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遠江国掛川城死闘篇
椿姫
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1568年(永禄十一年)十二月十五日。
朝食中。
掛川城から西へ。
米津常春の部隊は、負傷中の服部半蔵&奥さんズと一緒に、昨日の夕暮れに、久能城付近で駐留する徳川家康の本隊と合流していた。
徳川勢は、久能城で一旦足を止め、西に取り残した引馬城を攻略中だった。
この城を確実に落としておかないと、三河本国からの補給線に不安を残してしまう。
(足を止めたって事は、苦戦中か)
とは察しつつも、常春は部隊を休ませて、とっとと寝た。
彼が寝ていても、徳川には影響無いという謎の自信を持ったまま、寝た。
既に大役を果たした米津常春は、後詰として呑気に戦見物でも出来ると踏んで朝食後に白湯を飲んで寛いでいたのに、首席家老・酒井忠次から軍議に出ろとの通知が来た。
「やだなあ~」
大将のボヤキに、部下たちが爆笑する。
これだけ戦さ場の手柄に興味がない武将も珍しい。
「お前ら、他人事じゃ無いぞ。前回のより酷い作戦を任されるに決まっている」
「でも、全員無傷で帰って来られましたよ」
長男の正勝が、笑いながら能天気に気休めを言う。
初陣してから八年経つのに、親に輪をかけて楽天的な二十代前半青年だ。
「馬場と赤備えを相手に、よく全滅しなかったね。本当に、凄い。偉いぞ、常春。褒めてあげよう」
服部隊の更紗が、米津隊に交じって無表情に朝飯(隊の炊き出し・味噌汁ぶっかけ飯&持参の干し芋)を食っている。
戦時の「下半身は縞模様の褌一丁」という半裸忍者イメージが強過ぎて、普通の足軽装備で混じると気付けない。
「半蔵の用事か? 酒井様の次に回していいか?」
「いや…私用で来た。婿探しだ」
「…半蔵の子種は、諦めた?」
「うん。当たらない。他の三人には当たったのに、更紗にだけは当たらなかった。十年も無駄にした」
「石女確定だな」
「いいや。他の子種を試す。結論は、それからだ」
これから軍議に出るからと言って会話を打ち切らずに、常春はこの話題で軍議に遅れる方を選ぶ。
こういう性格なので、徳川十六神将に選ばれる武将でありながら、出世するのは極端に遅くなる。
「好きに選んでいけ。いや、独身者だけ。夜になってから。合意の上で。戦の最中だから、絞り過ぎ禁止!」
「当たり前じゃなイカ。常春は更紗の下半身しか見ていないのか?」
「全身を見た上で、アホだと思っている」
「わかっていれば、よろしい」
(半蔵の奴、この女だけは孕ませないようにシていたのと違うか?)
