鬼面の忍者 遠江国掛川城死闘篇

九情承太郎

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遠江国掛川城死闘篇

かつおぶし

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 負けも没落も万年無能も承服しているのに、降伏だけは出来なかった『プライドだけは大名級』の今川氏真でも、妻と娘に去られると落ち込んだ。
 落ち込み過ぎて、天守閣から空を眺めて無気力に詩を作って駄作を書き連ねている。
 この隙に引きずって徳川の本陣まで連行しようかという動きもあったが、朝比奈泰朝は動じない。
 替わりに、兵の希望退職や徳川への転属予約を推奨し、掛川城の開城がスムーズに進められるように段階を進める。
 今川氏真の行動を待たずに、氏真以外を徳川政権下へと移行させる事で、朝比奈泰朝は掛川城での戦闘を実質終了させた。
 遠江はこれで一件落着も同然なのだが、隣の駿河で釘付けになっている武田軍は、苛々と気を揉む。


 故郷・甲斐への帰路を塞ぐ北条勢を蹴散らす自信は揺るがない。帰るだけなら、いつでも出来る。
 帰ってすぐに軍備を整え、駿河を取り戻して北条領へ進撃する事も可能だ。
 だがしかし。
 そこへ北や西から上杉・徳川が連合を組んで武田領に攻め込んで来たら、詰む。
 今川氏真を「ぶはははは」と笑いモノにしていられない程に、詰む。
 戦国時代で四方を敵国に囲まれている国として、下手に動けないのよ。可愛い子ちゃん読者諸君
 
「つまり、掛川城の状況が完全に終結しないと、駿河からは動かない、って説明したのに」
「先に動きましょう。想定以上に、長過ぎます掛川城は」

 三月に入っても炬燵から動こうとしない武田信玄に、工藤昌秀は険しい顔で急かしてみる。
 真面目な話なので、信玄は駿河侍女達を下がらせて小姓達に周囲を結界化させる。

「工藤昌秀ともあろう人が、ここまで焦れるという事は・・・他の連中も、実はめっちゃ焦れているのか?」
「いえ、今のお屋形様のように、寛ぎ過ぎています」

 工藤昌秀は、目前の蜜柑を二房口に含んで、踏み込む事への緊張を緩和する。

「我々は、この駿河を得た事で、満足して終わるのでしょうか?」
「かもな」

 武田の膨張政策の果てにある様を聞くと、信玄はいつも憂鬱に語る。

「その方が、幸せかもしれぬ」

 戦国大名達の発露する欲望と戦って生きてきた男は、この時代の現実を弁えている。
 かつて上杉謙信が上洛し、足利将軍を補佐しても尚、戦国時代は終わらなかった。救いようが無いモラルハザードが続いている。
 北条や毛利のように、超大国に成長しても専守防衛に徹するのも有りだろう。モラルハザードの時代には、その方が安寧を得られる。

「だが、戦わない戦国大名は、いつかは隣国に喰われるだけだ。どれだけ醜かろうと、今は戦わねば。このに、例外は無い」

 ひょっとすると、徳川家康並みに戦が嫌いだったかもしれない男は、他人に貪り食われたくない一心で、戦いを選ぶ。
 攻められる前に攻め込む戦いを。

「風魔か服部半蔵に焼かれた事にして、兵糧を一月分に減らせ。緊張感を高めてから、帰国を急がせる」

 一番信頼が置ける家来の進言を受けて、信玄は待つのを止める。
 主人が必要な決断を下したので、工藤昌秀は満足して退室する。

 武田信玄は、今川氏真の行動なんぞ待たずに、次の戦争へと移行する。
 なんと織田信長経由で上杉と和睦&同盟を結んで北条へ攻め込むのだが、この作品ではこれ以上の言及は避ける。


 そしてとうとう、今川氏真が積極的に動く事態が、襲来する。

 1569年(永禄十二年)三月八日。
 徳川家康からの親書を読んだ今川氏真は、妻子に去られて以来初めて背筋を伸ばして大声をあげる。

「何だ、これは?! 何でこうなる?!?!」

 徳川家康から発せられた『和睦』の申し入れに、今川氏真の思考がグルグル回る。
 相談された家来達も、朝比奈泰朝を含めて理解出来なかった。
 無条件降伏しろと言える絶対的に有利な立場からの、和睦交渉。
 今風で例えると、イラクの首都まで攻め込んだ米軍が、「降伏しなくていいよ。和睦にしよう」と優しくハグしながら言い出したに等しい。
 幼馴染である氏真のプライドを慮ってという事情を差し引いても、疑惑を感じる申し出である。

「どうして今更、和睦を言い出す!?!?」

 更に数日後、上杉謙信からも、徳川との和睦を促す書状が届く。どう考えても、示し合わせてあるタイミングである。
 上杉謙信が仲裁役なので、これでバカがバカをしない限り、掛川城の攻防戦は本当に本当に本当に本当に本当に、終結に至れる。
 至れるはずだけれど、そこは今川氏真である。
 周囲が溜め息を堪えて見守る中、今川氏真は決断する。

「家康に直接会って、和睦の件を問い質す! こんなの、おかしい!!」

 一周回って、マトモな段取りで話が進む。


 両陣営のトップ会談の場は、家康が寝泊まりする寺で決まった。氏真に選択の余地なんぞ無いのだけれど、双方は家康を見習って暖かく氏真を見守る。
 朝比奈泰朝を護衛に伴って寺の門を潜った今川氏真は、境内から聞こえてくる懐かしい声に誘われて、寄り道をする。

「これが美朝の漢字じゃ。画数が多かろう。面倒くさいので、書けるようになったのは、去年からじゃ」
「きれいな字だね」

 割烹着姿の美朝姫が、縁側で五歳くらいの幼児に書道の手解きをしている。
 聡明且つ繊細そうな子で、身形は貧乏武家だが品の良さが匂う。
 氏真が泣き笑い顔を見せると、美朝姫は容赦なく挨拶する。

「これは父上。ようやく降伏ですか?」
「和睦じゃ! 降伏ではない!」

 美朝姫は米国人風に肩をすくめると、幼児の肩を抱いて周囲に聞こえる音量で耳打ちする。

「三郎殿。負けた時は、三秒以内に負けを認める潔さを身に付けた大人になっておくれ。そうでないと、果てしなく迷惑な人になってしまう」
「う~ん」

 悪口に迂闊に同意しない辺り、吉良三郎は真っ当に育っている幼児だ。
 一人娘からの冷たい評価に耐えかねて、氏真は朝比奈泰朝に助けを求める。

「家康に洗脳されて、自虐史観の虜に?」
「いえ、事実だけです」

 朝比奈泰朝の断定に、氏真は寄り道を止めて徳川の武士に案内の再開を求める。
 追従する朝比奈泰朝の後ろ姿に、子供達の声が。

「あれが東海道最強の武士ですか?」
「いいえ。あれは、かつおぶしなのじゃ。通常の武士とは違って、天日に干した海産物が人間に化けておるのじゃ。だから堅くて食えぬ」
「わあ、無敵なのですね」

 苦笑しながら追い付くと、氏真がちょいと嫌な顔で声を掛ける。

「フラれたか?」

 朝比奈泰朝は、生まれて初めて、主人の足元を蹴り払って三回転させてから、元の立ち姿に戻す。

「・・・ ・・・いま、何が起きた?」
「この寺は、重力の異常地帯に建設されたようです」

 怖くて、誰もツッコミを入れなかった。
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