5 / 6
⑤おかえりなさい
しおりを挟む
僕が大学院を出る頃、大好きだった林泉古書店は
50年の歴史に幕を閉じた。
最後の営業日には、僕は花束を持ってお爺さんに
会いに行った。
雪ちゃんは、2階にいるものの下りては来なかった。
自分が関わった人が、遠からず嫌な目に遭う事だけは見過ごしたくないと
考えてはいたものの。
再開発計画は企業と自治体という大きな力で既に該当区域を
変えて来ている。
お爺さんは、雪ちゃんの両親が住む離島・元はお爺さんの生家に
帰る事となった。
お互いに、当たり障りのない言葉を交わして
僕は精一杯の感謝を伝えた。
この古書店が無ければ、僕の運命も人生も今とはかなり大きく
違っていただろう。
『遠江くんには、辛い思いをさせてしまった。』
「そんな、…僕が知らなかったとは言え、本当に…お爺さんにもこの書店にも
何度も勇気づけられてきました。居場所の様に感じていたんです。」
『子供の頃から、熱心に来てくれてありがとう。じゃ、後はあの部屋の
本の虫をよろしく頼む。』
「お邪魔しても良いんですか?」
『勿論。この裏の階段を…って、もう知っておろうが。』
「はい、ではお邪魔します。」
お爺さんの前を失礼して靴を脱ぎ、携え
勝手口の手前に靴を置かせてもらう。
よく照りのある木目の廊下。
上がる時、蹴込み板の無い木の階段から廊下が見える。
まじまじと見た事は無かったけれど。
僕は、この家で昔から暮らしてみたいと思っていた。
おかしな話かもしれないけれど。
「千代くん。」
雪ちゃんの部屋の前で声を掛ける。
お爺さんが言うには、臍を曲げている。と言う事らしい。
それもそのはずだった。
僕は雪ちゃんと会うのが、久し振りだからだ。
かなり中途半端な状態の時期に、海外で論文発表を行った際
とある大学の教授から声を掛けられていたらしく
帰国からしばらくしてコチラに連絡が入った。
なので雪ちゃんには勿論相談もしたし、留学の話が出ている事を
伝えたら、行かないとダメ。とチャンスはある時に活かすべきだと
背中を押された。
1年間の留学を経て帰国。
帰国してからも、日々論文と研究に追われながらも
僕は修士課程を2年でなんとか卒業できた。
『…遠江さん?』
きみの名を呼ぶ事さえも、久しぶり過ぎて。
僕は、そろそろ色んな大切な思い出が消えていく事に
心が壊れそうだった。
ドアが開いて、久し振りに見た雪ちゃんの髪は
「髪、伸びたね…似合ってる。」
『うん。今日…遠江さんの顔が見れたらまた、切ろうって思ってました。』
「切らなくても良いよ、綺麗だよ。」
『…だって、もう春だし。』
目の前の恋人の瞳が、きらきらする様を僕はただ
見惚れていた。
いかに自分がバカな選択ばかりして来たのかよく分かる。
僕は、一番大切な存在を置き去りにしていたのだと。
それなのに、雪ちゃんは以前と変わらない澄んだ瞳で
自分をその瞳に映し込んでくれている。
考えるより思うより早く、雪ちゃんを抱き締めた。
『…!お花、潰れる…海月さ…』
自分勝手な僕は、また自分勝手に泣いていた。
僕の背中をあの時よりも優しく強く、雪ちゃんが腕で
抱き締めてくれる。
「ごめん、結局…僕は何も出来なくて…」
『お帰りなさい。俺こそ、ごめんなさいです。今日でこの店も終わっちゃうんで…。
俺に問ってもきっと海月さんにとっても、同じだと思います。』
雪ちゃんは、いつもは少しだけ怜悧なイメージがあるけれど
本当は情に篤くて深い優しさを持っている。
ただ、簡単には使わないし。
遣う相手を鋭く選んでいるのだと思う。
「やっと、見つけた居場所かな?と思っていたのに。」
『…焦らなくとも、また見つければいいですよ。』
「雪ちゃん…」
『ちゃん、はヤメテください。』
「…雪緒。」
『ただいまって、言わないんですね。』
「さすがに、そこまで図々しくないよ。それは、僕の家に雪緒が来たらね。」
引っ越しの手続きは済んでいて。今は雪ちゃんが長い春休みを迎えている。
しばらくは、お爺さんの手伝いをしてから終わり次第、僕の住んで居た部屋に
雪ちゃんが越してくる。
『やっぱり、触れるって良いですね。海月さんとは文通という文字の中で
会ってばかりだったから。』
「…ぅわ、ちょっと前の事なのに思い出すと結構恥ずかしい。」
『俺、海月さんの使うインクの色や筆跡を眺めるのが楽しかったですよ。』
「きみこそ、文香を使ったり…金木製の香りをしのばせたり。随分とロマンチストだよね。」
それもこれも、逢えないが故の苦悩があるからこそ
かもしれない。
