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焔の素顔。
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兄が、兄じゃ無くなった日を知っている。
それは、あまりにも突然の出来事だったから
今でも、生々しく覚えていた。
父から成人の祝いをして貰っていたあの日…。
兄は、朝まではいつもの兄だった。
お祝いをした夕食の時に
姿を見せなかった兄。
「父様、兄さんはどうしたの?」
テーブルに、沢山の料理。
今日は特別に姉様が帰って来てくれて一緒に夕食を取ることになって、僕は喜んでいた。
そんな中、兄が居ないなんて。
『焔は、支度をしている。じきにやってくるだろう。』
炭酸水を飲み、一通りの
コース料理が皆食べ終わる頃、ダイニングの扉が開いた。
「兄さん!…なんだか、今日は給仕さんみたいな格好だね?」
『蓮、実はな…これは私と焔からの贈り物として欲しい。』
兄さんが僕の隣に控えて頭を下げている。
「?どうしたの、何のマネ?」
いまいち状況がよく分からない。
けど、父様の表情も心なしか険しかった。
『蓮様、今日より蓮様の使用人として仕えさせていただく事になりました。どうぞ、よろしくお願い致します。』
これは、劇か何かだろうか?
どうしたの?
皆、姉様も…当たり前みたいな顔しないでよ。
焔は、僕の
たった一人のお兄ちゃんが
使用人?
「あの…劇してるわけなの?」
コソコソと、兄に耳うちをして様子を探る。
『まさか。私は、そのつもりで今日まで生きてきましたよ。恩に報いるのは当たり前です。橘財閥を担うであろう、蓮様をお世話できるのは…光栄です。』
皆、どうしちゃったのかな。
ねぇ…まさか、僕だけが
もしかして焔の思いを知らずに今まで生きてきたとしたら。
それは、大き過ぎる罪だよね。
僕の頭は、考えが追いつかなくて…弾けるんじゃないかと思った。
「僕…僕は…、」
ガッ、と椅子を後ろに下げてダイニングを出た。
『蓮様!』
あぁ、もう…
兄は兄じゃないなんて、
僕は、すっかりぬるま湯で
浮かび続けていた代償を胸に突き立てられた。
信じたくない。
皆、そんなつもりで今まで兄と生活していたんだ。
姉様でさえも。
まるで、「いい事をしている」というような目で
兄をさっきは見ていた。
僕の知らない間に
家族は家族じゃなくなっていたのかもしれない。
形を歪に変えていたなんて。
自室のベッドに戻る。
フカフカのベッド。
淋しくて、何度も兄と一緒に寝ていた思い出。
使用人だなんて…
目から伝う熱い涙の雫が手の甲に落ちる。
「ねぇ、焔…僕は、うぅん。僕が生まれてしまったから先に、この家の養子になった焔が…?」
ベッド横にある、写真立てを手にする。
僕と焔がテニスをしていた頃の写真だった。
この頃は、特に焔に
べったり甘えていて、四六時中一緒に居た。
だって、自慢の兄なんだ。
勉強、スポーツも得意で
優しく面倒見の良い。
極めつけは、モデルみたいな外見だろう。
幼いながらに、僕は
焔を誇らしく思っていた。
どこに行っても人目を引く。
コンコン、
ドアが、ノックされた。
『蓮様、よろしいでしょうか?』
「ぁ…うん。いいよ。」
ぐすっ、と涙をハンカチで拭いた。
『失礼致します。』
丁寧にお辞儀をして部屋に入る焔。
小さなワゴンを押して来たようで。
「どうしたの?」
『今日は、蓮様のお誕生日でしょう。ケーキを主役が召し上がらないのも、寂しいものですよ。お腹は、いっぱいですか?ノンカフェインの紅茶も、ご一緒にいかがです?』
屈んで、小さなテーブルに
