鬼面の忍者 遠江国掛川城死闘篇

九情承太郎

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遠江国掛川城死闘篇

今川家は衰退しました(1)

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 昔々、ある所に、今川氏真うじざねというハンサムな貴公子が居ました。
 父親は三ヶ国(駿河・遠江・三河)を支配する超S級戦国大名・今川義元。
 北の強国・甲斐の武田も、東の超大国・北条家も、今川家との争いを望まず、不可侵条約を結びました。
 京都の朝廷からも、「いつも多額の寄付金、ありがとう! いずれは京都でも素敵なグッジョブしてね。待っています(投げキッス)」と大絶賛のラブコールが。
 グダグダで内紛続きの足利幕府から「今ならNo.ツー確実やでえ。軍事力と経済力の援助プリーズ。もう、そのまま牛耳ってくれて構わないから」と自虐的なアプローチも。
 客観的に見て、父の今川義元が軍勢を率いて上京し、戦国時代を終わりに導くのが合理的な運命。
 周囲に期待され、実際に実行可能との試算を弾き出した今川義元は、二万の軍勢を率いて上京を開始しました。
 ただの行軍ではなく、今川家の豊富な人材を何百人も参加させています。上京したら、そのまま今川幕府を営業可能なエリート集団の大移動です。
 大マジで、天下取りに行きました。
 何事も無ければ、今川義元が今川幕府初代将軍。
 何事も無ければ、今川氏真は二代目将軍。

「早く三代目を作らなければ!」

 お嫁さんとの間に姫は設けていましたが、王子様三代目は未だです。
 使命感に燃えた氏真は、嫁さんとの子作りに励みました。次期将軍(未定)を運命付けられた貴公子として、当然の義務です。
 ところがどっこい。
 プリンス氏真の優雅な日々は、突如反転しました。

 今川の軍勢は、桶狭間で織田信長(目付きの悪いマイナー大名)に本陣を急襲され、敗北しました。
 今川義元が、討ち死にしました。
 今川家の主だった武将が、ほとんど討ち取られました。
 二万の軍勢が、四散しました。
 人質で手下で従兄弟で親友の松平家康(後の徳川家康)が、ドサクサに紛れて三河を独立させました。
 忠誠を誓っていた国人領主たちが、離反し始めました。
 教科書に必ず載るレベルの大番狂わせでした。


 父を側で守っていたはずの東海道最強・朝比奈泰朝が、今川館(静岡県静岡市)に戻ってきました。
 いつもは涼しげな礼装で城に出仕する朝比奈泰朝が、戦さ場で浴びた血と汚れを洗わぬまま、首桶をだけを手土産に参上しました。

太守今川義元様の首を奪還する用事が有りました故、死に遅れました」

 死臭を漂わせる朝比奈泰朝が、氏真に首を差し出しました。
 朝比奈泰朝の首には、まだ塞がっていない刀傷が幾つも見られます。

「某が離れた故に起こった大惨事です。太守様の首を届けた以上、生きている理由も無くなりました。さあ、手討ちに」


 誇張でも増長でもなく、朝比奈泰朝が本陣を離れていなければ、桶狭間では織田信長が返り討ちに遭っていただろう。それを承知している信長は、義元の首を道中の城に預けて帰宅している。持ったままだと朝比奈泰朝さんに追撃されてブッ殺されるからである。
 実際、義元の首をパスされた城は、速攻で朝比奈泰朝さんの軍勢に囲まれた。

