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綺麗な笑顔の下

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こうして会いに行くことになるのは、かなり不本意だった。

相手は、領主で

こちらは使者。

全然対等なんかじゃ無い。


お目通りが、すんなりと叶い案内された先に鎮座している男に俺は

目を見張った。

あまりに、清廉とした

たたずまい。

真っ直ぐな瞳。

綺麗だ、と感じさせる

容姿。


「あっ…」

『…陸奥殿。お待ちしておりました。さぁ。どうぞ、こちらへ。お若い方がいらして驚きました。私は、十和田藤里と言います。』


静かなのに、力強さも

感じる声で名前を呼ばれ

恐縮さえする。


「お初にお目にかかります、陸奥北斗と申します。どうぞ、お見知り置きを…。」


その場に座して、深々と頭を下げる。


『あぁ…堅苦しい堅苦しい。いいですよ、普通に話しましょ。実はこちらも代理ですから、父の。それで、今日は互いの仲を深めたいという父の意向で、手前が陸奥殿のお相手を…という事に相成りました。』


気さくな笑顔で笑う、

ピリリとした空気かと思えば…何と心地良い物に変わる事か。


場が華やぐ、とは

彼のような人を指すのだろう。


「左様ですか。些か緊張してしまいますね。十和田殿には。」


『陸奥殿、顔が赤らんでいますが…大丈夫ですか?』


無自覚な所を、心配されて

思わず、苦笑いが出る。


「はい。あの…それで領土の話ですが…」

『食事でも、どうでしょう?和やかに私は進めたいたちでして。』


うまく、乗せられてしまうのではないかという杞憂を抱えながら、用意された

御膳に手をつける。


『酒は、やりますか?陸奥殿。』

さ、と

酒を勧められて

断る事も出来ない。

両手でお猪口を受けながら

酒をついで貰う。


ゆらゆら、自分が

酒に映る。

ぐっ、と飲み干す。


『良い飲みっぷりで…感心しました。』

「いける口って、奴ですかね。」


はぁ、と息をつく。

胸の辺りが焼けるように

熱い。

『イイですね…潔い人は好きですよ。』


なんだか、楽しそうな

十和田さんをジッと見つめる。

『では、私も頂きます…。』


こちらから、次は十和田さんに酒をつぐ。

美味しそうに飲み干す。

「十和田殿、失礼ですが…奥方は?」


『残念ながら、自分なんかの元に輿入れしてくるような人には、まだ会ってもいませんよ。致し方ない話です。家督の事も、自分の事も…誰が好んで…』


どうやら、いきなり

会話の選択を俺は間違えたかもしれない。

相槌もうてないし、

気安く否定するのも

何を知っててそう言えるのか。と、迷う。


「すみません、藪から棒に。いえ、こちらも同じですよ。どうにも、そそっかしい自分をしっかり律してくれそうな人を…なんて。都合のいい事を考えてました。十和田殿の麗しさに、なびかない女人などいないでしょう?」


