うつろな果実

硯羽未

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3 手のひらの温度と下心

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 昨日禅一に母の来訪を告げられていた珠雨は、授業が終わると何故か直帰することはせず、寄り道をしていた。
 しとしとと雨の降りしきる中、駅前の本屋でしばらく本を物色したり、デパ地下を意味もなくうろついてみたり、なかなか帰ろうとしないでいたら、痺れを切らしたのかスマートフォンが着信を知らせる。
 氷彩ひいろだ。音声通話ではなく、ビデオ通話になっている。画面に映る母の姿は「母」と呼ぶにはだいぶあでやかだった。禅一と会うのに気合いを入れてきたのだろうか? 氷彩は母である前に女だ。ただそれは、珠雨を蔑ろにしているわけではない。
「珠雨、いつ帰って来るの」
「あーはい。もう帰ります。今出ました」
「そば屋の出前じゃないのよ。すぐ帰ってきて。あっその後ろに映ってるお惣菜美味しそう。買ってきてくれない?」
 言いたいことだけ言われて、切れた。
 どのお惣菜だかわからない。そば屋の出前って一体なんだと思いながら、珠雨はぐったりため息をつくと、背後に映り込んだであろうお惣菜達の中から自分が食べたいと思う物を一品選択し、仕方なく手土産とした。


   §


 ヒトエに着くと、入口に「本日休業」の札が出ていた。定休日はなく、たまに不定期で休む店ではあったが、氷彩が来るからと言って休みにすることもないだろうと珠雨は若干の苛立ちを覚える。
「帰りました」
 どんな顔をして入ってゆけば良いのかわからず、微妙に固い表情になる。店内に入ると、電子タバコの匂いが漂っていた。禅一と氷彩が隣り合わせで腰掛け、何かを話している最中だったが、珠雨に気づいて会話が止まる。
「おかえりー! 珠雨、久し振り。元気そうじゃない」
 明るく大きな声を出している氷彩は、若くして珠雨を産んだのでまだ三十七歳だ。保険の外交員をしている。
 ちょいちょいと手招きをされ、近づいていったら、力強くハグされた。雨で服が湿っているのにやめて欲しい。肌にまとわりついて気持ち悪いが、氷彩は気にならないようだ。
「んー、大きくなったねえ!」
「三ヶ月やそこらで、大きくならないし。てか、成長止まったし」
「そっかなー。ねえ浅見、珠雨大きくなったと思わない?」
 ハグしたまま禅一に顔だけ振り向いて、同意を求めている。
「え、どうでしょう」
「あーもう、あたしの可愛い珠雨が、浅見と住んでるなんて。ずるいずるい! 浅見、珠雨に変なことしてなぁい?」
「何もしませんて。僕を何だと思ってるんですか」
 氷彩のテンションについてゆけず、珠雨はその腕を引き剥がして逃れる。そもそも段取りを付けたのは氷彩自身なのに、今更何を言っているのだろうか。
 しかし、先程から浅見浅見と連呼されて、唐突に珠雨の古い記憶が掘り起こされた。
「──んっ!?」
 のんびり座ってコーヒーを飲んでいる禅一を凝視する。
「どうしたの珠雨」
「……思い出した気が。禅一さん、もしかしてあざみちゃん? あの料理上手で可愛かった、あざみちゃんですか?」
 何かを思い出した珠雨に、禅一は一瞬気まずそうな顔をしたが、すぐに肯定する。
「うん。最初から僕は浅見ですって言ってるじゃない」
「いや、あざみちゃんて、普通に下の名前だと思ってたから……女の人なのかと」
 確かに、昔一緒に暮らしていたことがある人物の中に「あざみ」はいた。けれど、その人と現在の禅一を同一視出来ない。
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