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奪われた日常。
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翌朝から、イエはいつもと同じように私の家に来てくれて
朝食の準備をしてくれた。
目を合わせる機会が心なしか、減った気もしたけれど。
私から何かを切り出すことはせずに。
イエの感情を受け止める事になれば、その時は覚悟がある。
『チノ、昨日はゴメン。』
「イエ…一緒に朝ごはん食べようか。」
私が何もできない以上は、穏やかな日々に身を委ねたい。
卑怯かもしれないが、イエも多感な時期である事には変わりない。
ユグより、苦労も多く家族を支えて我慢を多くしてきたイエの
性格や境遇を利用してしまうみたいで気が引ける。
『うん。』
イエは、朝の6時30頃には家に来てすぐに朝食の支度を始める。
もちろん、自分の兄弟の食事を準備して来ている。
ひたむきに、ずっと休みなく務めてくれる姿には私も本当に
頭が下がるのだ。
朝食は、フルーツや野菜が多く彩り豊かで島の特産物が多い。
イエも、あらゆる不安を感じながら暮らしている事だろう。
またいつ、地殻変動が活発になり地震が起きるかも分からない。
先行きをいくら危惧しても、私たちに残された道は既に限られているのだ。
ユグは、この変化を最後まで見届けるつもりだと言う。
イエは、家族とおそらくは違う島に避難などする事だろう。
では、私は、どうしたいのか。
きっと、国に帰るのが良いのだろう。手続きもすれば、安全に帰国できる。
本当に、後悔しないだろうか?
私は、少なくともこの古からの伝承が生きているこの島そのものに魅了され
中でも、ユグという生きた精霊の様に暮らす彼に心を捧げたいと思っている。
ユグは、大切なことを私に話してくれた。
成人を迎え、20歳の誕生日から21歳になるまでの間に
次の神代の子に引き継がれれば、自分はただの島民に戻れると言っていた。
なので、ユグはきっと焦っているのだろう。
私は、ユグには言えないが…きっと最後の神代の子となるのではないかと
ユグには思っている。
『今日もいい日…、チノ、行ってらっしゃい。』
朝食の片づけが終わって、イエが私を外まで見送ってくれた。
いつも、軽いハグをしていたのに今日はイエの手振りだけで見送られた。
「行ってきます。イエ。後の事、よろしく」
本社のオフィスから、数度に渡って帰国の勧告や現地の状況を知らせてくれと
メッセージがいくつも溜まっている。
分かってはいるものの、私はどうしようもない宙ぶらりんの中で
周りを見れば、他の社員は意志を固めているらしく
帰国する者からの引き継ぎ作業が、今週は多く入っていた。
仕事に身が入らない。ユグの事、イエの事…そして、帰国するかどうか。
優柔不断が、結局は私の首をゆっくりと絞めていく。
こんな時は、ユグと初めて言葉を交わした遺跡に脚を向けたくなる。
部分崩落が起きて以来、封鎖されてはいるものの。遺跡の周辺は美しい緑と
自然に囲まれて、鳥のさえずりに耳をすませる。
『…シュナ?』
声に、とっさに反応して、
「ユグ…」
やはりこの場所は、私とユグを繋ぐ大切な場所なのだと思ってしまう。
ユグは、長い髪を解いた状態でよく見れば、いつもの真白い衣装は水に濡れているようだった。
『やっぱり。こんな所にまた来るなんて…シュナも俺も、きっと同じことを考えてる。』
「どうして、ずぶ濡れなんだ?」
『遺跡のすぐ近くには、湖があるんだよ。シュナだったら知ってると思うけど。』
「風邪を引く…」
『平気だよ。その内に乾くから。』
