16 / 60
第一章 赤と黒の螺旋の中で
十五話 尾張いんちきシビルウォー(3)
しおりを挟む
佐脇良之に小姓の基本教育を施し、半月ほどで信長に面通しを済ませ、同僚たちに挨拶してから火鉢の燃料を補給させると、怪訝な顔で戻ってきた。
「金森殿。お聞きした事が」
「殿の身の回りを世話する小姓は、間に合っています。新規は庶務や諸奉行の仕事で費やされます」
「そういうトリビアではなく、燃料を貰いに行った先での、怪奇現象について」
「何でも聞いてくれ」
金森可近は、親身に応じる。
サボれるので。
「先月、台所奉行だった藤吉郎が、今は薪奉行。そして来月には他の奉行になるとか。意味が分かりません。何がしたいのですか、あの人は?」
「武家社会に慣れている最中です。今川の小者だった時は、簡単な雑用しか任せてもらえず、勉強する機会も乏しかったので。織田家に転属して正解です。この職場は、適所適材ですから」
「いえ、月替わりで奉行職を転々として、支障とかは…」
「ないですよ。一ヶ月で仕事を覚え、改善して次の人に任せる。各部署で効率化と経費削減が進むので、殿も大喜び」
「…それって、ひょっとして…天才?」
「相当な逸材です。普通の武家に生まれていたら、今頃は家老を任されているかも」
「読み書きが出来ないのに?」
「平仮名は読み書き出来ます。漢字は勉強中です」
「どうしてそこまで把握を?!」
「自分の仕事を、劇的に楽にしてくれる、輝ける逸材だからです」
もっと藤吉郎をスキルアップさせて、自分の仕事も肩代わりさせたい、可近だった。
この段階での藤吉郎への評価は、『便利な庶務の天才』だった。
その才能が戦争に向けられた場合の恐ろしさに気付くのは、サボりたい可近よりも、信長が先になる。
「藤吉郎が出世したら、更に楽な役職をもらって、より楽に生きていけます」
「羨ましい程に、どうかしていますね、金森氏」
信長の代になってワーカーホリック度数が増している織田家の中で、平気で真逆の方向へと生きていく金森可近に、畏敬しちゃう佐脇良之だった。
そうやって呑気なペースで生きていこうとする金森可近の存念には、一切何も遠慮せずに、織田信長は『尾張いんちきシビルウォー』の第二段階に突き進む。
「ひけぇ~~!!」
織田信長が、主語抜きで命令を叫ぶ。
時刻は昼過ぎ。
その声が清洲城内に響くと、皆が一斉に慌ただしく動きを加速させる。
慣れた小姓が、太刀や戦道具を持って信長の後を追い、更に古参の側近は信長の愛馬の用意をする。
「違う、今回は速さより、耐久力重視の馬」
金森可近は、他の馬廻が用意した馬を留め、入れ替えた馬に信長専用馬具を着ける。
二秒後に、信長が可近の用意した方の馬に乗って、後ろを振り返らずに駆け出す。
先に別の馬を用意していた馬廻が、安堵して可近に礼を言いつつ、自分の馬に乗って信長の後を追う。
因みに、信長の用に合わない馬を用意した場合、叱責されて睨まれて寿命が一年は縮む。
今は一応小姓の佐脇良之は、自分の奉公人に戦仕度を命じると、金森可近に付いて行こうとする。
赤い母衣を背に背負った目立つ姿で騎乗する金森可近は、
「君は用意をしてから追い付きなさい。行き先は、於多井川(今の庄内川)の渡河地点です」
新人に無理をさせないよう忠告してから、駆けた。
他にも派手な母衣を装備した馬廻が馬を駆り、信長の後を追う。
佐脇良之が荷造りを終えた奉公人を待っていると、軽武装の藤吉郎に出会した。
年老いた奉公人が曳いてきた安上がりな痩せ馬で、出陣しようとしている。
体躯が低身長で痩身の上に、今まで見かけた仕事が庶務ばかりだったので、佐脇良之は藤吉郎が戦に出る人だとは全く考えていなかった。
そう見られる現象には慣れているので、藤吉郎は笑って流す。
「見るだけですってば。見ないと、分からないからね」
「戦が?」
「いえ、兄弟での殺し合いが」
「…」
「戦だけなら珍しくないけど、兄弟の殺し合いは、初めて見るで。何事も、経験だで」
「……」
