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予感

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「朝から、ぶーたれてんなぁ…。まだ怒ってんのか?」
昨日の今日だから、そうも簡単には気持ちが切り替わらないだろうとは
思っていただけに。

『いつでもどうぞ、だなんて思ってられるのも今の内だからね!』
今日の朝食は朝から粕谷が作ってくれた。
『今日は、洋食で食べたかったんだよね。トーストとサラダとコーヒーと。』
キッチンに立つ姿は、パッと見教え子には思えない。
ワザとらしくないエプロンをして、生活の一部を感じさせる
粕谷の行動に俺は視線を注ぐ。

独り立ちするまで、きっと苦労も多かっただろう。
一番困っている時に、傍にいられなかった自分を情けなく思う。
頼る事もせずに、今を暮らしている所を見ると
粕谷の精神的な強さを大いに感じる。

席に着いて、給仕の終わったテーブルの上を見ると
『一緒に食卓を囲めるってだけで、俺は嬉しい。』
何気ない言葉に思えて、どれだけの想いがこもっているのかといるのか。
チャラチャラしてそうで、実は生真面目な粕谷は手を合わせる。
一人の時も、同じ様にして来たのだろう。

「ありがとう、千都。」
粕谷は、落ち着いた様子で少しだけ顔を傾いで頷く。
黙ってれば、本当に可愛げがある奴なだけに。
勿体ないとまでは言わないけれど、明るく元気な粕谷も
確かに、存在して。
あの一面が無かったら、俺とこんな関係にもならなかっただろうと思う。


『良いよね、午後から出勤だなんて。俺とあんまり変わらないよ。』
自室にて今日の準備をしてると、洗い物を終えた粕谷が
部屋にやって来た。ドアでの仕切りが無いに等しいから、
話し掛けられる事に慣れていない事に、気が付く。
「洗い物までしてくれなくていい。」
『ん、でも…溜まってるの気になるんだよね。』
「お前は、どの…位置づけなんだろうな。」

不意に出た言葉に、粕谷は一瞬考えて
『したいから、してるだけだよ。関係性とか位置づけってそんなに大事?』
何事も無かった風に微笑む。
「それじゃ、俺はお前に何をしたらいいのかって…考える。」
『楽しくない?好きな人に、あれこれ考える時間が楽しいって思わないの?』

こればっかりは、互いの恋愛観や価値観の領域の話になって来る。
「楽しいより、重みや色濃さばかり気になるんだよ。」
『難しいね。…でも、俺はさ~したくない事はしない。それだけだよ。』
言われてみれば、確かな事だった。

「でも、本当にここに来るんだったら、この部屋も何とかしないとな。」
『同居人、としてって事だよね…。』
「…何だ?妻とでも言うか。バレ、ない事もなさそうな」
『もぉ、馬鹿言って~…どの基準で言ってるの?』
まんざらでもなさそうに笑う粕谷が可愛くて、サッと手を伸ばすと自分から撫でられに来た。

「本当に、綺麗な髪の色だな…。で、よく似合ってる。」
『へへっ…、そんなに気に入ってくれてるんだ?』
優しい髪の質感が、俺の指に絡みつく。

「昔、お前が一度新学期に脱色したまま登校してきただけで大騒ぎしてたのが、今じゃ
素直に綺麗だって思える。」
『怒られても良いから、耀司に…見て欲しかったもんねー。懐かしい。』
手を焼いた生徒はずっと忘れない。
ましてや、好意をそのまま表現するような生徒だったなら余計にだ。

そろそろ、家を出る時間に差し掛かり俺はスーツの上着を着込んでいると
『行っちゃうの?…寂しいけど、見送りはさせて。』
俺の後ろをついてきて、玄関前に来ると目をつむる。
「戸締りだけは、しっかりな。…って、聞いてるか?」
『……』
「(この顔、写真を撮りたいほどに可愛いんだよな)」
静かに唇を重ねてから、ハグをする。
しっかりと抱き着いて来るかと思ったら、意外にもすんなりと離れていく
粕谷を意外に思う。

