スーサイド・ツアー

空川億里

文字の大きさ
上 下
21 / 27

第21話 逃亡

しおりを挟む
 翠は1人で、那須一美の部屋に向かった。他の者は、それぞれ自室へと戻る。翠は、一美の部屋のドアをノックした。
「大丈夫? 倉橋だけど。みんな心配してるよ」
 回答はなかった。しばらくして永遠にも思える時間が過ぎた後、ようやく言葉が返ってくる。
 ノックしたのが翠の腕時計で午後4時だったが回答が戻ってきたのが3分後だ。
 カップラーメンならすでに出来上がった頃だし、ウルトラマンなら怪獣を倒し終えた後だろう。
 翠はウルトラマンを観た経験がなかったが、同じ事務所の年配の男優が昭和のウルトラマンシリーズ好きで、色々教えられたのだ。
 その後彼に影響されて、昭和の最初のウルトラマンをDVDで観たりもした。
「悪いけど、誰も信じられない。あなたも信用できないの」
 一美の泣き声が流れてくる。
「もう行って。近づいてこないで」
「わかった。この状況じゃ、仕方ないよね」
 それだけ残すと、翠はその場を離れ、自室に戻る。



 一美はその後はずっと自室に引きこもった。夜ごはんの時間も1階の大広間には降りなかったのだ。
 その夜は、室内にある時計を何度も見た。今日水曜の24時が待ち遠しい。
 すでに彼女は月曜日に持参したバッグに必要な物を詰めこんでいた。
 この島に来てから何が起きたかは、克明に持ってきた手帳に書いてある。
 やがて午後11時30分を、室内の時計がさした。これは島に来る前に時報に合わせた自分の腕時計と一致している。
 長らく待ちかねた時刻だ。一美はバッグを手に取ると部屋の照明を消して、音を立てないようドアをちょっとだけ開く。
 外には誰もいなかったので通路に出る。やはり音を立てぬよう扉を閉めた。ドアは施錠しない事にする。
 鍵を閉める時音が響くのは嫌だったから。エレベーターは使わずに階段を、足をひそめてこっそり降りた。
 エレベーターを使うと作動時の音が響き、このビルにいるはずの殺人鬼に気配を悟られるのが怖かったから。
 なので1階まで階段を降りたが、誰とも出くわさなかった。恐る恐る大広間を見たけど誰もいない。
 ほっとしながら、一美は北口から外に出る。後ろを振り向くと6階の北の窓からこちらを見下ろす日々野の姿が見えた。
 一美は、幽霊に遭遇したような気分になる。日々野が犯人かもしれないのだ。
 考えてみれば彼は外科医だったから、他の人より血を見ることに抵抗を感じないかもしれない。
 妹尾はひ弱だし翠は女性だし、チャラ男の井村に、人を殺す度胸はなさそうだ。
 そう考えはじめるとますます日々野が犯人に感じられ、一美は逃げるようにかけだした。
 ビルの北の池を貫く橋を走って渡り、最後まで渡りきると右すなわち東に曲がって石段を降りてゆく。
 暗いので、持ってきた懐中電灯で照らしながらだ。背後から日々野が襲ってくるような妄想にかられる。
 怖すぎて、後ろを一瞬でも振り向く事が出来なかった。階段を最後まで降り、その後左すなわち北にある港に向かって走りだす。
 途中で転んでしまったが、すぐ起きあがり、ひたすら桟橋に向かって猛ダッシュする。
 学生時代は陸上部だったから足には自信があるつもりだったのだが、それでも誰かが追ってくるかもしれない恐怖に逆らえなかったのだ。
 ようやく港まで来たが、目的のものは見当たらない。腕時計を見ると、まだ11時40分だ。約束の時刻まで20分ある。
 まだ来なくても無理はない。恐怖を押し殺して後ろを見たが誰もいなかった。
 ほっとすると同時に、いつ追っ手が来るかわからぬ不安を感じる。
 再び海に目を転じた。真夜中の海はなんだか怖い。中から巨大な怪物でも出てきそうである。
 こんな島に来たのを一美は激しく後悔していたのだ。まさか、こんな風になるとは予想だにしなかった。
