鬼面の忍者 遠江国掛川城死闘篇

九情承太郎

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遠江国掛川城死闘篇

武田で一番マトモな人

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 1568年(永禄十一年)十二月十四日。
 前章と同時刻の武田サイド。

 武田軍は焼き払った駿河の再建モードに入り、周辺の住民にも「支配者が代わっただけだよ。前と同じように暮らせるから、戻っておいでよ」キャンペーンを通知。
 駿河の本格的占領統治を開始する。
 城下町周辺の寺社仏閣は焼かずに残してあるので、幹部クラスが寝泊まりしながら行政府のお仕事がバンバン出来る。
 足りない物資は豊富な軍資金で購い、不満を訴える一般市民のクレームも豊富な金銭で購い、「戦争が終わると優しい面もあるリッチな武田軍団」を周知させる。
 戦時以外は、世間体を大切にする武田軍団なのだ。
 
 一般市民は新統治者の復興モードに乗れば食うに困らないが、武士階層は、そうもいかない。
 名のある武将や国人領主なら、戦前の段階で武田の調略を受けているので既に去就を決めているのだが、再統治の混乱期には早めに挨拶をして権益の安堵を再確認しておかないと、立場がどう変化するか分からない。
 隣の領主がより良い条件で再就職し、自分の土地が削られている可能性もあるのだ。交渉次第で、逆も有り。
 武田の仮本陣が駐留する寺院の前には、元・今川の武家が、真冬の屋外でも我慢して列を成して並んでいる。
 最後尾の者は「最後尾は此処」の看板を持ち、大人しく順番を待つ。
 武田側で応対する人物の評判が与える安心感から、混乱は全くない。
 全く無かった。
 出浦盛清が、止血をした傷が塞がらないまま乗り込んで来るまでは。

 部下が彼の居所に迷わぬように、寺院の門前には彼の旗が掲げられている。
 旗印は、白地に胴赤。
 縦に垂らした長い白生地の、真ん中部分を赤く染めたシンプルでバランスが取れているデザインに、集まる人々は安堵している。
 寺院の日常業務に障りがないよう、その初老の人物は空室を金銭で借りた上で、転向者の対応をこなしている。
 武田信玄への挨拶を頼むには、彼を通さねば成らないし、ほとんどの用事は彼の裁量で済まされる。
 武田信玄が領土を際限なく拡大しても、治世の仕事が増えて過労死しないのは、彼が有能なお陰だ。彼のお陰で、信玄は子供を十二人も作れた。
 織田信長が征服した地域で起きた謀反の数に比べると、彼が裁量を任された征服地での平穏さが際立つ。
 武田四天王筆頭、工藤昌秀まさひで
 彼を通じて武田に忠誠を誓った者は、彼の存命中は、ほぼ裏切らなかった。
 現代に生まれていれば、与党の幹事長は確実な有能人である。

「茶畑の献上ですか」

 転向者の一人が持参した土産物リストを黙読した工藤昌秀まさひでは、柔らかい笑顔のまま、確認する。
「これは、今川氏真の直轄地ですよね。管理を任されているだけの方が勝手に譲渡横流しとか、神経が豪胆ですね」

 柔らかい笑顔のまま優しい口調なので、その転向者は横領を責められている自覚が喚起し辛かった。

「いえいえ。氏真が居なくなった以上、実際に管理している私の物です。それが戦国ルール」
「ですね」
「そうですよね」
「ええ、問題ないですね。戦国ルールには」
「そうですよね」
「ああ、でも、氏真殿は、掛川城でまだ存命ですよね」

 後で揉めそうな物件を引き取る気は全く無い工藤昌秀は、相手の責任をきちんと突き付ける。
 転向者は、この柔和そうな中年男が『最強武田軍団の不動のNo.2』である意味をジワジワと理解し始める。

