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空っぽ。

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「ヤバイ…。終わった。」
事務所から、マネージャーへと新しい仕事の話が舞い込んできた。
俺は、茫然となりながら説明を受けていた。
マネージャーは、最後に言った。

ま、貴方には真幸くんが居るから。1から10まで教えてもらいなさいな。

母親程の年齢の彼女は、安心しきった表情で送迎の車のハンドルをとった。

『声優。に、初?ではないんだ。挑戦…イェーイ…って。あ、本当に役がもらえたんじゃなくて
体験する番組かぁ。』
へ~っと、真幸が企画書を見ながら風呂上がりの上半身裸でテーブルの紙面を見下ろしていた。
「早く、服着てくれません?真幸」
『だって、まだ暑いよ…。そっかぁ、千紘は声優にも向いてると思うけどね。』
「もぉ、配信しようって時に限って、ウロウロすんな。」
『千紘、最近さぁ俺にアタリが強くない?哀しいなぁ…』
「ぅ…だって、邪魔だからそう言ったまでだろ?悪かったよ」

まったく、なんで真幸って変な所で察しが良いのか。
俺は、ここ数日真幸の言う通りでずっと不機嫌だった。
それもそのはず。真幸とちょっと色々して遊んでたら、腰を痛めてしまったからだ。
ちなみに、真幸には言ってない。言うとまた余計に面倒なことになりそうなので
マネージャーにだけは言ってある。
こっそりと、整体に通って少しずつ治してもらう事になったのだ。

深夜まで施術できるところだから、かなり有難い。が、問題はこの目の前の
半裸の真幸に何て言って出かけるか。
こんなくだらない事にさえも、頭を捻らせなきゃいけないのだから、しんどい。
『でさ、千紘さっきどこに行ってたの?』
「どこって、この仕事貰いに行ってたんだけど。」
『その前。お昼過ぎに、いなかった。午前はオフだったはずなのに…』

めんどくせぇええええ。お前は、メンヘラ彼氏かよ!!
「どこだっていいだろ。真幸に言わないと駄目なの?」
真幸は、少し表情を曇らせて、俺の前にやって来た。
『抱っこしてぎゅーってするけど。いかが?』
「要りません。」
『…千紘、もしかしてどこか怪我でもしてるか、痛いのかな?猫がね、俺の実家に居た猫と状態が似てるよ。』

こいつ…、本当に日頃は頭の中お花畑なのに。
どうして、分かってしまうんだろうか。
「まさきぃ…、」
悔しい、好きだ。抱っこだってしたいけど腰が伸びる体勢は無理だった。
『どこが、痛いの?言ってごらん千紘。』
眉をひそめて、屈み俺の視線の高さに合わせる真幸は本当に顔はイイ。
『いつもなら、ソファーでうだうだしてるのに、ちゃんと椅子に座ってるし…』
俺の手を絡めとって、頬へと持って行く。
顔も声も完璧なんだけど…。思わず、流されそうになる。
ぎゅっ、と抱き寄せられて

「んぎゃぁあああああああああああ」


『何で、あの時俺にちゃんと言わなかったの!?…もー、びっくりした。踏みつぶされたような声出すもん千紘』
俺は、静かに寝室へと連れて行かれた。
「いたい…」
『ごめんね…本当に。まさか、こっそり治しに行ってるなんて。でも、悪化させちゃったんじゃない?』
真幸、ごめん。実は少し大げさに痛がってしまった。
「大丈夫。真幸、黙っててごめんな。だって、言う方が当てつけっぽいだろって。」
『こっちのが、よっぽどだよ。…なかなか辛そうだね』
「この前のアスレチックで、腰痛めたなんてドンくさいだろ。言いたくなかった。」
『もう、そんな話が問題じゃないよ。意地っ張りも大概にしないと。』

うるさいなぁ、真幸は。
でも、必ず俺のサインを見つけてくれる。この点は良いなぁと思う。
「幸い、俺が出てる番組はそんなにも、体動かすのって無いから助かる。」
『これじゃ、一体いつ千紘を抱けることか…』
「おい、笑えないからな。」
『俺は、本気だけど…?だから、いつまでも待つし』
何で、今言うかな。でも、まだ、俺の事を諦めてないんだって思うと
ちょっと嬉しかったりもするから、どんな顔して良いか分からなくて
目を閉じた。

「ん…、…ふふっ、…まさきってホントにばか。」
触れるだけのキスをして、俺の髪を撫でては切なそうにため息をつくの、やめて欲しいなぁ。
切なさが真幸を伝わって、俺にまで伝染しそうだよ。

それから1週間。
少しずつ、痛みは引いてきている。真幸にも通院がバレたから
何の気兼ねもなく、治療に専念できる事で俺の不機嫌週刊は幕を閉じた。
動けるようになるまでの間、真幸は俺をさんざんトロトロの甘々に、甘やかせてくれた。
元がお人よしだから、俺の為に何でもしてくれちゃう姿に、チクリと胸には罪悪感の柔いトゲが
刺さっていく。

「真幸、…お願いがあるんだけど、いいかな?」
夜遅くに帰宅した真幸は、とっても疲れてる様子で俺に玄関先で
まとわりついて来た。
『後でもいい?今は、千紘を早急に…』
ぐで、と真幸の長身が俺に雪崩れて来る。
「真幸、ストップ!!」
危ない…何回繰り返す気なんだよ、まったく。
ハッ、とした真幸が慌てて俺を避けてリビングへと歩いて行った。

「…今の俺じゃ、真幸を支えられないんだよ。」
自分の言葉で傷ついて、俺もリビングに向かった。
「真幸、お帰り。その…、力入れないハグならできるよ?」
あれ?真幸、もしかして元気なさげ?

『お腹すいた…』
「ぁ、なぁんだもう…!よし、じゃ早速食べようか。真幸、手洗って来て。」
びっくりした。子供みたいで、なんだか笑えてしまう。
真幸も、良い大人だけど子供っぽい所があって不意に可愛いんだからなぁ。
洗面所に行った真幸を横目で見て、俺は食卓に料理を並べる。

いつもより静かに食事が進む。
やっぱり、あんまり真幸の目が輝いてない、と言うのか。
生気を感じない。
ここの所、俺に沢山尽くしてくれていたからもしかして
疲れがたまってるんだろうか?

真幸のタイプだと、自分から言ってくるとは思えないし。
俺が察しないといけないだろうな。

俺に、何かが出来るとは思えないけど
「真幸、俺に何かしてほしい事あったら…遠慮なく言って欲しい。」
『何にも、ないかな。』
「えぇ…」
『俺、もうここ出ようかなって考えてる。今度は、やっぱり一人で住む予定にしてる。』

目の前の真幸は、普段はあまり見せないような表情で俺を見つめていた。
俺は、知らず知らずの内に真幸を追い詰めてしまっていたのかもしれないと
ようやく、気付いた。
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