唾棄すべき日々(1993年のリアル)

緑旗工房

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第43話 か細い声

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俺たちの笑い声が続いているとき、ドアが開いてポンちゃんが出社してきた。
事情を知らないポンちゃんは、笑い転げる俺たちを見て目を白黒していた。

昼飯の時間になって、浜口課長と優香ちゃんは外に食べに行った。
ポンちゃんは節約のために愛妻弁当を持参、俺は朝コンビニで買ってきたサンドウィッチを食べ始めた。
食事をしながらポンちゃんと情報交換をはじめた。

ポンちゃんの仕事は黒井課長の設計ミスで当初の倍近い量になるそうだ。
でも納期は変わらないし人員が増えるわけでもない。

「はじめのスケジュールでもキツかったのにボリュームが倍近くなったんですよ。
もう地獄が見えてますよ、6月あたりに辞めようかなあ」

冗談めかしてはいたが、単なる冗談には聞こえない響きがあった。

「まあまあ、悪いのは黒井だから。
ポンちゃんが悪くないことはみんな知っているよ。
社長もようやく気がついたらしくて、黒井に向かって『君を技術者として認めない』って言ったらしい。
いまさらかよって気がするけどね」

そんな話をしているうちに、K君の話になった。

K君は俺の後輩で冬のボーナスの直前に自宅待機になり、自宅に送られてきたボーナスの明細を見間違えて20万円だとぬか喜びして、よく見たら2万円でガッカリしたやつだ。

俺はポンちゃんに話した。

「この間、K君が会社に来たんだ。
自宅待機組は解雇されることになって、退職手続きと荷物整理をしに来てた。
K君は意外と元気そうだったから、俺も安心したんだ。
あいつはまだ若いし、ソフト以外の仕事を探すって言ってたからなんとかなるだろう。
でもね…」


俺は、その日のことを思い出した。

入社3年目になるK君は、いつもと同じ明るい表情だった。

「今月末付で退職しますが、明日からは有休消化で今日が最後です。
いろいろお世話になりました。
正直、自分はこの仕事に向いていなかったし、まあ別の仕事を探しますよ」

笑みを浮かべながらそう言うK君は、吹っ切れた表情だった。
本人が言う通り、あまり彼はこの仕事に向いている感じではなかった。
俺も自分なりに仕事を教えたつもりだったが、今ひとつ手応えはなかった。
とはいえこんな形で引導を渡されるのは不本意かもしれないけど、まあリスタートするのなら少しでも若い方がいい。

K君よりも気になったのは、昨年入社したばかりのウチの課の3人の新人たちだ。
彼らも全員解雇になるので、手続きをしに出社していた。

彼らは昨年4月に入社、2ヶ月の教育期間が終わって6月に各課に配属された。
3人とも専門学校卒、まだ幼さが残る表情が印象的だった。
新人歓迎会でバカ話をしながら一緒に飲んで、そのうち一緒に仕事をするんだろうと思っていた矢先に不況になって、彼らは自宅待機で俺は派遣。
まさか社会人になって1年もしないうちに入社、配属、自宅待機、そして解雇とは。
希望に燃えて入社した会社で、こんな目に遇うとは想像できなかっただろう。

もちろん会社だって好きで解雇したんじゃないのは分かる。
それでも仕事の難しさも充実感も味わうことなく、ただ辛い思いをしただけ。
志半ばどころか、なにもしないうちに解雇か。

今の状況では中堅クラスでも同業種への転職は非常に厳しい、ましてやほぼ経験なしの彼らでは不可能だろう。
せっかく専門学校で学んだのに、その知識を生かす仕事には就けず、望まざる異業種へ転職するしかない。


経理で手続きを終えた3人は、黙々と自分たちの荷物の整理をしていた。
俺は彼らの顔を見ることができなかった。
周りの連中も俺と同じ気持ちらしく、だれも話し掛けることなく無言の重い空気が続いた。

彼らが悪い訳ではない。
俺だって10年遅く生まれていたら、同じ運命になっていた。

彼らが帰る時、か細い声で「お世話になりました」と言ったのが聞こえた。
俺は返事をすることができなかったし、後ろ姿を見ることすらできなかった。

せつなかった。
やるせなかった。
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