「か、掛川城は、三河勢が片付けてくれます。きっと」
「ですね。それは問題ないですね」

 工藤昌秀は、そこで間を置いて、転向者の意識を集中させる。

「問題なのは、貴方の認識です。今川氏真が敗走した時点で、駿河の土地財産は、武田に所有権が移っています。貴方が管理を任されている茶畑も、自動的に既に武田の所有物です。
 一時でも、貴方が茶畑の所有権を得ているという幻想は、今後持たないで下さい。
 その認識を改められない様ですと、次は警告しませんお前と家族を殺すぞボケカス

 今川が不在なら好き勝手に出来るという思い込みに、工藤昌秀は釘を刺す。
 八年もオワコン扱いの今川家に仕えていた反動から、この手の勘違いが多い。

「武田は、四六時中強奪に明け暮れている訳では無いし、戦の時以外で其れを認めたりしません。貴方達は、これまで通りに生きて下さい。
 真っ当に、普通に、正気を保って下さい」

 工藤昌秀は、新参者に勘違いをさせない。
 戦国時代が半世紀以上続いていようと、マッドマックスな生き方は推奨しない。
 武田の侵略行為は、あくまで合理的なのだ。

 そうして工藤昌秀が、新参者に『武田の傘下に入ったからって、弱肉強食ハイになるんじゃねえぞ』と念押ししている最中に。

「失礼する」

 室内に出浦盛清が、無愛想に無許可で入って来る。
 性急で剽悍で超攻撃的な男だが、ここまで無礼な真似は滅多にしない。
 それだけの緊急時だと察してなお、工藤昌秀まさひでは転向者との会話を続ける。

「すみません。急な用が入ったようですので…」
「酒が呑みたい」

 出浦盛清は、転向者なぞ存在しないかの様に振る舞い、退室を促す。
 邪魔な人材が退室して部屋から離れてから、武田家若手ナンバーワン忍者は緊急の用事を切り出す。

「工藤さん。この報せを、お屋形様に持って行くと、馬場様が斬られるかもしれない。助けてくれ。知恵が欲しい」
「? 馬場のしくじりなら、お屋形様は苦笑一つで済ませたはずだが…今日も何かしたのか?」
「昨日の、今川母娘を保護しそびれた件。苦笑じゃ済まなくなりました」
「向こうが勝手に郊外へ逃げてしまったのだ。馬場に非はないと思うがね。むしろ、赤備えの方が脅かしてしまったかもしれない」
「服部半蔵が、その件を北条に、非常に偏った意味合いで伝えまして」

 話を察して、工藤昌秀は笑顔を仕舞う。

「北条は、『武田が約束を破って母娘を保護しなかった。春名様と美朝姫は、炎に包まれた駿河の城下町を、徒歩で逃げる羽目になった』と受け取りました。激怒した北条が、大軍の招集を、本当に始めました。武田討伐の名目で」

 用件を伝え終えた段階で出浦盛清は、ホッとしてしまった。
 武田で最も頼れる武将に話して重荷を預けた段階で、安堵してしまった。
 工藤昌秀は、数分の思考で、出浦盛清の期待以上に事変へ応える。

「出浦盛清。北条と上杉が交渉を進めていないかどうか、全方面で確認を取って下さい」

 固まる出浦盛清に、工藤は必要性を説明する。

「北条が武田と本気で戦うつもりなら、上杉と和睦してからです。そうしないと、兵力を充分に集中出来ない」
「上杉謙信が、北条と和睦なんてしますか?!」

 出浦盛清の絶叫は、無理もない。
 天才的戦国大名として知名度抜群の名将・上杉謙信、元・長尾景虎は、北条に関東の支配地を追われた上杉家に見込まれて、上杉家十六代当主を継いだ戦国大名である。
 関東地方で領土拡大を続ける北条家打倒する事を第一目標に戦っている戦国大名であり、大軍を率いて何度も北条家を追い詰めている。
 最近でこそ武田と歴史的激戦を繰り広げているが、上杉謙信の第一目標は北条家討伐である。

「上杉謙信のような天才が北条家を倒せないのは、武田も相手にしているからだ。彼もそれに気付いている。だから、どちらかを滅ぼす為に片方と手を組む機会を逃したりはしない」

