唾棄すべき日々(1993年のリアル)

緑旗工房

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第46話 経理課長、その後

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橋本さんのおかげでプログラムはほぼ完成し、あとは細かい手直し程度になった。
ようやく精神的に余裕が出てきた俺は、仕事の合間に橋本さんから会社の情報を聞きだした。

橋本さんは懐が深いというか子供っぽいというか、会社の重要な情報を平気で喋ることで有名だ。
気心が知れた一部の部下に話すのならまだしも、ほぼ無差別に喋る。
よくいえば平等なのだが、話す相手を選ぶことも必要なのではないか。

これまでに大規模な人事異動が何回かあったが、会社が極秘にしているにも関わらず橋本さんがあちこちで喋りまくって情報がダダ漏れ、正式発表前に半分近い人が知っていたなんて冗談みたいなこともあった。
それが橋本さんの魅力とも言えるのだが、そんなところも俺を苛つかせていた。

そんな橋下さんだから俺でも聞けばいろいろ話してくれるはずだ。
なぜ経理課長が営業へ異動になるのかを聞いてみたが、俺は体のいい退職勧告だと読んでいた。

「うーん、この時期に経理課長の交代は不自然な気もするし、営業への異動は無理があるかもしれない。
社長がその辺りをどう考えているかは正直わからないんだ。
でもさ、社長は以前からあまり経理課長のことを評価してなかったんだよ。
社長としては経理以外のことも手広く、例えばリクルート対策とかもやってほしかったらしいんだ。
でも経理の仕事ばかりやっていたのが気に入らなかったらしいよ」

どうやら俺の読みは当たっていそうな感触だった。
ただ役員の橋下さんでも人事の裏の意味までは知らないようで、そのあたりは社長の頭の中にしかないのだろう。


前経理課長のその後だが、営業へ移動してから数ヶ月で解雇された。
物を売るような業種の営業職でも、たった数ヶ月でクビになることは滅多にないだろう。
ましてやソフト屋の営業なんて数ヶ月で結果が出るようなものではないので、おそらく最初から解雇狙いだったのは間違いない。
でも、なぜすぐクビにせず一旦営業に移動させたのだろう。

俺が入社してから、新経理課長は3人目の経理責任者だ。
俺が入った時の経理課長は会社創業時から勤めているプロパーで、2人目が数年前に入社した前経理課長だ。

プロパー経理課長は数年前に会社の金を使い込んでいることが判明して会社を去った。
女につぎ込んでいたらしい。
中学生の子供がいるのに馬鹿なことをしたものだが、なぜか一部の人は同情的な目で見ていた。

この人は自分の部下だった女性と社内結婚したのでが、その部下というのが性格が悪いことで有名な女性だったらしい。
誰からも嫌われていて、結婚すると聞いた時には本気で考え直せとアドバイスした人もいたぐらいの凄さだったそうだ。
奥さんがそんな性格なので、2人を知る人は口を揃えて「あれじゃ浮気もしたくもなるよ」と同情していた。もちろんそんなことが免罪符になるはずもなく、使い込み発覚後に会社を去った。
懲戒免職は免れたそうだが、使い込んだ金は分割で返すと約束したのも影響したのだろうけど、おそらく一番大きかったのは創業以来の仲間に対する社長の温情だろう。
この会社は社長の優しさが最大の魅力なのかもしれない。
それはともかく、そんな経緯があって急遽採用したのが前経理課長だ。

プロパー経理課長は俺が入社面接を受けた時の担当で、入社後も周囲に馴染めるようになにかと気にかけてくれる人だった。
別部署の課長という距離感もあって個人的に飲みに行くことは滅多になかったが、たまに飲みに行くと途中で会計を済ませて先に帰り、あとは俺たちだけで気兼ねなく飲めるような気遣いをする人だった。