切り分けられたケーキの皿を静かに並べる焔。
「!わぁ…。嬉しいよ、ありがとう。まだ少しなら食べられそう、ケーキなら、別腹だよ。」
優しい気遣いに、自然と笑みがこぼれた。
やっぱり、大好きなんだよ。
自分でも分かってる。
『おめでとうございます。ご成人。ご立派に成長されましたね』
ベッドから、椅子に移り
テーブルの紅茶に手を伸ばす。
「僕は…ずっと変わらないで居られると思ってた。それが、こんな事になるなんて。」
冷え切った指先に、ティーカップの熱が伝わる。
『ずっと…蓮様が産まれてから私は望んでいたのです。貴方を支えられるようになりたいと。貴方を守る事が私の使命なんじゃないかと。そんな思いで今まで生きて来ました。貴方が跡継ぎになられて、私が潰えるまで…傍に置いていただきたいのです。』
ゆっくりと紅茶を味わい、
なんとなく気持ちが落ち着いた気がした。
「ケーキまで、ありがとう。いただきます。」
苺のシンプルなデコレーションケーキ。
小さい頃から、誕生日となればこのケーキでお祝いをしたものだった。
甘みが少し控え目のクリームとスポンジが口の中で溶ける。
「うん、美味しい…。あのさ、僕は焔がどこにも行かないなら、それでいい。だから、これからもヨロシクね?」
苺をフォークに突き刺して焔の口元に差し出す。
『…蓮様。ありがとうございます。』
屈んで苺を口にして
なぜか気まずい表情を
焔は浮かべた。
『私が、こんな事をして貰っては…いけないです。使用人ですから。』
「いきなり、そんな事言われても…僕戸惑ってるよ?だからせめて、少しずつ変えていってくれないかな?じゃないと…なんだか寂しいよ。」
確かに、いつかは分からなきゃいけなくなる。
だって、望まれる後継者は
たった一人。
焔は、ずっと後継者になるために育てられてきた。
「僕は、後継者なんだろうけど…全然担う気持ちがまだ無いし。それに、僕の使命は他にあるんだよね。」
黒、白、グレーが混じった髪の焔。
一目見た時から、無性に切ない気持ちになる。
それは、いかに焔が
世の大人に酷い目にあわされたかを想像してしまうからだろう。
なんて、切なくて愛しい。
とても気にかかる存在なんだろう。
本能で、惹かれている。
恋では、無いかもしれない。もっと、深く重い感情が強い。
『今は、それでも構いません。ですが、じき蓮様もお気持ちが変わりますよ。』
「だと、いいなぁ。」
『貴方は、少し本気になればすぐ何でも出来るはずですからね。』
今までそれを誰より近くで見て来た焔が言うんだから。
「焔、僕…ね?時々不思議なんだよ。僕の存在を理解してくれる人がいるのは、嬉しい。けど、常人にはやっぱり信じられないみたいなんだ。だから、焔はやっぱり人間じゃ…ないんじゃないかって。焔の過去には謎が多いし。」
『…蓮様、またそんな夢みたいな話を。本当に貴方は、いつまでも無垢で。私も貴方みたいな人が弟で、ものすごく幸せだったんです。私の、どんな嫌な記憶も…貴方を見ていると薄らいでいきました。貴方は葵様の鏡が無くても浄化する能力を元よりお持ちです。』
「そんな…。」
『まさか、蓮様は気が付いているかもしれません。』
『全く、蓮は相変わらず凄まじい直感力だな。霊力だけは一族の中でも、一番強いからな。』
『葵様、蓮様には…本当の事を言わせて下さい。』
『ふざけるな。お前が閻魔の化身だと言えるわけないだろう。』
『…しかし、蓮様はうすうす分かり始めてます。』
『だから言えない。証拠を持ってきた訳でもあるまいし。早まるな。とにかく…自分からはバラすな。』
『では、言い当てられてしまうと私は正体を明かしてしまいますが…。』
『その厄介な仕組みは、まだ健在か、いいだろう。仕方あるまい。』
