眠れない夜は檸檬の香り

あきすと

文字の大きさ
上 下
13 / 16

⑬過ぎた日々

しおりを挟む
去年の晩秋以降、私は異動する事となった。
以前よりも書類の仕事が増えて、より専門的な勉強をする為に
大学にまで通う事になった。

白島とは、互いに忙しくて会う時間が作れずにいた。
あれよあれよと、歳が暮れていき。
気が付けば、大学の構内に咲く桜の木を見上げ。

紫陽花の季節を過ぎた頃、通い始めた町の図書館でアレは
私の前に現れた。

黒髪は伸びていて、くくられている。
眼鏡を掛け、鋭い目つきの白島は以前の雰囲気とは少し変わっていた。

どうやら、調べ物の途中なのか古い新聞から何かを探しているらしい。
目は合った。
心が、びくんと震えた気がした。

久し振りで。忙殺されそうになっていたから。
実は、とある情報筋から仕入れた話によると
とある暗部組織のメンバーが行方不明になったと、聞かされた。

当時の私は配置換えで自分の事で、手一杯だったためあまり
きちんとした話を聞けなかったが。
今思えば、もしかしたらそのメンバーと言うのは白島だったりするのだろうか?

いや、例えそうだとしても私には関係のないセカイの話だ。

咄嗟に目を逸らしてしまったけれど。
意識してしまうと、心がまたぎゅっと掴まれた様に苦しい。

今日はこのまま、家に帰ろう。
借りる本を2冊手にして受付で貸し出してもらう。

夕方の空模様は、少し不安定そうでいまにも降り出しそうに淀んでいる。
本は濡れない様に鞄にしまった。
傘立てから自分の黒いこうもり傘を抜き取って図書館の屋根の下で
静かに開いてから外を歩き始める。

これで、良かったのだろうと思う。

心がしくしく痛む気がするのは、きっと気のせいだ。
まだ明けない梅雨空が私の心まで腐らせてしまったのか。

まだ、かろうじて同じ市に住んでは居るのだったら
きっとどこかで出会うものだろう。

とにかく、毎日が目まぐるしくて。
まだ心に余裕などは持てなかった。

唯一の楽しみと言えば、眠る前にする妄想と
夢の世界だけ。

『郁海、』

どこまでも沈んでいきそうな海の深い所で、体を揺すられるのが分る。

まだ、起こさないで欲しいのに。
とにかくここの所、疲れている。
できればこのまま泥の様に眠ってしまいたい。

でも、現実はこれを許してはくれない。
家に帰ると、なんとなく風呂を炊く気力も無くて
銭湯へと行く準備をした。

腹に何か入れていった方が良い気がしたけれど
それさえも面倒くさくて。
月が出始める頃、銭湯への道を歩いて行く。

仕事帰りの人で、通りは賑やかだ。
喧噪に飲まれていると気が楽だった。

雨は上がっていて、少し蒸し暑い外気に肌とシャツが汗ばむのが
苦痛だった。

日頃、あまり来ないけれど銭湯の雰囲気は然程嫌いでは無かった。
番台でお金を払い脱衣かごに着替えを入れて、浴室に向かってから
何となくクラクラする気はしていた。

でも、気のせいだと思いながら頭と体を綺麗にして最後に湯船に浸かってからの
記憶が・・・プツリと途絶えた。

『すみません。後はこっちで面倒を見ますんで…。はい、遅い時間にご足労さまでした。』

心地の良い声がする。

ずっと聞きたかった声。

瞳を開けると、白いシーツが見える。
もぞ、もぞ、と手や足を動かしてみた。
あぁ、なんだまだ生きているのか。

『起きたか?呉さん。』
「ぇ…ぁ…、たま痛い…」
『・・・たま、痛いのか?さっきぶつけた訳でも無いだろう?』

おかしな事を言われているのだけはすぐに理解できた。

起き上がりたいのに、体に情けない程力が入らない。
「ちがう。あたまがいたい…だ。」
『医者の先生帰ってったけどな、見立ては軽い栄養失調とか過労だそうだ。』

心当たりがある、とはいえ。
「なんでお前がここに居る…!白島」
『いやぁ~俺もたまたま銭湯に入りに行くところだったんですよ。で、中からザワザワしてる雰囲気を感じて、』
「オマエ…さては私を、尾行してたな?さっき図書館で…」
『はぁ、思いきり目を逸らされましたけど。』

白島は私の家の大家さんにすぐ取り次いでくれて、家までおぶって来てくれた。
医者の先生まで呼んでくれるとは。
ベッドに横になりながら、事の顛末を話してくれた白島は
『とにかくゆっくり休んで、栄養を摂って。俺は風呂に入りそびれる前に行きます。』
「すまない、ありがとう。色々と…。」
『これも縁ですよ。あ、ちょっと俺の汗くさいのが移ってたらスミマセン。』

白島の事だから、懸命に私を何とかしようとしてくれたのだろう。
「全然、気にしない。むしろ…白島の汗はきっと檸檬の香りがするよ。」

自然と笑顔がこぼれ、眼からも思いがけない涙が少し頬を伝った。
『…明日、また様子を見に来ます。』

途絶えた年月のせいか、白島の言葉がまだなんとなく
かたい気がして。
こんな事にさえもいちいち心が揺らぐ私は、自分で自分が情けなかった。

全ては、私が招いた結果だと言うのに。

































しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

同僚に密室に連れ込まれてイケナイ状況です

暗黒神ゼブラ
BL
今日僕は同僚にごはんに誘われました

【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集

あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。 こちらの短編集は 絶対支配な攻めが、 快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす 1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。 不定期更新ですが、 1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 書きかけの長編が止まってますが、 短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。 よろしくお願いします!

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

ヤンデレだらけの短編集

BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。 全8話。1日1話更新(20時)。 □ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡 □ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生 □アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫 □ラベンダー:希死念慮不良とおバカ □デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。 かなり昔に書いたもので、最近の作品と書き方やテーマが違うと思いますが、楽しんでいただければ嬉しいです。

処理中です...