50年の歴史に幕を閉じた。
最後の営業日には、僕は花束を持ってお爺さんに
会いに行った。
雪ちゃんは、2階にいるものの下りては来なかった。
自分が関わった人が、遠からず嫌な目に遭う事だけは見過ごしたくないと
考えてはいたものの。
再開発計画は企業と自治体という大きな力で既に該当区域を
変えて来ている。
お爺さんは、雪ちゃんの両親が住む離島・元はお爺さんの生家に
帰る事となった。
お互いに、当たり障りのない言葉を交わして
僕は精一杯の感謝を伝えた。
この古書店が無ければ、僕の運命も人生も今とはかなり大きく
違っていただろう。
『遠江くんには、辛い思いをさせてしまった。』
「そんな、…僕が知らなかったとは言え、本当に…お爺さんにもこの書店にも
何度も勇気づけられてきました。居場所の様に感じていたんです。」
『子供の頃から、熱心に来てくれてありがとう。じゃ、後はあの部屋の
本の虫をよろしく頼む。』
「お邪魔しても良いんですか?」
『勿論。この裏の階段を…って、もう知っておろうが。』
「はい、ではお邪魔します。」
お爺さんの前を失礼して靴を脱ぎ、携え
勝手口の手前に靴を置かせてもらう。
よく照りのある木目の廊下。
上がる時、蹴込み板の無い木の階段から廊下が見える。
まじまじと見た事は無かったけれど。
僕は、この家で昔から暮らしてみたいと思っていた。
おかしな話かもしれないけれど。
「千代くん。」
雪ちゃんの部屋の前で声を掛ける。
お爺さんが言うには、臍を曲げている。と言う事らしい。
それもそのはずだった。
僕は雪ちゃんと会うのが、久し振りだからだ。
かなり中途半端な状態の時期に、海外で論文発表を行った際
とある大学の教授から声を掛けられていたらしく
帰国からしばらくしてコチラに連絡が入った。
なので雪ちゃんには勿論相談もしたし、留学の話が出ている事を
伝えたら、行かないとダメ。とチャンスはある時に活かすべきだと
背中を押された。
1年間の留学を経て帰国。
帰国してからも、日々論文と研究に追われながらも
僕は修士課程を2年でなんとか卒業できた。
『…遠江さん?』
きみの名を呼ぶ事さえも、久しぶり過ぎて。
僕は、そろそろ色んな大切な思い出が消えていく事に
心が壊れそうだった。
ドアが開いて、久し振りに見た雪ちゃんの髪は
「髪、伸びたね…似合ってる。」
『うん。今日…遠江さんの顔が見れたらまた、切ろうって思ってました。』
「切らなくても良いよ、綺麗だよ。」
『…だって、もう春だし。』
目の前の恋人の瞳が、きらきらする様を僕はただ
見惚れていた。
いかに自分がバカな選択ばかりして来たのかよく分かる。
僕は、一番大切な存在を置き去りにしていたのだと。
それなのに、雪ちゃんは以前と変わらない澄んだ瞳で
自分をその瞳に映し込んでくれている。
考えるより思うより早く、雪ちゃんを抱き締めた。
『…!お花、潰れる…海月さ…』
自分勝手な僕は、また自分勝手に泣いていた。
僕の背中をあの時よりも優しく強く、雪ちゃんが腕で
抱き締めてくれる。
「ごめん、結局…僕は何も出来なくて…」
『お帰りなさい。俺こそ、ごめんなさいです。今日でこの店も終わっちゃうんで…。
俺に問ってもきっと海月さんにとっても、同じだと思います。』
雪ちゃんは、いつもは少しだけ怜悧なイメージがあるけれど
本当は情に篤くて深い優しさを持っている。
ただ、簡単には使わないし。
遣う相手を鋭く選んでいるのだと思う。
「やっと、見つけた居場所かな?と思っていたのに。」
『…焦らなくとも、また見つければいいですよ。』
「雪ちゃん…」
『ちゃん、はヤメテください。』
「…雪緒。」
『ただいまって、言わないんですね。』
「さすがに、そこまで図々しくないよ。それは、僕の家に雪緒が来たらね。」
引っ越しの手続きは済んでいて。今は雪ちゃんが長い春休みを迎えている。
しばらくは、お爺さんの手伝いをしてから終わり次第、僕の住んで居た部屋に
雪ちゃんが越してくる。
『やっぱり、触れるって良いですね。海月さんとは文通という文字の中で
会ってばかりだったから。』
「…ぅわ、ちょっと前の事なのに思い出すと結構恥ずかしい。」
『俺、海月さんの使うインクの色や筆跡を眺めるのが楽しかったですよ。』
「きみこそ、文香を使ったり…金木製の香りをしのばせたり。随分とロマンチストだよね。」
それもこれも、逢えないが故の苦悩があるからこそ
かもしれない。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説


