35 / 94
第17話 旧知
17-1
しおりを挟む
自分達の出番までまだ20分ほどある。竜司がぎりぎりと鳴らしているギターの音を聞きながら楽屋で出番を待っていたら、部屋の外でノックが聞こえた。なんだろう、と思って立ち上がり、壱流はドアを開けた。
「あ」
あ、の形で固まった壱流の唇。予想していなかった来訪者に、しばしその顔をじっと見つめ、壱流は沈黙した。
「……うわあ。そういうリアクション傷つく」
ドアの外に立っていた旧知の人物、以前いたバンドでベースを弾いていた懐は、困ったように壱流に微笑んだ。壱流よりもずっと線が細いのに、身長は少しばかり抜かされている。世にも綺麗な顔をした男は、開いたドアから遠慮のかけらもなく中に入ってきた。
「いや、ごめん。びっくりしたから。……一人?」
「ケンちゃん誘ったんだけどさあ、行かなーいって。多分竜ちゃんと会いたくないんだよ。ミニマムに見えっから。ははは」
ケンちゃんというのはやはり同じバンドにいたドラムスだ。懐と非常に仲の良い男で、壱流はこの二人よりも竜司を選び、バンドを抜けた。
仲たがいをして分裂したわけではないが、なんとなく気まずくなっても仕方ない。しかし懐は一向に気にした様子も見せず、ギターの手が止まった竜司に目を向けた。
「久しぶり」
「…………」
沈黙が返ってきた。
きょとんとしている表情に、壱流ははっとする。記憶を甦らせる為の一環として、以前いたバンドのことも懐のことも話には出ていたが、生憎写真は見せたことがなかった。きっと懐が誰だかわからないで、戸惑っているのだ。
竜司が記憶喪失だということは、自分と竜司の家族と医者以外、知らない。言いふらすべきではない気がした。記憶がないのをいいことに、あることないこと吹き込まれるのは困るし、説明するのも面倒だ。
竜司の沈黙に、懐の表情も若干曇った。
「……うわ。こっちのリアクションも傷つくわ。俺、もしかして招かれざる客?」
「や、違う違う。嬉しいけど……ごめん、ちょっと」
ぐいぐいと懐の腕を引っ張り、壱流は竜司を残し部屋を出る。
「なんだよイッチー」
「深い事情があって。……その、ごめん。なんか色々」
「は? 何に対して謝ってんの?」
廊下に出た懐は意味不明そうな顔をして自分のポケットを探り、煙草を取り出した。かちんと火を点け深く吸い込み、壱流にも一本差し出す。
「吸う?」
「いらない。やめた」
「煙草ってやめられるものなんだ?」
不思議そうに言った懐の横顔を見つめ、壱流は設置された自販機にコインを入れて、煙草の代わりにコーヒーのボタンを押した。以前は確かに吸っていたが、喉がいがいがするのでやめた。竜司も吸わないし、やめていらいらするほど依存していたわけでもない。
「懐……今、ボーカルってどうなってんの?」
「ああ? さっきのごめんて、そういう意味」
「うんまあ」
「俺が歌ってる。けど新しいのは常に探してるよ。戻ってきたいってんなら、俺はかまわないけど。……いや、誘ってねえよ? 好きにしてくれていいし。イッチーが竜ちゃん選んで駆け落ちしたって、もっぱらの噂だし」
コーヒーに口をつけようとしていた時に妙なことを言われ、壱流は固まる。口に入れていなくて良かった。噴くところだった。
(なんだその噂は。誰がしてんだ)
別にそんなのではない。ただ竜司が放浪の旅に出ると言ったから、一緒に歌いたかった壱流がついていっただけの話だ。駆け落ちなんかでは、断じてない。
「あ」
あ、の形で固まった壱流の唇。予想していなかった来訪者に、しばしその顔をじっと見つめ、壱流は沈黙した。
「……うわあ。そういうリアクション傷つく」
ドアの外に立っていた旧知の人物、以前いたバンドでベースを弾いていた懐は、困ったように壱流に微笑んだ。壱流よりもずっと線が細いのに、身長は少しばかり抜かされている。世にも綺麗な顔をした男は、開いたドアから遠慮のかけらもなく中に入ってきた。
「いや、ごめん。びっくりしたから。……一人?」
「ケンちゃん誘ったんだけどさあ、行かなーいって。多分竜ちゃんと会いたくないんだよ。ミニマムに見えっから。ははは」