言いながら、ユグは衣服の裾や袖を絞ってその場に水溜まりを作ってみせる。
「まさか。本当に、この遺跡に来たらユグに逢えるとはね。」
『…逢いたかったって、顔してる。』
「あぁ、もう…まったく。良い大人が、みっともないだろうに」
ユグは、髪をまとめ上げながら笑う。
『俺も、シュナも今は頭の中にお互いがいるから。抗えない。恋でも愛でも、そんなものだよ。』
「ユグ…、お前はずっと本当にこの島に居るのか?」
『そう。島は俺なの。だから…どこにも行かないし、ここにいるけど。どうしたの?シュナ。もしかして、
国に帰るように言われた?』
「そろそろ、期限が…」
『いいんだよ?俺は、シュナに生きていて欲しいから。心中させる気もない。』
ユグは、何度も頷いて私の心の機微を感じているのか
笑顔を絶やさずにいる。
「この島がお前…ユグであるなら、私はこの島を愛している。」
『…でも、俺じゃシュナの故郷にもなれない。』
「故郷は、自らの帰る地だ。」
『姿かたちも、どうなるのか分からないのに』
「ユグに…還りたいんだ、私は。」
ユグは、満月色の瞳を大きく見開いて口をつぐむ。
何かを感じ取ったユグは、慌てて私から離れて行く。
『……』
「何も、もう…いらないんだよ。もっと言えば、私の全てはこの島にあったのだから。」
ユグの後を追って、か細い背中を抱き締める。
衣装はまだ濡れて、冷たいのにユグの肌の温度がジワリと
私の肌に滲み入る。
視界には、緑ばかり。上を向けば空と雲。
下には、ツルの絡まる木々と無数の土石。
しなやかな腕は、私に捕らえられたままでわずかに震えている。
「寒いんだろうに…」
ユグにこちらを向かせてみれば、うつむき加減のままで
私に身を預けて来た。
冷たい頬を手のひらで覆って、キスをする。
私とユグの悪い癖だった。
言葉よりも、心。心よりも体で分かち合おうとする。
ユグの首筋から香る匂いに、ずっとあてられている。
好きとか、考える暇なく。
ユグでないと、私は分かり合えないといつからか思い出してしまっている。
肌に張り付いて絡む髪を、そっと剝がしながら私はユグを抱き
遺跡の近くに残されたままの小さなテントの中にユグを
連れて行った。
コンテナがいくつか残されていて、中にはタオルや衛生用品が少しだけ
入っていた。
「とりあえず、体をこのタオルで拭いて。服は私のこの上着を貸そう。」
動きやすい格好で森や林の中を歩く為、上下ともに長い丈の衣服を着ているので
ユグにはメッシュのパーカーを着せる事にした。
『こんな所で…、』
身ぐるみを剝がされているのに、ユグは楽しそうに笑いつつ大人しく私の手によって
冷たい体をタオルで拭かれている。
「どうして…?場所は関係ないだろうに」
『さすがに、ココじゃ、体が痛いよ。』
「もう、帰るんだ。本当に…このままじゃ」
『俺ね、禊をしてたんだよ。生きてると…ほら、穢れってどうしても避けられないだろ?シュナとの関係も、曖昧だし』
「そうだな。神代の子にしては、警戒心が無さすぎとでも言うのか。」
『性別だけじゃない所で、シュナを想ってるよ。だから、体の行為も何もかもは俺の世界では本当に、嬉しい事。』
ユグは、素っ裸の上に私のパーカーを着て前でジップを上げつつ
『長い、膝まで隠れる』
「雨除けとしても着れるからね。重宝してる。」
『…ん、じゃ、そろそろ行くね。』
「服、洗っておこう」
『ぁ~、イエにバレない?』
「帰ってすぐに洗えば、大丈夫だろう。」
『そっか。ありがとう。その内取りに行くよ。』
私は、昼に一度オフィスの屋上に行きユグの衣装を人知れず干しておいた。
帰宅する頃には、すっかり乾いていて自宅に帰るとイエが入れ替わりに