『蓮様、貴方になら…自分を見せてしまいたい。』
先日、葵兄様が来ていた時に僕は
聞いてしまったんだ。
兄だと思っていた彼の正体を。
まさか、とは思った。
けど、地獄に行き来できる葵兄様が近くにいたりするくらいだから、事実なのかもしれない。
閻魔さまの化身だなんて…
でも、どうして僕の兄になったのか。経緯が不明すぎる。
「焔、お願い…。焔は本当の事だけ僕に教えて?焔は、閻魔さまの化身なの?」
ギュッと拳を握りしめて
意を決して聞いてみる。
『…蓮様、なぜそれを⁉︎』
「ごめんなさい。この前ね、葵兄様が来た時に焔と会話してるのを聞いちゃったんだ。閻魔さまなの?」
じっと焔を見上げる。
焔の顔が優しい表情に変わり、微弱な光が焔を包んで居た。
心から、綺麗だと思わせる鮮やかな衣装に身を包む閻魔が目の前にいる。
「…‼︎」
『名前を言い当てられてしまうと…姿を現してしまうのです。』
「なにそれ、素敵な着物…。わぁ、焔カッコいい。」
『何を呑気な…蓮様、貴方が私の名前を呼んでしまったから私は本当の地獄の閻魔さまの元に帰らないといけません。』
深刻な事態なんだと、自覚するまでに時間を要した。
「なんで?」
『もう、あちらの本当の閻魔さまには気付かれたと思いますから。報告しないと。』
「僕も、行きたい。」
『駄目です。』
「イヤだ!だって、もう焔こっちに戻らないつもりなんでしょ?それ位…僕にも分かるよ。」
今にも泣き出しそうな蓮を見て、焔が溜息をつく。
『連れてはいけませんが…葵様の鏡を通して会話なら出来ます。』
「!じゃあ、僕にも閻魔さまとお話させて?…お願い。」
両手を合わせてお願いされると無下にできないのが焔だった。
『…分かりました。では、私は先に報告を済ませます。私が戻ってからその鏡で、あちらと会話しましょう。』
そう言って、焔は
あっという間に姿を消した。
「すごい…僕なんかより焔の方が神力もありそう。」
ドキドキしながら待つこと数十分。
『…何だか笑われました。』
「ひあっ⁈びっくりした。遅いから寝そうになってた。」
何の予兆無く現れる焔に驚いて椅子から飛び起き、焔に駆け寄る。
『ちゃんと戻りましたよ。後、閻魔さまは私と蓮様の関係に対しては反対されてもいませんでした。反対だったら蓮様の魂の監視役に付けたりしない、と仰いました。』
焔に抱きとめられて、無意識に蓮の頬が緩む。
「たましいの、監視役?」
聞きなれなくて、ピンとこない蓮を見て目を細める。
『はい。蓮様の魂は幾度となく転生を繰り返されておられます。それを私は傍で見ている役目だったのです。私は私の本当の姿を明かせない事になっていましたが。葵様は最初からお気付きで、婿入りされた際には早々に問われました。彼からすれば閻魔さまと同じ匂いらしいのです。そこで、彼には秘密を守って貰いました。そうして無事貴方が成人されて、魂が形成保持された今…本来なら正体がバレてしまったのであちらに帰らなければいけません。しかし、閻魔さまに蓮様が直接お話をされたいと言われ私は驚きました。まさか、蓮様の想いがここまでとは…。』
「僕は、大切にしてもらったから…。」
鏡を、覗き込むと
いつもは何も映らないはずが今日は見知らぬ男の人が映っている。
顔は、焔そっくりだけれど
髪は燃えるように紅い。
「わっ、はっ…初めまして!橘、蓮です。焔には本当にお世話になっています。」
緊張しながら鏡に話しかける蓮を、隣で焔が
じっと見ていた。
『葵様に、やはり似ているな。蓮様は、焔を大切に思ってくださっているようで。有難い話です。それは、私の化身ですがまだまだ未熟で…もしかしたら蓮様にご迷惑をかけたりする事もあるかもしれませんが?』