『…俺も、帰りは少し遅いから。先に寝てて。』
「夜道、一人か?」
『そりゃぁね…。タクシーなんて使わないし。』
「心配だな。」
『大丈夫だよ。俺も、早めに帰れるように頑張る。』
次に、粕谷と会うのは明日の朝なのかと思うと
「長いな…。」
らしくない言葉が浮かぶ。

粕谷は、ほんのり笑いながら見送りをしてくれた。
いまだに、キスをした後にはどこか恥ずかしそうと言うか。
嬉しそうにしている姿が、初々しかった。

俺が、勤務中にメッセージが届く事はほとんど無い。
粕谷は、それなりに気を遣ってくれているのだろうと察する。
俺からのメッセージの返信には、相変わらずスタンプやハートマークが
画面に乱舞している。

粕谷は、夕方前から出勤して日付が変わる頃に帰宅する事が大半だ。
帰宅時間が、時期によっては重なる事もあるかもしれない。
今まで、早く帰宅する事はそこまで頭に無かったけれど
俺の後に、粕谷が帰宅する事を考えると気持ちが違う。
より、集中して授業にも取り組める。
時間の流れの速さを、実感するばかりだ。

住む家にそこまで深く拘らなかったのが、良くも悪くも影響していて
鍵をもう一つ用意しておけばよかったと後悔した。
『鍵ー?あ、預かるのは荷が重いからどこかに隠しておくのがいい。』
と粕谷に言われたのを思い出す。

荷が重いのか…。
粕谷にとって、あまり負担の無いようにと考えていたのに
想いとは、逆の方向に行っている気がした。
「ポストの中か…」
共有スペースにポストいくつも並んでいる。帰宅時は深夜だから、ポストのダイヤルを回す事にも
気を遣う。

鍵を回収してから、部屋の鍵を開けて家の中に入る。
真っ暗な部屋の中で、玄関に最初は電気をつけて靴を脱ぎ部屋に向かう。荷物を
椅子の上に全部降ろして、すぐに風呂のお湯張りをする。

食卓に並ぶ器に気が付いて思わず声が出た。
「マジで…?」
さすがにここまでして貰う事に気が引けるし、自分が準備しようとしていただけに
申し訳なくなる。
とりあえず、鞄からスマホを取り出して
「……?」
着信が数件あった事に気が付いた。
相手は、この前同窓会の幹事として連絡をくれた、同級生の弥浦だった。
こんな時間では、もう折り返しも出来ない。
明日にでも、掛けてみよう。

先に入浴を済ませてから、粕谷が用意してくれた夕食を食べていると
『ただいまぁ~』
と、粕谷が帰宅した。すぐに、粕谷は風呂場に消えて
俺が夕食を終えて、落ち着いた頃にリビングに戻って来た。
「食事まで作ってあるとは、思わなかったから…驚いた。」
『お口に合えばいいんだけどね…』
「自分の料理が、美味しくないって言っててコレか。」
『…味気ないからさぁ。一人で食べるご飯って。』

粕谷が言いたい事は、なんとなく理解できる。
「もう少し、俺が待ってればよかったな。」
『そんな事は、しなくていいよ。無理しないで…』
「…千都、ちゃんと髪乾かしたか?」
『うん。一応はね。何?どっか変?』
「いや、ゆるーいパーマっぽくなってるから。」
『あぁ、ちゃんと伸ばせてないだけだよ。』

ゆったりと箸を進める粕谷は、食べ方が綺麗だ。
「そう言えば、近い内に俺の通ってた中学の同窓会があるんだよ。」
粕谷は、俺をジィッと見つめてくる。
『い、くの…?』
「…幹事から連絡が来てた。出れなかったけど、授業中で。」
『中学かぁ…まぁね、年月は経ってるもんね。』

粕谷は、歯切れが悪そうにしながら
『絶対、女の人が寄って来るよね~。焦ってそうな感じでさ。』
「おいおい、偏見だろ…それは」
『だっ…て、耀司は誰にも渡したくないんだもん。』

あー、またコイツは。無自覚でやってくれてんだろうけど。
「俺は、信用されて無いみたいだなぁ。」
『じゃなくて…だって、俺が女の子だったら、耀司みたいな人が居たら…ね?意味分かるでしょ、』
「狙う、と…?」
『そこまでは、言わないよ~タイプなだけだし。』
いやいや、また充分すぎるリップサービスだろうに。
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