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第12話 合戦
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「このままでは、城が危ない」
大声をあげたのは、キリサメ公だ。
「こちらから、討って出よ」
命令で城門が開き、中から騎馬隊と歩兵部隊が勢いよく踊りでた。
すぐに弓矢の応酬が始まって、両軍に倒れる者が現れる。やがて双方の部隊が激突、暗闇の中、死闘が始まった。
刀と刀、槍と槍、刀と鎧のぶつかりあう金属音、斬られた者があげる絶叫が、闇の中で響きわたる。
(やはり、ヨイヤミの手の者か)
迫りくる軍勢を、手にした刀で1人1人斬りすてながら、ツユクサは思った。
時折聞こえる敵兵の怒鳴り声には、ヨイヤミ公領で話される独特の訛りがある。
刀は3人斬った時点で刃こぼれのため鋭い切れ味はなくなるので、それ以降は斬殺というより撲殺で相手を倒してゆく。
戦士としての訓練は受けていたが、こうして大規模な殺しあいをするのはツユクサも味方の兵も、敵兵も同じである。
300年間絶えてなかった戦乱が、思わぬいきさつから復活したのだ。
ヤマトから大規模な殺しあいをなくしたのが、導師の重要な功績の1つとされてきた。
この戦いの勝ち負けがどちらであろうと、導師への信頼は大幅に損なわれるのではないかと、ツユクサは考える。
争いはますます激しくなり、血の臭いが鼻を刺し、切り裂かれた遺体やはみでた臓物で、足の踏み場もないほどだ。
背筋が凍るような絶叫が耳に襲いかかる。まるで、この世の地獄であった。
300年前の大戦も、こんな状況だったのだろうか。
導師の横暴な行いに怒りを感じていたツユクサだが、こんな争いを300も防いできたのも事実であった。
が、生きてはいても、自由がなければ奴隷と同じだ。
常に導師の圧制に苦しめられる奴婢の平和を甘受できぬ。
とはいえ、あまりにも多くの兵が死んでしまった……そこへ突如城壁の天辺から、地上に群がる敵兵に向けて、稲妻のような閃光が走る。
その直後、光を浴びた10名あまりの敵兵が、根こそぎ消滅したのだった。
神隠しにあったかのように、突如として煙のように消えたのだ。
そのうち周囲の敵兵から、恐怖の悲鳴があがりはじめた。
そうなると、今までの勢いが嘘だったかのように、敵の部隊はてんでんばらばらに逃げはじめた。
ちょうど夜明けを迎えたところで、墨で塗りつぶしたような漆黒の夜が、徐々に白みはじめていたが、敵は大混乱である。
逃げてゆく背中に向かって、味方の軍勢が無数の矢を放ち、さらに死傷者が増えた。
「深追いはするなとの命令だ」
キリサメ公からの伝令が来て、大声で指示を伝えた。逃げる敵を追っていた味方の軍にも徐々に指令が伝わってゆき、城の方に戻ってくる。
兵士達は、一旦城内に帰還した。負傷した兵の手当てや、死亡者の埋葬等、やる事はたっぷりある。
(これが戦か)
ツユクサは、悪夢のような周囲の状況を観まわした。彼自身も左腕に矢を受けて、激痛に苦しんでいたところである。
昨日まで元気だった兵達が、今は手や足を失い、血を流し、あるいは骸となっていた。
悪夢と違うのは、これが終わらない事だった。
やがて負傷者に包帯が巻かれ担架で運ばれ、周囲の状況が多少なりとも落ちついた頃、ツユクサはキリサメ公に問うてみた。
「公爵閣下、今後はいかがなさるおつもりでしょうか」
しばらくの間いらえはなかったが、やがてきっぱり公爵は、自分の決意を表明した。
「導師様のいる大神殿を、攻める。君側の奸を討ち、導師様を、お救いするのだ」
その言葉を聞き、瞬時にツユクサは悟った。キリサメ公の狙いは、導師の命だ。
その数日後公の口から、戦の計画が語られた。