『…顔は、模様みたいなものですよ。自分は、たまたまこの顔なだけで。この模様を嫌いな人も必ず居る訳です。そして、陸奥殿の模様は自分の好みです。』


にこりと、人に向ける自然な笑顔。

あぁ、多分この人は

本心を簡単には晒さない。


何て処世術に長けているんだろう。まずは、相手の懐に容易く入り込む。

そうだ、出方を窺っている。


「お料理、どれも美味しいです。十和田殿は毎日このように美味しい料理を?」


『これは、ほとんど自分が作った物ですよ。…もしかしたら、陸奥殿の食事には毒が入っているかもしれない…なんて。』


とんでもない事を、

あっけらかんと言われて

箸が止まる。


『勿論、冗談です。少し過ぎた冗談でしたね。申し訳ない。』


冷や汗が、こめかみを伝う。

指先が冷えている。

じっ、と十和田殿を見る。


「私をからかっても、面白くなどありませんよ?」


悪趣味な人だ。

『貴方の本心、いや…本性を見たくて、つい…。』


「本心も、本性もありませんよ。私は、このままの人間です。貴方の目に映る姿のままですよ。試さなくても、伝わりませんか?」


『明確に言います。貴方は私の目の上のたんこぶみたいな物です。それは、お互い様ですが…では、それを上手く行かせる為には、どうしたら良いでしょう?』


「仰ってる事が、よく分かりません。」

思わず首を傾げると、

箸で指し示すように

十和田殿が私の頭を示す。


『少しは、頭を使え。ここは、十和田の地だ。そして、お前はただ一人。多勢に無勢。と、考えたりはしないのでしょうか?』


…恐い。

美しい顔が、何か末恐ろしい事を発している。

あんな、優しい顔をして。


「………。」

血の気が引くのが自分でも分かる。

十和田殿の顔が、醜く歪む。

もう、逃げ場は、無い。

丸腰だし。



ふっ、と意識が絶たれる

音が聞こえた気がした。

俺は、極度の緊張状態で

失神してしまった。


『陸奥殿!』





全身の力が抜けてしまい

失神した俺は、十和田殿の手によって、客室に運ばれた。


生理的な涙が出ている北斗のそれを、藤里が指先で掬う。

視界が、真っ白で定まらない。衣服を緩められたせいか、若干圧迫感は

軽くなっていた。


ちらっと、横を見れば

藤里がいた。

彼は、俯いていて

顔は、よく見えなかった。

だが、なんとなく落ち込んでいるような雰囲気だけは

ひしひしと伝わって来る。


「…十和田殿」

後に続く言葉も思い浮かばないが、藤里を呼ぶ。


『陸奥殿!…気がついたか。良かった、本当に良かった。今、薬師を呼びます。』


「否、…今すぐ帰ります。私は使者ですから。伝えるべき方に報告する義務があります。心配を掛けたくありません。」


藤里は、今になって自分のした事の重大さを身に染みて感じていた。


『ならば、陸奥殿を屋敷まで送り届けさせて下さい。でなければ、折角来て頂いた貴方にも申し訳ない。』


深々と頭を下げる藤里の姿は、どことなく見ていて

辛いものを感じた。


「私は、貴方とも…十和田の地の方々とも仲睦まじくありたい。そう思い、こちらに参りました。貴方も、同じ気持ちであったなら、どんなに喜ばしいか…と。」


身体が、震える。

十和田殿がやはり恐い。

それに気付いたらしい

十和田殿が、やんわりと背中を撫でてくれる。


『私を…恐がらないで下さい。もう、あんな事は言いません。陸奥殿、貴方は本当に私を狂わせる。』


「十和田殿?」

温かな手で撫でられて、

安心してしまう。

ゆったりと、心地いい。


『陸奥殿、少し衣服を緩めさせてもらいましたよ。息が上手く出来ない様子だったので。』


さっきとは、打って変わって優しい態度の十和田殿にさえ戸惑う。


「あっ…の…」

『ん?起きますか。』


言われる言葉に頷いて、十和田殿の肩を借りて起き上がる。


『本当に…帰るのですか?』

「はい。遊びに来た訳じゃありませんし。」


『もう、夕方です。危ないですよ?夜道は。明日にしませんか?私も心配です。』


「…十和田殿。」

こんなに引きとめられては

確かに迷う。

もう、日が落ちかかっている。

「…分かりました。では、厄介になります。」


『!陸奥殿、良かった。』

寒くないように、と肩に羽織りを掛けてくれる

十和田殿が、嬉しそうに笑う。

「うっ…!」

その笑顔を見ると

胸がチクリと痛んだ。



ぽーっ、とする頭で十和田殿を見つめる。

真剣な表情だ。

『陸奥殿、私はどうやら…陸奥殿が…』


皆まで言われなくても

何と無くは察していた。

あたりの強さも、無意味な意地悪さも

目は嘘を付かない。


「でも、それに何の意味があるというのですか?貴方は恐ろしい人です。」


『…私も馬鹿ではありません。毎日このように最近は領土をめぐって、使いの者が来ます。酷い時は、女を差し出す事もある。それを私は見分け無いといけない。陸奥殿は、嘘さえつけないような人柄でしょう。』


