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16アルコール
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「お嬢様、どうして突然マーキュリー男爵領なのですか?」
馬車の向かい側に座っているイリスは首を傾げる。本来、貴族と使用人は同じ馬車に乗れないのだが、使用人でもあり、公爵と妾の子でもあるイリスは、例外だ。
「マーキュリー男爵領には上質なワインがあるからですわ」
「お嬢様は旦那様のワイン貯蔵庫を躊躇いもなくペニシリン製造場に変えるくらいには、ワインなどには興味がないと思っておりましたが」
「その認識であっていますわ。私の今回の目的も、ワインではありませんもの」
「では一体……」
「これですわ」
エミリアは懐から透明な液体が入った瓶を取り出した。
「なんですか、それは……水?」
完全に無色透明なそれは、確かに一見すると水にしか見えない。この世界に、ウォッカなどの蒸留酒があれば、話の流れでわかったかもしれないが。
「これはアルコールですわ」
「アルコール? なんですか、それ?」
「アルコールというのは、ワインなどに入っている……そうですわね、簡単に言えばお酒に酔う原因になる物質ですわ」
「ではなぜワインと同じ色ではないのです?」
「ああ、それは簡単ですわ。ワインの色はぶどうの皮の色なのですわ。このアルコールの方には色はないのですわ」
「なるほど…………ではお嬢様は、この地でワインを買い付け、その飲めるかも分からない液体にするために、こうしてはるばるやってきたのですね?」
「…………なんだか棘のある言い方ですわね……」
「いえ、そんなことはございません。お嬢様に意見するなどありえませんので」
イリスは使用人であることを口実に会話を打ち切った。それを見たエミリアは、意地の悪い笑みを浮かべる。
「イリス姉様、なにか言いたいことがあるなら仰ってよろしいんですのよ?」
「………………そうきましたか……」
イリスはしばし黙考した後、ゆっくりと口を開いた。
「エミリア、あなたはワインがあまり得意で無い様だからわからないかもしれないけど、ワインというのは素晴らしい飲み物なの」
どこか恍惚とした表情を浮かべ始めたイリス。エミリアは、なにか開けてはいけない扉を開けてしまったような気がした。
「姉様?」
「ワインというのはね、一口で人を幸せにするのはもちろん、共にワインと飲むことでその人とより親しく――――」
それからマーキュリー男爵領到着までの道中、イリスのワイン語りは止まることがなかった。しかも、エミリアが適当に聞き流していると
「ちゃんと聞いているのエミリア?」
などと言われて聞き流すこともできない。
(まさかイリスがここまでワイン好きだったとは……今度からワインの話題は振らないようにしないと……)
自分でイリスを「イリス姉様」と呼び、話始めさせた手前、無理やり辞めさせるのも申し訳ないと思ったエミリアは、そのままイリスのワイン語りを聞き続けたのだった。
***
「なんとか目的のものは見つかりましたわ」
「ワインが目的ではなかったのですね」
「イリスじゃありませんもの。ワインのためだけのこんなところまで来ませんわ」
マーキュリー男爵領は、王都からかなり離れている。言ってしまえば辺境の地だ。当然ながら、王都から近い公爵領からもかなり離れている。
「先ほどは失礼いたしました……」
「気にしなくていいですわ。私のせいでもありますし」
「それでお嬢様、目的のものというのは何でしょうか?」
「これですわ」
「これは……白い粉? こんなものが必要だったのですか?」
「これはただの粉ではありませんわ。これは酵母というものですわ」
「コウボ?」
「ええ。これを入れることで、ぶどうがワインになるんですのよ」
「ぶどうがワインに! 魔法の粉じゃないですか!」
「…………イリス、落ち着いてちょうだい……」
「はっ……! し、失礼いたしました、お嬢様……」
「こほんっ。それで、酵母というのが何かと言うと、言ってしまえば砂糖をアルコールに変える菌ですわ」
「菌というと、破傷風菌などと同じですか?」
(正確には違うんだけど……まあ、今は細かいことはいいか……)
正確には破傷風菌は細菌類、酵母は真菌類なので別物だ。しかし、現代日本でも「菌」としてひとくくりに捉えている人も多いので、いちいち訂正する必要もないだろう。
「まあそんな感じですわ。破傷風菌は人に害を与える菌ですが、酵母は人の役に立つ菌ということですわ」
エミリアの説明を聞いているイリス。しかしその目は、どこか遠くを見ているようだった。何やら目がやたらと輝いているのが気になる。
「ではお嬢様、それ公爵領に持ち帰って、ワインを作るのですね!」
「えーっと……」
(うーん、ワインを作る気はなかったんだけど……)
エミリアが求めているのはアルコールだ。確かにワインのようなものはできるかもしれない。しかし、できたとしても、エミリアはそれをすぐに分留してアルコールだけを抽出してしまう。
つまり、ワインは出来るがワインは作らない、という感じだ。
(こんな輝く目で見られたらなあ……)
エミリアには、ワインづくりの知識など皆無だ。当然、美味しいワインなどできるはずもない。ないのだが……
「はあ……わかりましたわ。ワインも作ってみますわ」
「やった! これで飲み放題ね!」
「イリス姉様? 私はワイン職人ではないのですから、味は保証できませんわよ? それに、もし我が領でワインを作れるようになっても、飲み放題は許しませんわ!」
「ふふっ、わかってますよ~お嬢様~」
