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1章
9話 胎動
しおりを挟む轟然たる雷鳴が鳴り響き、子供が散らかしたBB弾のような霰が地面に散らばっていた。
ドォーン!! ドカン!!
あっ、近くに落ちたな。
地響きがする。
この時期の雷は、冬の到来の合図として、この地区では「鰤起こし」と呼ばれる。
地元の人にとっては、寒ブリの季節がやってきたと思うらしいが、東京で育ってきた人間としては、憂鬱以外のなにでもない。
その日は、午後から年末年始向けの急な注文が入った。全員が倉庫に集合し、借り出された。
私も使い古されたマニュアルを手元に置きながら、慣れない検収作業を見よう見まねでやる。
単純作業ではあるが、不器用な私には難しすぎる。目の前のおばさんの手さばきが神業にみえる……。
このような緊急の場面では、役員だろうが、若い者も年老いたものも協力しなければ、そもそも中小企業は成り立たない。おばさんも夕飯の準備があっただろうに、ほんと、申し訳ない。
それにしても、倉庫の凍てつく寒さに手は悴み、吐く息は白く、身体の芯から冷える。
「さっさと終わらせて、みんなで飲みに行こうぜ!!」
中堅どころの社員が、周りにハッパをかけた。
冗談交じりに、みんなで円陣を組もうという話になった。
「花城さんも、入ってくださいよ!!」
「え!? 俺はいいって!」
「ほら、恥ずかしがらないで……」
円陣を組むなんて、いつ振りだろうか。干支を一周しているだろう若者と肩を組んでいる。
せっかく、老若男女が円陣を組んだにもかかわらず、言い出しっぺのリーダーがモジモジしてる……。
「なんていえば、いいんだろう……」
「さむっ、仕事も押してるぞ。テキトーに早く言え!!」
「わっ、なんでもいいや。みんな、頑張るぞ。エイエイ………」
「オーーーー!!」
あまり締まらなかったが、みんな笑っている。このような体育会系のノリは嫌いではない。いくぶんか、寒さが和らいだような気がする。
円陣を組んだ効果かどうか分からないが、早く終わらせようという一体感がうまれ、周りのテンションが上がっているのを感じる。
よそ者ではあるが、その時ばかりは会社の一員になれた感じがした。
最終確認が終わったのは、結局、10時過ぎだった。
無理な仕事を押し付けてたのは、東京の本社であった。皆文句も言わずに頑張った。ちょっと前までは、偉そうに納期は守らせろよ! と言ってた立場だったのがはずかしい。
若者達から、今から飲みに行きましょう!と誘われた。
慣れない立ち仕事に足がパンパンだ。さすがに、明日の仕事に響く。もう、限界だ。
「また今度な。若者たちで行ってこいよ!!」
「花城さんもそこそこ若いじゃないっすか」
「なんや。そこそこって。四十肩が痛いんじゃ。またな!」
当たり障りのない形で断った。
どこに飲みに行こうかと、社員たちは学生のように盛り上がっていた。
それを横目に会社をでると、顔に冷たい風が吹き付ける。
空を見上げると、途切れ雲の合間には、小さな星達が見えた。空気が澄んでいる分、東京とは輝きが違う。人もそうだ。
本社の若者と違って、癖がなくて何をするにしても真っ直ぐだ。疲れ知らずの彼らの若さが、眩しくて羨ましい。
小走りで駐車場に向かおうとすると、ロングコートをきた男が、ブーツをコツコツと鳴らしながら、暗闇の奥から近づいてくる。
暗闇で顔がみえない。
私の方に近づいてくる。誰だ!?
「お仕事、お疲れ様です。先日の我々の非礼をお詫びに参りました。わたしのお話しだけでも聞いて頂くことはできませんでしょうか? 」
私を待ち伏せていたのは、財団法人の赤海理事長だった。こんな寒空の下、待っていたのか?