「嘘を付かないとは、言いませんが…付けないタチではあります。顔にすぐ出てしまいますから。」


『陸奥殿を捕縛して、取引きさえ私は出来ます。貴方一人の力など…そんなもの。』


悔しいけど、私には

何も無い。

ただ、受け入れて

信ずる事は出来る。


「十和田殿は、そんな方に見えません。一目見て分かりました。貴方は、からかうのが好きで煙に巻くだけ。本当の事から逃げてしまうのは、好機を逃すも同然。」


『陸奥殿、では…貴方の秘密を教えていただければ領土の件は父に口をきく事も出来ますが。』


「私の秘密…?」

『はい。それで一生ゆするなんて事はありませんから。』

「…恐い。」

本当に、よく分からない人だ。

でも、私は使者として

役目を果たさないといけない。手ぶらで帰れはしない。


「うーん…。」

『……。』

十和田殿の視線が刺さるように痛い。


「では、そうですね。実は昔から…お化けが見えます。」


『!』


…笑われた。


「おかしいですか?…でも、本当なんです。だからこそ言えなくて秘密にしていました。皆、笑う。これは、見える人にしか分からない。」


なんだ、結局この人も

他の人と変わらない。


話にならない。

『陸奥殿…』

そっと抱き寄せられ

柔らかな香りが十和田殿から広がる。


『では、次は私の秘密を陸奥殿にだけ…教えましょう。』

耳元で囁くような十和田殿の声で、耳朶が

くすぐったい。


『陸奥殿、貴方は今日会ったばかりだというのに…私の心をかき乱す。罪な方だ。私は貴方と契りたい。』


…これも、また冗談なんだろうか?


『こればかりは、冗談じゃないのが…面白く無いんですよ。』


「ぁ…えっと…、十和田殿っ、近いです。」


ぐいぐいと押しのけようにも阻まれる手。

『嫌ですか?』


「嫌というか…恥ずかしく無いのですか?私は十和田殿に見られると、恥ずかしくなります。」


自分より綺麗な貴方に

そんな顔で見られたら、恥ずかしい上に

なんだか、いたたまれない。


『下の名前は、北斗…でしたか?』

「あ、はいっ…、そうです。」

『北斗…良い名前ですね。私なんか、藤里ですよ?まるで、女人だ。』


まだ、解放されない

藤里の腕に抱かれて、自分の腹の前で交差した藤里の指を眺める。


白くて、長くて節っぽい指。


自分の人生において、こんなあり得ない場面を迎えているはずなのに

どうも頭は困惑もしていない。

むしろ、心地いいだなんて

どうかしている。

「藤里…花魁みたいですね。でも、綺麗な貴方にはぴったりではありませんか?名は体を表す…ですか。」


『北斗…、ずっと前から貴方を知っていた気がします。』

「初めて会った気がしませんか?それは、縁が昔から繋がっているのかもしれませんね。」


『あちらに、鏡があります。こうしている、私と貴方が映っている。信じられますか?今日会ったばかりなのに。』


言われた先の鏡を見て、

はっとする。

確かに…。

「信じられない…けど、藤里が笑ってる。目が嬉しそう。」


『そういう事ですよ。私は、きっと…見つけてしまったのでしょうね。自分にとって愛しい存在を。』


「愛しい…?」

再度抱き締められて、胸が熱くなる。


よく分からない。

けど、きっと嫌じゃないこの気持ちは……。




《後日談》


『おい、北斗…十和田の領主の息子から手紙が届いてるぞ。』


「本当ですか?わぁ…藤里さんマメだな。俺も返さなきゃ駄目かな?」


手紙には、先日の非礼を詫びる文面で占められていた。

最後あたりの文には、

また、領土の話は関係無くいつでも遊びにいらして下さい。お待ちしています。


と、理性的な終わりで

本当に…あんな事があったなんて信じ難い、と

北斗は微笑む。


『十和田の息子は、いい奴か?』

「…はい。私が傍にいれば少し落ち着く気がします。」

『?北斗が…』


うちの領主様は、不思議そうな顔をしていた。


「私は、藤里さんの事…好きですよ。」


ふふっ、と笑って

自室へと向かう。

勿論、彼への手紙を

したためる為に。
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