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第8話 閉ざされたドア
8-2
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「拗ねちゃってるだけだったらいいんだけど」
「何が」
「ちょっと見てくる」
まひるは立ち上がると、閉ざされたドアの前まで行って軽くノックした。
「壱流ー、おなか減ったでしょ」
ドアに耳をつけ、中の様子を窺うが、返事はない。再びこんこんこんとしつこくノックするが、やはり無言だ。渋い顔をしたまひるは、俺の方を見て、手招きをした。
「あたしじゃ多分出てこないから」
中に聞こえないくらいの囁くような声で言って、渋っている俺の腕を引くと、背中を押してドアの方にぐいと近づける。
「なんで! あいつが勝手にへそ曲げてるだけだろ。ほっときゃいい」
「体調管理もマネージャーの役目だし。ちゃんとごはん食べてくれないと、……だからお願い」
拝むようにされて仕方なくドアに向かって呼びかけようとして、一旦ストップが入る。
「真田、じゃなくて、壱流、だからね」
くそ。
なんでそんなことまで指示されなきゃならないのだ。俺が呼びたいように呼べばいいじゃないか。
しかしまた拝まれてしまったので、嫌々折れる。
「壱流っ。メシだぞ。いつまで部屋にこもってんだおまえは。マジでガキか」
「乱暴ー……もちょっと優しく言ってくれたらいいのに」
まひるが軽く非難したが、俺だってまだ不機嫌が直ったわけではない。優しくなど言えない。
俺の呼びかけに、ドアが音もなく開いて僅かな隙間を作った。素直に出てきたら良いのに、出てこない。俺は眉を寄せ、まひるの顔を一度だけ見てから足を踏み出す。
明かりは消えていた。
部屋に一歩入った時、裸足だった俺に濡れた感触がまとわりついた。なんだ、と思って照明のスイッチを探り、明かりをつける。
──どきん、とする。
不穏な光景だった。
空気清浄機が静かに動いていた。壱流は相変わらず無言のままで、床にぺたんと座り込んでいる。
ほんの少し、錆の匂いが鼻を衝いた。
俺の足の裏についたそれの正体は、不透明な赤い液体……血だ。
ドアのところから壱流のいる辺りまで、血痕が点々と続いている。うっすらと背筋に寒気が走る。
「な……にやって……」
床にはやはり血のついたカッターナイフが落ちていて、服にも赤い染みがぽつぽつと付着している。そこから覗いた左手首に、さっきはなかった真新しい切り傷が何本も出来ていた。部屋の外からまひるがそれに気づいたのか、慌ててどこかに走っていくような足音がうしろで聞こえた。
壱流がぼんやりと、俺を捕捉した。
「……竜司」
「痛くないのか、それ」
顔をしかめた俺に、壱流は出血している自分の手首をちらりと見る。そんなには深くないのかもしれない。
死には至らない、リストカットの痕。
「痛いよ」
淡々と言った壱流は、俺から目を逸らしたまま、床に落ちたカッターを拾い上げる。ちきちきと刃を出して、再び手首にそれを当てる。
「よせって!」
座っている壱流に近づいて、右手を掴み上げる。掴んだ手も自分の流した血液で、汚れていた。
勢いでことんと床に落ちたカッターの刃が、フローリングに新たな血の染みを作る。壱流が使えないように素早くそれを取り上げてから、目線を合わせるように傍にしゃがみこんだ。
「痛いんなら、やめろ。馬鹿かてめえ」
これでも一応、出来るだけ優しく聞こえるように心がけたつもりだった。今はあまり刺激しない方がいい。
「痛くなかったら、こんなことしない」
ぽつんと呟いた壱流が、ふと顔を上げて俺をじっと見つめた。一瞬その黒い瞳が泣きそうに揺らいだ。
何かを言おうとした唇は、凍り付いたように沈黙した。
「何が」
「ちょっと見てくる」
まひるは立ち上がると、閉ざされたドアの前まで行って軽くノックした。
「壱流ー、おなか減ったでしょ」
ドアに耳をつけ、中の様子を窺うが、返事はない。再びこんこんこんとしつこくノックするが、やはり無言だ。渋い顔をしたまひるは、俺の方を見て、手招きをした。
「あたしじゃ多分出てこないから」
中に聞こえないくらいの囁くような声で言って、渋っている俺の腕を引くと、背中を押してドアの方にぐいと近づける。
「なんで! あいつが勝手にへそ曲げてるだけだろ。ほっときゃいい」
「体調管理もマネージャーの役目だし。ちゃんとごはん食べてくれないと、……だからお願い」
拝むようにされて仕方なくドアに向かって呼びかけようとして、一旦ストップが入る。
「真田、じゃなくて、壱流、だからね」
くそ。
なんでそんなことまで指示されなきゃならないのだ。俺が呼びたいように呼べばいいじゃないか。
しかしまた拝まれてしまったので、嫌々折れる。
「壱流っ。メシだぞ。いつまで部屋にこもってんだおまえは。マジでガキか」
「乱暴ー……もちょっと優しく言ってくれたらいいのに」
まひるが軽く非難したが、俺だってまだ不機嫌が直ったわけではない。優しくなど言えない。
俺の呼びかけに、ドアが音もなく開いて僅かな隙間を作った。素直に出てきたら良いのに、出てこない。俺は眉を寄せ、まひるの顔を一度だけ見てから足を踏み出す。
明かりは消えていた。
部屋に一歩入った時、裸足だった俺に濡れた感触がまとわりついた。なんだ、と思って照明のスイッチを探り、明かりをつける。
──どきん、とする。
不穏な光景だった。
空気清浄機が静かに動いていた。壱流は相変わらず無言のままで、床にぺたんと座り込んでいる。
ほんの少し、錆の匂いが鼻を衝いた。
俺の足の裏についたそれの正体は、不透明な赤い液体……血だ。
ドアのところから壱流のいる辺りまで、血痕が点々と続いている。うっすらと背筋に寒気が走る。
「な……にやって……」
床にはやはり血のついたカッターナイフが落ちていて、服にも赤い染みがぽつぽつと付着している。そこから覗いた左手首に、さっきはなかった真新しい切り傷が何本も出来ていた。部屋の外からまひるがそれに気づいたのか、慌ててどこかに走っていくような足音がうしろで聞こえた。
壱流がぼんやりと、俺を捕捉した。
「……竜司」
「痛くないのか、それ」
顔をしかめた俺に、壱流は出血している自分の手首をちらりと見る。そんなには深くないのかもしれない。
死には至らない、リストカットの痕。
「痛いよ」
淡々と言った壱流は、俺から目を逸らしたまま、床に落ちたカッターを拾い上げる。ちきちきと刃を出して、再び手首にそれを当てる。
「よせって!」
座っている壱流に近づいて、右手を掴み上げる。掴んだ手も自分の流した血液で、汚れていた。
勢いでことんと床に落ちたカッターの刃が、フローリングに新たな血の染みを作る。壱流が使えないように素早くそれを取り上げてから、目線を合わせるように傍にしゃがみこんだ。
「痛いんなら、やめろ。馬鹿かてめえ」
これでも一応、出来るだけ優しく聞こえるように心がけたつもりだった。今はあまり刺激しない方がいい。
「痛くなかったら、こんなことしない」
ぽつんと呟いた壱流が、ふと顔を上げて俺をじっと見つめた。一瞬その黒い瞳が泣きそうに揺らいだ。
何かを言おうとした唇は、凍り付いたように沈黙した。
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