今日の家事を終えて、帰宅するところだった。
「今日もありがとう、イエ。お疲れ様」
『チノ…。うん、また明日。お休み』
イエは斜め掛けの帆布鞄を肩に下げて、ひらひらと手を振る。
以前のような明るさこそ無いものの、大人の対応を目いっぱいしてくれていた。
洗濯機でユグの衣装を洗って、部屋のベランダに干しておいた。
2、3日経ってもユグは現れずに、衣装を返せずにいる私はどこかソワソワしながら
夜になれば、ユグが現れるんじゃないかと期待して、数日ほど寝不足である。
週末になり、帰宅後にポストに手紙が入っているのをイエが持って来てくれた。
『チノ、この前の恋人からじゃない?だって、その手紙ちょっと甘くて良い匂いがするよ。』
ふふっ、とイエが笑って私に封筒を手渡してくれた。
という事は、ユグからの手紙だろう。
珍しい。何かあれば、夜の間に家にやって来るのに。
私は、慎重になって手紙を開封していた。
『それじゃ、チノ。おやすみ、よい週末を』
イエは、休みの日には私の元へ来ない事になった。
下の弟に勉強を見てあげる事になったらしく、時間をおしんで今は
イエが先生の代わりをしているのだそうだ。
私の所へは、平日にだけやって来るのだが。
最近のイエは、前よりも少し吹っ切れた雰囲気があった。
「ユグ……、」
手紙に書かれていたのは、王族達が新たな神代の子を選定する会を開いている。とのこと。
ユグは、しばらく外出ができない状態であること。
でも、夜であれば…と。筆はそこまでしか書かれていなかった。
もし、本当に新たな神代の子が決まれば…ユグは今の立場を追われてしまう。
ユグの歳であれば、神代の子としてはあまり在籍していないものらしい。
ほとんどは、10代までに次の後継者が決まるからだ。
今回は、島でのあらゆる出来事が原因で次代が決まるまでに時間を掛け過ぎたのだろう。
ユグがただの、一島民になれば私はどうするのだろうか。
予想もできないが、きっとユグの心のままに倣うのだろう。
何でもいい、早くユグに逢いたかった。
休日も終わろうとしている日曜の夜に、ユグは静かに現れた。
「ユグ…、お前…」
『…ぁ、髪ね。切られちゃった。』
リビングに入り、私を見るなり頼りない笑顔でユグは笑う。
「なんでまた…」
『俺は、もう居ない存在だから。髪を捧げられるんだ。神代の子の任期を終えたから。もう、一島民として無一文。家すら無いの』
「いや、…あんまりだろ、それは」
『なぁんの能力もない、一人の男として…生きていくんだ。』
ユグは、私服に私の上着を着ていた。
「ここに、居ればいい…」
『俺の持ってたものはね、島のものだったんだよ。だから今着てる服以外は、全てお返しする事になってる。衣装は、もう要らないから
処分しなさいって。』
フラフラと歩いて来るユグを抱き留めて、私は背中を撫でた。
『俺は、シュナの愛する…島にはなれなかった。』
「いいんだ、そんな…。ユグはユグだったろう?初めから、ずっと」
『島を愛するように、俺を愛して欲しくて…』
一目見た時から、私の心を奪い続けたのはユグで。
何もかもを失い私を頼って、たずねて来てくれた事が嬉しいだなんて。
ユグの落ち着くのを待って、私は
「お腹は、空いてないか?」
と、たずねてみた。
『朝は、食べたんだけど…』
「何か作ろう」
『できるの?イエに頼りきりなんじゃなかった?』
「イエは、もう平日にしか作りには来ないんだよ。」
『へぇ、すっかり愛想をつかされた感じ?』
キッチンに立つ私の背中に、ユグはのしかかって来るのに
あまり重くもない。
「知識はあるけど、実践が少ないだけだよ。」
『ふーん?』
