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1章
20話 実験
しおりを挟む「畦地先生、この度の参院選大勝、おめでとうございます。今晩は、お一人で美酒を味わっていらっしゃるのですか? 」
時計は零時を回っている。雑居ビルの地下のバーでポツリと黄昏ている男に、赤海は声をかけた。
「今日は独りで飲みたい気分だったが、あんたも来てたのか。突然、現れたと思ったら、いきなり皮肉か。あんなもの大勝でもなんでもないよ」
「ご謙遜を。野党惨敗のなか、唯一、議席数を伸ばしたではないですか? 」
赤海は、一つ席を開けて座り、畦地と同じものを頼んだ。
「うちのような弱小政党は、生き残るので必死だ。この国にあってもなくても同じようなものだからな。花城からは、畦地先生のところは、まともな政党なのかと聞かれたよ。たまに、俺でもそう言いたくなる」
畦地はタバコの煙とため息をグラスに吹きかけた。
「それにしても、今回は財団法人の会員たちをうまく操ることが出来たじゃないですか? 」
「まぁな。あんたが一緒に財団法人を作ろうと誘ってきたときに、言ってた通りだったよ。これからの選挙には、国民の半分は投票にはいかない。選挙に行くのは頭の固い、死にかけのジジババだけだ。選挙に勝つためには、血の結束で固められた組織票が必要だと……我々が思うままに動く団体を作りましょうってか」
「私も死にかけのジジィですがね。歳は取りたくないものです。そんなことを言いましたかね……。畦地先生、財団法人の会員もついに5,000人を超えたところです。まさに、これからが本番です!」
暇をもて遊ばせているバーテンダーに、赤海が水割りのおかわりを要求した。
「楽しそうだな。もう、そんな人数になるのか? それにしても、会員数を増やすペースが早いのではないか。赤海さん、前に言ってたことを、あんたは本気でやろうとしてるのか? そんなことしたら、この国はバラバラになるぞ! 」
「バラバラ? もともと、この国はいろんな民族が集まって、ごちゃ混ぜになってできたものじゃないですか。寒い北からやってきたもの、暑い南からやってきたもの。その足跡の手がかりとなるのが、Y染色体です。我が国民は、勝手に単一民族と錯覚してるだけで、Y染色体はいくつものグループにこの国民を分けます。遺伝子そのものが違えば、歩んできた歴史も違う。当然ながら、考え方も異なる。今まで、この国の人は争わないこと、差別をしないことを美徳に、臭いものに蓋をし続けてきただけだ。本当は、決定的に相容れないものがあるのに……」
「じゃあ、どうしたらいいんだ? 」
「簡単な話です。国民全員に遺伝子検査を強制させればいいんですよ。遺伝子解析がもっと進化すれば、もっと正確な歴史を知ることができるかも。そうだなぁ……。あなたの祖先は、残虐な武力で多民族から略奪した一族の出身です。あなたの祖先は、全てを略奪され、逃げ回った一族の出身ですとかね。これまで語り継がれたことは、実は全くの嘘で。過去の祖先がやってきたことに、子孫達は遺伝子によって縛られるのです。本来ならば、遺伝子の枠組みで、居住区を決めて、国を作りなおすのが正しいのでしょうがね……。それこそが、正しい民族です」
「そんな妄想……第一、国民自体がそんなものを知りたがらないだろう。過去の祖先が歩んできた歴史を知らされて、生まれた瞬間に差別とか嫌がらせを受けるかもしれないのに。遺伝子には、そこまでの力はないさ!」
この店は音の概念を忘れたかのような静けさだ。畦地が乱雑に置いたグラスの音が鳴り響いた。
「だから、この財団法人を使って、実験をしてるんです。遺伝子がどれだけ人を惑わすかを試しているのです。花城という虚像のリーダーが、うまい具合に誕生したところですし……実際に、遺伝子に縛られた財団法人の会員たちは、自分で考えることをやめて、妄信的にあなたの党に流れたじゃないですか。これは、画期的なことだと思いませんか? 遺伝子なんて、自分の目でみることもできないものに踊らされて。その様は滑稽だ」
赤海は笑った。
「まぁな。今回は、あんたのいう通りだったよ。財団を作った時は半信半疑だった。血の結束がここまで強いものだとは、思わなかった……」
「畦地先生は、これからも、花城や財団法人を政治の道具として使えばいい」
赤海は、畦地の肩をポンポンと叩いた。
「赤海さん、あんた、次はなにを考えているんだ?」
「欲にまみれた人達から金をむしるだけむしりとります。そして、この財団法人の会員数も資金力も、もっともっと大きくします。そのためには、あの花城には、もっと頑張って働いてもらわなければなりませんよね。花城は、畦地先生のことを信頼し始めているようですし……」
「その先にあるものは? 」
「そうですね……本当に庄の国とやらを作りましょうか。武器をこっそり輸入して、財団法人の会員たちを武装化して。盲目的な彼らなら本気でやるかも知れない。そのあとは、本当に独立宣言して、現政権をぶっ潰しましょうか……楪葉の言葉を借りれば、後から来たもの達へ復讐でしょうかね……」
赤海は、可笑しくてたまらないかのように、気持ち悪い笑いをみせた。
「あんた、狂っているよ。まるで、あんたにとっては、財団法人も花城もおもちゃだな」
「畦地先生、最高の褒め言葉です。赤ちゃんはすぐおもちゃに飽きますが、ボケ老人におもちゃを与えたら、一生離しませんよ」
赤海の猛毒に触れて、畦地は引き返すことが出来ない焦りを感じた。
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