それは、兵士達には進軍先をヨイヤミ公の城と喧伝し、実際には途中で状況が変わったと説明。
大神殿に矛先を変えるのだ。
「事前に、われらがヨイヤミ公を討つという噂を、間者を通じて流させる。きゃつらには防戦の準備をさせてやればよい。一旦ヨイヤミ城へ向かうが、途中で方向を大神殿に転じるのだ。それを知ってヨイヤミ軍がわれらを討つべく進軍を始めるだろうが、きゃつらが来る前に、大神殿を落とす」
その宣言通り10日後ついに、キリサメ公の軍勢10万がヨイヤミ領へ向けて、進撃を開始する。
出発前にキリサメ公が放った間者が、キリサメ軍がヨイヤミ城への進軍を計画してるとの情報を口づてにばらまいた。
大神殿側の間者であるイカヅチも、本来導師の立場では禁じられた酒を飲み、禁じられた肉を食い、禁じられた麻薬を服用している導師の前で、キリサメ公の進軍計画を伝えていた。
これは公の軍勢が出発するより9日前の話である。
「キリサメ公が10万の軍勢で、ヨイヤミ城への侵略を考えているようですが、迎え撃つヨイヤミ軍が、間違いなく撃退するかと」
「そうかのう」
返答したのは、導師である。
「先日の戦でもキリサメ公は、先祖伝来の武器を使って、我らの送りこんだ殺人人形を撃退したではないか。他にも何か、わしらの知らぬ太古の兵器を装備しているやもしれん」
氷のように冷たいまなざしで、導師が持論を展開した。
「仰せの通り絶対ないとは、申せませんが」
「そうであろう。まあ、とりあえずはヨイヤミ公の軍勢を信じるしかなかろう。仮にきゃつがキリサメ側の軍勢に敗れたとしても、わしには、わしの切り札があるでな」
「と、申しますと」
導師は破顔一笑した。
「敵を欺くには、まず味方を欺けと申すからのう。間者のおぬしこそ、1番よくわかっておるはず」
口に笑みを浮かべた導師だが、その目は笑わず、刃物のように鋭い目で、イカヅチを見た。そこへである。
1人の若い男が現れた。ほっそりとした柳のような体をしている。
年齢は30歳を過ぎているが、ぱっと見はたちぐらいに見えた。
いつもそうだがこの日もどこか落ちつきがなく、周囲を何度も見渡しながら歩いてくる。
導師の1人息子である、ハツシモだ。先程までの笑顔は雲散霧消し、導師の顔は剣山でも踏んだかのようにこわばった。
女好きの導師は正妻の他にも、本来は禁じられてるにも関わらず多くの側室や愛人がいたが、長年子供ができなかった。40歳を過ぎてようやく、1人息子が生まれたのだ。
が、生まれつき病気がちだったせいもあるのか、いつも上目づかいに人を見る、自信のなさそうな、オドオドした大人になった。
生まれたばかりの時はハツシモを溺愛した導師だったが、最近は頼りない息子に対して、深い失望を禁じえない状態が続いている。
ゆくゆくはハツシモを後継者にしなければならぬわけだが、あまりにも頼りないと見ており、しばしばイカヅチに、息子のグチをこぼしていた。
「父上」
そんな息子が、導師に声をかけてきた。
「私の帝王教育は、一体いつから始まるのですか。父上は20代で、すでに導師になられたとか。私はとっくに30歳を過ぎております」
「その話は、後にせい」
導師は、息子に一喝した。
「今は、それどころではないわ。聞いたと思うがキリサメの馬鹿者が大軍を率い、ヨイヤミ公領めざし進軍中だ。この偉大なるヤマトの国で戦なぞ遥か昔の四二日大戦以来の話で、キリサメの奴、どこまで破廉恥なのか。が、何、忠実な部下のヨイヤミ軍が、簡単に蹴散らしてくれるであろう」
どなられたハツシモは、青菜に塩のような有様だった。彼は、背中を丸めながらその場を去った。
首を大きくうなだれて、足取りも重い。イカヅチは導師に一言残してから、その場を去った。
神官見習いは自分の部屋に一旦戻り、一時間程時をおいてから、ハツシモの私室へと歩みを進める。