私は、ユグと一緒に食材の下ごしらえをしながら何とかそれなりの出来の
料理を完成させる。
「ユグは、料理って?」
『まぁ、しなくても食うに困らない生活だったからね。』
「あぁ、そうだった…。」
『俺も知識はあるけど、作った事があんまりないから。』
いただきます、と2人で御祈りをしてから遅めの夕飯を食べた。
「この先、ユグはどうしたい?」
『俺は…多分ここに居られない。逃げなきゃ、』
「え?」
『だからね、そういう事なんだよ。命を狙われる可能性もあるから…』
「そんなに、過激な事になってるのか?」
『うん。次代の親族とかにも狙われるって事は、昔からある事だよ。』
「…じゃ、私の国に一緒に来ないか。ユグ」
『!?ぇ、でも…俺は島から出た事ないし…』
「ユグの家族は?」
『いないよ。俺は、施設で育てられたから…天涯孤独の身。』
「ここに残れば、どうなるのか分からないなら…私が帰国後も何とかする」
ユグは、頬を赤くしながら
『あんた、俺の事好き過ぎじゃない?』
「まぁ…そうだから否定もしない。」
『恥ずかしい奴!!俺なんかの為に…そんな、』
「決心がついたなら、手続きは早い方がいい。週明けから掛け合わないといけない」
ユグは、私をじっと見て首を数回揺らし
『突然の事過ぎて、ちょっとまだ心が追いつかないけど…でも、俺はシュナと離れるのだけは嫌なんだ。』
『あんまり、見ないで…』
ユグの背中は、赤くなっていた。背中にあった大きな花の描写もかき消されて
一掃されてしまったのだ。
「勝手な事だな、祭り上げて…落っことされて。」
『笑ってくれてもいいよ』
「笑えないよ…。お前の痛みは私の痛み…」
ベットの上で横になり、裸で抱き合う。
ユグの身を隠していた長い銀糸は、無く。
月明かりの元、照らされる白い肌は白磁の様に美しい。
『一体化するって、教えてくれたのは…シュナなんだよ。』
「一つに、なれてたよ。確かに初めてではあったけど」
『感覚として、流れ込んでくるんだもん。すごいよね。』
「ユグと逢うと、ソレばっかりになるのは何でだろうって思ってた。」
ユグの髪をさらさら撫でて、キスをしながら腰を抱き締めると
うっすらと開く唇に舌を差し込み、深く口付けあう。
ユグは、苦しそうに私を受け入れながら
気を遣るまで、何度も私の名前を呼んでいた。
朝食の準備をしてくれた。
目を合わせる機会が心なしか、減った気もしたけれど。
私から何かを切り出すことはせずに。
イエの感情を受け止める事になれば、その時は覚悟がある。
『チノ、昨日はゴメン。』
「イエ…一緒に朝ごはん食べようか。」
私が何もできない以上は、穏やかな日々に身を委ねたい。
卑怯かもしれないが、イエも多感な時期である事には変わりない。
ユグより、苦労も多く家族を支えて我慢を多くしてきたイエの
性格や境遇を利用してしまうみたいで気が引ける。
『うん。』
イエは、朝の6時30頃には家に来てすぐに朝食の支度を始める。
もちろん、自分の兄弟の食事を準備して来ている。
ひたむきに、ずっと休みなく務めてくれる姿には私も本当に
頭が下がるのだ。
朝食は、フルーツや野菜が多く彩り豊かで島の特産物が多い。
イエも、あらゆる不安を感じながら暮らしている事だろう。
またいつ、地殻変動が活発になり地震が起きるかも分からない。
先行きをいくら危惧しても、私たちに残された道は既に限られているのだ。
ユグは、この変化を最後まで見届けるつもりだと言う。
イエは、家族とおそらくは違う島に避難などする事だろう。
では、私は、どうしたいのか。
きっと、国に帰るのが良いのだろう。手続きもすれば、安全に帰国できる。
本当に、後悔しないだろうか?