【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

【完結・短編】game
七瀬おむ
BL
仕事に忙殺される社会人がゲーム実況で救われる話。
美形×平凡/ヤンデレ感あり/社会人
<あらすじ>
社会人の高井 直樹(たかい なおき)は、仕事に忙殺され、疲れ切った日々を過ごしていた。そんなとき、ハイスペックイケメンの友人である篠原 大和(しのはら やまと)に2人組のゲーム実況者として一緒にやらないかと誘われる。直樹は仕事のかたわら、ゲーム実況を大和と共にやっていくことに楽しさを見出していくが……。

雫
ゆい
BL
涙が落ちる。
涙は彼に届くことはない。
彼を想うことは、これでやめよう。
何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。
僕は、その場から音を立てずに立ち去った。
僕はアシェル=オルスト。
侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。
彼には、他に愛する人がいた。
世界観は、【夜空と暁と】と同じです。
アルサス達がでます。
【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。
随時更新です。

【完結】婚約破棄された僕はギルドのドSリーダー様に溺愛されています
八神紫音
BL
魔道士はひ弱そうだからいらない。
そういう理由で国の姫から婚約破棄されて追放された僕は、隣国のギルドの町へとたどり着く。
そこでドSなギルドリーダー様に拾われて、
ギルドのみんなに可愛いとちやほやされることに……。

告白ゲームの攻略対象にされたので面倒くさい奴になって嫌われることにした
雨宮里玖
BL
《あらすじ》
昼休みに乃木は、イケメン三人の話に聞き耳を立てていた。そこで「それぞれが最初にぶつかった奴を口説いて告白する。それで一番早く告白オッケーもらえた奴が勝ち」という告白ゲームをする話を聞いた。
その直後、乃木は三人のうちで一番のモテ男・早坂とぶつかってしまった。
その日の放課後から早坂は乃木にぐいぐい近づいてきて——。
早坂(18)モッテモテのイケメン帰国子女。勉強運動なんでもできる。物静か。
乃木(18)普通の高校三年生。
波田野(17)早坂の友人。
蓑島(17)早坂の友人。
石井(18)乃木の友人。

僕はお別れしたつもりでした
まと
BL
遠距離恋愛中だった恋人との関係が自然消滅した。どこか心にぽっかりと穴が空いたまま毎日を過ごしていた藍(あい)。大晦日の夜、寂しがり屋の親友と二人で年越しを楽しむことになり、ハメを外して酔いつぶれてしまう。目が覚めたら「ここどこ」状態!!
親友と仲良すぎな主人公と、別れたはずの恋人とのお話。
⚠️趣味で書いておりますので、誤字脱字のご報告や、世界観に対する批判コメントはご遠慮します。そういったコメントにはお返しできませんので宜しくお願いします。
大晦日あたりに出そうと思ったお話です。

目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる