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心を映す夢

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ヤバい。帰宅がいつもよりかなり遅くなった。千紘は、先に寝てるだろうから
起こさない様に、細心の注意を払っている。
元々が、聴覚過敏のケもあるからちょっとした物事にも、驚いてしまう。
ドアの開け閉め、足音、あらゆる音に配慮しながら部屋に入った。
ここから更に、食事に入浴、そして洗面所でのあれこれを思うと
気疲れしそうだった。

食事は、ちゃんと器に分けられていてラップをして付箋で
メッセージが書かれている。俺は、もうこれを見るだけで気持ちが
温かくなるのだった。
千紘の小さな字と、絵が可愛いのでこの付箋もとっておこう。
一人で深夜に、千紘の作った夕飯を食べながら思うのは
もう、この生活が馴染んでしまっていて。むしろこれに似た様なのが
多分新婚生活なんじゃないかとさえ思い始めている。

千紘が作った料理は、彩り豊かで味付けが絶妙で(やや薄いかな?の手前)
本人は、手の込んだ料理ではないと言っているがどう見たって…
「ぅま…、」
いつも掴みどころがない千紘と暮らしていると、日々色んな表情が見られるのが楽しい。
一人で居る時とは、空間の感覚が違う。
俺が育てている植物を世話する千紘は、何だか妙に愛おしく感じてしまう。
同じものを育むという事に、通じるからではないかと思う。
いつか、本当に千紘がここを去ると言うその日まで。
大切にしていきたい。それまでは、できれば明るく見送って…
笑顔で出迎えたいと。

千紘の事を考えるだけで、想うだけで涙が出そうになる。もちろん、千紘にこんな事が
バレたら恥ずかしいので秘密だけれど。

自分以外の人を、こんなにも深く想った事がなかったのか。
案外、まだまだだな、自分も…。

食器を片して、しばらくしてからシャワーに向かった。
忘れる所だった。千紘が先日言っていた声優の体験の話をちゃんと聞けていなかった。
俺からは、何にも言う事はないし。むしろ、その場で教わる人の言うままにやってみるのが
一番いいのだろう。
生真面目な千紘の性格だから、きっと失敗する事が嫌なのだろう。
何の心配もいらないから、言われるままにやってみればいい。なんて、このまま
本人には言えないから不安を取り除く事に、徹しようと思う。
浴室から出て、着替えを済ませると洗面所に行き、髪を乾かした。
ここ、この洗面所…寝室の隣なのがネックなんだよな。寝室=千紘が寝てる。

一人の時は、気にもしなかったけど。2人で暮らすようになってからこの家の
使い勝手の悪さが、少しだけ浮き彫りになっている。
一軒家を無理やりルームシェアに使っているのだから、致し方ない面も多い。
そっと寝室のドアを開けた。
良かった、起きてない。…ん?

『…っ…さき…、いやだぁ…』
「!?」
何か、俺の名前…、呼んでない?しかも嫌がってる。俺、夢で一体どんな事を千紘にしてるんだよー!!
ぇぇぇぇ、待って、待って、待って…何かこれ千紘泣いてない?(ひくひく言ってる)
『いっちゃ、…やだぁ…っ、まさき…』
「……」
俺、いかがわしい事してないよね!?夢の中で何が起きてるんだよ。
そーっと、タオルケットをはぐって体を滑り込ませて、棒のようになりながら
千紘の様子を横でガン見する。
俺のせいで泣いてるよね…この状態は。
うーん、見てるだけでも辛いから、本人もきっと夢の中なのに辛い事だろう。
ちょっと、気が引けるけどここは起こして、助けてあげないとな。
千紘の肩を軽く揺すって、呼び掛ける。

「ちひろ、千紘…、お~い。」
『~…、ぅうん…なぁにぃ…?』
「泣かないで、千紘。」
頬っぺたに手を添えると、涙がまだ伝っているのがよく分かった。
あたたかい、千紘の涙は俺の心をきゅっと切なくさせた。
『出てかないで…まさき…、』
ぅえ?何のことだろ…。もしかして、そんな夢の内容だったのかな。
もしそうだとしたら、何て苦しい夢を見ていたんだろう。

俺は、千紘を抱き締めて額や頬に何度もキスをした。
泣いていた千紘が、自然と笑顔に変わる。
「俺は、どこにも行かないよ。千紘…。」
『夢の中の真幸、ものすごく疲れてて…それは、きっと俺のせいかなって。全然笑ってくれないの。
俺と、会話もしなくなって。その後に、出て行くって。』
思い出すだけで、涙をこぼす千紘が切なすぎて気持ちのやり場が見つからない。
今までにも、自分が冗談で言っていた「出て行こうかな」と言うワードのせいで
どれだけ傷ついていたのかを、今夜ようやく俺は知ったのだ。

「もう、2度と言わないから…千紘。ごめん。」
『分かってるんだよ?真幸のは、遠慮として言ってる事も。でも、俺やっぱり…いつかの事を
考えちゃうから、夢はちゃんと俺の心を映してるんだよね。』
普段の千紘がされたら、絶対に嫌がるであろう、髪クシャクシャを何回したか分からない。
背中を何度も撫でて、触れる事でしか千紘の心を慰める事ができない、情けなさ。

本当は、もっと千紘の心の奥底に触れたい。
まだ、許される気がしていなくて。臆病に手を伸ばすだけ。
何度も見て来たのに…。千紘はもっと、深いものを時に求めてる事を
見ないフリしてきた。
そのツケがこれなのだろう。

「千紘、俺はお前がこの先何があっても想い続けるから」
『ほんとう?』
「本当。最終的にはお前と混ざり合いたいくらいに…好きだ。うーん、愛してるよりも上なんだけどね。」
『ぁはは、混ざったら自分じゃなくならない?』
「俺は、それがいいの。」
『愛してるよりも…上なんて聞いた事ないよ。俺のは、表現しようがないから。言えないけど。』
「あーあ、たくさん泣いて大丈夫か?明日は撮影とかないんだっけ、」
『うん。夜は配信するけど』
「目が腫れてないといいけどな。」

千紘を抱き締めて眠った。

あれから数日経過して、千紘の腰の痛みもかなり良くなって来たらしく
連日一緒に料理を作ったり、買い物に出掛けたりして
いつもより多くの時間を千紘と過ごしていた。

『今日、声優さんの体験に行く日なんだよね…ちょっと緊張する。』
朝、千紘を見送る時に玄関先でハグをした。
「千紘は、上手くやろうなんて気負わなくても大丈夫。自然に…素直に教わって来ると良いよ。」
『真幸に言われると…、ハイって言うしかないよ。ありがとう、行ってきます。』
軽くキスをして、微笑むと千紘の耳が赤くなった。
「行ってらっしゃい」
『もぉ~…っ、不意打ちにその声…!』

まだ、俺の仕事の時の声には慣れない千紘が可愛くて仕方なかった。
普通に話してる声に慣れている千紘だからこそ、なのに。
ここまでは深く考えていないのか…?
さて、今日は俺が洗濯から掃除までする番かな、と思いながら脱衣かごの中で
服の仕分けをしていると、小さめの洗濯ネットにどうやら
ハンカチが入っている。見た所女物のようで(しかもかなり上品そうなデザイン)
千紘がまさか持っているはずも無いだろうし。
勝手に洗うのもどうなのか分からずに、千紘が帰宅してからとりあえず聞いてみる事にした。

こんな事でいちいち心がザワつく自分の心の安定感の無さが、痛い。
余計な事を考える暇があったら、手を動かそう。
昼過ぎに、ナレーションの仕事の収録に向かった。
夕方には食材を帰って、帰宅できたが千紘はまだ帰ってはいなかった。
7時を回った頃に、千紘は帰宅した。出迎えに行けなかった俺に今日は
千紘の方から
『真幸、ただいま』
と、言いに来てくれた。
可愛い…綺麗、美しいのに、あどけないから千紘って本当に昔から不思議な魅力を感じさせる。
「千紘、洗濯ものにさ、何かものすごく綺麗なハンカチがあったんだけど」
『ぁ、そうそう。あれはマネージャーが、貸してくれたんだ、撮影で指輪外す事があったから、その間にね
ハンカチに包んで預かってくれてたんだ。』
「まー、上品…」
『でしょ?俺もちょっと嬉しかった。で、洗ったんだ?』
「いや、さすがに気を遣うから…一緒には洗わなかったぞ。」
『分かった、じゃ俺がしておくから大丈夫、ありがと。』
「アイロン、できるのか?千紘」
『…当たり前でしょ。それに、学校で昔習ったからね。』

あれ?なんか俺、結構重要な話をスルーしてしまった気がするけど。
何だろう、…あ、そっか。指輪だ。
千紘、指輪してたっけ?
ちなみに、俺はまだ指輪は贈って無いけど。
「千紘、指輪なんてしてるっけ?」
『気付くの遅い…って、言うのは冗談。これはあんまりしないんだ。でも、お守りだから
時々着けてるよ。欲しかったら俺がプロデュースしてるブランドの公式通販から購入いただけまぁす。』

「…そう言う事か。」
『えへへ、夢なかった?』
「千紘はエメラルドが誕生石のはずだ。」
『ゎ、アタリ…。さすがは俺の彼氏。そうだよ。じゃ、俺はアクアマリンを用意したらいいのかな?』
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