夢に溺れる

あきすと

文字の大きさ
上 下
1 / 2

溺れる山羊

しおりを挟む
私は、いつも決まって同じ夢を
子供の頃から見続けてきた。

それが、まさか今の歳まで続くとは
思いもしなかった。
昨夜の夢を、話そうか。

あれは、確か祝宴の席での事。
そうだ。
動物が怪物に襲われていた所で
慌てて変身する姿。
それを客観的に見つめている
私の意識下。
上手く逃げてくれ、
いつもそう願っているのに
その動物は、哀しいかな
細かな泡に飲まれて姿を消してしまう。
あぁ、今度も救えない。
何故…こんな
たかが夢だと言えば、確かにそうなんだろうが。
私は、子供の頃酷くその事実に
心が痛んだ。
泳げもできなかった、その動物とは
下半身が魚のように変身した
ヤギなのだ。

私が助けたいのは、星座物語に出てくる牧神、パーンのような
愛しい一つの命なのだ。
この夢には、別の解釈があって
私の友人の化学者に話をしてみた所
まるで、夢の様な回答が返ってきた。
「それが出来るのは、俺くらいなもんだ。驚いても結構だが…後の始末は自分でやる。ってのが条件だ。」
二児の父親である友人は、現実世界にいながらいまだに、多くの夢を追っている頼れる存在だった。
友人の研究施設には、ある資格を保持していなければ入館する事さえ出来ない。
それ程の研究が、日夜行われている。
「いつか、お前に協力して貰いたいと思っていた研究が今あってな。それが、人の夢に関するものだ。しかし、いくら友人といえども夢ってのはお前の一部で全てなんだ。お前は、俺に協力する事で得られる事もあるが、提供もしてくれないと成り立たない。そうだろう?」

合理的な考えを述べ、コーヒーを飲む友人は余裕のある表情だ。
椅子に深く腰掛けて、私を観察する視線。
居心地は、不思議と悪くない。
それもそうだ。彼には昔から
笑われそうな話を真面目にいくつも
してきた。
それは、悩みであったり相談で
友人は、嫌な顔一つせずに
いつも真剣に自分の考えを述べて
くれるのだ。

「私が、事あるごとにこの哀れなヤギを助けてやれれば何かが変わる気がしてならない。と、思うのをそろそろ止めにしたい。君の協力が無いと、それは叶わないからね。」
仕事帰りに、研究施設に立ち寄って
帰り際の友人に
無理を言って話が始まった。
「しかし、笑えるよ。牧神パーンを捕まえたい…いや、助けたいだなんて。お前なぁ、俺じゃなかったら本当コレは笑えないぞ。」

それも充分分かっていた。
夢に踊らされている。
もう、四半世紀以上生きて来て
世の中も少し知って落ち着いて来た所に、人としての何か不思議な
エゴが顔をのぞかせたのか。

「使い方は、枕の上にこの薄いシートを敷く。そして、両手にこのグローブを装着する。本当シンプルだろ?」
友人が試作段階の装置を机の上に置いて、使い方を説明してくれた。

「こんな、簡単な物で…?」
「デカイ装置なんて要らないんだよ。むしろ小型化できなきゃ意味が無い。それくらい遠い未来ではこんな事も普通に身近な物になる。ただ、人の心の部分に関わるからな。俺はむやみには、出回って欲しく無いんだよ。でも、お前みたいに心と向き合う事を望む人がもしいるなら…俺は協力したい。これは、そんな思いから作ってる。」

真摯なまなざしで、装置の在り方を私に告げた友人は
遠い昔の頃と変わらない
真っ直ぐすぎる瞳で私を見ていた。
「そのグローブは、夢に介入して現実に具現化させる物になってる。」
「でも、そしたら…夢から具現化と言っても何で…構築物質は?」
「分からない。多分、この世のどこかでそれに相応しい何かが代替えとして消費されている可能性がある。ただ、それが過去か今なのかも分からない。」

無意識に、私は顔を引きつらせていた。
「リスクは、ある。だが、得るものの大きさを考えてくれ。」

ギリギリの、まるで綱渡りをしている程の冷や汗が背中を伝うような
底知れぬ根底からの恐怖。

私は、それ以上言葉を発する事に
臆して
装置を鞄に仕舞い研究施設を後にした。
馬鹿らしい、
部屋の鍵を開けながら
自己嫌悪に陥った。
真っ暗な部屋に明かりを付けて
その先の廊下に現れた愛猫。
「やぁ、待たせたね。ただいま。」
黒猫で、線の細く華奢な体つき。
双眸は、緑柱石の様な鮮やかな瞳をしている。
今の所、私の帰りを待っていてくれるただ一匹の猫だ。

この小さな命を、毎日愛でて
何年が経っただろう。
私は、ほかの友人からすれば
極めて不健全だと言われている。
と言うのも、日頃から理詰めで
神経をすり減らす様に平日を過ごし
週末は、もっぱら読書や音楽鑑賞で休みを過ごす。
外には、前よりか出掛けなくなった。
友人は、それを懸念している。
いや、大概は伴侶の事を気に掛けているのだろうが。