「迷惑かけないで生きる方が無理です。僕は、焔の力になったり…支えになれるように在りたい。だから、僕から焔を奪わないで下さい。」
痛切な蓮の訴えに
焔の胸も熱くなった。
『…焔、お前の蓮様はお前の誇りだな。蓮様、いずれこちらに遊びに来て下さい。貴方にはその資格があります。お待ちしていますよ。』
綺麗な笑みを浮かべて
鏡に映っていた閻魔が
消えた。
「…そういえば、葵兄さまの鏡があれば地獄にも行き来できるって、聞いたことあったよ?」
『……蓮様、地獄は危険なんですよ?貴方を誰とも知らずに襲ってくるような者が、その辺を徘徊しているんです。閻魔さまと対面出来るかも危うい。貴方が正式に呼ばれるまでは、知られたくは無かったのです。』
焔は、焔なりに
いつだって蓮を心配している。
「…焔、僕は大丈夫だよ。でも、一緒に行こうね?地獄へ行く時は。」
見慣れない美しい着物に
身を包む焔を蓮が
まじまじと見つめる。
「やっぱり、焔って何着ても似合う。不思議だなぁ…焔が、閻魔さまの化身だなんて。もしかして…今まで何度か、助けてくれてたりした?僕昔は誘拐されたりしたけど…あんまり記憶に無い内に助けられたりしてたでしょ?」
『…蓮様には、生きてて貰わないといけませんから。』
「そっか。僕は、まだ小さかったから…きっと神様が、こんな僕でも助けてくれたんだって思ってた。」
鏡を片して、ベッドに上がる蓮。
焔は、普段着に衣装を戻して蓮の隣に座る。
『私自身は、神様でも何でもない…橘 焔です。貴方の使用人として、これからもお側に置いて下さい。』
「…うん。」
『私は、貴方をずっと想っています。…ですから』
何か言いたげな焔に
蓮も、心を読み取ろうと試みる。
「あ、えっと…僕どうしたらいい?」
目がキョロキョロして、
落ち着かない様子の蓮。
その姿が、愛らしく焔の目には映る。
『では…目を閉じて下さい。』
「ぇ……うん。」
言われるままに目をつむる蓮の唇に、焔は口付けた。
すぐに、唇を離しても
蓮は信じられない、と言わんばかりの表情で焔を見ては
頬を赤く染めていた。
『気分を害しましたか?』
恐る恐る、蓮をうかがう。
「改めて、されるとやっぱり恥ずかしいよ。いくら僕は焔が好きでも…。」
照れている蓮を、横から抱きしめる。
されるがままに、蓮は布団に倒れる。
「ねぇ、焔。僕をどうしたいの?」
『私と、共に堕ちましょう。ご主人様。どこまでも、深く…。』
それは、あまりにも突然の出来事だったから
今でも、生々しく覚えていた。
父から成人の祝いをして貰っていたあの日…。
兄は、朝まではいつもの兄だった。
お祝いをした夕食の時に
姿を見せなかった兄。
「父様、兄さんはどうしたの?」
テーブルに、沢山の料理。
今日は特別に姉様が帰って来てくれて一緒に夕食を取ることになって、僕は喜んでいた。
そんな中、兄が居ないなんて。
『焔は、支度をしている。じきにやってくるだろう。』
炭酸水を飲み、一通りの
コース料理が皆食べ終わる頃、ダイニングの扉が開いた。
「兄さん!…なんだか、今日は給仕さんみたいな格好だね?」
『蓮、実はな…これは私と焔からの贈り物として欲しい。』
兄さんが僕の隣に控えて頭を下げている。
「?どうしたの、何のマネ?」
いまいち状況がよく分からない。
けど、父様の表情も心なしか険しかった。
『蓮様、今日より蓮様の使用人として仕えさせていただく事になりました。どうぞ、よろしくお願い致します。』
これは、劇か何かだろうか?
どうしたの?
皆、姉様も…当たり前みたいな顔しないでよ。
焔は、僕の
たった一人のお兄ちゃんが
使用人?
