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遠江国掛川城死闘篇
オープン・ザ・ゲート(3)
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1569年(永禄十二年)二月十六日、午後三時。
「米津常春。よくやった」
酒井忠次は、日根野弘就と同じ様な『好景気に沸くブラック企業の敏腕経営者』な笑顔で、常春を褒める。
家康が気晴らしに鷹狩りに出ている間、酒井忠次が一人、本陣で報告を受けた。
仔細を承知した酒井忠次は、家康には聞かせられない本音を、上機嫌で溢す。
「これで今川を根絶やしにしても、誰も責めぬ」
「…今川親子に手を出せば、北条が激しく怒るのでは?」
酒井忠次は、真顔に戻り、彼にしか言えない台詞を豪語する。
「北条の如き弱い武家の怒りなぞ、懸念するに及ばず。お主も気にするな」
「殿は気にすると思いますが」
酒井忠次の領地は三河の西側なので、北条が報復に来ようとすれば駿河・遠江・三河東を抜けなければならない。上杉謙信を警戒している北条に、大規模遠征は不可能。そういう阿漕な計算をした上で、酒井忠次は今川への撃滅策を進めていく。
事態が酷い方向に行きそうなので牽制する常春に、酒井忠次はトボけた顔で聞き返す。
「わしの攻め口は、殿の居る本陣とは掛川城を挟んで反対側だ。酒井の独断で本丸まで攻め込んでも、止めるには間に合わぬ」
「田鶴の方も、そのやり方で追い詰めたのか?」
酒井忠次は、無言でその話を終わらせた。
常春も、それ以上は踏み込まない。
強過ぎるナンバーツーが主君と喧嘩別れして独立する様な展開には、持ち込みたくなかった。
火種の臭いが消えない中、家康&お供した重臣たちが鷹狩りから戻ってくる。
先に戻って来た大久保忠世が、常春の全身にハイタッチして興奮を表す。
「朝比奈泰朝にタイマン勝負を挑んだそうだな!? ようやく、やる気を見せおってからに…何故に土下座?」
「相手が…開城を申し出たのに…断った」
同僚の失態にはマジ説教するキャラ付けで有名な大久保忠世ですら、リアクションに困って固まった。
渡辺守綱が本陣に入ると、土下座している常春の真意を都合良く受け取る。
「ふむ、誰かに朝比奈の相手を替わってもらおうとの腹か? まあ、仕様があるまい。この渡辺守綱並みに強い奴が相手であるし。いいとも、自分が討ち取ろう」
家康の許可を得ずに配置を変える発言に、酒井忠次が渡辺守綱を一瞥する。
「何です。監軍である自分と服部半蔵と本多作左衛門(重次)は、自由に動いて朝比奈泰朝に対応する手筈です。米津の分も戦ってあげるのに、何の問題が?」
「お主は功名が絡むと粗忽者故、監軍の仕事を疎かにするだろう。余分な目標を持つな」
「余分て…監軍なんて、味方の規律違反を取り締まるだけの暇な役職です。遊軍としての役割の方が重要な事は、承知でしょう」
「掛川城に、注視しろ」
割り振られた仕事を舐め切っている伝説の勇者の子孫に、酒井忠次は具体的な指示を言い渡す。
「これから、掛川城の情勢は大きく変わる。攻城に逆上せて、本丸まで攻め込む味方の兵が出るだろう」
他人事のように言う酒井忠次の顔を、常春は土下座をやめて睨む。
「本丸にいる今川親子は、殿の親戚だ。馬鹿な雑兵が勢い余って殺さぬように、監軍の役目は最後まで疎かにしてはならぬ」
「まあ、そう言う事でしたら」
渡辺守綱は、忠次の言葉を額面通りに受け取って我を抑える。
常春は、忠次の言葉の裏を汲み取った。
(気に入らなければ、俺が監軍もやれって意味だな、これ)
出来ない。
武田の別働隊を足止めした後に、朝比奈泰朝を迎撃。
そんな厳しい連戦を経て、掛川城の情勢に気を配る余裕など、米津常春にはない。
このまま酒井忠次が本丸を攻め落として今川親子まで殺害すれば、常春は先刻の開城拒否を一生悔やむだろう。
(考えろ、俺! 俺のしくじりだぞ!)