 一刻も早く東京に帰りたい。ひたすら長く感じられる時間が過ぎて、やがて腕時計が深夜の零時を示したが、求めるものは現れなかった。
 今ちょうど木曜日になったのだ。一体どうして来ないのだろう? 思わぬ事故でもあったのか?
 やがて零時5分になった。絶望感と焦燥感が彼女の全身を蝕んでいる。そして零時10分を過ぎたその時水平線に何かが見えた。
 それは徐々に大きくなり、波をけたててこちらの方へ進んでくる。一美は喜びのあまり、地面から飛びあがった。
 何度もジャンプし、両腕を上下に何度も振り下ろし、興奮状態で叫んだ。
「おーい! おーい! こっちこっち!」
 突き進んできたものは、やがて小さな船へと姿を変えた。
 一美達がここへ乗ってきた漁船と同じぐらいの大きさだ。船室の操縦席には男が1人乗っている。一美は船の方へ駆けだした。
 船は桟橋に着岸する。男が中から降りてきた。見知った顔だ。瀬戸である。思わず一美は、彼の体に抱きついた。
 そこまで親しい間柄ではないのだが、恐怖と不安が、彼女をそうさせたのだ。
「おいおい一体どうしたんだよ?」
 戸惑った口調で瀬戸が聞いてくる。
「まるで小学生みたいじゃないか」
「大変なアクシデントがあったのよ!」
 泣きじゃくりながら、一美がそう訴える。
「人がどんどん殺されたの!」
「殺された?」
 瀬戸が、大声で疑念をはさむ。
「だって死ぬのは来週の月曜だろう? みんな一斉に薬物で亡くなるのに、何でその前に殺されるのよ?」
「わかんない! みんなおかしいって言ってるの!」
 一美が、叫んだ。
「でも今ここに残ってるのは、あたしを除けば4人だけ。だから、この4人の中に犯人が、いるはずなの。あたしが疑ってるのは医師の日々野って奴。昔よくテレビの情報番組に出てたから知ってるでしょう? 医療ミスやらかして、外科医は廃業しちゃったけど」
「あいつも一緒だったのか?」
 瀬戸が、驚く。
「有名人なら、他にもいる。女優の倉橋翠」
「マジかよ? だってあの子、人気絶頂でテレビや映画に出まくりだろ? 何で自殺を選ぶのよ?」
 瀬戸が、目を丸くした。
「わかんない。でも、いるの。あたし、あの女優も信じてない。怖がってるように見えるけど、演技派で知られてるでしょう? そんなふりをしてるだけかも。それにスポーツやってたとかで結構筋肉質なのよ。その気になれば、人殺すのもできると思う」
「ともかく一旦ここを出よう。これ以上潜入取材を続けるのは無理だろう?」
 一美は、何度もうなずいた。彼女はフリーライターで、瀬戸が編集者をやっている週刊誌に、たまに記事を書いている。
 そんな彼女がたまたまネットで自殺希望者に告知されたサイトを見つけ、締めきられる前に応募したのだ。
 一美はすぐに瀬戸へ連絡を取り、潜入取材を提案した。自殺希望者のふりをして一緒にこの島へ来て、内部の様子を手帳に残す。
 水曜の24時つまり木曜の午前零時に瀬戸が島へ迎えに来るのは、最初からの予定通りだったのだ。
 一美は小型発信機を隠し持っており、瀬戸はそれによって島の位置を把握していた。
 発信機は二重底になったバッグの底に隠していたので、沖縄本島を出る前に手荷物検査をされた時にもばれなかったのだ。
 島に着いた後一美は小型発信機を海中に廃棄していた。
 最初の予定ではここで瀬戸に中間報告をした後彼女は潜入取材を続け、日曜になったら瀬戸が警察に通報し、集団自殺をやめさせる寸法だったのだ。
「今回の件、編集長は知ってるの?」
 一美は聞いた。
「いや、知らない。俺の独断で動いてるから、他の同僚にも、妻子にも教えてない」
 一美は船に乗ろうとしたが、背後で人の気配がしたので振り返った。その直後、銃声が鳴り響く。
しおりを挟む

処理中です...