 工藤は、上杉謙信の取り得る北条との妥協点を説明する。
 まだ呆然としている出浦盛清に、工藤は柔かに笑顔を見せる。

「天才って、凄いだろう? 平気で現実を魔改造するからね。凡人は適応するのに大童おおわらわさ」


 出浦盛清に必要な指示を出させ、待っている人々に面談の一時中断を告知してから、工藤昌秀は寺の離れの高台へと足を進める。
 周辺を護衛する武田信玄の近習達は、工藤昌秀と出浦盛清の組み合わせに変事を察しつつ、副将への信頼感から乱れなかった。
 見晴らしの良い高台の小屋を火鉢で満たし、駿河湾の絶景を肴に酒を飲んでいるスキンヘッドの武田信玄(四十八歳、愛人複数、子供十二人)は、両脇にエロいボディの下女を密着させて防寒対策を念入りに施している。

「海を、己の所有物と思い込み始めている。仕様もない生き物だのう、戦国大名とは」

 工藤の来訪が緊急の用向きだとは察しつつも、信玄は『両手に肉布団でリラックス』モードを崩さなかった。
 崩したくなかったのだろう。
 これまでの占領地と違い、海のある国である(一部燃やしたけど)。
 当時としてはトップクラスの都市を入手したのである(だいぶ燃やしたけど)。
 超侵略型戦国大名として、最高に美味しい思いをし始めている最中である。

「お主は、何時でも正気で居てくれる。工藤昌秀がいる限り、信玄は酒色に溺れても…」

 信玄は機嫌の良い言葉を切り、工藤の後ろに控える中破姿の出浦盛清に目を向ける。
 工藤昌秀ほどの副将格が、勝利の美酒に酔い痴れる信玄の邪魔をする事態。
 信玄の酔いが醒め、最悪の事態を言い当てる。

「北条が動いたか」

 話の早い主君に、工藤昌秀は頭を垂れて助けを求める。

「某が正気なだけでは、埒が明きませぬ。北条は確実に、こちらの倍の兵数を繰り出して、甲斐本国との補給線を断つでしょう」

 武田信玄の体から、痩身に見合わない精気が放出される。
 両脇に貼り付いていたエロいボディの下女二人が、熱がって身を引こうとする。
 離れた下女の腰を掴んで引き戻しながら、信玄は東海道での戦線を修整する。

「そうだな。まずは、北条が武田と戦う大義名分を破壊しよう」

 武田信玄は、股間を勃起させながら、東海道に武田のタネを着実に蒔く策を吐き出す。

「徳川家康に催促せよ。掛川城を落とし、今川家にトドメを刺せと。遅れるようなら、遠江も武田が仕切るから諦めろと」

 武田信玄は、今川母娘の生死に関して、言及しない。
 北条の憎悪を徳川に向けさせようとする主人の外道な策略に、出浦盛清は笑いが込み上げてくる。笑いを堪えていると、服部半蔵に付けられた脇腹の傷が開いてしまった。

「んん? 深手ではないか、盛清。今日明日は休んでおけ。北条の大軍は、早くても到着は三日後だ。休め休め」

 信玄はそう労うと、その隙に下がって本来の仕事を再開しようとする工藤の肩を掴んで引き留める。

「という訳で、工藤さん。工藤様。工藤大明神」
「あのう、人を待たせていますので」
「今晩か明日の晩しか、機会は無いと思う」
「お屋形様も、真冬に行軍をした疲れが溜まっておりましょう。お休み下さい」
「もっと深刻なモノが、溜まっておる」

 横でそのやり取りを目撃している盛清は、武田・今川・徳川・北条の四つ巴戦の裏に、更に何があるのであろうかと勘繰って固唾を呑む。

「駿河占領記念に、駿河の生娘に種付けしたいです、工藤先生!」
「えー、あー、まー、旧今川の家臣団から、大量の美少女が人質として差し出されておりますので、ご期待に添えるよう、前向きに善処します」
「待っておるぞ(キリッと真顔)」

(お屋形様。今までで、一番真面目な顔だったなあ)
 出浦盛清は、尊敬する上司の超絶真面目な顔を見て、酒が飲みたくなった。外傷多めだけど。
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