坊ちゃんと私

あきすと

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義兄からの連絡は、春先にやっと葉書で届いた。
葉書1枚が20円のこの時代。
きっと、越した先でも贅沢には暮らしていないであろう。

華やかそうに思えた、海外暮らしが本当はどんなものだったのか。
本人が、いつか語ってくれるまで知る由もない。

郵便受けに届いた葉書、たった1通。
俺にとっては、待ち望む春のやっと気配を感じた気持ちと
似ているかもしれない。

細い線の万年筆の肉筆。
霞さんらしい。
初めて交わす文(ふみ)である事を思うと、急に面映ゆい。

のらりくらりと目の前に現れて、急にいなくなる。
本当に、霞のような存在。
と、思っていたのに。
存外、しっかりとした文字の印象を目の当たりにする。

程ほどの挨拶、近況はごくわずか。
最後に日時と場所が書かれている。

住所は、
「…どちらの県でもない?」
中継地点とでも言えば良いのか。
恐らくは、霞さんなりの気遣いだろう。

こちらは、自動車で行けるだろうが。
当月末の日にちになっていた。
お店が休みの日を、覚えていてくれたのか。
幸い、定休日と重なっていた。

こういう、細かな気配りがらしさを感じさせる。

なるべく、霞さんの事を頭の中でも
心の中でも追わない様にしていた。
でないと、毎日が落ち着かないからだ。

内心ほっとした。少し、不安定そうに見えるものだから
きちんと生活を送っているのかは、気がかりだった。

支援も援助も、したい。
でも、そんな事をしたらきっと霞さんは怒ってしまうだろう。
矜持を傷つけてしまう事は避けたかった。

当面の目標や、楽しみが目の前に現れて嬉しかった。
小旅行、月に1度の…デート。



『ぼっ…青路さん!こっちですよ。』
とある県の有名な史跡でもあり城もある大きな公園。
「時間、少し遅れてしまいましたよね。ごめんなさい。」
桜はもう葉桜になっていた。
『いえいえ、お疲れさまでした。こんな遠いところまで出向かわせてしまって…』
春の陽光を受けた霞さんの髪は、今日はより一層綺麗に輝いて見える。

車から降りて、体を伸ばしていると
『はい、どおぞ。』
缶コーヒーを手渡された。

「…ありがとう。」
『だって、坊ちゃん眠いでしょう?』
まだ昼前ではある。
長時間の運転には不慣れで、途中パーキングエリアにも立ち寄って
休みながら来たけれど心身共に、疲労を感じてはいた。

陽光が目にしみる。
白いシャツに、ジーンズを履いた姿がなんとなく新鮮に映る。
もっと、霞さんはイヤミな恰好をしているイメージがしたからだ。
「なぁんか、嬉しそうですね。ニヤニヤしちゃって…」
駐車場から歩いて、公園内を歩く。

『あのね、僕も一応人の子ですよ?僕のワガママに付き合わせちゃって…申し訳なさと。単純に
坊ちゃんに会えたのが嬉しいんです。』
歩くのも、正直かったるい。
車の後部座席で、寝てしまいたかった程の気持ちを
霞さんの言葉と、表情が一掃してくれた。

うつ向きがちな視線、少し伸びた髪で
以前よりかは表情が見えにくい。

「あ~…ちょっと霞さん。待って…」
解けた靴ひもを結び直していると、霞さんの影も地面に落ちる。
『あ、解けてますよ。』
当たり前の様に、霞さんが俺のもとに屈み込む。
「結ぶの下手なのか、よく解けるんですよ。」
『イヤですねぇ、奥さんに…お義母さんに習わなかったんですか?って、僕もさほど
上手じゃないんですよ。…お耳を2つ作って…、くるりとわっかに…』

霞さんのつむじが、無防備に見えて何だかおかしな気分だった。
同じ母親に育てられたのだ。
忘れようも無いはずなのに。

出来た、と声がして視線を戻すと目が合った。

「すみません、せめてベンチにでも座ればよかった。」
『坊ちゃん、この靴はあまり履かないでしょう?今日は革靴じゃないって思って、選んでおいでた。』
「よく、わかりますね?」
にこりと笑って、霞さんは立ち上がった。
『デートなら、恰好を1番に気にするものです。行く場所に相応しいコーディネートをね。』
「デート…ですよね、やっぱり。」