「あの…劇してるわけなの?」
コソコソと、兄に耳うちをして様子を探る。
『まさか。私は、そのつもりで今日まで生きてきましたよ。恩に報いるのは当たり前です。橘財閥を担うであろう、蓮様をお世話できるのは…光栄です。』
皆、どうしちゃったのかな。
ねぇ…まさか、僕だけが
もしかして焔の思いを知らずに今まで生きてきたとしたら。
それは、大き過ぎる罪だよね。
僕の頭は、考えが追いつかなくて…弾けるんじゃないかと思った。
「僕…僕は…、」
ガッ、と椅子を後ろに下げてダイニングを出た。
『蓮様!』
あぁ、もう…
兄は兄じゃないなんて、
僕は、すっかりぬるま湯で
浮かび続けていた代償を胸に突き立てられた。
信じたくない。
皆、そんなつもりで今まで兄と生活していたんだ。
姉様でさえも。
まるで、「いい事をしている」というような目で
兄をさっきは見ていた。
僕の知らない間に
家族は家族じゃなくなっていたのかもしれない。
形を歪に変えていたなんて。
自室のベッドに戻る。
フカフカのベッド。
淋しくて、何度も兄と一緒に寝ていた思い出。
使用人だなんて…
目から伝う熱い涙の雫が手の甲に落ちる。
「ねぇ、焔…僕は、うぅん。僕が生まれてしまったから先に、この家の養子になった焔が…?」
ベッド横にある、写真立てを手にする。
僕と焔がテニスをしていた頃の写真だった。
この頃は、特に焔に
べったり甘えていて、四六時中一緒に居た。
だって、自慢の兄なんだ。
勉強、スポーツも得意で
優しく面倒見の良い。
極めつけは、モデルみたいな外見だろう。
幼いながらに、僕は
焔を誇らしく思っていた。
どこに行っても人目を引く。
コンコン、
ドアが、ノックされた。
『蓮様、よろしいでしょうか?』
「ぁ…うん。いいよ。」
ぐすっ、と涙をハンカチで拭いた。
『失礼致します。』
丁寧にお辞儀をして部屋に入る焔。
小さなワゴンを押して来たようで。
「どうしたの?」
『今日は、蓮様のお誕生日でしょう。ケーキを主役が召し上がらないのも、寂しいものですよ。お腹は、いっぱいですか?ノンカフェインの紅茶も、ご一緒にいかがです?』
屈んで、小さなテーブルに
切り分けられたケーキの皿を静かに並べる焔。
「!わぁ…。嬉しいよ、ありがとう。まだ少しなら食べられそう、ケーキなら、別腹だよ。」
優しい気遣いに、自然と笑みがこぼれた。
やっぱり、大好きなんだよ。
自分でも分かってる。
『おめでとうございます。ご成人。ご立派に成長されましたね』
ベッドから、椅子に移り
テーブルの紅茶に手を伸ばす。
「僕は…ずっと変わらないで居られると思ってた。それが、こんな事になるなんて。」
冷え切った指先に、ティーカップの熱が伝わる。
『ずっと…蓮様が産まれてから私は望んでいたのです。貴方を支えられるようになりたいと。貴方を守る事が私の使命なんじゃないかと。そんな思いで今まで生きて来ました。貴方が跡継ぎになられて、私が潰えるまで…傍に置いていただきたいのです。』
ゆっくりと紅茶を味わい、
なんとなく気持ちが落ち着いた気がした。
「ケーキまで、ありがとう。いただきます。」
苺のシンプルなデコレーションケーキ。
小さい頃から、誕生日となればこのケーキでお祝いをしたものだった。
甘みが少し控え目のクリームとスポンジが口の中で溶ける。
「うん、美味しい…。あのさ、僕は焔がどこにも行かないなら、それでいい。だから、これからもヨロシクね?」
苺をフォークに突き刺して焔の口元に差し出す。
『…蓮様。ありがとうございます。』
屈んで苺を口にして
なぜか気まずい表情を
焔は浮かべた。
『私が、こんな事をして貰っては…いけないです。使用人ですから。』
「いきなり、そんな事言われても…僕戸惑ってるよ?だからせめて、少しずつ変えていってくれないかな?じゃないと…なんだか寂しいよ。」
確かに、いつかは分からなきゃいけなくなる。
だって、望まれる後継者は
たった一人。
焔は、ずっと後継者になるために育てられてきた。