思っても、これは口には出せない常春だった。
どれだけ変人でも、服部半蔵を通じて三河に十年間も貢献した女忍者である。
妊活には協力しようと留意して、フンドシを締め直す常春だった。
本陣に顔を出すと、家康が爪をバリバリと齧っているので、常春は周囲の顔色を急いで確認する。
同僚たちの視線は、家康とその右隣にだけ向けられている。
家康の右隣に座る酒井忠次が、悪癖の進行に構わず、裁可を乞う。
「昨夜、武田から催促されたばかりですぞ。三日以内には掛川城に攻め掛からねば、同盟軍としての誠意を疑われます」
口調は静かで丁寧でも、酒井忠次の目力には『俺のいう通りに急いで仕事しようや』という意思表示が乗せられている。
家康は噛み千切った爪の破片を吐き捨てると、徳川のナンバー2にハッキリと拒否を伝える。
「急がなくても、そうする。お田鶴の方が降伏勧告を聞き入れて、引馬城を引き渡し次第、全軍で掛川城を囲む」
酒井忠次は、目力を変えずに進言する。
「酒井と石川の二部隊だけ残して、殿は掛川城へお急ぎ下さい。引馬城への止めは、この酒井忠次が引き受けます」
「お主に任せたら、三日と我慢せずに力攻めしてしまう。敵味方に余計な戦死者が出る」
「今は速度を優先させて下さい。武田が盟約を反故にしてからでは、遅い」
「お田鶴の方の返答を待つ」
「返答は、既に為されています。何度も。徹底抗戦です。降伏はしない」
「幼少時からの顔馴染みだ。顔を立ててやりたい。命を救いたい」
「今は敵で、殿の寛大な申し出を断り、自ら刃を振るう一城の城主です」
「城主として当然の行為をしているだけの、女城主だ。城と子供達を守っているだけの、健気な母親だ」
「今川が滅びる事を理解せず、徳川の実力も殿の人柄も解さぬ城主です。断固たる対応をして下さい。殿の深情けに、長々と付き合っていられる状況ではない」
「せっかちに女城主を攻め殺すような者に、遠江の人々が臣従を誓うか?」
「武田に蹂躙されたら、優しかったけど無能な人として後世に語り継がれますな」
家康と忠次の衝突に、誰も口を挟めなかった。
常春は詳細を知りたくて、近くにいた本多広孝にこっそり聞いてみる。
「なあ、酒井の旦那、どうして意地を張っている? あの城に、個人的な恨みでもあるのか?」
若い頃、一緒に織田信広を捕まえた功績を分かち合った戦友は、渋い顔で常春に応じる。
「お主が帰って来る前に、酒井と石川の隊が城を攻めて、負けた」
「…三百ぽっちの城兵に?」
「女城主と侍女軍団が前に出て奮戦したら、敵兵が奮い立った。気合い負けだ」
「褒めてやれよ、敵を。その位の度量は欲しいねえ」
「いい処に来たな、常春」
地獄耳の酒井忠次が、家康から視線を外して常春に照準を定める。
「安祥城の再現をしてみるか? 城の本丸まで攻め込んで、田鶴の方を、見事に生け捕りにしてみせい」
「いいえ、もう四十肩なので、辞退します」
「常春!!」
家康が、泣きそうな目で常春に助けを請う。
「力尽くで構わん。田鶴の方と子供達を、助けてはもらえぬか?」
戦国大名として、正妻と二人の子を見殺しにする決断すらした経歴を持つ家康が、忠次と喧嘩をしてまで、降伏勧告を拒否して戦い続ける女城主を助けろと言う。
常春は、家康の判断の方に、面喰らった。
ここまで感情任せの家康は、初めて見る。
鳥居元忠が前に進み出て、常春に主君の心境を解説する。
「お田鶴の方は、家康様が駿府の人質時代に初恋をした相手です。奥方様とも従姉妹。お子達も保護し、領土も城も安堵。手厚く迎えたいのです」
「はあ、好条件ですな」
そこまでされたら、逆に引かれるだけでは? と言う意見を、常春は差し控える。
二十年前に救出し、期待以上に成長して戻って来てくれた君主を、傷付けたくなかった。
