唾棄すべき日々(1993年のリアル)

緑旗工房

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第29話 一枚のメモ

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勤務報告書を出しに会社に戻った俺は、めずらしい顔を見つけた。
田部だ。

田部は俺の飲み友達、よく2人で飲み歩いていた。
2人とも大酒飲みで飲み出すと長っ尻で、終電を逃すことも珍しくなかった。
やがて今日は長くなりそうだと思った時は2軒目に行く前にカプセルホテルを予約して、宿を確保してから飲み続けるようになった。
しかし不況になる少し前に田部は派遣に出てしまい、しかも出張が多い仕事だったこともあってさっぱり会社には寄り付かなくなっていた。

田部は俺の顔を見るなり、目でサインを送ってきた。
なにか内緒の話があるらしい。

田部の上司が席を外したのを見計らって、俺は田部の横に行った。
田部は周囲に気付かれないように、そっと一枚のメモを渡してきた。

自分の席に戻ってメモを見たら、そこにはこう書いてあった。

2月で会社を辞める。
詳しくはいつもの店で。


俺は終業のチャイムと同時に会社を飛び出し、行きつけの居酒屋へ急いだ。
田部は先に来ていて、すでに顔を赤くしていた。

「なに勝手に早退してんだよ、先に1人で飲みやがって」

文句を言った俺に田部はこう言い訳した。

「違うよ、今日は出張先からの移動日だから勤務は昼までなんだ。
昼で帰ろうと思ったけど、お前がいたから伝えたくて残っていたんだ」

田部も今度の夏のボーナスが出そうにないという情報を持っていた。
それならば、このまま先の見えない会社にしがみつくよりも仕事が一段落する2月で辞める道を選んだそうだ。
転職先はまだ探していなしい、これといったあてもないと言っていた。

「まあ、辞めたらしばらく休んで、それから考えるよ。
このまま会社にいてもなあ、お前も本気で考えた方がいいぞ。
大きなお世話だけどさ、お互いもう若くはない。
どこか潜り込めそうなところがあったら、とっとと行った方がいい」

田部の言う通りだ。
でも、辞める踏ん切りを付けるのは簡単ではない。

俺の仕事の切れ目はまだまだ先だ。
しかし切れ目を理由に、決断を先延ばししている気がする。
辞めたい気持ちはある、でも辞めることへの恐怖感も強い。
区切りの日が来ても辞める勇気を持てるかどうか、自信がない。

飲み仲間の田部が辞めるのはショックだったが、思い切って辞められる田部が羨ましかった。
踏ん切りをつけられる田部の度胸が羨ましかった。

飲み仲間が去っていく寂しさと辞められる羨ましさ、この日のビールはなんともいえない複雑な味がした。
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