「僕は、後継者なんだろうけど…全然担う気持ちがまだ無いし。それに、僕の使命は他にあるんだよね。」
黒、白、グレーが混じった髪の焔。
一目見た時から、無性に切ない気持ちになる。
それは、いかに焔が
世の大人に酷い目にあわされたかを想像してしまうからだろう。
なんて、切なくて愛しい。
とても気にかかる存在なんだろう。
本能で、惹かれている。
恋では、無いかもしれない。もっと、深く重い感情が強い。
『今は、それでも構いません。ですが、じき蓮様もお気持ちが変わりますよ。』
「だと、いいなぁ。」
『貴方は、少し本気になればすぐ何でも出来るはずですからね。』
今までそれを誰より近くで見て来た焔が言うんだから。
「焔、僕…ね?時々不思議なんだよ。僕の存在を理解してくれる人がいるのは、嬉しい。けど、常人にはやっぱり信じられないみたいなんだ。だから、焔はやっぱり人間じゃ…ないんじゃないかって。焔の過去には謎が多いし。」
『…蓮様、またそんな夢みたいな話を。本当に貴方は、いつまでも無垢で。私も貴方みたいな人が弟で、ものすごく幸せだったんです。私の、どんな嫌な記憶も…貴方を見ていると薄らいでいきました。貴方は葵様の鏡が無くても浄化する能力を元よりお持ちです。』
「そんな…。」
『まさか、蓮様は気が付いているかもしれません。』
『全く、蓮は相変わらず凄まじい直感力だな。霊力だけは一族の中でも、一番強いからな。』
『葵様、蓮様には…本当の事を言わせて下さい。』
『ふざけるな。お前が閻魔の化身だと言えるわけないだろう。』
『…しかし、蓮様はうすうす分かり始めてます。』
『だから言えない。証拠を持ってきた訳でもあるまいし。早まるな。とにかく…自分からはバラすな。』
『では、言い当てられてしまうと私は正体を明かしてしまいますが…。』
『その厄介な仕組みは、まだ健在か、いいだろう。仕方あるまい。』
『蓮様、貴方になら…自分を見せてしまいたい。』
先日、葵兄様が来ていた時に僕は
聞いてしまったんだ。
兄だと思っていた彼の正体を。
まさか、とは思った。
けど、地獄に行き来できる葵兄様が近くにいたりするくらいだから、事実なのかもしれない。
閻魔さまの化身だなんて…
でも、どうして僕の兄になったのか。経緯が不明すぎる。
「焔、お願い…。焔は本当の事だけ僕に教えて?焔は、閻魔さまの化身なの?」
ギュッと拳を握りしめて
意を決して聞いてみる。
『…蓮様、なぜそれを⁉︎』
「ごめんなさい。この前ね、葵兄様が来た時に焔と会話してるのを聞いちゃったんだ。閻魔さまなの?」
じっと焔を見上げる。
焔の顔が優しい表情に変わり、微弱な光が焔を包んで居た。
心から、綺麗だと思わせる鮮やかな衣装に身を包む閻魔が目の前にいる。
「…‼︎」
『名前を言い当てられてしまうと…姿を現してしまうのです。』
「なにそれ、素敵な着物…。わぁ、焔カッコいい。」
『何を呑気な…蓮様、貴方が私の名前を呼んでしまったから私は本当の地獄の閻魔さまの元に帰らないといけません。』
深刻な事態なんだと、自覚するまでに時間を要した。
「なんで?」
『もう、あちらの本当の閻魔さまには気付かれたと思いますから。報告しないと。』
「僕も、行きたい。」
『駄目です。』
「イヤだ!だって、もう焔こっちに戻らないつもりなんでしょ?それ位…僕にも分かるよ。」
今にも泣き出しそうな蓮を見て、焔が溜息をつく。
『連れてはいけませんが…葵様の鏡を通して会話なら出来ます。』
「!じゃあ、僕にも閻魔さまとお話させて?…お願い。」
両手を合わせてお願いされると無下にできないのが焔だった。
『…分かりました。では、私は先に報告を済ませます。私が戻ってからその鏡で、あちらと会話しましょう。』
そう言って、焔は
あっという間に姿を消した。
「すごい…僕なんかより焔の方が神力もありそう。」
ドキドキしながら待つこと数十分。
『…何だか笑われました。』
「ひあっ⁈びっくりした。遅いから寝そうになってた。」
何の予兆無く現れる焔に驚いて椅子から飛び起き、焔に駆け寄る。