ケンちゃんというのはやはり同じバンドにいたドラムスだ。懐と非常に仲の良い男で、壱流はこの二人よりも竜司を選び、バンドを抜けた。
仲たがいをして分裂したわけではないが、なんとなく気まずくなっても仕方ない。しかし懐は一向に気にした様子も見せず、ギターの手が止まった竜司に目を向けた。
「久しぶり」
「…………」
沈黙が返ってきた。
きょとんとしている表情に、壱流ははっとする。記憶を甦らせる為の一環として、以前いたバンドのことも懐のことも話には出ていたが、生憎写真は見せたことがなかった。きっと懐が誰だかわからないで、戸惑っているのだ。
竜司が記憶喪失だということは、自分と竜司の家族と医者以外、知らない。言いふらすべきではない気がした。記憶がないのをいいことに、あることないこと吹き込まれるのは困るし、説明するのも面倒だ。
竜司の沈黙に、懐の表情も若干曇った。
「……うわ。こっちのリアクションも傷つくわ。俺、もしかして招かれざる客?」
「や、違う違う。嬉しいけど……ごめん、ちょっと」
ぐいぐいと懐の腕を引っ張り、壱流は竜司を残し部屋を出る。
「なんだよイッチー」
「深い事情があって。……その、ごめん。なんか色々」
「は? 何に対して謝ってんの?」
廊下に出た懐は意味不明そうな顔をして自分のポケットを探り、煙草を取り出した。かちんと火を点け深く吸い込み、壱流にも一本差し出す。
「吸う?」
「いらない。やめた」
「煙草ってやめられるものなんだ?」
不思議そうに言った懐の横顔を見つめ、壱流は設置された自販機にコインを入れて、煙草の代わりにコーヒーのボタンを押した。以前は確かに吸っていたが、喉がいがいがするのでやめた。竜司も吸わないし、やめていらいらするほど依存していたわけでもない。
「懐……今、ボーカルってどうなってんの?」
「ああ? さっきのごめんて、そういう意味」
「うんまあ」
「俺が歌ってる。けど新しいのは常に探してるよ。戻ってきたいってんなら、俺はかまわないけど。……いや、誘ってねえよ? 好きにしてくれていいし。イッチーが竜ちゃん選んで駆け落ちしたって、もっぱらの噂だし」
コーヒーに口をつけようとしていた時に妙なことを言われ、壱流は固まる。口に入れていなくて良かった。噴くところだった。
(なんだその噂は。誰がしてんだ)
別にそんなのではない。ただ竜司が放浪の旅に出ると言ったから、一緒に歌いたかった壱流がついていっただけの話だ。駆け落ちなんかでは、断じてない。
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
明日、君は僕を愛さない
山田太郎
BL
昨日自分を振ったはずの男が帰ってきた。ちょうど一年分の記憶を失って。
山野純平と高遠英介は大学時代からのパートナーだが、大学卒業とともに二人の関係はぎこちなくすれ違っていくばかりだった。そんなある日、高遠に新しい恋人がいることを聞かされてーー。
もう一度、恋になる
神雛ジュン@元かびなん
BL
松葉朝陽はプロポーズを受けた翌日、事故による記憶障害で朝陽のことだけを忘れてしまった十年来の恋人の天生隼士と対面。途方もない現実に衝撃を受けるも、これを機に関係を清算するのが将来を有望視されている隼士のためだと悟り、友人関係に戻ることを決める。
ただ、重度の偏食である隼士は、朝陽の料理しか受け付けない。そのことで隼士から頭を下げられた朝陽がこれまでどおり食事を作っていると、事故当時につけていた結婚指輪から自分に恋人がいたことに気づいた隼士に、恋人を探す協力をして欲しいと頼まれてしまう……。
白い部屋で愛を囁いて
氷魚彰人
BL
幼馴染でありお腹の子の父親であるαの雪路に「赤ちゃんができた」と告げるが、不機嫌に「誰の子だ」と問われ、ショックのあまりもう一人の幼馴染の名前を出し嘘を吐いた葵だったが……。
シリアスな内容です。Hはないのでお求めの方、すみません。
※某BL小説投稿サイトのオメガバースコンテストにて入賞した作品です。
【完結】気づいたら6人の子持ちで旦那がいました。え、今7人目がお腹にいる?なにそれ聞いてません!
