鬼面の忍者 遠江国掛川城死闘篇

九情承太郎

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遠江国掛川城死闘篇

何かが雪道をやって来る(2)

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 1569年(永禄十二年)二月二十二日。
 駿府。

 家康からの返書を待たずに、武田信玄は駿府で態度を決めた。

「動くな」

 下半身を炬燵に入れ、小姓に剥かせた蜜柑をひと房ずつ味わいながら、信玄は軍議室内(宿泊している寺の伽藍堂)に詰めている部下たちの悲しそうに落ち込む顔を見渡す。
 副将・工藤昌秀だけは、一人だけ落ち込まない。
 彼だけは、戦時下でなくても仕事が変わらない。

「言うておくが、戦はしないと言う意味で、駿河領内の行政を把握し、統治下に置く仕事は沢山残っておるぞ。国衆地元のマイナー領主に任せきりにしたり、工藤に押し付けて負担を増やしたりするなよ」

 部下たちを苦笑させた上で、信玄は本題を打ち込む。

「念入りに、統治せよ。一度駿府から離れ、一年後か二年後に戻っても、恙無く統治を再開出来るように」

 可能性が増していたとはいえ、駿府からの撤退を切り出されて、部下たちは響めく。
 
「二月まで待ったのだから、このまま粘って甲斐への雪道が溶けるまで待っても」
「撤退すれば、北条が詰めてしまいますぞ」
「自分、まだ駿府の現地妻と合体していません!」
「まだ子供がラーメン食べ(以下略)」
「遠江に来ている徳川の軍勢を潰せば、遠江と三河が一気に武田領に成るのではありませぬか?」

 意見と不満が不出する間、信玄は穏やかに聞き入れてから、この件の要諦に入る。

「色々と意見を、ありがとう。ほとんどの者が、筆者が顔も名前も書かずにモブキャラ扱いなのに。ありがとう」

 要らん前置きをしてから、信玄は事情を明かす。

「徳川に不審の動きが有った故、出浦が探りを入れた。徳川が、この駿府への戦略的脅威を感じずにいられるなど、異常極まる。客観的に見ても、この武田信玄の軍勢が歩いて数日の距離にいる状況で、ガクブルしないでいられる筈がない! わしなら脱糞しながら逃げるぞ。怖いもん、こんな軍勢」

 セルフ・ブラックジョークに爆笑しないように、武田の諸将は堪える。

「徳川家康は、河田長親かわだ・ながちかに書状を送っている」

 河田長親の名が出た段階で、武田の諸将が一斉に動揺する。


 武田信玄の話中ではあるが、この当時における、『河田長親』の知名度を説明しておく。
 現代でいうとキムタクや福山雅治並みの有名人である。
 そして、彼の知名度を説明するには、上司である上杉謙信にも触れなければならない。


 戦国時代の有力大名達には、一つの大きな目標が存在する。
 今日へ上洛し、朝廷と室町幕府を保護。
 見返りに、権力を掌握。
 何なら、そこから新しい幕府を始めても良い。
 軍事力さえ十二分に有れば、それは可能だ。
 往路に立ち塞がる全ての戦国大名を屈服させ、京周辺の野心家達を全て退けるに足る軍事力さえ有れば。
 上洛とは、戦国大名として最高のパフォーマンスなのだ。
 ほとんどの戦国大名が近隣と戦うだけで代を重ねる中、極僅かな戦国大名が、上洛に成功している。
 上杉謙信も、上洛を果たしている。
 二度も。
 しかも、他の上洛者と違って、京に居座って利権を漁ったりしない。
 帝や将軍を、傀儡にしたりしない。
 内紛で京や大仏を焼いたりしない。
 人質を寄越せとか、茶器をプレゼントしてとか、国宝級の香木をちょっと頂戴とか無茶振りもしない。
 数々の名誉職を襲名するだけで、満足。
 その上、寄付金をたっぷり納めてくれたので、京の屋敷や仏閣のリフォームが大幅に進んだ。
 とっても謙虚で無欲で羽振りの良い、夢のような勇者様である。

 マジで感激した後奈良天皇は、御剣と天盃を下賜するオマケに「敵を討伐せよ」と勅命を下した。

 意訳すると、「其方が敵と認めた奴は朝廷にとっても敵だから、殺して構わないよ」という事になる。
 帝から『殺しの許可証マーダーライセンス』を貰ってしまったのである。

 武田や北条の関係者が悲鳴を上げそうな椿事である。
 他の時代であれば、武田や北条は二度と戦わない方針を取っただろう。
 他の時代であれば。
 戦国時代では、朝廷や幕府が休戦命令を出しても、
「あー、はいはい。相手が死んだら、辞めます」
「今ガチンコしていますので。生き残った方が、話聞きますわ」
「う~ん、そうしたいデスけれど~、いわゆる~、一つの~、デスマッチ、デスから~」
 と、言い訳だけを返されて、全然効力が無い。
 本拠地の政治すら全う出来ない程に弱体化した団体の命令に、誰も従わない。
 ところが、来たのである。
 本気で朝廷に忠義を尽くし、損得抜きで室町幕府に助力してくれる戦国大名が。
 京の老舗権力者たちにとって、もはや上杉謙信抜きの人生なんて考えられない。『殺しの許可証マーダーライセンス』ぐらい、あげちゃうのである。帝にとっては、タダだし。
 こうして名実共に日本一の戦国大名として認められた上杉謙信が、二度目の上洛を京から大歓迎されている最中に、誰も予想しないイベントが起きた。
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