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1章
最終話 家族
しおりを挟む1,000人もいた会員たちは、それぞれの想いをもって、会場を去った。あれほどの熱気が嘘かのように静けさを取り戻している。
財団法人は解散した。
後始末をする財団法人の事務局もいなくなったため、楪葉と木枯たちとで、会場の後片付けをしていた。私達が思っていた以上に、投げ込まれたペットボトル、引き裂かれた財団法人の資料が散乱していた。これで全てが終わったとは思えないが、どこかしらの安堵感はあった。
座席の下のペットボトルを拾おうと腰を屈めると、腰が痛い。やはり、歳はとりたくないものだ。
「花城!」
突然、背後から聞き覚えのある太い声で、私を呼ぶ声がした。
「か、金川社長。なぜ、こんなところにいらっしゃるのですか? 」
なぜ、金川社長が……。いつもの現実の世界に引き戻され、会社にいるような感覚になった。
「お前にしては、見事な引き際だったな。褒めてやる!!」
そういうと、金川社長は観客席のところにドカッと座った。仕事では一度も褒められたことはないのに、どういう風の吹き回しだろうか……
「もしかして、全部見ていらっしゃったのですか? 」
「あぁ、最初から見てたぞ。胡散臭い法人だと思っていたが、まさか裏でそんな事をしていたとはな。お前が出てきて、どうなることかと思ったが……よくケリをつけたというところか。ところで、何故、出向したお前を本社に引き戻したかわかるか? 」
さすがに、仕事の上司にあの場を見られるとは、恥ずかしいものだ。なぜ、金川社長は、こんなに詳しいのだろうか?
「いや、まったくわかりません」
「お前が出向したばかりの時だっけな。この財団法人の総会に出たんだよ。あの片田舎のホテルでやったやつに。その後の懇親会で、酔っ払っているお前の姿を見かけたんだよ……」
「ま、まさか。同じ一族だと思ったから、私をわざわざ本社に呼び寄せたのですか? 」
「馬鹿言え!!お前と同じ一族なんて、虫酸が走るわい。ましてや、お前の部下なんて、たまったもんじゃない。会社に戻ってから死ぬ気で働け!!」
そういうと、金川社長は、大笑いをしながら、会場を後にした。どうやら、会社には、私の居場所がまだある模様だ。
ここまで、追い詰められた日は初めてだ。心も体もクタクタだ。このまま、布団に潜り込めれば、どれだけ楽だろう。
だが、この日のうちに、もう一つ決着をつけなければならないものがあった。愚かでバカな私は、大切な家族を捨ててしまった。あれから連絡をとっていないので、妻と息子が、薄情な私のことをどう思っているかは分からない。今日のうちに謝ろうと思った。たった一言でも。
どんなに時間がかかっても、どんなにカッコ悪くても、自分のエゴとは知りながら、家族のもとに帰りたい。
夜になると、この季節はまだ冷たい空気が押し返している。たまに吹く冷たい風が、自宅に戻ろうとする私の足を止めようとする。
自宅に帰らなくなって、もうすぐ二年。自宅の鍵は今でも持っているが、急に入っていく勇気がない。部屋のナンバーは押せても、呼び出しボタンを押す指が思うように動かない。
「はーい。花城です」
インターホーン越しに、妻がよそ行きのトーンで出た。宅急便が来たとでも思ったのだろうか……
「俺だ。入ってもいいか?」
「ここは、あなたの家でしょ。入っていいのに決まってるでしょ!」
妻はいつものように冷たく言った。ドアのオートロックが解除される音がした。やはり、妻は相当怒っているのだろう。
自宅のある10階へ向かうエレベーターの中で、妻になんと弁明すればいいのかを考える。
そもそも、どんな顔をすればいいのだろうか……
私に愛想を尽かして、向こうから別れ話が出るのではないか。気づくと、全身が棒のように硬く強張っている。私の気持ちが固まらないなか、エレベーターのドアが無情にも開いた。
久しぶりに帰った自宅は、時間が止まっていたかのように、昔と変わらなかった。私の匂いがそのまま残っているような気がした。
妻が好きだった玄関の芳香剤の匂い、光輝の緑のキックスケーター。この細長い長い廊下を、よく光輝がハイハイをして出迎えてくれた。そんな当たり前の生活の匂いがたまらなく愛おしい。
恐る恐るリビングに入った。妻は台所に立っていて、私の顔を見ることもなく、背を向けていた。妻の小さな背中が、これまでのことを激しく責めているような気がした。ずっと一緒に暮らしてきたのに、言葉がなかなか出ない。
「いろいろと本当に悪かった……」