私は、少なくともこの古からの伝承が生きているこの島そのものに魅了され
中でも、ユグという生きた精霊の様に暮らす彼に心を捧げたいと思っている。
ユグは、大切なことを私に話してくれた。
成人を迎え、20歳の誕生日から21歳になるまでの間に
次の神代の子に引き継がれれば、自分はただの島民に戻れると言っていた。
なので、ユグはきっと焦っているのだろう。
私は、ユグには言えないが…きっと最後の神代の子となるのではないかと
ユグには思っている。
『今日もいい日…、チノ、行ってらっしゃい。』
朝食の片づけが終わって、イエが私を外まで見送ってくれた。
いつも、軽いハグをしていたのに今日はイエの手振りだけで見送られた。
「行ってきます。イエ。後の事、よろしく」
本社のオフィスから、数度に渡って帰国の勧告や現地の状況を知らせてくれと
メッセージがいくつも溜まっている。
分かってはいるものの、私はどうしようもない宙ぶらりんの中で
周りを見れば、他の社員は意志を固めているらしく
帰国する者からの引き継ぎ作業が、今週は多く入っていた。
仕事に身が入らない。ユグの事、イエの事…そして、帰国するかどうか。
優柔不断が、結局は私の首をゆっくりと絞めていく。
こんな時は、ユグと初めて言葉を交わした遺跡に脚を向けたくなる。
部分崩落が起きて以来、封鎖されてはいるものの。遺跡の周辺は美しい緑と
自然に囲まれて、鳥のさえずりに耳をすませる。
『…シュナ?』
声に、とっさに反応して、
「ユグ…」
やはりこの場所は、私とユグを繋ぐ大切な場所なのだと思ってしまう。
ユグは、長い髪を解いた状態でよく見れば、いつもの真白い衣装は水に濡れているようだった。
『やっぱり。こんな所にまた来るなんて…シュナも俺も、きっと同じことを考えてる。』
「どうして、ずぶ濡れなんだ?」
『遺跡のすぐ近くには、湖があるんだよ。シュナだったら知ってると思うけど。』
「風邪を引く…」
『平気だよ。その内に乾くから。』
言いながら、ユグは衣服の裾や袖を絞ってその場に水溜まりを作ってみせる。
「まさか。本当に、この遺跡に来たらユグに逢えるとはね。」
『…逢いたかったって、顔してる。』
「あぁ、もう…まったく。良い大人が、みっともないだろうに」
ユグは、髪をまとめ上げながら笑う。
『俺も、シュナも今は頭の中にお互いがいるから。抗えない。恋でも愛でも、そんなものだよ。』
「ユグ…、お前はずっと本当にこの島に居るのか?」
『そう。島は俺なの。だから…どこにも行かないし、ここにいるけど。どうしたの?シュナ。もしかして、
国に帰るように言われた?』
「そろそろ、期限が…」
『いいんだよ?俺は、シュナに生きていて欲しいから。心中させる気もない。』
ユグは、何度も頷いて私の心の機微を感じているのか
笑顔を絶やさずにいる。
「この島がお前…ユグであるなら、私はこの島を愛している。」
『…でも、俺じゃシュナの故郷にもなれない。』
「故郷は、自らの帰る地だ。」
『姿かたちも、どうなるのか分からないのに』
「ユグに…還りたいんだ、私は。」
ユグは、満月色の瞳を大きく見開いて口をつぐむ。
何かを感じ取ったユグは、慌てて私から離れて行く。
『……』
「何も、もう…いらないんだよ。もっと言えば、私の全てはこの島にあったのだから。」
ユグの後を追って、か細い背中を抱き締める。
衣装はまだ濡れて、冷たいのにユグの肌の温度がジワリと
私の肌に滲み入る。
視界には、緑ばかり。上を向けば空と雲。
下には、ツルの絡まる木々と無数の土石。
しなやかな腕は、私に捕らえられたままでわずかに震えている。
「寒いんだろうに…」
ユグにこちらを向かせてみれば、うつむき加減のままで
私に身を預けて来た。
冷たい頬を手のひらで覆って、キスをする。
私とユグの悪い癖だった。
言葉よりも、心。心よりも体で分かち合おうとする。
ユグの首筋から香る匂いに、ずっとあてられている。