「謝罪されるようなことはありませんし。私はもうこれ以上、あんた達に巻き込まれたくない。帰ってくれ! 」
理事長の顔をみて、吐き気がした。今まで誰にも言えず、心の中に抑えていた汚いものがこみ上げてきた。
「あなたの気持ちはわかります。まさか、私どもも、ご子息にあのような結果がでるとは露にも思いませんでした」
「ん?? なにが、気持ちはわかりますだ。あの時、短い時間とはいえ、ショッピングセンターで幼い子供をさらって、強引に唾液を採取しただろ。そんな卑劣で可哀想なことを、よくできたな!!」
赤海理事長は、ゆっくりと深々と頭を下げた。
「おっしゃる通りです。私どもも少々やりすぎました。ご両親の許可をとったうえで行うべきでした。ただ、誤解していただきたくないのは、息子さんには危害を与えるつもりも全くありませんでしたし……そこだけは……」
「もう、やめてくれ!! 言い訳はいい。自分の血が繋がった息子でないことは、あんたらからよく教えてもらった。それに、そんなことももうどうでいい!! もう、私には関わらないでください。今日は疲れたんです。それでは……」
連日の残業続きで、私の体はクタクタで限界だ。こんなめんどくさいことは、まっぴらだ。
それも、今日は長時間にわたり慣れない立ち仕事をした。1分でも早く風呂に入って寝たい。
行く手を遮ろうとする赤海を制し、車に向かおうとした。
無視して、数歩進んだ。
赤海は、私の背中の向こうの奥で、低い声で語りかけてきた。
「それにしても……あなたは、本社の中枢で、新規開発事業の責任者として、いくつもの有望な種を蒔いてこられました。それが、このような冷える倉庫で、ただ単純作業しかできない人たちと仲良く検収ですか。実にもったいない………。あなたのことを、いろいろな会社を使って、調査させていただいたのです。あなたは、自分のこと、自分の価値をよくわかっていらっしゃらない様子だ……」
「ん!? いきなり、何を言ってるんです? 今度は、私を財団法人のお飾りの理事長にするためのお世辞ですか? そんなことを言われて、私がホイホイと乗るわけないでしょうが。あと、会社の仲間達をそういう言い方をするのは、すごく気分が悪い!! 」
「それは失礼しました。思わず感情的になり、言い過ぎました。でも、決してお世辞ではありませんよ。私は民間の環境リサイクル会社に携わったことがあるのでわかるのです。7年前……あなたが開発した次世代水処理プラント事業でしたっけ。あの企画の内容を拝見させて頂きましたが、あの事業内容は素晴らしかった!! 」
次世代水処理プラント事業!?……
たしかに、新規事業開発はいくつか手がけてきた。
「次世代水処理プラント」は、開発部署に異動となり、私が初めて企画したものだ。
もう7年にもなるのか……あの時の記憶が蘇る。
当時、我が社は事業を拡大するために、いくつもの会社を買収した。だが、企業文化がそぐわないもの、トラブルが複数発生し、うまくいかなかった。
そこで、金川社長は戦略を見直し、長期的な目線で、新規事業を育成することへ転換し、新規事業開発部を創設した。その部門に私は配属された。
新規事業と一概にいっても、なかなか生み出すことは難しく、過去に買収した企業の特許を、全部見返してみた。
その中に、高性能水処理プラントという隠れた特許があった。
発想が面白い。これに改良を加えて、世の中に売り出せば、世界が変わると本気で思った。
その後、社内の新規事業コンテストが開催されて、私の傑作を応募した。
コンテストに見事受賞し、本格的に事業化も検討された。
だが、プラント自体が高額であったことと、当時、地公体の反発が強烈で、協力が得られなかった。新規事業は、コンセプトがどんなに良くても、タイミングと運が、一番大事であると勉強させられた。
だから、成功体験というよりは、頓挫したという苦い思い出として残っている。
社内でも忘れられた企画であることは間違いないが、何故この人は知っているだろうか………。
「そんな昔に頓挫した企画など、忘れましたよ。いまの仕事での最大の関心ごとは、明日の年末の出荷に間に合うかどうか。それだけです!」
「この世の中、なにが起きるかは誰もわかりません。なにかのきっかけがあれば………そして運があれば、全てが変わる。あの頓挫した企画も、当時は時代に合わなかっただけで、なにかのきっかけがあれば明日には変わるかもしれない。だけど、今、あの企画が成功したとしても、評価をされるのはあなたではない。人の手柄となってしまいます……」
「それは、それでいいですよ。そんなものくれてやる。悔しくもなんともない」
「そうですか……。今回のご出向の件はどうですか? あなたは全く悪くないにもかかわらず、上司の罪を被り、強引な形で責任を取らされた」
「よく、ご存知で。それが、会社というものでないでしょうか? どれだけ能力があろうが、どれだけ会社に貢献しようが、結局は手柄を奪い合い、足を引っ張りあい、上にどれだけ好かれるかだけだ! それが会社というゲームでしょう」
「そんな人生、悔しくはないですか? 」
「そりゃ、悔しいですよ……ただ、会社という組織は、一旦、失敗するとリカバリーできない減点主義となっているんです。あなた方のような、現実社会を知らない人には分からないでしょうが!!」
「あなたの気持ちは、わかりました。取り戻してみせますよ。あなたの誇りを!! 」
「できるもんなら、勝手にどうぞ。もういいですか。それでは、さようなら」
何を言ってるんだ。この男は。私だって、積み上げてきた仕事へのプライドはある。可能ならば、本社に戻りたい。
また、霰が降ってきた。
この地区の天候は気まぐれで変わりやすい。
傘も差さずに立ち尽くし、BB弾を浴びている赤海を残して、家へ車を走らせた。
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