『太守様の首を返さねば、皆殺しにする』

 と宣告されて、城の皆さんはガクブルで首を返却して生き延びた。
 全部、信長のせい。


 氏真が思考停止していると、祖母の寿桂尼が義元の首を検め終え、首桶の蓋を閉めてしまいました。

「離反した武将の人質を、見せしめに処刑します。朝比奈。差配しなさい」

 愛息の生首を確認した際に流した涙も乾かぬうちに、寿桂尼は防備策を指示しました。
 今川家の裏ボスですので、寿桂尼の命令には誰も異を唱えません。

「…瀬名様(家康の正室)も?」
「瀬名と二人の子供、以外を」

 朝比奈泰朝の昏い顔を観察し、指示を徹底させました。

「私が指示した者以外は、殺さぬように」
 八つ当たり的に大量虐殺をしそうなので、寿桂尼は制御しました。

『お前が付いていながら、織田如きに不覚を取りおって』とか言って責めずに、寿桂尼は今後の今川家を延命させる為だけに、戦略を練ります。
 何せ今川の行政府は、留守番役の人材を除いて99%が討ち死にです。
 何もしなければ、北条・武田・松平に吸収されて今川家は瞬時に消えます。
 中でも一番の懸念材料は…

「あのう、お祖母様」

 氏真の呼びかけに、寿桂尼は普段の温和な顔に戻って応じました。

「なんです、氏真様」
「私はまだ、父上の首を検めておりませぬ」

 朝比奈泰朝の行状に硬直し、寿桂尼が義元の首を検めている間も呆けていた氏真こそが、この時点で今川家の最も危うい懸念材料だ。
 平和な時代の権力者の後継者としてなら、この文系貴公子は良い人の評判のまま、生涯を終えられただろう。
 戦国大名としての今川氏真の評価は、「留守番以外は任せる気になれない」レベルに終始する。
 孫には甘い寿桂尼でも、この評価は変わらない。
 だからこそ、今川家を長年影から支えてきた女傑は、心痛を抑えて孫に微笑む。

「これは失礼しました。あまりに見苦しかったもので、つい遠去けてしまいました。過保護をお許しください」

 朝比奈泰朝は「見せない方が、いいのに」と呟きかけて、顔を引き締めた。
 既に、朝比奈泰朝の主人は、氏真だ。
 寿桂尼の健在に、朝比奈泰朝はマイナス思考を改める。
 寿桂尼が内外に政治的手腕を振るったからこそ、今川家は致命的な人材喪失にも耐えて、この後九年も永らえた。

 寿桂尼は、幽かに震える手付きで、首桶の蓋を外して氏真の前に差し出す。
 保存用の塩に塗れた父の首と対面し、氏真は悲鳴を堪える。
 死んでいるとは思えぬほどに、その目は怒りに満ちていた。
 氏真は、父の激怒した顔に、不覚にも死んでいて良かったと安堵した。
 忿怒のまま凝固した義元の顔は、口に何かを食いしばっていた。

「お首を搔かれる時に、相手の指を食いちぎったのです。取り出そうとしましたが、死しても尚、お放しになられない」

 朝比奈泰朝の解説を聞きながら、氏真は首を桶に戻しました。
 蓋を締め直しました。
 縁側へダッシュしました。
 着衣にかからないよう、気を配って庭の土へと嘔吐しました。
 気配りは得意な人でした。




 鬼面の忍者 掛川城死闘編 二章
 今川家は衰退しました(1)


 八年後。
 1568年(永禄十一年)四月十一日。
 寿桂尼、永眠。
 戦国時代に、軍事・行政の人材を99%失っても尚、今川家を守り抜いた偉大な女性が、世を去った。
 こんな条件での無理ゲーは、誰にも出来ない。
 遺言により、遺体は今川家の北東・鬼門に位置する竜雲寺に埋葬された。

「死んでも今川家を護りますぞ」

 今際の際にそう言ってくれたが、氏真には分かっていた。
 北東・鬼門から侵攻して来るであろう武田は、一切容赦しないだろうと。
 八年も衰退する国の当主を経験したので、氏真の政治感覚は冷め切っている。