「家族想いの殿には、辛いだろうけど…勢力が二倍になるので、この藤吉郎も出世し易くなるだぎゃあ」
最大限の気遣いと、底意地の悪い慇懃無礼が、その人物の中で両立している。
佐脇良之は、ひょっとするとこの猿面青年は、誰の手にも負えないのではないかと勘付いた。
藤吉郎は、見慣れた視線を向けている佐脇良之に対し、別に気にもせずに先に行く。
彼の才を便利だと重宝する者と、彼の怪物性を恐れる者からの視線に、彼は既に慣れている。
出足こそ速い織田信長だが、あくまで味方の出陣を急かす為のパフォーマンスである。
於多井川を渡る手前で軍勢が集結するのを待つ間、渡河してからの用兵について、側近たちと打ち合わせを済ませる。
「まず、戦闘開始直後。こちらの陣営の兵卒が、逃げ出します」
今回、信長の元に集まった兵は、七百。
対して信行の元には、千七百。
打ち合わせ通り逃げても、不思議はない戦況だ。
「次に、殿と馬廻だけが、突撃。相手の兵卒が逃げて、信行殿が降伏。これで尾張の三分の二が、統合されます」
金森可近が得意顔で解説するが、森可成は恥ずかしさで膝を屈して泣き出した。
「もうやだ。そんな恥ずかしい戦をするくらいなら、初めから合流させてやれよ」
「ダメです」
森可成が泣いて頼んでも、金森可近はインチキする事に関して、妥協しない。
「信行殿には、斎藤家も今川家も調略の手を伸ばしています。この環境を更新するには、信行殿に、フルボッコで負けていただきます。他国の者に、信行殿は戦に向かないから、担ぐだけ無駄だと思わせる。その為の作戦です」
客観的に聞くと酷い説明台詞を遮って、信長が厳命する。
「信行以外は、殺って構わん。代わりの兵は、金で雇える」
可近の渋い顔には応じず、信長は他の側近たちの戦意を煽る。
「五郎八(可近)の筋書き通り、信長は敵兵に向かって、大声で降伏勧告をする。それでも退かずに刃を向ける愚図は、要らぬ。討て」
可近は、更に顔を渋くするが、妥協する。
このいんちきシビルウォーを提案し、仲の良い兄弟が戦っても不思議ではないネタを待っていたら、事態は予想以上に悪化している。
五分五分だった信長と信行の支持率が、二年で三対七にまで逆転されている。
現代で例えると、政党総裁の地位から勇退を勧められる状況だ。
信長には、可近のインチキを許容する余裕が、足りなくなっている。
「金森殿。お聞きした事が」
「殿の身の回りを世話する小姓は、間に合っています。新規は庶務や諸奉行の仕事で費やされます」
「そういうトリビアではなく、燃料を貰いに行った先での、怪奇現象について」
「何でも聞いてくれ」
金森可近は、親身に応じる。
サボれるので。
「先月、台所奉行だった藤吉郎が、今は薪奉行。そして来月には他の奉行になるとか。意味が分かりません。何がしたいのですか、あの人は?」
「武家社会に慣れている最中です。今川の小者だった時は、簡単な雑用しか任せてもらえず、勉強する機会も乏しかったので。織田家に転属して正解です。この職場は、適所適材ですから」
「いえ、月替わりで奉行職を転々として、支障とかは…」
「ないですよ。一ヶ月で仕事を覚え、改善して次の人に任せる。各部署で効率化と経費削減が進むので、殿も大喜び」
「…それって、ひょっとして…天才?」
「相当な逸材です。普通の武家に生まれていたら、今頃は家老を任されているかも」
「読み書きが出来ないのに?」
「平仮名は読み書き出来ます。漢字は勉強中です」
「どうしてそこまで把握を?!」
「自分の仕事を、劇的に楽にしてくれる、輝ける逸材だからです」
もっと藤吉郎をスキルアップさせて、自分の仕事も肩代わりさせたい、可近だった。
この段階での藤吉郎への評価は、『便利な庶務の天才』だった。
その才能が戦争に向けられた場合の恐ろしさに気付くのは、サボりたい可近よりも、信長が先になる。
「藤吉郎が出世したら、更に楽な役職をもらって、より楽に生きていけます」
「羨ましい程に、どうかしていますね、金森氏」