そのタイミングで、家康が本陣に入る。
常春は土下座に戻るが、家康の上機嫌な表情を見逃さなかった。
上座に座る家康は、常春に陽気に声を掛ける。
「常春の土下座は年に四度は目撃するが、土下座を向けられるのは初めてだな」
家康が、常春の勝手を咎める前に、茶化しから会話に入る。
気を遣われると却っていたたまれなくなり、土下座したまま、常春は詫びを入れ始める。
「勝手に掛川城からの開城の申し出を断りました。申し訳ありません」
家康は、全然、怒っていない。
怒っていないように見える。
もしくは、怒っていない様に見せている。
「朝比奈泰朝が本気で開城する気であれば、常春に喧嘩を売られたくらいで開城を躊躇いはしないであろう。二度目三度目の開城の意思を伝えに寄越しているはずだ」
家康が罪に問わない構えなので、本陣の諸将は安堵する。
「開城の申し出は、陽動作戦と見た。忘れろ」
常春は、無罪放免なので顔を上げる。
「殿。意見してよろしいでしょうか?」
いつもは受けた命令を器用に果たして愚痴を零すだけの中間管理武将・米津常春の意見具申に、本陣が動揺する。
「許す。聞こう」
家康は、二ヶ月以上も服部隊から最新情報に接し続けた常春の意見を、軽くは見ていない。
うまく説明しないと馬鹿だと思われるプレッシャーに耐えながら、常春は策を切り出す。
「武田の別働隊を、足止めせずに、本陣まで誘導して構いませぬか?」
本陣の諸将が絶句する中、本多忠勝だけが、大真面目に常春の策を(まだ説明の途中だけど)支持する。
「分かったぁ。全部、この本多忠勝が始末する」
「米津常春。よくやった」
酒井忠次は、日根野弘就と同じ様な『好景気に沸くブラック企業の敏腕経営者』な笑顔で、常春を褒める。
家康が気晴らしに鷹狩りに出ている間、酒井忠次が一人、本陣で報告を受けた。
仔細を承知した酒井忠次は、家康には聞かせられない本音を、上機嫌で溢す。
「これで今川を根絶やしにしても、誰も責めぬ」
「…今川親子に手を出せば、北条が激しく怒るのでは?」
酒井忠次は、真顔に戻り、彼にしか言えない台詞を豪語する。
「北条の如き弱い武家の怒りなぞ、懸念するに及ばず。お主も気にするな」
「殿は気にすると思いますが」
酒井忠次の領地は三河の西側なので、北条が報復に来ようとすれば駿河・遠江・三河東を抜けなければならない。上杉謙信を警戒している北条に、大規模遠征は不可能。そういう阿漕な計算をした上で、酒井忠次は今川への撃滅策を進めていく。
事態が酷い方向に行きそうなので牽制する常春に、酒井忠次はトボけた顔で聞き返す。
「わしの攻め口は、殿の居る本陣とは掛川城を挟んで反対側だ。酒井の独断で本丸まで攻め込んでも、止めるには間に合わぬ」
「田鶴の方も、そのやり方で追い詰めたのか?」
酒井忠次は、無言でその話を終わらせた。
常春も、それ以上は踏み込まない。
強過ぎるナンバーツーが主君と喧嘩別れして独立する様な展開には、持ち込みたくなかった。
火種の臭いが消えない中、家康&お供した重臣たちが鷹狩りから戻ってくる。
先に戻って来た大久保忠世が、常春の全身にハイタッチして興奮を表す。
「朝比奈泰朝にタイマン勝負を挑んだそうだな!? ようやく、やる気を見せおってからに…何故に土下座?」
「相手が…開城を申し出たのに…断った」
同僚の失態にはマジ説教するキャラ付けで有名な大久保忠世ですら、リアクションに困って固まった。
