楽将伝

九情承太郎

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第一章 赤と黒の螺旋の中で

十二話 平手政秀は何故、死んだのか?(4)

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 会見は(辛うじて)和やかに終わり、斎藤道三は帰る信長を長々と見送った。
 別れを惜しんでいるように見えるし、隙があれば背後から襲いたいようにも見える。
 織田の軍勢が視界から消えてから、美濃の者たちは、斎藤道三が本気で別れを惜しんでいたと知る。
 相当に寂しそうな顔で、帰路に着く。
 なんだか美濃が尾張に負けたようで癪なので、側近の中で最も若い、というか幼い猪子いのこ兵介ひょうすけ(七歳)が、織田信長について評価を下す。
「やはり上総介(信長)殿は、噂に違わぬ、うつけでございましたな(我々を殲滅出来る好機なのに、そのまま帰るなんて、うつけだ)」
 残念ながら兵介の発言は、見る目のないクソ雑魚キャラの発言として受け止められた。
 周囲は笑ってくれたが、斎藤道三は、決定的なダメ出しを口にした。
「無念な物言いだ。我が子たちは、あの者の門前に馬を繋ぐ事になろう(軍門に降るという意味)」
 家臣たちが、絶句する。
 この世の殆どの人物を「己の才覚に及ばない者たち」として利用し踏み台にしてきた梟雄きょうゆう(残忍な英雄)が、織田信長に対して敗北宣言をしたのである。
 敗北宣言と縁のない人生だったせいか、斎藤道三はこの発言の影響を、理解せずに放置してしまった。
 この会見に同行した家臣団の中には、「将来、織田信長の軍門に降る」と予言されてしまった、嫡男・義龍よしたつもいた。
 この瞬間。義龍が父を見限り、家臣たちもそれに靡くというフラグを立てた事に、気付かなかった。
 気付いていたら、すぐに始末していただろう。
 他にも息子は何人もいるので。


 斎藤道三が帰路に致命的な失言をしていた頃。
 金森可近ありちかは帰路で、明智十兵衛光秀を出禁にする許可を求めていた。
 美濃から帰蝶への連絡役に、明智十兵衛光秀は何度か尾張に赴いている。
 帰蝶の親戚でもあるので、相当に緩く出入りを許している。
「効果は薄くても、内乱扇動と平手殿への切腹示唆をした人物です。もう寄せないでください」
 穏和な金森可近からの厳しい出禁要請に、周囲が息を呑む。
「ダメだ。使える情報網を失う」
 平手政秀の切腹に関与していようと、信長は明智光秀を美濃への二重スパイとして使える実利を選ぶ。
「あやつは、便利だで」
「平手殿は…」
「死んだら役に立たん」
 ブチ切れて説教しようとする可近ありちかより先に、信長の方がブチ切れて可近ありちかの襟首を掴む。
「おでの情報網を、壊すな。ただでさえ後手に回っている。じいにしてやれる事は、もう菩提寺を作ってやる事しかない!」
「あいつは毒物です! 毒を飲んだら、吐かなきゃダメですよ!」
「飲み込め! 一部にしろ! 使いこなせ!」
「いやです」
 信長が刀に手を伸ばそうとするが、柄に巻かれた藁縄を可近ありちかが掴み、取り上げた。
 そのまま抜く訳にもいかず、藁縄を外して使い易いようにしてから、信長に返還する。
 双方、気まずいまま。
 可近ありちかは馬で五歩後方に下がり、距離を置く。
 信長は不機嫌そうに、チラチラと振り向きながら、金森可近ありちかがそれ以上離れないかどうか気にしながら馬を進める。
 頭を冷やしながら、可近ありちかは情報を整理する。
 薄情な信長と酷薄な明智光秀への怒りを収め、俯瞰から事態を見直す。

(二重スパイに対処しても、次のクソ野郎が送られて来るだけだ。別の手段を考えよう)
(美濃の同盟維持派は、信長に尾張統一をして欲しがっている)
(美濃の同盟反対派は、その過程で信長に死んで欲しがっている)
(今川も、同盟反対派に与している可能性大。信長に死んで欲しい)
(尾張国内は、信行が利口なので、内乱には成り難い。平手政秀が死んでも、そのバランスは崩れ難い)
(それでもバランスを崩したい場合)
(バランスを崩す一手。人物。平手政秀も織田信長も、手を出せない人物を扇動)
(そんな人物は…)
(明智光秀が尾張に来た際に、接触可能で、唆し易い人物)
(接触しても、不自然ではない、尾張の人物)
(帰蝶様の近く)

