眠れない夜は檸檬の香り

あきすと

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膝を突き合わせて

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白島が引っ越すことを選んだのは、正直意外でしかなかった。
下宿先は、戦後すぐに建て直された木造の二階建てで、お世辞にも
住みやすそうかと聞かれれば、否と返してしまいそうだった。

身重の奥さんと、主人が先代から引き継いで下宿としてやって来たものの
最近起きた地震の影響を受けて、しばらく修繕をすることになったのだと言う。
「まさか、退院前日に地震が来るなんて…白島はついてないな。」
高度経済成長が叫ばれるこの頃、庶民の暮らしも少しずつ良くなってきている
とは言え、まだ貧しさの中に暮らす者も多いのが現状だ。

洗濯機を目にした時の感動は今でも忘れない。

それぞれが、時代に流れていく。
白島も、きっとその一人…なのだろうか?
病院から持ち帰ってきた荷物を整理しながら、白島と私は
6畳1間の簡素な部屋で、ぽつりぽつりと会話を交わしながら
ゆっくりと互いの時間を過ごした。

『泊まっていけば良いですよ。』
なんて気楽に言ってくれるものだから、私は何とも言えない心境で
ただ、目線を下に向け、畳の目を指先でなぞっていた。

普段は、あまり話さないくせに、こういう時はやけに積極的だから困る。
「泊まるって…私の布団は、ないだろう?もう一組なんて。そもそも狭い…」
文句を言うつもりは全くなかったのだが、ついつい気が急いてしまって
嫌な言い方をしてしまった。

『ありませんけどね。確かに…。でも、船で雑魚寝なんてよくある話だってでしょう?』
この白島、という男に口で勝てるとでも思った自分が馬鹿だった。
ここのところ、白島の表情が見ているこちらが恥ずかしい程に柔和で、
なんだか気恥ずかしい。
確かに、色々あった。
足しげく、白島の病室に向かい世話をして。着替えを手伝ったり
時には散歩に出たりと、短期間で濃い時間を過ごしてきたせいで
私も、すっかり情が移ってしまっている。

ことあれば、白島を視線で追ってしまうのだ。
未だかつて、こんなことはあり得なかった。
遅い、本当に遅い恋だと言えるだろう。

私は、自然と女性を愛するものだと思っていたけれど
まだよく分からない。
ただ、今は白島安芸。
この人物に惹かれている事だけは、明確だった。

「あまり、人を惑わせるものじゃないよ?白島…。」
わずかに空いた、窓の隙間風が頭に冷静さを取り戻させる。
張り出したひさしに掛けられた洗濯物が、やんわりと風にそよいでいる。

『俺は、冗談言いませんけどね。面白くもないし。』
壁に背を預けて、白島は手帳に何かを書き始める。
私は、手持ち無沙汰でただ隣の白島の手の動きを見つめていた。
「泊めて…くれるのなら。夕食はどうする?」
まさか、階下の奥さんが作る訳でも無いだろうし。
白島のこの部屋に、台所はあるが
『作りますよ?』
「…こじんまりとした流しだけど、無いよりマシだ。」
無意識にため息をつく私に、白島は
『ほんと、育ちが良いんだなぁ…そっか。だから、狙われたんだ。呉さんの屋敷は』
しみじみと、過去を思い出しているのか感慨深げに言った。

「私の過去のことは良いから…。」
『でも、いまだに信じられないけどな。アンタ、本当に…』
急に白島に視線を向けられて私は、目が逸らせなかった。
むしろ、もっと奥までを覗き込まれている錯覚に陥って
「判っていたなら、もっと早くに声を掛けて欲しかった。こんな、大人になってしまった後で」
『大人になってからでないと、何かと都合が悪いんで…。』
真面目な顔で、言われれば止めていた息が我慢できなくなって
私は笑ってしまった。

「白島、ホント…ずるい」
『いや、俺の理性の勝ちってことで。』
白島の掌が私の右手に覆いかぶさる。
じんわりと温かい。
日々、回復していく白島の怪我はほとんど綺麗に治癒していく。
はっきり言って、人間離れした能力だ。
「全快したら、2人で快気祝いをしよう。」
外部の者にも、白島の存在を知る者はいるのだが、関りを持ちたがらない
性格のせいで白島は一人を好む。

友達なんて、しばらく出来た例もありませんよ。
そう言って笑う白島の心の強さに私は、感心した。
『そんな事まで、して貰えるんですか?』
「…と言うか、いつまで私に敬語を使うんだ?」

年齢差の方が私としては気になるものだった。
組織に属し、随分と口調が横柄になったことは自分でも自覚していた。
『郁海クンの方が、立場的には上だから…そんな気にしなくても良いと思うけど。』
するりと、指の間に白島の指が差し込まれ
「また、下の名前で呼ばないでくれ。」
指の又に絡む手のつなぎ方さえ、私は今初めてしてしまって
気が動転している程だ。
『どうせ、破廉恥だとか言い出すんだろうけど…俺は全然、まだ何にもしてないからな。』
何を言うのかと思えば、何もしてないなんて当たり前だろう。

「だいたい、よくもまぁ…私の顔なんて覚えていたな。」
『かお…ってよりかは、名前の方が記憶に残ってたけど。へぇ、やっぱり少しは顔に自信があるんだ?』
墓穴を掘っていたらしい。
が、簡単に屈するのは嫌だ。
「名前か、…まぁ、確かに珍しい苗字ではあるから。」
記憶は、入り混じってはしまったけれど…私だって白島の姿は目に焼き付いていたんだ。
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