信長の代になってワーカーホリック度数が増している織田家の中で、平気で真逆の方向へと生きていく金森可近に、畏敬しちゃう佐脇良之だった。
そうやって呑気なペースで生きていこうとする金森可近の存念には、一切何も遠慮せずに、織田信長は『尾張いんちきシビルウォー』の第二段階に突き進む。
「ひけぇ~~!!」
織田信長が、主語抜きで命令を叫ぶ。
時刻は昼過ぎ。
その声が清洲城内に響くと、皆が一斉に慌ただしく動きを加速させる。
慣れた小姓が、太刀や戦道具を持って信長の後を追い、更に古参の側近は信長の愛馬の用意をする。
「違う、今回は速さより、耐久力重視の馬」
金森可近は、他の馬廻が用意した馬を留め、入れ替えた馬に信長専用馬具を着ける。
二秒後に、信長が可近の用意した方の馬に乗って、後ろを振り返らずに駆け出す。
先に別の馬を用意していた馬廻が、安堵して可近に礼を言いつつ、自分の馬に乗って信長の後を追う。
因みに、信長の用に合わない馬を用意した場合、叱責されて睨まれて寿命が一年は縮む。
今は一応小姓の佐脇良之は、自分の奉公人に戦仕度を命じると、金森可近に付いて行こうとする。
赤い母衣を背に背負った目立つ姿で騎乗する金森可近は、
「君は用意をしてから追い付きなさい。行き先は、於多井川(今の庄内川)の渡河地点です」
新人に無理をさせないよう忠告してから、駆けた。
他にも派手な母衣を装備した馬廻が馬を駆り、信長の後を追う。
佐脇良之が荷造りを終えた奉公人を待っていると、軽武装の藤吉郎に出会した。
年老いた奉公人が曳いてきた安上がりな痩せ馬で、出陣しようとしている。
体躯が低身長で痩身の上に、今まで見かけた仕事が庶務ばかりだったので、佐脇良之は藤吉郎が戦に出る人だとは全く考えていなかった。
そう見られる現象には慣れているので、藤吉郎は笑って流す。
「見るだけですってば。見ないと、分からないからね」
「戦が?」
「いえ、兄弟での殺し合いが」
「…」
「戦だけなら珍しくないけど、兄弟の殺し合いは、初めて見るで。何事も、経験だで」
「……」
「家族想いの殿には、辛いだろうけど…勢力が二倍になるので、この藤吉郎も出世し易くなるだぎゃあ」
最大限の気遣いと、底意地の悪い慇懃無礼が、その人物の中で両立している。
佐脇良之は、ひょっとするとこの猿面青年は、誰の手にも負えないのではないかと勘付いた。
藤吉郎は、見慣れた視線を向けている佐脇良之に対し、別に気にもせずに先に行く。
彼の才を便利だと重宝する者と、彼の怪物性を恐れる者からの視線に、彼は既に慣れている。
出足こそ速い織田信長だが、あくまで味方の出陣を急かす為のパフォーマンスである。
於多井川を渡る手前で軍勢が集結するのを待つ間、渡河してからの用兵について、側近たちと打ち合わせを済ませる。
「まず、戦闘開始直後。こちらの陣営の兵卒が、逃げ出します」
今回、信長の元に集まった兵は、七百。
対して信行の元には、千七百。
打ち合わせ通り逃げても、不思議はない戦況だ。
「次に、殿と馬廻だけが、突撃。相手の兵卒が逃げて、信行殿が降伏。これで尾張の三分の二が、統合されます」
金森可近が得意顔で解説するが、森可成は恥ずかしさで膝を屈して泣き出した。
「もうやだ。そんな恥ずかしい戦をするくらいなら、初めから合流させてやれよ」
「ダメです」
森可成が泣いて頼んでも、金森可近はインチキする事に関して、妥協しない。
「信行殿には、斎藤家も今川家も調略の手を伸ばしています。この環境を更新するには、信行殿に、フルボッコで負けていただきます。他国の者に、信行殿は戦に向かないから、担ぐだけ無駄だと思わせる。その為の作戦です」
客観的に聞くと酷い説明台詞を遮って、信長が厳命する。
「信行以外は、殺って構わん。代わりの兵は、金で雇える」
可近の渋い顔には応じず、信長は他の側近たちの戦意を煽る。
「五郎八(可近)の筋書き通り、信長は敵兵に向かって、大声で降伏勧告をする。それでも退かずに刃を向ける愚図は、要らぬ。討て」