好きとか、考える暇なく。
ユグでないと、私は分かり合えないといつからか思い出してしまっている。
肌に張り付いて絡む髪を、そっと剝がしながら私はユグを抱き
遺跡の近くに残されたままの小さなテントの中にユグを
連れて行った。
コンテナがいくつか残されていて、中にはタオルや衛生用品が少しだけ
入っていた。
「とりあえず、体をこのタオルで拭いて。服は私のこの上着を貸そう。」
動きやすい格好で森や林の中を歩く為、上下ともに長い丈の衣服を着ているので
ユグにはメッシュのパーカーを着せる事にした。
『こんな所で…、』
身ぐるみを剝がされているのに、ユグは楽しそうに笑いつつ大人しく私の手によって
冷たい体をタオルで拭かれている。
「どうして…?場所は関係ないだろうに」
『さすがに、ココじゃ、体が痛いよ。』
「もう、帰るんだ。本当に…このままじゃ」
『俺ね、禊をしてたんだよ。生きてると…ほら、穢れってどうしても避けられないだろ?シュナとの関係も、曖昧だし』
「そうだな。神代の子にしては、警戒心が無さすぎとでも言うのか。」
『性別だけじゃない所で、シュナを想ってるよ。だから、体の行為も何もかもは俺の世界では本当に、嬉しい事。』
ユグは、素っ裸の上に私のパーカーを着て前でジップを上げつつ
『長い、膝まで隠れる』
「雨除けとしても着れるからね。重宝してる。」
『…ん、じゃ、そろそろ行くね。』
「服、洗っておこう」
『ぁ~、イエにバレない?』
「帰ってすぐに洗えば、大丈夫だろう。」
『そっか。ありがとう。その内取りに行くよ。』
私は、昼に一度オフィスの屋上に行きユグの衣装を人知れず干しておいた。
帰宅する頃には、すっかり乾いていて自宅に帰るとイエが入れ替わりに
今日の家事を終えて、帰宅するところだった。
「今日もありがとう、イエ。お疲れ様」
『チノ…。うん、また明日。お休み』
イエは斜め掛けの帆布鞄を肩に下げて、ひらひらと手を振る。
以前のような明るさこそ無いものの、大人の対応を目いっぱいしてくれていた。
洗濯機でユグの衣装を洗って、部屋のベランダに干しておいた。
2、3日経ってもユグは現れずに、衣装を返せずにいる私はどこかソワソワしながら
夜になれば、ユグが現れるんじゃないかと期待して、数日ほど寝不足である。
週末になり、帰宅後にポストに手紙が入っているのをイエが持って来てくれた。
『チノ、この前の恋人からじゃない?だって、その手紙ちょっと甘くて良い匂いがするよ。』
ふふっ、とイエが笑って私に封筒を手渡してくれた。
という事は、ユグからの手紙だろう。
珍しい。何かあれば、夜の間に家にやって来るのに。
私は、慎重になって手紙を開封していた。
『それじゃ、チノ。おやすみ、よい週末を』
イエは、休みの日には私の元へ来ない事になった。
下の弟に勉強を見てあげる事になったらしく、時間をおしんで今は
イエが先生の代わりをしているのだそうだ。
私の所へは、平日にだけやって来るのだが。
最近のイエは、前よりも少し吹っ切れた雰囲気があった。
「ユグ……、」
手紙に書かれていたのは、王族達が新たな神代の子を選定する会を開いている。とのこと。
ユグは、しばらく外出ができない状態であること。
でも、夜であれば…と。筆はそこまでしか書かれていなかった。
もし、本当に新たな神代の子が決まれば…ユグは今の立場を追われてしまう。
ユグの歳であれば、神代の子としてはあまり在籍していないものらしい。
ほとんどは、10代までに次の後継者が決まるからだ。
今回は、島でのあらゆる出来事が原因で次代が決まるまでに時間を掛け過ぎたのだろう。
ユグがただの、一島民になれば私はどうするのだろうか。
予想もできないが、きっとユグの心のままに倣うのだろう。
何でもいい、早くユグに逢いたかった。
休日も終わろうとしている日曜の夜に、ユグは静かに現れた。
「ユグ…、お前…」
