社長の行方は?

空川億里

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第1話 意外な訪問者

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 今思えば、嵐の前の静けさだったかもしれない。
 今日も客が来ないので、俺はいつものように探偵事務所でテレビを観ていた。
 俺は元々刑事だったが警察を辞めて探偵事務所を経営している。
 事務所は都内の北区にある赤羽駅から少し離れた5階建ての雑居ビルの4階だ。
 その時たまたま合わせていたチャンネルでは、日本の食糧自給率をテーマにした番組をやっていた。
 なんでも2020年のカロリーベースの自給率は37%しかないそうだ。ゲストの1人に大手IT企業のCEOの曽我部大輔(そがべ だいすけ)の姿もあり、日本の食糧自給率の低さを嘆いていた。
 確かに約6割の食糧を輸入に頼っていたら、輸入先で戦争や天災が起きれば食糧が高騰したり、輸入自体できなくなるリスクがある。
 ちなみにカナダ、オーストラリア、アメリカ、フランス等主要先進国の自給率は100%を超えているそうだ。
 その時である。呼び鈴の音がした。俺は一瞬身構える。借金取りが来たのではなかろうか。
「誰かいないの。あたしは、客よ」
 女の声が、ドアの向こうから響いてくる。
「今、参ります」
 俺はテレビを消すと、テーブルに置いてあったマスクをつけて、玄関に向かった。今は2022年の5月。
 大型感染症の真っ只中で、しばらくマスクは外せそうになかったのだ。
 ドアを開けると、やはりマスクをした50代ぐらいの女が立っていた。
「いらっしゃいませ。どうぞ中にお入りください」
 愛想笑いを浮かべながら、室内に招き入れた。そして、女にソファーを勧める。
「お茶は、いらないわ。すぐに仕事の話がしたいの」
 お茶の用意をしようとした俺に、とげとげしい口調で女がつっこんだ。
「承知しました」
 俺は笑顔を(多分)保ちながら、部屋の隅にある机の引き出しからボールペンと手帳を出し、それを持って女の向かいのソファーに腰かけた。
「今日は、どんなご用件でしょう」
 俺は、低姿勢で質問する。
「夫がいなくなったのよ。1か月たったけど、未だに見つかっていないのよ。警察にも届けたし、大手の探偵事務所にも依頼したけど、梨のつぶて。そこでダメ元で、このボロいビルにも来たってわけ。規定の料金も払うけど、もしも万が一あなたが夫を見つけてくれたら、成功報酬も追加で払うわ」
 こんな女が奥さんじゃ、ご主人が逃げるのも無理はないと考えたが、さすがに口には出さなかった。
「わかりました。それでは失踪されたご主人のお名前からお願いします」
「牟田口弘(むたぐち ひろし)よ。あたしと同じで50歳。あたしは、牟田口久美子(くみこ)」
 久美子は2人の名前をどう書くか、説明した。
「もしかして失踪されたのは牟田口商事の社長さんでしょうか?」
「そうよ。あたしの旦那は牟田口商事の婿養子よ。テレビでも報道されたから、あなたも知ってるでしょうけど」
「そりゃ、もちろん」
 牟田口商事と言えば、日本の大手商社である。そして社長の失踪も大々的に報道された。
 確かにあれから1か月ぐらい経つはずだが、見つかったという報道はないようだ。
 仕事が暇でテレビばかり観てるから、報道されれば気づくはずだった。
 しかしまさか牟田口社長の妻が、ここへ来るとは意外である。それだけ藁をつかむ気持ちなのだろう。
「それでは最初にご自宅へ案内してはいけませんでしょうか。社長の部屋を観たいのですが。部屋を観れば、証拠になるような物が、見つかるかもしれません」
 俺は、そう申し出た。
「部屋なら、さんざんあたしが観たわよ。そんな物見つかりっこない」
「それはそうだと思いますが、ご家族でないからこそ、気づく事もあろうかと。私も、これでも元は捜査一課の刑事ですから」
 俺はなんとか久美子を説き伏せ、都内にある牟田口邸に行く事になった。
 赤羽駅前で牟田口夫人がタクシーを停め、後部座席に彼女と俺が乗りこんだ。
 やがてタクシーは、世田谷区にある豪邸に到着した。豪邸としか表現しようがない。
 周囲を高い塀に囲まれた広い敷地。
 タクシー代は無論、牟田口久美子が払った。
「素敵なお住まいですね」
 お世辞ではなく、本音である。ドラマに出てきそうな佇まいだ。
「当り前よ。それだけお金がかかってるもの」
 公道に接したドアの脇にあるカードリーダーに、久美子がサイフから取りだしたカードをタッチさせると開錠される音がした。
 彼女が扉を開けて敷地内に入る。俺も続いて中に入った。
 広い庭を見渡すと、野菜畑があるのに気づく。俺の視線に気づいたらしく、久美子が事情を説明した。
「夫の趣味なの。自分で育てて、自分で料理して食べてたわ」
「失礼ですが、お子様は」
「いないから困ってるのよね。婿養子なんだから、子供作ってくれないと」
 なぜか自分には全く責任がないような言い方だ。
 子がいないなら養子をもらえば良いと思うがどうしても、血のつながりにこだわりたいのかもしれない。
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