渡辺守綱が本陣に入ると、土下座している常春の真意を都合良く受け取る。
「ふむ、誰かに朝比奈の相手を替わってもらおうとの腹か? まあ、仕様があるまい。この渡辺守綱並みに強い奴が相手であるし。いいとも、自分が討ち取ろう」
家康の許可を得ずに配置を変える発言に、酒井忠次が渡辺守綱を一瞥する。
「何です。監軍である自分と服部半蔵と本多作左衛門(重次)は、自由に動いて朝比奈泰朝に対応する手筈です。米津の分も戦ってあげるのに、何の問題が?」
「お主は功名が絡むと粗忽者故、監軍の仕事を疎かにするだろう。余分な目標を持つな」
「余分て…監軍なんて、味方の規律違反を取り締まるだけの暇な役職です。遊軍としての役割の方が重要な事は、承知でしょう」
「掛川城に、注視しろ」
割り振られた仕事を舐め切っている伝説の勇者の子孫に、酒井忠次は具体的な指示を言い渡す。
「これから、掛川城の情勢は大きく変わる。攻城に逆上せて、本丸まで攻め込む味方の兵が出るだろう」
他人事のように言う酒井忠次の顔を、常春は土下座をやめて睨む。
「本丸にいる今川親子は、殿の親戚だ。馬鹿な雑兵が勢い余って殺さぬように、監軍の役目は最後まで疎かにしてはならぬ」
「まあ、そう言う事でしたら」
渡辺守綱は、忠次の言葉を額面通りに受け取って我を抑える。
常春は、忠次の言葉の裏を汲み取った。
(気に入らなければ、俺が監軍もやれって意味だな、これ)
出来ない。
武田の別働隊を足止めした後に、朝比奈泰朝を迎撃。
そんな厳しい連戦を経て、掛川城の情勢に気を配る余裕など、米津常春にはない。
このまま酒井忠次が本丸を攻め落として今川親子まで殺害すれば、常春は先刻の開城拒否を一生悔やむだろう。
(考えろ、俺! 俺のしくじりだぞ!)
そのタイミングで、家康が本陣に入る。
常春は土下座に戻るが、家康の上機嫌な表情を見逃さなかった。
上座に座る家康は、常春に陽気に声を掛ける。
「常春の土下座は年に四度は目撃するが、土下座を向けられるのは初めてだな」
家康が、常春の勝手を咎める前に、茶化しから会話に入る。
気を遣われると却っていたたまれなくなり、土下座したまま、常春は詫びを入れ始める。
「勝手に掛川城からの開城の申し出を断りました。申し訳ありません」
家康は、全然、怒っていない。
怒っていないように見える。
もしくは、怒っていない様に見せている。
「朝比奈泰朝が本気で開城する気であれば、常春に喧嘩を売られたくらいで開城を躊躇いはしないであろう。二度目三度目の開城の意思を伝えに寄越しているはずだ」
家康が罪に問わない構えなので、本陣の諸将は安堵する。
「開城の申し出は、陽動作戦と見た。忘れろ」
常春は、無罪放免なので顔を上げる。
「殿。意見してよろしいでしょうか?」
いつもは受けた命令を器用に果たして愚痴を零すだけの中間管理武将・米津常春の意見具申に、本陣が動揺する。
「許す。聞こう」
家康は、二ヶ月以上も服部隊から最新情報に接し続けた常春の意見を、軽くは見ていない。
うまく説明しないと馬鹿だと思われるプレッシャーに耐えながら、常春は策を切り出す。
「武田の別働隊を、足止めせずに、本陣まで誘導して構いませぬか?」
本陣の諸将が絶句する中、本多忠勝だけが、大真面目に常春の策を(まだ説明の途中だけど)支持する。
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