愛早さくら
BL
はたと気づいた時、俺の周りには6人の子供がいて、かつ隣にはイケメンの旦那がいた。その上大きく膨らんだお腹の中には7人目がいるのだという。
否、子供は6人ではないし、お腹にいるのも7人目ではない?え?
いったい何がどうなっているのか、そもそも俺は誰であなたは誰?と、言うか、男だよね?子供とか産めなくない?
突如、記憶喪失に陥った主人公レシアが現状に戸惑いながらも押し流されなんとかかんとかそれらを受け入れていく話。になる予定です。
・某ほかの話と同世界設定でリンクもしてるある意味未来編ですが、多分それらは読んでなくても大丈夫、なはず。(詳しくは近況ボード「突発短編」の追記&コメント欄をどうぞ
・男女関係なく子供が産める、魔法とかある異世界が舞台です
・冒頭に*がついてるのは割と容赦なくR18シーンです。他もあやしくはあるんですけど、最中の描写がばっちりあるのにだけ*付けました。前戯は含みます。
・ハッピーエンドは保証しません。むしろある意味メリバかも?
・とはいえ別にレイプ輪姦暴力表現等が出てくる予定もありませんのでそういう意味ではご安心ください
僕のために、忘れていて
ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────
歪んだ運命の番様
ぺんたまごん
BL
親友αは運命の番に出会った。
大学4年。親友はインターン先で運命の番と出会いを果たし、来年の6月に結婚式をする事になった。バース性の隔たりなく接してくれた親友は大切な友人でもあり、唯一の思い人であった。
思いも伝える事が出来ず、大学の人気のないベンチで泣いていたら極上のαと言われる遊馬弓弦が『慰めてあげる』と声をかけてくる。
俺は知らなかった。都市伝説としてある噂がある事を。
αにずっと抱かれているとβの身体が変化して……
≪登場人物≫
松元雪雄(β)
遊馬弓弦(α) 雪雄に執着している
暁飛翔(α) 雪雄の親友で片思いの相手
矢澤旭(Ω) 雪雄に助けられ、恩を感じている
※一般的なオメガバースの設定ですが、一部オリジナル含んでおりますのでご理解下さい。
又、無理矢理、露骨表現等あります。
フジョッシー、ムーンにも記載してますが、ちょこちょこ変えてます。
えっちな義弟くんのカラダ共有♡年上二人に溺愛されて夜も眠れません
犯人はエリー
BL
好きな人が一人じゃなきゃいけないって、誰が決めたの?
一ノ瀬凛(いちのせ りん)はお兄ちゃん大好きな大学一年生(19歳)
ある日、出張で他県にいる兄・航(わたる)と身体を重ねた現場を、兄の友人・綾瀬(あやせ)に見られて動画を撮られてしまう。
「け、消して! 動画、消してください!」
「……俺も同じことがしたい」
月に1回、お兄ちゃんと甘くて優しい恋人同士のエッチ。3日に1回、綾瀬さんと乱暴で獣みたいな愛のないセックス。
そこから三人のただれた関係が始まってしまって……!?
★表紙画像はGAHAG様からお借りして加工文字いれしています。https://gahag.net/
★コンテスト規定にひっかかりそうな未成年が性行為を目撃する描写を少し変えました。
★BOOTHの規制などの世の流れを受けて、実兄弟→義理の兄弟に変更します。
★義理兄弟、血のつながりゼロで、一九歳と二六歳で本人同士同意してまぁす!
★11月が終わるまでほぼ毎日更新をします。時間は不定期なので、お気に入りに入れとくとお知らせが来ます。
★寝取られ・寝取らせ・寝取り・僕の方が先に好きだったのに要素があります
九年セフレ
三雲久遠
BL
在宅でウェブデザインの仕事をしているゲイの緒方は、大学のサークル仲間だった新堂と、もう九年セフレの関係を続けていた。
元々ノンケの新堂。男同士で、いつかは必ず終わりがくる。
分かっているから、別れの言葉は言わないでほしい。
また来ると、その一言を最後にしてくれたらいい。
そしてついに、新堂が結婚すると言い出す。
(ムーンライトノベルズにて完結済み。
こちらで再掲載に当たり改稿しております。
13話から途中の展開を変えています。)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる