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心の距離

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「礼緒くん…だよね?」
10年ぶりの再会なのに、僕ときたら
髪は濡れたままで、
『昼間から風呂でも入ってたのか?』

「さっき、来たばっかりで。暑くってさ。それよりも、
久しぶり。ウチに、来るなんて…どうしたの?」

入る?と自然と僕は、礼緒くんに促している。

『おばさんに、聞いた。今日お前が帰って来るって。で、ウチで穫れた野菜も持ってきた。』

母親が、礼緒くんに僕の事を話しているだろうとは予想していた。
かご一杯の夏野菜を、受け取って僕は台所へと運ぶ。
その間に、礼緒くんは居間に来ていた。

「たくさんありがとう…今まで、僕の方にも一緒に届いてたんだね。」
『…お前の家は、畑は無いから。おばさんも定年したら分からないって、言ってたけどな。』

現実的な話が交わされる中で、僕は礼緒くんにお茶を入れて出した。
「ね、あの葉書…何だったの?」
『あれは、姪っ子と遊んでて書いたんだ。葉書を書きたい相手って…悠里しか思い浮かばなかった。』
「…礼緒、今日は休みなんだ?今どこで働いてるの」
『質問ばっかだな、…俺の事知ってどうするんだ。』

バツの悪そうな顔で、礼緒くんが僕を見て笑う。
「ぁ、…そうだよね。ごめん。」
『俺は、家の農業を継いでる。俺も、聞いていいか?』
礼緒くんの瞳は、少しだけ緑がかった茶色をしている。

僕が、瞳に映し続けて来た恋しい色を思い出す。
「うん、何でも聞いてよ。」
確かに、仲たがいをして別れてはしまったけれど。
僕は、なんとも思ってはいなかった。
古い傷ではあるけど、10年ぶりに礼緒くんを見て
心は、穏やかだった。

すっかり、大人の顔立ちになっていて
僕なんかはまだ頼りなく思われそうなほど。

『帰って来る気になったなら…、もうここに戻らないか?』
僕は、耳を疑った。
「…礼緒くん?」
夏用の座布団で脚についた痕を触りながら、僕は
何て返したものかと視線をさ迷わせた。

『お前にも、仕事があるだろうが…もし、何かに迷ってるなら選択肢として考えてみてくれ。』
「困るよ…急に、あ…人手が足りないとか?」
『それもある。』

乾かすタイミングを失って、ふにゃふにゃの髪を耳に掛けながら
僕は思い悩む。
「ありがとう、もし…帰る気になったら。その時はお願いしたいな。」
穏便な答えこそが、正解な気がして。
『そっか。…にしても、お前昔と全然変わらないな。へにゃってる。』
「礼緒くんも、相変わらず失礼だよね。」
『お前のへにゃへにゃは、嫌いじゃないけどな。』
「よかった…。」

礼緒くんは、つっけんどんだけど真っすぐで、案外世話焼きなところもあり
昔から大人にも信頼されるタイプだった。

『廃校になった、小学校な…夏休みの間だけ絵や工作の教室をしてるんだ。だから、
出入りが出来る。お前も、時間があれば見に行くだけでもどうだ?って、誘いたかったんだ。』
「僕も、いいの?」
『あぁ、俺も工作づくりを手伝ったり。地域の人が何人かで参加して子供に教えたりしてるんだ。
悠里、確か絵が上手かっただろ?』

絵なんて、ここ数年真面目に描いてもいない。
時々、職場で描いたりすることもあるけど。
「僕を、ここに呼んでくれたのは礼緒くんなんだから。もちろん、嫌じゃなかったら…お邪魔させて
もらいたいよ。」
『…いつまで、居られるんだ?』
「3日間だけだよ。あ、待って…礼緒くんにお土産があるんだ。」

台所の冷蔵庫から出して来た、箱菓子を礼緒くんに渡した。
『気ィ遣うなって。…お前、おばさんと似て来たな』

静かに笑う礼緒くんを見て、僕は一瞬言われた意味が分からなかったけど
どこか気恥ずかしくてうつむいた。
「やめてよ、なんで…父さんじゃなくて母さんの方?」
『…何ていうのか、一人でこまごましてて見てるのが面白い。』
「わー、それ恥ずかしい奴じゃん。」

『ありがとうな、こっちが持って来たってのに…。さて、そろそろ戻らないとな。
俺が言うのもなんだけど、ゆっくりして行けよ。』
「礼緒くん、ウチに来てくれてありがとう。久しぶりに顔が見れて、ホッとした。」
立ち上がる礼緒くんが、僕のまだ湿った髪を撫でて
『俺も…。お前のそばかす見て、久しぶりに子供の頃思い出した。そんじゃな…。』
僕が、玄関先まで見送ると
あどけない笑顔を見せて、帰って行った。


僕は、僕の気持ちをまだよく知らない。
礼緒くんが、喜ぶと僕も嬉しい。
悲しむと、一緒になって悲しむし、
一緒になって怒る時もあった。

僕と、礼緒くんは感情を共有する存在だった。

僕は、大人になった礼緒くんが眩しくて
眼がくらんでしまう。

あ、しまった。礼緒くんの連絡先を聞くの
忘れてた。でも、家は目と鼻の先だから帰る時でもいいかな。

がらんとした、居間から洗面所に向かう。
鏡に映る自分の姿を見て、僕は今しがた礼緒くんに
撫でられた髪を乾かすことにした。

なかなか、癖が取れなくて苦戦しつつ
あぁ、僕は嬉しかったんだと
時間差でやって来た喜びに、一人で
嬉しくなっていた。

その日の夜、僕は夕涼みに散歩に出た。
蛍狩りを楽しむつもりだった。
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