「亡くなった夫の代りに城主を務め、亡くなった夫に殉じて戦い抜く。烈女ですな。子供達を助ける事すら放棄して、夫に操を立てる気です。
命を少しでも惜しんでいるならば、とっくに殿に降っておりましょう」
本陣にいる全ての視線が、常春に集まる。
(あ~、俺にトドメを言わせる気だな)
空気を読んで、常春はウンザリする。
本陣に顔を出せる武将の中では酒井忠次より年長で、家康の恩人というポジションである。
客観的に見ると、常春には徳川の本陣で独特の発言力があるように見える。
(そういうのを嵩に着て発言したくねえよ、馬鹿野郎。ウザいだろ、そんなおっさん)
そうは思っても、家康の初恋の為に全軍足止めという異常事態には、埒を明けねばならない。
「この件は、とっくに終わっております」
背後から、更紗が最新情報を耳打ちしてくれたので、常春は乗った。
「今朝の速報では、引馬城は既に二の丸三の丸が落とされ、本丸を残すのみです。殿が今から何を為されようと、今日中に城は落ちておりましょう」
急接近して胸倉を掴もうとする家康の手を、常春は両手で握って阻む。
「お田鶴の方は、討ち死にを選びました。最後に降伏するかもしれませぬが、まず討ち死にで間違いないでしょう。この件で殿に出来るのは、後で弔ってやる事だけです」
家康の左目から、大粒の涙が一滴、溢れた。
「分かった。掛川城攻略の軍議に戻ろう」
家康が項垂れつつ、本陣の上座に戻る。
酒井忠次が、せっかちに本来の軍議を始める。
「最初に取りかかって欲しいのは、掛川城付近の情報収集だ。朝比奈泰朝が、城の防備を固めるだけで済ませる筈がない。周辺に伏兵や新しい出城を配置しているだろう。
本来なら服部半蔵に任せておけば間違いないが、負傷した半蔵は、大事をとって一月は休ませる」
「なんてこった!」
常春は立ち上がって回れ右をして、
「半蔵が心配です。見舞いに行って来ます」
本陣を駆け足で立ち去ろうとする。
酒井忠次は常春の首根っこを掴んで本陣に止めると、ボケには突っ込まずに話を続ける。
「替わりに、米津常春に服部隊の指揮を任せる」
「うっ、膝の古傷が」
誰も常春の往生際の悪いボケに付き合わなかった。
「常春。服部家に頻繁に酒を集りに行ったツケを、ここで払え」
「何で酒井殿が徴収するのか、常春には分かりません」
「つべこべ言わずに、働け」
「ただしパワハラには敏感であった」
常春は忠次の手を振り解くと、家康の前に片膝を着いて承諾する。
「お任せ下さい、殿。服部半蔵の代役、見事に果たしてみせましょう」
米津常春が嘘臭いヤル気を公言したので、本陣の皆さんは「こいつ絶対に余計な馬鹿を言う気だ」と気付く。
「五日、いただきたい。半蔵の代役を恙無く果たすには、その位の日数が掛かります」
家康が、常春の顔を凝視して、発言の意図を考証する。
常春の考えを汲み取った忠次は、叱責する。
「遅い! 三日以内に終わらせろ! 北条が武田をいつまで駿河に留めておけるか、分からないのだぞ?! 武田より先に、確実に掛川城を落とすのだ!!」
「いやあ、すみませんねえ。服部半蔵なら二日か三日で済ませてくれますが、俺はこういう仕事は不得手で。でも全力でお仕事するから、五日ください」
「やらぬ! 三日だ!」
「大丈夫ですって、酒井殿が某に任せた采配に、間違いは無いですよ」
家康の顔が輝き、忠次の目から常春にミサイルが発射された(注意・比喩的表現)。
「うむ、五日だな。ではその間、引馬城の督戦に行く」
「殿!!」
「忠次。もっと自分の采配を信じろ。俺は、いつだって信じているぞ」
「どうぞ、ご勝手に」
酒井忠次は、苦々しく妥協した。
常春は更紗を伴い、一緒に小躍りしながら本陣から離脱した。
三日後。
徳川家康は、落城した引馬城の前で、お田鶴の方は城兵三百名と共に討ち死にしたと知らされた。
徳川の兵三百を道連れにして、全滅した。
一説には、家康の誘いに従って保護された話もあるが、二人がその後で逢瀬を重ねたという話は全くないので、この説は併記するのみに止める。
戦死者は丁重に葬られ、お田鶴の方が住んでいた椿屋敷跡(浜松市中区元浜町)に、墓を作らせた。
後に家康の正妻・瀬名も従姉妹の墓を訪れ、百本を越す椿の花を植えさせた。
お田鶴の方は椿姫と呼ばれるようになり、墓には現在、椿姫観音が建立されている。
供養は、現在も町民が続けている。
朝食中。
掛川城から西へ。
米津常春の部隊は、負傷中の服部半蔵&奥さんズと一緒に、昨日の夕暮れに、久能城付近で駐留する徳川家康の本隊と合流していた。
徳川勢は、久能城で一旦足を止め、西に取り残した引馬城を攻略中だった。
この城を確実に落としておかないと、三河本国からの補給線に不安を残してしまう。
(足を止めたって事は、苦戦中か)
とは察しつつも、常春は部隊を休ませて、とっとと寝た。
彼が寝ていても、徳川には影響無いという謎の自信を持ったまま、寝た。
既に大役を果たした米津常春は、後詰として呑気に戦見物でも出来ると踏んで朝食後に白湯を飲んで寛いでいたのに、首席家老・酒井忠次から軍議に出ろとの通知が来た。
「やだなあ~」
大将のボヤキに、部下たちが爆笑する。
これだけ戦さ場の手柄に興味がない武将も珍しい。
「お前ら、他人事じゃ無いぞ。前回のより酷い作戦を任されるに決まっている」
「でも、全員無傷で帰って来られましたよ」
長男の正勝が、笑いながら能天気に気休めを言う。
初陣してから八年経つのに、親に輪をかけて楽天的な二十代前半青年だ。
「馬場と赤備えを相手に、よく全滅しなかったね。本当に、凄い。偉いぞ、常春。褒めてあげよう」
服部隊の更紗が、米津隊に交じって無表情に朝飯(隊の炊き出し・味噌汁ぶっかけ飯&持参の干し芋)を食っている。
戦時の「下半身は縞模様の褌一丁」という半裸忍者イメージが強過ぎて、普通の足軽装備で混じると気付けない。
「半蔵の用事か? 酒井様の次に回していいか?」
「いや…私用で来た。婿探しだ」
「…半蔵の子種は、諦めた?」
「うん。当たらない。他の三人には当たったのに、更紗にだけは当たらなかった。十年も無駄にした」
「石女確定だな」
「いいや。他の子種を試す。結論は、それからだ」
これから軍議に出るからと言って会話を打ち切らずに、常春はこの話題で軍議に遅れる方を選ぶ。
こういう性格なので、徳川十六神将に選ばれる武将でありながら、出世するのは極端に遅くなる。
「好きに選んでいけ。いや、独身者だけ。夜になってから。合意の上で。戦の最中だから、絞り過ぎ禁止!」
「当たり前じゃなイカ。常春は更紗の下半身しか見ていないのか?」
「全身を見た上で、アホだと思っている」
「わかっていれば、よろしい」
(半蔵の奴、この女だけは孕ませないようにシていたのと違うか?)
思っても、これは口には出せない常春だった。
どれだけ変人でも、服部半蔵を通じて三河に十年間も貢献した女忍者である。
妊活には協力しようと留意して、フンドシを締め直す常春だった。
本陣に顔を出すと、家康が爪をバリバリと齧っているので、常春は周囲の顔色を急いで確認する。
同僚たちの視線は、家康とその右隣にだけ向けられている。
家康の右隣に座る酒井忠次が、悪癖の進行に構わず、裁可を乞う。
「昨夜、武田から催促されたばかりですぞ。三日以内には掛川城に攻め掛からねば、同盟軍としての誠意を疑われます」
口調は静かで丁寧でも、酒井忠次の目力には『俺のいう通りに急いで仕事しようや』という意思表示が乗せられている。
家康は噛み千切った爪の破片を吐き捨てると、徳川のナンバー2にハッキリと拒否を伝える。
「急がなくても、そうする。お田鶴の方が降伏勧告を聞き入れて、引馬城を引き渡し次第、全軍で掛川城を囲む」
酒井忠次は、目力を変えずに進言する。
「酒井と石川の二部隊だけ残して、殿は掛川城へお急ぎ下さい。引馬城への止めは、この酒井忠次が引き受けます」
「お主に任せたら、三日と我慢せずに力攻めしてしまう。敵味方に余計な戦死者が出る」
「今は速度を優先させて下さい。武田が盟約を反故にしてからでは、遅い」
「お田鶴の方の返答を待つ」
「返答は、既に為されています。何度も。徹底抗戦です。降伏はしない」
「幼少時からの顔馴染みだ。顔を立ててやりたい。命を救いたい」
「今は敵で、殿の寛大な申し出を断り、自ら刃を振るう一城の城主です」
「城主として当然の行為をしているだけの、女城主だ。城と子供達を守っているだけの、健気な母親だ」
「今川が滅びる事を理解せず、徳川の実力も殿の人柄も解さぬ城主です。断固たる対応をして下さい。殿の深情けに、長々と付き合っていられる状況ではない」
「せっかちに女城主を攻め殺すような者に、遠江の人々が臣従を誓うか?」
「武田に蹂躙されたら、優しかったけど無能な人として後世に語り継がれますな」
家康と忠次の衝突に、誰も口を挟めなかった。
常春は詳細を知りたくて、近くにいた本多広孝にこっそり聞いてみる。
「なあ、酒井の旦那、どうして意地を張っている? あの城に、個人的な恨みでもあるのか?」
若い頃、一緒に織田信広を捕まえた功績を分かち合った戦友は、渋い顔で常春に応じる。
「お主が帰って来る前に、酒井と石川の隊が城を攻めて、負けた」
「…三百ぽっちの城兵に?」
「女城主と侍女軍団が前に出て奮戦したら、敵兵が奮い立った。気合い負けだ」
「褒めてやれよ、敵を。その位の度量は欲しいねえ」
「いい処に来たな、常春」
地獄耳の酒井忠次が、家康から視線を外して常春に照準を定める。
「安祥城の再現をしてみるか? 城の本丸まで攻め込んで、田鶴の方を、見事に生け捕りにしてみせい」
「いいえ、もう四十肩なので、辞退します」
「常春!!」
家康が、泣きそうな目で常春に助けを請う。
「力尽くで構わん。田鶴の方と子供達を、助けてはもらえぬか?」
戦国大名として、正妻と二人の子を見殺しにする決断すらした経歴を持つ家康が、忠次と喧嘩をしてまで、降伏勧告を拒否して戦い続ける女城主を助けろと言う。
常春は、家康の判断の方に、面喰らった。
ここまで感情任せの家康は、初めて見る。
鳥居元忠が前に進み出て、常春に主君の心境を解説する。
「お田鶴の方は、家康様が駿府の人質時代に初恋をした相手です。奥方様とも従姉妹。お子達も保護し、領土も城も安堵。手厚く迎えたいのです」
「はあ、好条件ですな」
そこまでされたら、逆に引かれるだけでは? と言う意見を、常春は差し控える。
二十年前に救出し、期待以上に成長して戻って来てくれた君主を、傷付けたくなかった。
「亡くなった夫の代りに城主を務め、亡くなった夫に殉じて戦い抜く。烈女ですな。子供達を助ける事すら放棄して、夫に操を立てる気です。
命を少しでも惜しんでいるならば、とっくに殿に降っておりましょう」
本陣にいる全ての視線が、常春に集まる。
(あ~、俺にトドメを言わせる気だな)
空気を読んで、常春はウンザリする。
本陣に顔を出せる武将の中では酒井忠次より年長で、家康の恩人というポジションである。
客観的に見ると、常春には徳川の本陣で独特の発言力があるように見える。
(そういうのを嵩に着て発言したくねえよ、馬鹿野郎。ウザいだろ、そんなおっさん)
そうは思っても、家康の初恋の為に全軍足止めという異常事態には、埒を明けねばならない。
「この件は、とっくに終わっております」
背後から、更紗が最新情報を耳打ちしてくれたので、常春は乗った。
「今朝の速報では、引馬城は既に二の丸三の丸が落とされ、本丸を残すのみです。殿が今から何を為されようと、今日中に城は落ちておりましょう」
急接近して胸倉を掴もうとする家康の手を、常春は両手で握って阻む。
「お田鶴の方は、討ち死にを選びました。最後に降伏するかもしれませぬが、まず討ち死にで間違いないでしょう。この件で殿に出来るのは、後で弔ってやる事だけです」
家康の左目から、大粒の涙が一滴、溢れた。
「分かった。掛川城攻略の軍議に戻ろう」
家康が項垂れつつ、本陣の上座に戻る。
酒井忠次が、せっかちに本来の軍議を始める。
「最初に取りかかって欲しいのは、掛川城付近の情報収集だ。朝比奈泰朝が、城の防備を固めるだけで済ませる筈がない。周辺に伏兵や新しい出城を配置しているだろう。
本来なら服部半蔵に任せておけば間違いないが、負傷した半蔵は、大事をとって一月は休ませる」
「なんてこった!」
常春は立ち上がって回れ右をして、
「半蔵が心配です。見舞いに行って来ます」
本陣を駆け足で立ち去ろうとする。
酒井忠次は常春の首根っこを掴んで本陣に止めると、ボケには突っ込まずに話を続ける。
「替わりに、米津常春に服部隊の指揮を任せる」
「うっ、膝の古傷が」
誰も常春の往生際の悪いボケに付き合わなかった。
「常春。服部家に頻繁に酒を集りに行ったツケを、ここで払え」
「何で酒井殿が徴収するのか、常春には分かりません」
「つべこべ言わずに、働け」
「ただしパワハラには敏感であった」
常春は忠次の手を振り解くと、家康の前に片膝を着いて承諾する。
「お任せ下さい、殿。服部半蔵の代役、見事に果たしてみせましょう」
米津常春が嘘臭いヤル気を公言したので、本陣の皆さんは「こいつ絶対に余計な馬鹿を言う気だ」と気付く。
「五日、いただきたい。半蔵の代役を恙無く果たすには、その位の日数が掛かります」
家康が、常春の顔を凝視して、発言の意図を考証する。
常春の考えを汲み取った忠次は、叱責する。
「遅い! 三日以内に終わらせろ! 北条が武田をいつまで駿河に留めておけるか、分からないのだぞ?! 武田より先に、確実に掛川城を落とすのだ!!」
「いやあ、すみませんねえ。服部半蔵なら二日か三日で済ませてくれますが、俺はこういう仕事は不得手で。でも全力でお仕事するから、五日ください」
「やらぬ! 三日だ!」
「大丈夫ですって、酒井殿が某に任せた采配に、間違いは無いですよ」
家康の顔が輝き、忠次の目から常春にミサイルが発射された(注意・比喩的表現)。
「うむ、五日だな。ではその間、引馬城の督戦に行く」
「殿!!」
「忠次。もっと自分の采配を信じろ。俺は、いつだって信じているぞ」
「どうぞ、ご勝手に」
酒井忠次は、苦々しく妥協した。
常春は更紗を伴い、一緒に小躍りしながら本陣から離脱した。
三日後。
徳川家康は、落城した引馬城の前で、お田鶴の方は城兵三百名と共に討ち死にしたと知らされた。
徳川の兵三百を道連れにして、全滅した。
一説には、家康の誘いに従って保護された話もあるが、二人がその後で逢瀬を重ねたという話は全くないので、この説は併記するのみに止める。
戦死者は丁重に葬られ、お田鶴の方が住んでいた椿屋敷跡(浜松市中区元浜町)に、墓を作らせた。
後に家康の正妻・瀬名も従姉妹の墓を訪れ、百本を越す椿の花を植えさせた。
お田鶴の方は椿姫と呼ばれるようになり、墓には現在、椿姫観音が建立されている。
供養は、現在も町民が続けている。
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