「ねえねえ、朝比奈さん」

 葬儀を終えると、氏真は朝比奈泰朝を私室に呼び出し、他人には絶対に聴かせられない内密の話を持ち出す。

「もう戦国大名を続けるのは無理だから、北条に領地を全て売るよ。その金を引っ越し費用に充てて、財産を運んで京で暮らす」

 朝比奈泰朝さんは、氏真の真顔を見、空の入道雲を見、氏真の真顔を見、寿桂尼の位牌を見、溜め息をついてから氏真に頭を下げた。

「お疲れ様でした。そうなった暁には、自分も自由な立場で仕官先を探します」

 穏便かつ段階的な見捨て方に、氏真は安堵する。
 誰よりも氏真が戦国大名に向いていない現実を見守り続けた朝比奈泰朝である。
 氏真には何の期待もしていない。
 東海道最強だって、無理ゲーに八年も付き合って疲れている。

美朝みさ姫の養育にも、京の方がいいかもしれませんな…いや、お待ちを」

 京が戦国時代百年で一番の紛争地帯だという現実を思い出し、朝比奈さんは初めてこの意見に異を唱える。

「北条の小田原城で過ごした方が、安全では? 親族扱いで、相当に優遇していただけるかと」
「いや、北条は周辺国から警戒されているから、多国籍軍に攻められて小田原城を囲まれたりとか、結構危ないよ。やだよ、居城を大軍に囲まれるとか。その点、京は戦が起きても逃げれば良いだけだから、楽」

(逃げ易さで決めたのか)

 武将には出来ない発想に、氏真への評価を(更に下方へ)改める朝比奈だった。

「まあ、美朝姫が御無事なら、それで良いですね」
「朝比奈さんが嫁に貰って引き取るという手段もあるけど?」

 朝比奈泰朝さんは、氏真のニヤケ顔を見、空を飛ぶ朱鷺を見、氏真のニヤケ顔を見、寿桂尼の位牌を見、聞こえるように溜め息をついてから氏真に頭を下げた。

「要りません」
「言い方が悪い! 三十路で、未だ独身でしょ」
「美朝姫は、未だ九歳です」
「このまま今川家に残っても、政略結婚に使って売り飛ばすだけだからのう。初恋の人に押し付けたい」
「京に移っても、某を繋ぎ止めるための婚姻では?」
「嫌か?」
「嫌です」

 氏真は、扇子を拡げ、機密情報を朝比奈さんの耳元に発信する。

「美朝姫は…母親に似て、将来はセックス上手になると思う」
「……」

 奥方に知られたら、氏真の顔面が破壊されそうな内容だった。

「容姿・肉付きは確実に引き継がれつつあるから、面食いの朝比奈さんでも異論はあるまい?」
「・・・」
「婚姻は、五年後のセックスを見据えて決めようぞ?」

 しつこい主人を黙らせようと、朝比奈泰朝は指先一つで耳元の扇子を弾き飛ばす。
 デコピンの動作で飛ばされた扇子は、柱に五センチほど刺さって止まる。

「寿桂尼様が、お亡くなりになった以上、武田は確実に大軍で攻め込んで来ます。今から兵を集めなければ」
「間に合うのか?」

『武田』の一言で、氏真はシリアスに戻る。

「攻めて来るのは、冬になってからでしょう。雪が降り始めて越後からの山道が塞がらないと、背後を上杉軍に突かれますから」
「半年、か…。京への移住は、それまでに済ませないと」
「・・・」
「冬までに領地売買の見積もりを済ませ、北条との交渉をまとめねば」

 今川が武田に勝てない前提で話されて、微妙な顔をするだけで済ませた朝比奈泰朝の人格を褒めて欲しい。


 今川氏真の戦国大名引退&京移住計画は、半年を待たずに頓挫する。
 京に、クーデターで暗殺された十三代足利将軍の弟・足利義昭が凱旋し、十五代将軍に就任しちゃったのだ。
 この京凱旋&新政権樹立を実現させた戦国大名は、織田信長。
 八年前に氏真の父・義元が実現しかけた計画を、仇の織田信長が成し遂げてしまった。
 この状況で京に移住したいとは、氏真でも思わない。
 またしても全部、織田信長のせい。
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