 そこまで考えたところで、脳内で妻の福が溢した愚痴が、蘇る。
『ったく、どこでどうしたら、ああいう若様が生まれるのかしら』
 可近ありちかは、辿り着いた人物について、信長に伺いを立てるのを控える。
 信長は、身内に甘い。
 実の母親を、家臣に詮議させる事を、許さないだろう。
 詮議を求めれば、信長自身が詮議をしてしまう。
 内容次第で、信長は母親を手にかける。
 一番穏便に済ませても、生涯幽閉。
(優しいなあ、平手殿は。母親を殺させない為に、弟と戦わせようとか)
 平手政秀が一命を賭けての、ダメージコントロールだった。
 信行が信長に討たれれば、アンチ信長の内乱扇動は、無駄になる。
 扇動を扇動された土田御前(信長の母)の罪は、信行に被せて軽減可能。
 土田御前(信長の母)も、二度と我が子同士の戦いを扇動しないだろう。
 母親は一人だが、弟は何人も控えがいる。
 戦国時代基準の、ダメージコントロール。
 非常に面倒臭い、流れである。
 もし平手政秀が生前に、この件を可近に相談していたら、金森は妻と一緒に三河に逃げていたかもしれない。
(面と向かって投げ渡すと断るから、自分が不在の時に切腹したのか。自分に拾わせる為に。拾っちまったよ、まんまと自分から。くそ~、拾わせやがって、狸じじい)
 どうしようかと考えながら、可近ありちかは平手政秀が投げて寄越した宿題を、思考する。
 平手政秀の考案したダメージコントロールでは、信長が母親と不仲のままで終わってしまう。
 ただでさえキレ易い信長の、キレるハードルが更に下がってしまう。
 そうなると、可近が多忙になる。
 キレた信長を宥める回数なぞ、少なく済ませるに限る。
(よし、適当にアレンジして、適当に済ませるか。文句は言うなよ、平手殿。自分に拾わせた、あんたが悪い)
 面倒臭い案件だからこそ、可近は楽が出来る方向へと、ナイスアイデアを固めていく。
 
 金森可近ありちかが喜色満面で馬を寄せて来たので、信長は反射的に逃げかけたが。留まる。
 何かナイスアイデアを持って来たっぽい可近ありちかの、発言を待つ。
「殿。発想を変えましょう。この事態、発想を一つ変えれば、みんな幸せ」
 信長は、思っていた。
 常日頃から、金森可近ありちかが軍師だったら楽なのになあ~、と思っていた。
「将棋みたいに、敵に勝っても殺さずに手駒に加える。これを実際の戦でも実践すれば、内乱は逆に勢力倍増のチャンスになります。
 逆に援軍に来た美濃勢は、削っておきます」
 途轍もなく面倒な戦い方を強いるアイデアだったので、信長がドン引きする。
「…おみゃあは、それがどれだけの苦労を背負う戦になるのか…わかって言うとるから、怖い」
「怖くない、怖くない。苦労するだけです。その苦労も、相手に『いんちき内乱』を承知させれば、半減します」
「…それを信行や権六に承知させる苦労は…」
「自分がサポートしますので、殿、頑張ってください」
「…信長が、説得するのか?」
 基本的に無口なので、説得仕事は部下任せである。
 だが、この件に関しては、信長自身で説得しないと成り行きが怪しい。
「はい。家族円満の為です。幸せになりましょう。お手伝いしますよ。傍から」
「・・・」
 信長に断らせない圧を、可近はかける。
 金森可近ありちかは、本気で、信長に苦労をさせる気だ。
 信長は、理解した。
 織田信秀も平手政秀も、金森の才能は認めても、軍師にしなかった意味を理解した。
 こいつは、主君を扱き使う行為に、躊躇いを感じていない。
 自分が楽になる為、主君に激務を課す事に、本当に躊躇いがない。
 金森可近ありちかを軍師にしたら、信長の方が過労死すると、信長は理解した。
「…その話は後回しでいいから、帰ったら茶を頼む」
「はい、喜んで」
(尾張の内乱は『適当に穏便に済ませる方が、得』という考えが頭に入っていれば、家族を害するまでには至らないだろう)
 ナイスアイデアは吹き込んだので、可近ありちかは妥協して、茶坊主的側近に戻る。

 信長も、妥協した。
 金森可近ありちかを、茶坊主的側近として使う事で、妥協した。
 
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