プロパー経理課長は酔うと必ず男の部下が欲しいと言っていた。
経理は昔から課長と女性2人の体制で、男の部下を持ったことがなかったのだ。
社長の方針で昔から経理は女性2人がいて、それは来客時のお茶出しが男では格好がつかないというのが理由だった。
技術者の中には何人も女性がいるのだが、女性といえども技術者は自分の仕事に集中すべきで雑用はうやらせないというのが社長の考えだった。
今となっては普通かもしれないが、当時としてはかなり先進的な考え方だった。
それで経理は昔から男性課長と女性2人体制、会社が大きくなって経理に男の部下が入ったら酒を酌み交わしたい、それが夢だと言っていた。

ひょっとしたら飲みに行って先に帰るのも男の部下に言いたかった愚痴も、恐妻が原因だったのかもしれない。
しかし良い人だったし経理マンらしくきっちりしていたので、まさか使い込みをするとは想像もできなかったので、それを知った時は衝撃的だった。


そんな経緯で採用された前経理課長は当然ながらバリバリの経理マン、俺は経理畑一筋の人だと勝手に思いこんでいたのだが、後で知ったのだが営業経験もあったそうだ。
だから営業に移動となったときはその経験を生かそうと張り切っていたらしい。
カラ元気だったのかもしれないが、この不況下での経理責任者のプレッシャーは相当なものだっただろう。
その立場を離れられてホッとした面もあったはずだ。
自分が社長から疎まれていたことを知っていたかどうかは分からないが、少なくとも周囲の目には営業で頑張ると張り切っていたそうだ。

しかし、たった数ヶ月で解雇されたのはなぜだろう。
営業成績を評価するにはあまりにも短すぎるし、人件費削減で解雇するなら営業に移動させる必要はない。
これは俺の推測だが、新経理課長が無事に務まるかどうかを見極めるまで営業で飼っておいたのではないか。

新たに経理課長になった人はシステム課の課長だった人で、経理の仕事をしていた経験があるそうだ。
プロパーで社長からの信任も厚かったので新たな金庫番に任命されたが、いくら経理経験があったとしても昔の話で実力は未知数だ。
経理で大きなしくじりをしたら会社が潰れかねない。
だから新経理課長でも問題ないことを確認するまで、営業で飼っておいたのではないか。

もし新経理課長が使い物にならなかったら経理に戻すというウルトラCも考えていたのかもしれない。
そのためには前経理課長が嫌気がさして辞めないようにすることが重要で、それで営業での活躍を期待するという雰囲気にしたのではないか。
数ヶ月経って月次決算などが無事終わって新経理課長でも問題がないことが確認できたので用済みとなり解雇、全ては俺の勝手な推測だが当たっているような気がする。

そうだとしたら、社長もなかなかの悪よのう。


こうして前経理課長もまた不況に巻き込まれた被害者になった。
勤続年数も短いから退職金も知れたものだろうけど、会社都合なので多少は割増があったかもしれない。
それより会社都合だと失業保険が早くもらえるから、そちらの方が助かる気がする。
年齢的にも状況的にも再就職は厳しいだろうけど、営業と経理ができて定年まであと数年という年齢なのだから、割り切って契約社員や歩合制の営業などで食い繋ぐ手もあるだろう。

まだ何十年も仕事人生が続く俺たちと違って、年齢の高さはいろいろと有利な気がする。
すでにリタイヤすることを想定していたかもしれないし、それなりの蓄えもあるだろう。
そう考えると前経理課長にとってはそんなに悪い結果ではなかったのかもしれない。
もちろん定年まで勤められなかったのは残念だろうけど、それとて生え抜き社員と違って中途入社組だからショックも少ないのではないか。
少なくとも入社して1年もしないうちに解雇された新人達よりは救いがある気がする。
まあ、比較するようなことでもないのだが。

その後、風の便りに経理課長が再就職したという話を聞いた。
詳しいことはわからなかったが、ホッとした気持ちになった。
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