであろう何者かへの、絶対に許さないという強い意志が宿っていた。
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