可近は、更に顔を渋くするが、妥協する。
このいんちきシビルウォーを提案し、仲の良い兄弟が戦っても不思議ではないネタを待っていたら、事態は予想以上に悪化している。
五分五分だった信長と信行の支持率が、二年で三対七にまで逆転されている。
現代で例えると、政党総裁の地位から勇退を勧められる状況だ。
信長には、可近のインチキを許容する余裕が、足りなくなっている。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
漆黒の碁盤
渡岳
歴史・時代
正倉院の宝物の一つに木画紫檀棊局という碁盤がある。史実を探ると信長がこの碁盤を借用したという記録が残っている。果して信長はこの碁盤をどのように用いたのか。同時代を生き、本因坊家の始祖である算砂の視点で物語が展開する。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
焔の牡丹
水城真以
歴史・時代
「思い出乞ひわずらい」の続きです。先にそちらをお読みになってから閲覧よろしくお願いします。
織田信長の嫡男として、正室・帰蝶の養子となっている奇妙丸。ある日、かねてより伏せていた実母・吉乃が病により世を去ったとの報せが届く。当然嫡男として実母の喪主を務められると思っていた奇妙丸だったが、信長から「喪主は弟の茶筅丸に任せる」との決定を告げられ……。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
黄金の檻の高貴な囚人
せりもも
歴史・時代
短編集。ナポレオンの息子、ライヒシュタット公フランツを囲む人々の、群像劇。
ナポレオンと、敗戦国オーストリアの皇女マリー・ルイーゼの間に生まれた、少年。彼は、父ナポレオンが没落すると、母の実家であるハプスブルク宮廷に引き取られた。やがて、母とも引き離され、一人、ウィーンに幽閉される。
仇敵ナポレオンの息子(だが彼は、オーストリア皇帝の孫だった)に戸惑う、周囲の人々。父への敵意から、懸命に自我を守ろうとする、幼いフランツ。しかしオーストリアには、敵ばかりではなかった……。
ナポレオンの絶頂期から、ウィーン3月革命までを描く。
※カクヨムさんで完結している「ナポレオン2世 ライヒシュタット公」のスピンオフ短編集です
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885142129
※星海社さんの座談会(2023.冬)で取り上げて頂いた作品は、こちらではありません。本編に含まれるミステリのひとつを抽出してまとめたもので、公開はしていません
https://sai-zen-sen.jp/works/extras/sfa037/01/01.html
※断りのない画像は、全て、wikiからのパブリック・ドメイン作品です
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~
佐倉伸哉
歴史・時代
その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。
父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。
稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。
明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。
◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16818093085367901420)』でも同時掲載しています◇
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる