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1章
7話 大王
しおりを挟むしばらく見ないうちに、大きくなったな………。
子供の成長は本当に早い。
この前まで、自分ではなにもできなかった光輝が、近所の公園を走り回っている。転んでは起き、転んでは起き上がる。どんなに泥だらけになろうが、泣きべそをかこうが、自分の足で起き上がる。
都落ちした私に対して、相変わらず妻は素っ気ないが、月一回は東京に戻っている。
もちろん、この子に会うためだ。
光輝が抱っこをせがみ、青空に向かうように抱え上げる。顔をくしゃくしゃにして喜んでいる。妻よりも私によく似てる。光輝の小さな手が、私の薬指の結婚指輪で遊んでいる。
まだまだ夏色の青空が広がっている。
ただ、どこか秋風も混ざっており、もの寂しげさを感じるようになった。
ポケットのスマホがバイブとともに鳴った。妻からの「はやく帰ってこい!」の電話だろう。ん? 見知らぬ番号が並んでいる。
「花城さん、ご無沙汰をしております。この前は我々の総会に、ご参加頂きまして、ありがとうございました」
丁寧で物腰の柔らかい電話の声の持ち主は、赤海理事長だった。
「こちらこそ、どうも! 年甲斐もなく、懇親会では羽目を外して飲み過ぎました。とても楽しかったですよ。ところで、今日はどうされましたか? 」
「いま、東京にいらっしゃいますよね。今後の法人運営について、花城さんにご意見を頂戴したいと思いましてね。是非とも、お会いしたくお電話したのです! 」
何故、私が東京にいることを知っているだろうかと不思議に思った。たまたま、休暇をとって、東京に帰ってきているのに……
ただ、久しぶりに人から頼りにされることは、悪い感じはしない。理事長からの申し出を快く応じることとした。
理事長が打ち合わせの場所として指定したのは、以前にも呼び出しをうけたx検査会社だった。受付でしばらく待った後、応接室に通された。
部屋の中は異様な重苦しい空気が包んでいた。
赤海理事長、発起人の楪葉教授、創薬ベンチャー出身の技術者が座っていた。
そして、意外な人物がもう一人……
(あっ、電車で縄張り争いをしていたおっさん!? )
赤海理事長が、その謎のおっさんの正体を説明した。彼は公認会計士の資格をもち、財団法人の経理責任者をしているとのだった。今日はネクタイにスーツで正装し、隅っこでおとなしく座っている。
彼は名刺を差し出した。当然ながら、私のことを知っているそぶりはない。彼の名前は木枯と言った。
「ところで、今日はみなさんお揃いでで、どのような集まりなのですか? 」
「もうお一方いらっしゃるので、もう少しお待ち下さい。今日は、財団法人の最重要事項を決めなくてはいけないのです」
理事長が明らかに不自然な作り笑いを浮かべた。この会は、財団法人の幹部会であることを知った。
重苦しい静寂の中、思いっきり蹴破ったかのようにドアが開いた。
「遅くなって悪かったな。さぁ、始めようか!」
大きな声に呆気にとられた。しばらくして、この男が、懇親会で乾杯の発声をしたあの畦地議員だということに気づいた。そのまま横柄な態度のまま、どかっと真ん中の席についた。
「それにしても、本当に、この男がそうなのか? 」
何が起きているのか理解できず混乱している私を、畦地が大きな眼光でマジマジと観察する。
ほぼ初対面にもかかわらず、こんな横柄な態度はなんなんだ!!訳がわからん。
「間違いありません!財団法人で保存しているY染色体のうち、全部に再検査をしました。結果として、彼のものがUタイプのなかで一番古いタイプのものと判明しました」
いかにも研究者ですといった技術者が、机に置いたパソコンをみながら、平坦で抑揚のない口調で言った。
「じゃあ、何か。この男を財団の新理事長とすることかぁ? この財団の理事長にするということは、一族の大王になるということだぞ。ちょっと待ってくれよ……ほんとにその再検査とやらは大丈夫なのか? 」
「そうなりますね………」
「なにかの間違いでないのか? もう一度しっかりと初めから調査をやり直し…」
「我々の解析結果には、間違いは決してありません!!」
技術者は語気を荒げて、明らかに不愉快感をだした。
ようやく状況が掴め見かけてきた。畦地がいう「新理事長」、「大王」、「この男」というのは、どうやら私のことを指しているのだ。
今日は、私を財団法人のトップとして認めるかどうかの会議なのだ。
「聞いたところによると、この男は、リストラになって、地方の関連会社に飛ばされたらしいじゃないか。そんな男が、この財団のトップになるのは、やはりおかしいんじゃないか? 出向で飛ばされる前の会社ならば、まだ、少しは格好つくんだけどな………」
そういうと、畦地は天井を見上げた。
さすがに、今の言葉には怒りがこみ上げ、胸のあたりがムカムカしてきた。誰も、好きで左遷されたわけではない。
「自分の置かれた立場も身分も分かっていますよ。別にそんな地位も役職もいりませんから。そちらで勝手に決めてください!! そもそも、急に呼び出して、あなたら、何なのですか? 」
そもそも、なにも分からない状況で呼び出されて、自分の意思を無視してああだこうだと議論が進み、しかも侮辱される筋合いはない。
「そんなに、理事長になることに、自信がないのなら、さっさと辞退しろ!!」
ほんと、なんなのだ、この男は!!
こちらから、立候補もしていないのに、自ら辞退しろだなんて。
露骨に敵視してくる畦地議員を、怒りを込めて睨みつけた。
「……まぁまぁ、お二人とも幹部会はまだ始まったばかりです。落ち着いてください。財団法人にとって何がよいか? どうすればいいか。感情的にはならず、建設的な話し合いをしましょう……」
ようやく、赤海理事長が止めに入った。
このように、畦地との乱暴な言い合いから、幹事会が始まった。
こんなにめんどくさい役職ならば、巻き込まれたくないと考え始めた……。何がなんでも、理事長なんかやりたくない!!
「そういうことなら、財団法人の定款自体をかえればいいんじゃないか? 例えば……現代の我が国のように、ふさわしい候補をたてて、選挙で決めるとかすればいいじゃないか? それが、民主主義というものだ!」
いかにも、畦地が議員らしい発想を、身ぶり手ぶりをあわせながら、提案してきた。
「それは、絶対に反対です! 古文書には、我が一族の誕生の話が事細かく記されています。そのなかには、一番はじめに神から分化したものが、大王であると明確に書かれています。平等を愛する一族の秩序を乱すことはあってはならないです!!」
これまで、沈黙を保っていた楪葉教授が反論した。彼にも譲れないものがあるらしく、なかなかめんどくさい。
「先生。そんな昔のことにこだわってもしょうがないじゃないかな。品格とか人望とか、選ばれる理事長にはそういうものが必要なのではないか……」
はいはい。私には、品格も人望もありません。
「それでは、基準が不明確です。人が集まると、自然に権力争いが始まります。結局は、不可侵な領域である血の掟が必要なのです。幸いにも今の時代は、遺伝子で科学的、合理的に正統者を決定できる!!」
しばらくの間、楪葉と畦地の二人の綱引きが行われた。この点については、絶対に折れない教授の気迫が、ついに畦地の白旗をあげさせた。
「先生、わかったよ。どうしてもダメだと言うことだな。じゃあ、定款を変更するAプランはダメだということだな……しょうがない。Bプランにするか……」
畦地はそういうと、なにか合図をするかのように赤海理事長の方へ目線を移した。それに気づいた理事長が、私の目を見て、ゆっくりと語りかけてきた。
「花城さん、落ち着いて聞いてください。これからお話することは、あなたにとっては腹立たしいことかもしれません。しかし、私どもの提案を冷静に聞いてもらえないでしょうか? 」
「……わかりました。出来ることならみなさんに協力したいとも考えていますので、はっきりと言ってもらえないでしょうか」
私の言葉をきいて、赤海理事長は深くうなづいた。
「新しく理事長となるべき人は、我々一族の誰もが納得し、光が溢れるような……そうですねぇ。希望を持った存在でなければならないのです。懇親会での皆さんの生き生きとした表情を覚えていらっしゃるでしょうか? 参加された花城さんにも、そう感じられたのではないでしょうか。それでは、誰が適任なのでしょう………」
その点については同意だ。現に、懇親会の飲み会は楽しかった。本当に、庄の国というものがあるのならば、そのような存在であってほしいものだ。
「花城さん、そしてここにいる誰かが新理事長として就任したとしても、うまくいきません。財団法人といっても、所詮は人間の集まりです。誰かが不満を言い、必ず争いが起きます。なぜならば、俗にまみれた人間が、トップに立つと軋轢が生まれるからです。ここまでは、ご理解できますか? 」
「そう思います。私も理事長を急にやれ!と言われても困ります。結局、赤海理事長は、だれが相応しいとお考えなのですか? 」
「単刀直入に申し上げます。花城さんには、我々一族の王家の遺伝子をもっています。これは、再検査としての結果が出ているし、血の掟は決して崩せない。だから、あなたの偉大な遺伝子を受け継いだ方になってもらいましょう。つまり、あなたのご子息です。………光輝さんです」
「えっ、なにを馬鹿げたことを言ってんですか。私の息子はまだ2歳ですよ……そんなの無理に決まっているじゃないですか……」
話の主導権を戻したくてしょうがない畦地が入りこんできた。
「だから、今から、あんたの息子に帝王学を叩き込むんだ!! 財団には、幸いにも莫大な資金がある」
畦地の目線の先では、経理担当の木枯が怯えたようにうなづいた。
「あんたは、隠居の立場で、悠々自適に暮らしていただければいい。金も十分渡す。奥さんもその方が喜ぶだろう。財団の運営はわしらに任せればよい!!」
畦地が蔑んだ笑いをみせた。
「ふざけないでください!! 」
「自分らがどれだけ勝手なことをわかってるんですか? 人の息子を道具のように扱うな!!」
「私の大事な息子を奪うつもりですか? そんなもの、認められるはずがないだろ!!」
全身の怒りに任せて、拳を机に叩きつけた。反動で机のお茶がこぼれ、私の予想外の反応に部屋が凍りついた。
しばらくの時が流れ、部屋の沈黙を切り裂くかのようにスマホが鳴った。着信をみると、妻からの電話であった。
「ちょっと目を離した隙に、光輝がいなくなったのよ。あなた、どうしよう………あの子になんかあったら……ごめんなさい、ごめんなさい……」
いつもは冷静な妻が、頭が悩乱している。遠く離れた電話口でも、妻の波打つ鼓動の音が聞こえる。
「とにかく、落ち着けよ。今どこだ!!……わかった。すぐ行くから待ってろ!!」
電話を切った。
連れ去ったのは、目の前の彼らだと思った。
あなたらにとって、この財団法人がどれだけ大切なのかは知らない。ただ、私の大事な息子をさらってここまでやるのか……
「あんたら、まさか、うちの息子をさらったのか?」
「まるで、犯罪者扱いだな。そんな手荒な真似するわけないだろ……。人聞きが悪いなー」
畦地がぼそりといった。
「話にならない。もう、失礼する!!」
そう吐き捨てて、こぼしたお茶をそのままに部屋を出ようとした。去ろうとする私の背中の奥で、赤海理事長がこう言った。
「突然のことで、かなりびっくりされたと思います。ただ、これは我々の一族にとっての最重要事項なのです。花城さん、遺伝子からは絶対に逃げられません。よく、お考え下さい」
そんなこと、知ったことか。机を蹴り飛ばしたい気分だった。
妻と光輝が待つショッピングセンターは、そう遠くはなかった。
目的地につくと、光輝と手を繋いでいる妻を発見した。
おもちゃ売り場で泣きじゃくっていたのを店員さんが発見してくれたのことだった。
私の大事な息子がいなくなったわずかの時間になにが起こったかは、分からない。ただ、無事を確認することができてホッとしただけだ……。泣いている妻をみて、私も涙が出てきた。
この世の中に、これほど愛おしい存在があるのだろうか?
光輝、私のところに、生まれてきてくれて、本当にありがとう。
ショッピングセンターでお世話になった店員さんにお礼を何度も言った。胸のポケットの振動を感じた。
x検査会社からメールが届いていた。
「この度は、家族キャンペーンに申し込みいだきまして有難うございます。」
私のマイページには、光輝の名前が登録されており、遺伝子解析進捗度が刻まれていた。
ちょうど1カ月後、「遺伝子検査の結果通知」が届いた。
私の大事な息子、光輝のY染色体は、「Dタイプ」だった。そして、私のY染色体は「Uタイプ」である。
……男系は万世一系である。Y染色体は、父親から息子に受け継がれる……
……そして、何度も繰り返し語りかける……
……遺伝子は嘘をつかない。絶対の存在だ……
つまり、私は会社に裏切られて、家族からも裏切られた。
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