イカヅチは、ふすまの前の廊下にぬかずき、小声で呼んだ。
「イカヅチでございます」
「入っていいよ」
中から許可の声が出て、イカヅチはふすまを開くと、室内に入り、正座して、一礼した。
「何の用だい」
気のない調子で、イカヅチが質問した。こっちを見ようともしない。
ハツシモは、いつものように芝居の台本を読んでいた。小心者の彼だが、3度の飯より芝居好きで、役者として演ずる時には普段の彼とは思えぬ程堂々としたふるまいなのだ。
室内の壁には有名な芝居役者の浮世絵が掲げられていた。ハツシモ自身が描かれた浮世絵もある。
父のイシクレは芝居自体を馬鹿にしており、代々の導師も、時には世相批判をする芝居を弾圧する傾向があったが、ハツシモが演劇に理解があるため、現時点では比較的過酷な迫害は免れていた。
「ハツシモ様、導師様のお言葉にあまり落ちこまれなさいますな。キリサメ公の思わぬ乱で、少々気がたっているだけでしょう。此度の乱が鎮圧されれば、導師としてのご教育も、いよいよ始まりましょう」
「父上は、私がお嫌いなんだ。私は1人息子なのに」
声を震わせながら、ハツシモが泣きだした。
気持ちはわからなくもないが、35歳になる大の男が、この程度の仕打ちで涙を浮かべるというのは、いくら何でも情けない。
亡くなった母君の甘やかしも原因なのか。
「ハツシモ様は、お父上をどう考えておられますかな」
「どうというのは、どういう意味じゃ」
「もちろんお父上として、偉大なる導師様として、ご敬愛されているとは存じますが」
「その通りじゃ」
「ですがなにぶんお父上も70と、ご高齢。最近では歩くのもおぼつかなかったり、物忘れも、ままあるとお見受けします。さればこそ、ご勇退は先の話にしましても、せめて後継者の指名だけはしておかねば、ならぬところ」
「それはそうだけど……」
「このまま導師様が、後継の指名をせぬままならば、100年前の、ウスモヤ導師の二の舞にもなりかねません」
ウスモヤ導師の一件は、300年に渡る導師の治世でも、特筆すべき事件であった。
ウスモヤにも1人だけ息子がいたが病弱なため、息子を殺害して、甥を後継者につけたのだ。
「父上が、私を殺すと申すのか」
大声をあげたのは、キリサメ公だ。
「こちらから、討って出よ」
命令で城門が開き、中から騎馬隊と歩兵部隊が勢いよく踊りでた。
すぐに弓矢の応酬が始まって、両軍に倒れる者が現れる。やがて双方の部隊が激突、暗闇の中、死闘が始まった。
刀と刀、槍と槍、刀と鎧のぶつかりあう金属音、斬られた者があげる絶叫が、闇の中で響きわたる。
(やはり、ヨイヤミの手の者か)
迫りくる軍勢を、手にした刀で1人1人斬りすてながら、ツユクサは思った。
時折聞こえる敵兵の怒鳴り声には、ヨイヤミ公領で話される独特の訛りがある。
刀は3人斬った時点で刃こぼれのため鋭い切れ味はなくなるので、それ以降は斬殺というより撲殺で相手を倒してゆく。
戦士としての訓練は受けていたが、こうして大規模な殺しあいをするのはツユクサも味方の兵も、敵兵も同じである。
300年間絶えてなかった戦乱が、思わぬいきさつから復活したのだ。
ヤマトから大規模な殺しあいをなくしたのが、導師の重要な功績の1つとされてきた。
この戦いの勝ち負けがどちらであろうと、導師への信頼は大幅に損なわれるのではないかと、ツユクサは考える。
争いはますます激しくなり、血の臭いが鼻を刺し、切り裂かれた遺体やはみでた臓物で、足の踏み場もないほどだ。
背筋が凍るような絶叫が耳に襲いかかる。まるで、この世の地獄であった。
300年前の大戦も、こんな状況だったのだろうか。
導師の横暴な行いに怒りを感じていたツユクサだが、こんな争いを300も防いできたのも事実であった。
が、生きてはいても、自由がなければ奴隷と同じだ。
