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縁から触れてはいけない。
綾音が優位であるべきだ。だって先輩だから、と心の中で繰り返し、後輩に心を奪われるなんて自分らしくないと、縁の知らぬところで自嘲するのだ。教えてはあげない。けれどもしも、こんな態度を取り続けた結果、縁の心が自分から離れてしまったとしたらどうしよう。
どちらかが男の子だったなら、もっと違う関係を築いただろうか。
きっと卒業したら自然に消えてしまう不確かな関係。いつかは淡い思い出に変わる。
心がひやりとした。
繋いだ手に力が入ったのに気づき、前を向いていた縁が綾音を見る。今自分はどんな顔をしているだろう。情緒不安定なのは月の引力のせいだ。やはり先に帰るべきだったかもしれない。
「綾音さん、バスが来ちゃいます。少しだけ急げます?」
「……置いていってもいいのよ」
「はい?」
「走りたくない。縁は先に行っていい」
「──わかりました」
縁の手が離れた。
ひどく頼りない、不安な気持ちに包まれた。手を離したつれない後輩は、綾音をその場に置いて小走りに停留所へ向かう。
「本当に……行くなんて」
急に涙が溢れたことにびっくりした。それを縁に見られないよう少し俯く。待たなければ良かった。置いていってなんて言うべきではなかった。
バスが綾音の横を通り過ぎ、少し先にある停留所で停車する。先に行ってしまった縁が、運転手に何かを言っているのが見えた。
「綾音さん!」
縁が手招きをする。運転手に待ってくれるよう告げたのか、バスが発車する気配は訪れない。
「運転手さん、ありがとうございます」
「大丈夫だよ。部活の帰りかい」
「はい、弓道部で……」
綾音が来るまでの間、縁は運転手と淡々と言葉を交わしている。走りたくないとは言ったものの、発車を遅らせてまで待っている縁の傍に行きたくて、無意識に歩を早めた。
「間に合って良かった」
眼鏡の奥で笑った縁に、綾音も微かな笑みを返してバスに乗り込む。どきどきしているのは早く歩いたせいであって縁のせいではない。
「鞄を持ちましょうか?」
「大丈夫よ。さっき言ったじゃない」
「じゃあ、手を繋ぎましょうか?」
「……そうね、揺れたら危ないから」
そっと鞄を持っていない方の手を繋いで、後ろの方の座席に腰を下ろす。二人が座るとほどなく、乗客の少ないバスが動き始めた。
完全に日が沈み、幾つかの星がちらちらと輝いている。円い月が昇り、暗い空を薄明るく照らす。月の引力は綾音を狂わせる。いつもなら言わないようなことも、言いそうになる。
けれどけして言ったりはしない。本気で好きだと悟られてはならない。踏み込みすぎたら二度と戻れなくなる。
どこに戻れないというのか。ふと綾音は疑問に思ったが、バスの振動と縁の手の温度にまた眠くなってきて、静かに瞼を閉じた。
綾音が優位であるべきだ。だって先輩だから、と心の中で繰り返し、後輩に心を奪われるなんて自分らしくないと、縁の知らぬところで自嘲するのだ。教えてはあげない。けれどもしも、こんな態度を取り続けた結果、縁の心が自分から離れてしまったとしたらどうしよう。
どちらかが男の子だったなら、もっと違う関係を築いただろうか。
きっと卒業したら自然に消えてしまう不確かな関係。いつかは淡い思い出に変わる。
心がひやりとした。
繋いだ手に力が入ったのに気づき、前を向いていた縁が綾音を見る。今自分はどんな顔をしているだろう。情緒不安定なのは月の引力のせいだ。やはり先に帰るべきだったかもしれない。
「綾音さん、バスが来ちゃいます。少しだけ急げます?」
「……置いていってもいいのよ」
「はい?」
「走りたくない。縁は先に行っていい」
「──わかりました」
縁の手が離れた。
ひどく頼りない、不安な気持ちに包まれた。手を離したつれない後輩は、綾音をその場に置いて小走りに停留所へ向かう。
「本当に……行くなんて」
急に涙が溢れたことにびっくりした。それを縁に見られないよう少し俯く。待たなければ良かった。置いていってなんて言うべきではなかった。
バスが綾音の横を通り過ぎ、少し先にある停留所で停車する。先に行ってしまった縁が、運転手に何かを言っているのが見えた。
「綾音さん!」
縁が手招きをする。運転手に待ってくれるよう告げたのか、バスが発車する気配は訪れない。
「運転手さん、ありがとうございます」
「大丈夫だよ。部活の帰りかい」
「はい、弓道部で……」
綾音が来るまでの間、縁は運転手と淡々と言葉を交わしている。走りたくないとは言ったものの、発車を遅らせてまで待っている縁の傍に行きたくて、無意識に歩を早めた。
「間に合って良かった」
眼鏡の奥で笑った縁に、綾音も微かな笑みを返してバスに乗り込む。どきどきしているのは早く歩いたせいであって縁のせいではない。
「鞄を持ちましょうか?」
「大丈夫よ。さっき言ったじゃない」
「じゃあ、手を繋ぎましょうか?」
「……そうね、揺れたら危ないから」
そっと鞄を持っていない方の手を繋いで、後ろの方の座席に腰を下ろす。二人が座るとほどなく、乗客の少ないバスが動き始めた。
完全に日が沈み、幾つかの星がちらちらと輝いている。円い月が昇り、暗い空を薄明るく照らす。月の引力は綾音を狂わせる。いつもなら言わないようなことも、言いそうになる。
けれどけして言ったりはしない。本気で好きだと悟られてはならない。踏み込みすぎたら二度と戻れなくなる。
どこに戻れないというのか。ふと綾音は疑問に思ったが、バスの振動と縁の手の温度にまた眠くなってきて、静かに瞼を閉じた。
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