「そんなところで、突っ立ていないで座れば! 突然、帰ってくるから、カレーしかないわよ。また、健康診断でひっかかるから、あんまり食べすぎないでね」
妻はまだ私の顔を見ようとしない。
「……まずは、俺の話を聞いてくれないか? 」
これまでの私の周りで起きたことを、すべて白状した。
遺伝子検査を受けてから、今日の総会までに起きたことすべてを。
そして、妻と光輝を疑ったこと、家族を捨てたことを、懸命に謝った。頭を擦り付けて、涙を流しながら、必死に謝った。
側から見ると、その様は無様だったろう。すぐに妻に許されるとは思っていない。それでもいい。何度でも何度でも謝ろうと決めた。
妻は黙って、私の話を聞いていた。冷え切ったお茶をすすってからこう言った。
「まったく酷い話よね……。それにしても、あなたってほんとバカだよね……。この2年間、光輝との二人の生活は辛かった。あなたは理由も言わずに、この家を出て行った。訳がわからなかったわ。まさか、私が浮気をして、光輝が別の人との子供だと思っていたとは……」
「……………」
いま思えば、私はなんて馬鹿なんだろう。妻の一言一言が胸に突き刺さる。
「不妊治療をしてて、私はボロボロになった。あなたは、私の体を気遣って、子供を諦めようと言ったわよね。それは、あなたの本心じゃなかったことは知っていたわ。私は絶対に諦めたくなかった。そんな優しいことを言ってくれるあなたの子供を産みたいと心から思った。そして、光輝が生まれてきてくれた。神様は、私達のことを見捨てなかったと思ったわ……」
涙が止まらなかった。妻がそんなことを想っていてくれたなんて知らなかった。
「あなたは、遺伝子検査の結果というものに騙されたわけよね。最後に私達が喫茶店で会ったときのことを覚えている? 突然、光輝は俺の子か?と言った。あの時、私はスマホで光輝の待ち受け画面を見せたわよね」
「あぁ。よく覚えている。ほんとに酷いことを言った。すまない」
妻はスマホを取り出した。再び、光輝の待ち受け画面を私に見せた。喫茶店では思わなかったが、光輝が私に笑いかけてくれているような気がする。
「よく見なさいよ。この目元なんて、あなたにそっくりじゃないの。どんどん、あなたに似てくるのよ。血は争えないもんよね。これが、あなたが騙された遺伝子の力なんじゃないの?」
妻の言う通りだと思った。
「あなたが言いたかったことは、分かったわ。それよりも、光輝にはごめんなさいをしないの? あの子は、健気にあなたの事を信じて、ずっと帰ってくるのを待っていたわよ」
「こんな俺でも、会ってもいいのか? 」
「当たり前でしょ。私よりも光輝に謝るべきでしょ!!光輝は、幼稚園で疲れたみたいだから、もう眠ってしまったけど……」
寝室に入ると、光輝は背中を向けて寝ており、顔が見えなかった。
それにしても、大きくなったなぁ。
この空白の二年間は埋められないのではないかと思った。
「大きくなったでしょ。もうすぐ4歳よ。あなたのことは、海外出張していることになっているから。あなたが言っていた英会話教材も買ったわ。光輝、あのキャラクターが好きなのよ。海外勤務のくせに、英語も話せなかったら、光輝に恥かくわよ。二人っきりにしてあげるから、いっぱい謝りなさい……」
妻は平然とした態度をとっているが、無理をしている。10年以上も夫婦だったのだ。それぐらいはわかる。
こんな私をすべて許してくれたとは思えないが、私を信じてこの家族を守ってくれたことに感謝した。
光輝が寝返りをして、こちらに顔を見せた。廊下のオレンジの電気に照らされている。
よく寝ている………
起こさないように、栗毛の髪をなでる。こんなにまつ毛が長かったっけ? こんなに肌は白かったっけ? 妻が言う通り、眠りに落ちている光輝は、私の小さい時に瓜二つだ。誰がなんと言おうと、この子は私の子供だ。
深夜に、熱をだして、夜間病院に駆け込んだよな。
俺がオムツを変えたら、よく小便をかけられたよな。
お風呂から飛び出し、よく、チンチンと叫んでいたよな。
電車が好きで、二人で日が暮れるまで見に行ったよな。
この子が産まれたとき、妻と泣いたよな。
走馬灯のように、幸せで平凡だった毎日が思い返される。妻と光輝を最後まで信じられなかった自分が情けなく、涙がとめどなく流れた。
寝ている光輝を強く抱きしめた。
「パパ、お帰り。仕事は終わったの? 」
「あぁ、全部終わったよ。今までごめんな」
光輝には、私の血が流れている。
私のYの遺伝子が着実に受け継がれている。光輝の温かさに触れて、ただそれが嬉しかった。
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