より深く、私は私の意識と向き合う事になった。それだけだ。
一人の食事が寂しいなんて
思う事も無い。
その間に流れるクラシック音楽が
私の心を穏やかに満たしてくれる。

それの何が
不健全だと言える?
一人暮らしが長くなって
料理の腕前も、我ながらなかなかのものになっていた。

スーツの上着を脱いで
黒のエプロンを付けた。
袖捲りをしながら、夕食のメニューを思い起こす。
「来たね…、エメラルド。君は先にディナーにしようか。」

しとり、しとりと
尻尾を揺らしながら黒猫の
エメラルドは、短く鳴いた。

彼女のディナーを準備して
私は、キッチンに戻る。
ふと、頭によぎるのは
夢の中の救えないあのヤギ。
顔を覚えている。なにしろ、
何度も繰り返し、見てきたその姿だ。
悔しさで目を覚まし
どっ、と精神に重くのしかかる罪の意識。
いつも望む夢を見られる訳でも無かったが、私はこの夜確信があった。

何故か?

出来上がった夕食を口にしながら
私は考えていた。
最早、自らの人生の一部になっている夢のヤギが。どうしてこうも
気になるのか。
もし、例えばその夢の中のヤギを
救い出したとして
私は一体どうしたい?

暫しの自問自答の後に
私は首を横に振った。
まだ、助けてもいない。
その後に考えよう。

入浴を終えて、寝支度をしながら
私は鞄に仕舞われていた
友人からの借り物である
夢に介入する装置を、用意した。
言われたままに
薄いシート状の物を枕の上にに敷いて両手には、グローブを装着した。

どう考えても、今から眠りに着く雰囲気では無い。
そんな事を払い除けるべく
寝室の明かりを消して、私は
ベッドに身を沈めた。
シートは、かさばる事も無く
むしろ形状が沿う形で、頭部に違和感なども無かった。

深い呼吸で、ゆっくりと眠りに落ちる。息の仕方を忘れるなんて表現は
ありきたりかもしれないが、
その夢を見る間は
私は確かに、息することさえ忘れてしまいそうになる。
周りが構築されていく、
夢の世界が色づき
形を成していく。


祝宴の席、君は確かに
先程までは人の姿だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

狐と狸の昔語り。

あきすと
BL
閲覧ありがとうございます(^^) 元々は擬人化から創作したキャラ達をCPさせて書いていたお話を掲載しています では簡単にキャラ紹介。 楓(帝と呼ばれていた時期もある)厳密には、土地を守護する職に就いている。狐かどうかの確認はまだ取れていない。 黒髪が長く艶やかで、霊力を強く保っている。神気もかなり強く、タロー(杏)に神気を分け与えられる、そんな関係。帯刀して歩く癖が抜けずに、現代でも変わらず。性格は、落ち着いていて、身内に甘い傾向アリ。 タロー(杏) 楓に千年ほど前に拾われた、半妖。神気が無くなると人間の姿が保てずに、狸へと近づいていく。 なんやかんや、楓に育てられた様なもので、早く自立したいと思いつつ、離れられずに、結局は神気を分けに貰いに来る羽目に。 なかなかの苦労人ではあるものの、明るく元気で、お人好しな性格。 葵 各土地の守護職よりかなり上の 俗に言うエライ人。 そして、スゴイ人。 元は人ではあるものの 姿形、性別にとらわれない 自由そうで、そうでもない 存在。 【この2人の他のお話】 杏の臆病な恋 小雪のこたつ開き 寂寥の薄桜

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

花冷えのする日

ゆうきぼし/優輝星
BL
仕事帰りに立ち寄った居酒屋で意気投合した相手と一夜を過ごした俺。やがて会社の合併により上司としてやってきたのがその相手だった……。 他サイトから転載の短編です。表紙絵はPome村さんです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

大学生はバックヤードで

リリーブルー
BL
大学生がクラブのバックヤードにつれこまれ初体験にあえぐ。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

BL短編まとめ(甘い話多め)

白井由貴
BL
BLの短編詰め合わせです。 主に10000文字前後のお話が多いです。 性的描写がないものもあればがっつりあるものもあります。 性的描写のある話につきましては、各話「あらすじ」をご覧ください。 (※性的描写のないものは各話上部に書いています) もしかすると続きを書くお話もあるかもしれません。 その場合、あまりにも長くなってしまいそうな時は別作品として分離する可能性がありますので、その点ご留意いただければと思います。 【不定期更新】 ※性的描写を含む話には「※」がついています。 ※投稿日時が前後する場合もあります。 ※一部の話のみムーンライトノベルズ様にも掲載しています。 ■追記 R6.02.22 話が多くなってきたので、タイトル別にしました。タイトル横に「※」があるものは性的描写が含まれるお話です。(性的描写が含まれる話にもこれまで通り「※」がつきます) 誤字脱字がありましたらご報告頂けると助かります。

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

処理中です...