『…ぁ、髪ね。切られちゃった。』
リビングに入り、私を見るなり頼りない笑顔でユグは笑う。
「なんでまた…」
『俺は、もう居ない存在だから。髪を捧げられるんだ。神代の子の任期を終えたから。もう、一島民として無一文。家すら無いの』
「いや、…あんまりだろ、それは」
『なぁんの能力もない、一人の男として…生きていくんだ。』
ユグは、私服に私の上着を着ていた。
「ここに、居ればいい…」
『俺の持ってたものはね、島のものだったんだよ。だから今着てる服以外は、全てお返しする事になってる。衣装は、もう要らないから
処分しなさいって。』
フラフラと歩いて来るユグを抱き留めて、私は背中を撫でた。
『俺は、シュナの愛する…島にはなれなかった。』
「いいんだ、そんな…。ユグはユグだったろう?初めから、ずっと」
『島を愛するように、俺を愛して欲しくて…』
一目見た時から、私の心を奪い続けたのはユグで。
何もかもを失い私を頼って、たずねて来てくれた事が嬉しいだなんて。
ユグの落ち着くのを待って、私は
「お腹は、空いてないか?」
と、たずねてみた。
『朝は、食べたんだけど…』
「何か作ろう」
『できるの?イエに頼りきりなんじゃなかった?』
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『へぇ、すっかり愛想をつかされた感じ?』
キッチンに立つ私の背中に、ユグはのしかかって来るのに
あまり重くもない。
「知識はあるけど、実践が少ないだけだよ。」
『ふーん?』
私は、ユグと一緒に食材の下ごしらえをしながら何とかそれなりの出来の
料理を完成させる。
「ユグは、料理って?」
『まぁ、しなくても食うに困らない生活だったからね。』
「あぁ、そうだった…。」
『俺も知識はあるけど、作った事があんまりないから。』
いただきます、と2人で御祈りをしてから遅めの夕飯を食べた。
「この先、ユグはどうしたい?」
『俺は…多分ここに居られない。逃げなきゃ、』
「え?」
『だからね、そういう事なんだよ。命を狙われる可能性もあるから…』
「そんなに、過激な事になってるのか?」
『うん。次代の親族とかにも狙われるって事は、昔からある事だよ。』
「…じゃ、私の国に一緒に来ないか。ユグ」
『!?ぇ、でも…俺は島から出た事ないし…』
「ユグの家族は?」
『いないよ。俺は、施設で育てられたから…天涯孤独の身。』
「ここに残れば、どうなるのか分からないなら…私が帰国後も何とかする」
ユグは、頬を赤くしながら
『あんた、俺の事好き過ぎじゃない?』
「まぁ…そうだから否定もしない。」
『恥ずかしい奴!!俺なんかの為に…そんな、』
「決心がついたなら、手続きは早い方がいい。週明けから掛け合わないといけない」
ユグは、私をじっと見て首を数回揺らし
『突然の事過ぎて、ちょっとまだ心が追いつかないけど…でも、俺はシュナと離れるのだけは嫌なんだ。』
『あんまり、見ないで…』
ユグの背中は、赤くなっていた。背中にあった大きな花の描写もかき消されて
一掃されてしまったのだ。
「勝手な事だな、祭り上げて…落っことされて。」
『笑ってくれてもいいよ』
「笑えないよ…。お前の痛みは私の痛み…」
ベットの上で横になり、裸で抱き合う。
ユグの身を隠していた長い銀糸は、無く。
月明かりの元、照らされる白い肌は白磁の様に美しい。
『一体化するって、教えてくれたのは…シュナなんだよ。』
「一つに、なれてたよ。確かに初めてではあったけど」
『感覚として、流れ込んでくるんだもん。すごいよね。』
「ユグと逢うと、ソレばっかりになるのは何でだろうって思ってた。」
ユグの髪をさらさら撫でて、キスをしながら腰を抱き締めると
うっすらと開く唇に舌を差し込み、深く口付けあう。
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