問い返した俺の言葉に霞さんは頷いた。
とても、恥ずかしそうな…でも嬉しそうに。

『やっぱりお腹空いているんでしょうか?』
「はぁ、そういえば。」
『お弁当、作ろうと思ったんですけど。迷惑かな?と思って…。あ、でも、食事はご馳走させて下さいネ。』
公園内で少し歩き、休憩所で休んでいた。
「気、使ってません?」
『そりゃあ、使いますよ。大事な人ですもん。』

びっくりするくらいに、霞さんは素直で正直な人だと思う。
「今、どこに住んでるんですか?」
コーヒーを飲んでいると、隣の霞さんは林檎ジュースを飲んでいる。
『この、お隣の県ですよ。』
「…どこに務めてるんですか。」

率直な質問に霞さんは、困った様に笑って
『まるで、尋問みたいです。』
はぐらかしはしないで答えてくれた。

とあるホテルに勤めているのだと、教えてくれた。
時々、通訳も兼ねている事に感心した。

「なら、生活は送れてるんですよね。良かった。」
『僕も、人生なかなか長いですからね。食う事には困らない程度には…。』
「母も、実際心配していましたよ。」
『…左様ですか。じゃ、僕は親不孝ですよ。』
「心配させても、忘れないで居てくれるなら…それでいい。」

飲み終わった空き缶をくずかごに入れた。

『あの、図々しいお願いですけど…お店まで連れて行ってください。』
「…え、そんなの当たり前でしょう?じゃ、案内は霞さんにお願いしますね。」
『だって、何でもかんでもして貰って当たり前と思うのは…おかしいじゃないですか。』
「霞さん、母に一体どんな風に育てられたんですか?俺とはあまりに違い過ぎる。」

人の機微や感情に敏感すぎるのだ。

と、言いたかったのに。

『不出来な義兄でごめんなさい。でも、期待はされていたんだと思いますよ。僕には荷が重すぎましたけど。』
「もう、俺は本当に貴方という存在が、不思議でならない。さっきのは誉め言葉です。俺は甘やかされて育ったので。」

いまいち、かみ合わない価値観もあるけれど。
『厳しく育てられたとは、思います。でも…それで良かった。』
駐車場に戻って、助手席に座る霞さんを見ていると
「しっくり来ますね。」
思わず本音がこぼれた。

『それは、どうも。陽射し強いですね。ちょっとサングラスしなくても平気ですか?』
「俺は大丈夫ですよ。そのダッシュボードにあるサングラス、使って良いんで。」
色素の薄い霞さんには、必要だろう。
『じゃ、お借りします。』
両手で、丁寧に扱う指先まで霞さんの神経質さを感じた。

「じゃ、出しますよ。」
『えぇ、安全運転で行きましょう。』
少しだけ窓を下げて、外気を取り込みながら街道へと出て行く。

「さっき、霞さんを見かけた時…俺、このまま貴方に倒れ込みたいって思ったんですよ。」
『…お疲れだったから』
「いや、そればっかりじゃなくて。」
『青路さん…?』

しばらく会わなくて、もやもやしていたのか。
霞さんが発った後から、実家で写真を探したのだ。
けれど、アルバムには1枚として霞の写真は残ってはいなかった。
ショックだった。
酷い事をするものだと思って、哀しかった。
「あの、実家には霞さんの写真って無いんですが…もしかして、」
『写真…。あぁ、僕のはもうきっと無いでしょうね。僕が回収したんです。』
「捨ててはないですよね?」

『さすがに、僕でも捨てるだなんて出来ませんよ。ただ、僕は…いつかあなたが、僕の写真を見て
嫌な気持ちになったら。と、思って勝手に除いておきました。』
「今度、見せてください。」
『え、…あぁ、分かりました。約束しましょうね。』
「俺は、霞さんの事本当に何にも知らない。同じ家で育ったのに。」
『ぼ…青路さん。僕が貴方の父君に貰われたのは…当時なかなか言い難い事情があったのです。今でも、
ちょっと憚られます。お察しください。慈悲の心で引き取っていただいたのですよ。』

霞さんは、窓の外を見つめながらハッキリと告げた。

砥の粉色の髪、色素の薄い肌や瞳。
なんとなくの想像はついてはいた。
でも、詮索する様な真似はしたくなかった。

霞さんは、我が家で大切に育てられ両親のもとから
羽ばたき、巣立って行ったのだ。

























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