「本当にわかってるのかしら……」
エミリアはしっかりものだと思っていた姉が、実は酒が絡むとダメ人間だったことを知り、苦笑しながら小さくため息をついた。
馬車の向かい側に座っているイリスは首を傾げる。本来、貴族と使用人は同じ馬車に乗れないのだが、使用人でもあり、公爵と妾の子でもあるイリスは、例外だ。
「マーキュリー男爵領には上質なワインがあるからですわ」
「お嬢様は旦那様のワイン貯蔵庫を躊躇いもなくペニシリン製造場に変えるくらいには、ワインなどには興味がないと思っておりましたが」
「その認識であっていますわ。私の今回の目的も、ワインではありませんもの」
「では一体……」
「これですわ」
エミリアは懐から透明な液体が入った瓶を取り出した。
「なんですか、それは……水?」
完全に無色透明なそれは、確かに一見すると水にしか見えない。この世界に、ウォッカなどの蒸留酒があれば、話の流れでわかったかもしれないが。
「これはアルコールですわ」
「アルコール? なんですか、それ?」
「アルコールというのは、ワインなどに入っている……そうですわね、簡単に言えばお酒に酔う原因になる物質ですわ」
「ではなぜワインと同じ色ではないのです?」
「ああ、それは簡単ですわ。ワインの色はぶどうの皮の色なのですわ。このアルコールの方には色はないのですわ」
「なるほど…………ではお嬢様は、この地でワインを買い付け、その飲めるかも分からない液体にするために、こうしてはるばるやってきたのですね?」
「…………なんだか棘のある言い方ですわね……」
「いえ、そんなことはございません。お嬢様に意見するなどありえませんので」
イリスは使用人であることを口実に会話を打ち切った。それを見たエミリアは、意地の悪い笑みを浮かべる。
「イリス姉様、なにか言いたいことがあるなら仰ってよろしいんですのよ?」
「………………そうきましたか……」
イリスはしばし黙考した後、ゆっくりと口を開いた。
「エミリア、あなたはワインがあまり得意で無い様だからわからないかもしれないけど、ワインというのは素晴らしい飲み物なの」
どこか恍惚とした表情を浮かべ始めたイリス。エミリアは、なにか開けてはいけない扉を開けてしまったような気がした。
「姉様?」
「ワインというのはね、一口で人を幸せにするのはもちろん、共にワインと飲むことでその人とより親しく――――」
それからマーキュリー男爵領到着までの道中、イリスのワイン語りは止まることがなかった。しかも、エミリアが適当に聞き流していると
「ちゃんと聞いているのエミリア?」
などと言われて聞き流すこともできない。
(まさかイリスがここまでワイン好きだったとは……今度からワインの話題は振らないようにしないと……)
自分でイリスを「イリス姉様」と呼び、話始めさせた手前、無理やり辞めさせるのも申し訳ないと思ったエミリアは、そのままイリスのワイン語りを聞き続けたのだった。
***
「なんとか目的のものは見つかりましたわ」
「ワインが目的ではなかったのですね」
「イリスじゃありませんもの。ワインのためだけのこんなところまで来ませんわ」
マーキュリー男爵領は、王都からかなり離れている。言ってしまえば辺境の地だ。当然ながら、王都から近い公爵領からもかなり離れている。
「先ほどは失礼いたしました……」
「気にしなくていいですわ。私のせいでもありますし」
「それでお嬢様、目的のものというのは何でしょうか?」
「これですわ」
「これは……白い粉? こんなものが必要だったのですか?」
「これはただの粉ではありませんわ。これは酵母というものですわ」
「コウボ?」
「ええ。これを入れることで、ぶどうがワインになるんですのよ」
「ぶどうがワインに! 魔法の粉じゃないですか!」
「…………イリス、落ち着いてちょうだい……」
「はっ……! し、失礼いたしました、お嬢様……」
「こほんっ。それで、酵母というのが何かと言うと、言ってしまえば砂糖をアルコールに変える菌ですわ」
「菌というと、破傷風菌などと同じですか?」
(正確には違うんだけど……まあ、今は細かいことはいいか……)
正確には破傷風菌は細菌類、酵母は真菌類なので別物だ。しかし、現代日本でも「菌」としてひとくくりに捉えている人も多いので、いちいち訂正する必要もないだろう。
「まあそんな感じですわ。破傷風菌は人に害を与える菌ですが、酵母は人の役に立つ菌ということですわ」
エミリアの説明を聞いているイリス。しかしその目は、どこか遠くを見ているようだった。何やら目がやたらと輝いているのが気になる。
「ではお嬢様、それ公爵領に持ち帰って、ワインを作るのですね!」
「えーっと……」
(うーん、ワインを作る気はなかったんだけど……)
エミリアが求めているのはアルコールだ。確かにワインのようなものはできるかもしれない。しかし、できたとしても、エミリアはそれをすぐに分留してアルコールだけを抽出してしまう。
つまり、ワインは出来るがワインは作らない、という感じだ。
(こんな輝く目で見られたらなあ……)
エミリアには、ワインづくりの知識など皆無だ。当然、美味しいワインなどできるはずもない。ないのだが……
「はあ……わかりましたわ。ワインも作ってみますわ」
「やった! これで飲み放題ね!」
「イリス姉様? 私はワイン職人ではないのですから、味は保証できませんわよ? それに、もし我が領でワインを作れるようになっても、飲み放題は許しませんわ!」
「ふふっ、わかってますよ~お嬢様~」
「本当にわかってるのかしら……」
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