『ちゃんと戻りましたよ。後、閻魔さまは私と蓮様の関係に対しては反対されてもいませんでした。反対だったら蓮様の魂の監視役に付けたりしない、と仰いました。』
焔に抱きとめられて、無意識に蓮の頬が緩む。
「たましいの、監視役?」
聞きなれなくて、ピンとこない蓮を見て目を細める。
『はい。蓮様の魂は幾度となく転生を繰り返されておられます。それを私は傍で見ている役目だったのです。私は私の本当の姿を明かせない事になっていましたが。葵様は最初からお気付きで、婿入りされた際には早々に問われました。彼からすれば閻魔さまと同じ匂いらしいのです。そこで、彼には秘密を守って貰いました。そうして無事貴方が成人されて、魂が形成保持された今…本来なら正体がバレてしまったのであちらに帰らなければいけません。しかし、閻魔さまに蓮様が直接お話をされたいと言われ私は驚きました。まさか、蓮様の想いがここまでとは…。』
「僕は、大切にしてもらったから…。」
鏡を、覗き込むと
いつもは何も映らないはずが今日は見知らぬ男の人が映っている。
顔は、焔そっくりだけれど
髪は燃えるように紅い。
「わっ、はっ…初めまして!橘、蓮です。焔には本当にお世話になっています。」
緊張しながら鏡に話しかける蓮を、隣で焔が
じっと見ていた。
『葵様に、やはり似ているな。蓮様は、焔を大切に思ってくださっているようで。有難い話です。それは、私の化身ですがまだまだ未熟で…もしかしたら蓮様にご迷惑をかけたりする事もあるかもしれませんが?』
「迷惑かけないで生きる方が無理です。僕は、焔の力になったり…支えになれるように在りたい。だから、僕から焔を奪わないで下さい。」
痛切な蓮の訴えに
焔の胸も熱くなった。
『…焔、お前の蓮様はお前の誇りだな。蓮様、いずれこちらに遊びに来て下さい。貴方にはその資格があります。お待ちしていますよ。』
綺麗な笑みを浮かべて
鏡に映っていた閻魔が
消えた。
「…そういえば、葵兄さまの鏡があれば地獄にも行き来できるって、聞いたことあったよ?」
『……蓮様、地獄は危険なんですよ?貴方を誰とも知らずに襲ってくるような者が、その辺を徘徊しているんです。閻魔さまと対面出来るかも危うい。貴方が正式に呼ばれるまでは、知られたくは無かったのです。』
焔は、焔なりに
いつだって蓮を心配している。
「…焔、僕は大丈夫だよ。でも、一緒に行こうね?地獄へ行く時は。」
見慣れない美しい着物に
身を包む焔を蓮が
まじまじと見つめる。
「やっぱり、焔って何着ても似合う。不思議だなぁ…焔が、閻魔さまの化身だなんて。もしかして…今まで何度か、助けてくれてたりした?僕昔は誘拐されたりしたけど…あんまり記憶に無い内に助けられたりしてたでしょ?」
『…蓮様には、生きてて貰わないといけませんから。』
「そっか。僕は、まだ小さかったから…きっと神様が、こんな僕でも助けてくれたんだって思ってた。」
鏡を片して、ベッドに上がる蓮。
焔は、普段着に衣装を戻して蓮の隣に座る。
『私自身は、神様でも何でもない…橘 焔です。貴方の使用人として、これからもお側に置いて下さい。』
「…うん。」
『私は、貴方をずっと想っています。…ですから』
何か言いたげな焔に
蓮も、心を読み取ろうと試みる。
「あ、えっと…僕どうしたらいい?」
目がキョロキョロして、
落ち着かない様子の蓮。
その姿が、愛らしく焔の目には映る。
『では…目を閉じて下さい。』
「ぇ……うん。」
言われるままに目をつむる蓮の唇に、焔は口付けた。
すぐに、唇を離しても
蓮は信じられない、と言わんばかりの表情で焔を見ては
頬を赤く染めていた。
『気分を害しましたか?』
恐る恐る、蓮をうかがう。
「改めて、されるとやっぱり恥ずかしいよ。いくら僕は焔が好きでも…。」
照れている蓮を、横から抱きしめる。
されるがままに、蓮は布団に倒れる。
「ねぇ、焔。僕をどうしたいの?」
『私と、共に堕ちましょう。ご主人様。どこまでも、深く…。』
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