唾棄すべき日々(1993年のリアル)

緑旗工房

文字の大きさ
上 下
32 / 53

第32話 退職金額

しおりを挟む
会社に見切りをつけた連中の送別会が続いていた。

以前の俺はよほど親しくないと送別会には出なかったが、今は違う。
全く縁のないやつならともかく、多少でも縁があった人の送別会には必ず顔を出すようになった。
こんな時期だ、せめて最後ぐらいは賑やかなほうがいいに決まっている。
それにバカ騒ぎしてストレスを解消したいし、宴席で会社の情報収集もしたい。

今日はU君の送別会、U君は一緒に仕事をしたことはあるが所属は違っていたのであまり接点はなかった。
でもこんな日々を一緒に過したこともあって、一方的な仲間意識を感じていた。

送別会でバカ話をしながら、みんなと会社の情報交換を行った。
俺の後輩が自宅待機から奇跡的に復帰できるという話があったが、どうやら復帰はするが営業に回されるらしい。
技術屋が営業か、厳しいなぁ。
それとていつまで居場所があるかは不透明なのだが。

そんな話をしていたら、誰かが営業のSのことを話し始めた。
ボーナス8割カットの戦犯と言われていたSだが、どうやら急に退職したらしい。
すでに退職したらしいという程度の情報しかなく辞めた理由も不明だが、戦犯扱いされて風当たりも強かっただろうから辞めたくもなるだろう。
なにやら怪しい関係と噂されていた下請けにも不況で仕事を出せなくなったし、Sがこの会社にいる理由がなくなったのかもしれない。

好き嫌いは別として、Sの営業マンとしての腕はなかなかのものだ。
この不況下でも営業の需要はそれなりにはあるだろうし、別業界でも十分通用するだろう。

ということは、自宅待機から奇跡の復帰といわれている後輩はSの補充要員なんだろう。
新たに人を雇う余裕などないから自宅待機組から営業に回せそうな人間を選んだんだろう。
結果的にSのおかげで一人のクビが繋がったということになるのだが、はたしてそれが幸せかどうかは誰にも分からない。

会社の連中と噂話をしていると断片的な情報がいくつか入ってきて、その情報を組み合わせるとどうやら真実っぽいものが見えてきたりする。
それは面白いことなのだが、そこで見えてくる真実らしきものは大概我々をがっかりさせるものばかりで明るい話題はなかった。
それでも情報がないよりはましだったが。

当初、自宅待機は4月ごろまで様子を見るという話だったが、会社は4月を待たずに動き出しているようだ。
2月になったら自宅待機組の連中を呼び出して「今後の話」をするという噂が飛んでいたが、どうやら自宅待機組は全員クビになるのだろう。
この時期に「今後の話」となると、運良く仕事が見つかったとか営業に回すとかの例外を除いて、クビしかないだろう。

その話題が呼び水となって、いつの間にか退職金の話になった。

ウチの会社は歴史が浅く平均年令も若いので、60歳を過ぎている人は社長など役員の一部だけで定年退職した人は誰もいない。
だから、これまで退職金が話題になることはなかった。
そもそも俺たちのように勤続10年程度では貰える退職金もたかが知れたもの。
しかし、その僅かな金額ですら今の我々にとっては興味津々であった。

俺が口を開いた。

「俺さ、中途入社だから今年の秋で入社10年になるんだよ。
退職金って10年を境に大きく変わるって聞いたけど、どうなんだろう。
10年になる秋まで待って辞めた方が得なのかな、だれか詳しい人いない?」

驚いたことに、社歴の浅い優香ちゃんが一番詳しかった。
彼女はいくつかの派遣先を掛け持ちで手伝いをしていて、あちこちで聞かれるので調べておいたそうだ。

優香ちゃんが説明を始めた。

「この間、経理の弘美さんに聞いてみたんですよ。
そうしたらうちの場合、退職金の率は4月1日時点の在籍年数で決まるそうです。
だから辞めるのが6月でも10月でも率は同じ、在籍期間が数ヶ月増えてもたいした差にはならないそうです」

そうか、じゃあ俺はいつ辞めても誤差なのか。
いつ辞めても安いという訳だが、良い方に考えればいつ辞めても損はしないってことか。

優香ちゃんが続けた。

「率ですが、在籍年数が10年を超えても急に増えるわけではないそうです。
長くいればたくさん出ますけど、15年未満だと1年の差は微々たるもののようです。
20年超えるあたりから1年の差が大きくなるそうですよ」

普通ならボーナスをもらってから辞めるのが一番得なのだが、まともな額のボーナスをもらえるようになるのは数年先だろう。
俺が辞めるとしたら、いつ辞めても大した差はないってことのようだ。

退職金の話になるとみんな身を乗り出すように聞いていたので、辞められるのならどこかで辞めたいと思う人がほとんどなんだろう。

U君が口を開いた。

「辞めるんだったら退職金より仕事の切れ目を意識した方がいいですよ。
派遣先との契約の途中とか新しい派遣先が決まってから退職届を出しても、たぶん簡単には受理しないと思います。
私はだいぶ前に退職を申し出て仕事の切れ目まで待ったので、すんなり辞められました。
あ、別に退職をお勧めするつもりはありませんけどね」

「お勧めしないのに自分は辞めるのかよ、矛盾してるじゃん」
誰かのツッコミに笑い声が起きた。

俺は冗談めかして6月あたりに辞めてもいいかなぁと呟いてみた。
本気なのか願望なのか自分でもわからなかったが、それは酔いのせいばかりでもなさそうだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

奇妙な日常

廣瀬純一
大衆娯楽
新婚夫婦の体が入れ替わる話

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

処理中です...