常に導師の圧制に苦しめられる奴婢の平和を甘受できぬ。
とはいえ、あまりにも多くの兵が死んでしまった……そこへ突如城壁の天辺から、地上に群がる敵兵に向けて、稲妻のような閃光が走る。
その直後、光を浴びた10名あまりの敵兵が、根こそぎ消滅したのだった。
神隠しにあったかのように、突如として煙のように消えたのだ。
そのうち周囲の敵兵から、恐怖の悲鳴があがりはじめた。
そうなると、今までの勢いが嘘だったかのように、敵の部隊はてんでんばらばらに逃げはじめた。
ちょうど夜明けを迎えたところで、墨で塗りつぶしたような漆黒の夜が、徐々に白みはじめていたが、敵は大混乱である。
逃げてゆく背中に向かって、味方の軍勢が無数の矢を放ち、さらに死傷者が増えた。
「深追いはするなとの命令だ」
キリサメ公からの伝令が来て、大声で指示を伝えた。逃げる敵を追っていた味方の軍にも徐々に指令が伝わってゆき、城の方に戻ってくる。
兵士達は、一旦城内に帰還した。負傷した兵の手当てや、死亡者の埋葬等、やる事はたっぷりある。
(これが戦か)
ツユクサは、悪夢のような周囲の状況を観まわした。彼自身も左腕に矢を受けて、激痛に苦しんでいたところである。
昨日まで元気だった兵達が、今は手や足を失い、血を流し、あるいは骸となっていた。
悪夢と違うのは、これが終わらない事だった。
やがて負傷者に包帯が巻かれ担架で運ばれ、周囲の状況が多少なりとも落ちついた頃、ツユクサはキリサメ公に問うてみた。
「公爵閣下、今後はいかがなさるおつもりでしょうか」
しばらくの間いらえはなかったが、やがてきっぱり公爵は、自分の決意を表明した。
「導師様のいる大神殿を、攻める。君側の奸を討ち、導師様を、お救いするのだ」
その言葉を聞き、瞬時にツユクサは悟った。キリサメ公の狙いは、導師の命だ。
その数日後公の口から、戦の計画が語られた。
それは、兵士達には進軍先をヨイヤミ公の城と喧伝し、実際には途中で状況が変わったと説明。
大神殿に矛先を変えるのだ。
「事前に、われらがヨイヤミ公を討つという噂を、間者を通じて流させる。きゃつらには防戦の準備をさせてやればよい。一旦ヨイヤミ城へ向かうが、途中で方向を大神殿に転じるのだ。それを知ってヨイヤミ軍がわれらを討つべく進軍を始めるだろうが、きゃつらが来る前に、大神殿を落とす」
その宣言通り10日後ついに、キリサメ公の軍勢10万がヨイヤミ領へ向けて、進撃を開始する。
出発前にキリサメ公が放った間者が、キリサメ軍がヨイヤミ城への進軍を計画してるとの情報を口づてにばらまいた。
大神殿側の間者であるイカヅチも、本来導師の立場では禁じられた酒を飲み、禁じられた肉を食い、禁じられた麻薬を服用している導師の前で、キリサメ公の進軍計画を伝えていた。
これは公の軍勢が出発するより9日前の話である。
「キリサメ公が10万の軍勢で、ヨイヤミ城への侵略を考えているようですが、迎え撃つヨイヤミ軍が、間違いなく撃退するかと」
「そうかのう」
返答したのは、導師である。
「先日の戦でもキリサメ公は、先祖伝来の武器を使って、我らの送りこんだ殺人人形を撃退したではないか。他にも何か、わしらの知らぬ太古の兵器を装備しているやもしれん」
氷のように冷たいまなざしで、導師が持論を展開した。
「仰せの通り絶対ないとは、申せませんが」
「そうであろう。まあ、とりあえずはヨイヤミ公の軍勢を信じるしかなかろう。仮にきゃつがキリサメ側の軍勢に敗れたとしても、わしには、わしの切り札があるでな」
「と、申しますと」
導師は破顔一笑した。
「敵を欺くには、まず味方を欺けと申すからのう。間者のおぬしこそ、1番よくわかっておるはず」
口に笑みを浮かべた導師だが、その目は笑わず、刃物のように鋭い目で、イカヅチを見た。そこへである。
1人の若い男が現れた。ほっそりとした柳のような体をしている。
年齢は30歳を過ぎているが、ぱっと見はたちぐらいに見えた。
いつもそうだがこの日もどこか落ちつきがなく、周囲を何度も見渡しながら歩いてくる。
導師の1人息子である、ハツシモだ。先程までの笑顔は雲散霧消し、導師の顔は剣山でも踏んだかのようにこわばった。
女好きの導師は正妻の他にも、本来は禁じられてるにも関わらず多くの側室や愛人がいたが、長年子供ができなかった。40歳を過ぎてようやく、1人息子が生まれたのだ。
が、生まれつき病気がちだったせいもあるのか、いつも上目づかいに人を見る、自信のなさそうな、オドオドした大人になった。
生まれたばかりの時はハツシモを溺愛した導師だったが、最近は頼りない息子に対して、深い失望を禁じえない状態が続いている。
ゆくゆくはハツシモを後継者にしなければならぬわけだが、あまりにも頼りないと見ており、しばしばイカヅチに、息子のグチをこぼしていた。
「父上」
そんな息子が、導師に声をかけてきた。
「私の帝王教育は、一体いつから始まるのですか。父上は20代で、すでに導師になられたとか。私はとっくに30歳を過ぎております」
「その話は、後にせい」
導師は、息子に一喝した。
「今は、それどころではないわ。聞いたと思うがキリサメの馬鹿者が大軍を率い、ヨイヤミ公領めざし進軍中だ。この偉大なるヤマトの国で戦なぞ遥か昔の四二日大戦以来の話で、キリサメの奴、どこまで破廉恥なのか。が、何、忠実な部下のヨイヤミ軍が、簡単に蹴散らしてくれるであろう」
どなられたハツシモは、青菜に塩のような有様だった。彼は、背中を丸めながらその場を去った。
首を大きくうなだれて、足取りも重い。イカヅチは導師に一言残してから、その場を去った。
神官見習いは自分の部屋に一旦戻り、一時間程時をおいてから、ハツシモの私室へと歩みを進める。
イカヅチは、ふすまの前の廊下にぬかずき、小声で呼んだ。
「イカヅチでございます」
「入っていいよ」
中から許可の声が出て、イカヅチはふすまを開くと、室内に入り、正座して、一礼した。
「何の用だい」
気のない調子で、イカヅチが質問した。こっちを見ようともしない。
ハツシモは、いつものように芝居の台本を読んでいた。小心者の彼だが、3度の飯より芝居好きで、役者として演ずる時には普段の彼とは思えぬ程堂々としたふるまいなのだ。
室内の壁には有名な芝居役者の浮世絵が掲げられていた。ハツシモ自身が描かれた浮世絵もある。
父のイシクレは芝居自体を馬鹿にしており、代々の導師も、時には世相批判をする芝居を弾圧する傾向があったが、ハツシモが演劇に理解があるため、現時点では比較的過酷な迫害は免れていた。
「ハツシモ様、導師様のお言葉にあまり落ちこまれなさいますな。キリサメ公の思わぬ乱で、少々気がたっているだけでしょう。此度の乱が鎮圧されれば、導師としてのご教育も、いよいよ始まりましょう」
「父上は、私がお嫌いなんだ。私は1人息子なのに」
声を震わせながら、ハツシモが泣きだした。
気持ちはわからなくもないが、35歳になる大の男が、この程度の仕打ちで涙を浮かべるというのは、いくら何でも情けない。
亡くなった母君の甘やかしも原因なのか。
「ハツシモ様は、お父上をどう考えておられますかな」
「どうというのは、どういう意味じゃ」
「もちろんお父上として、偉大なる導師様として、ご敬愛されているとは存じますが」
「その通りじゃ」
「ですがなにぶんお父上も70と、ご高齢。最近では歩くのもおぼつかなかったり、物忘れも、ままあるとお見受けします。さればこそ、ご勇退は先の話にしましても、せめて後継者の指名だけはしておかねば、ならぬところ」
「それはそうだけど……」
「このまま導師様が、後継の指名をせぬままならば、100年前の、ウスモヤ導師の二の舞にもなりかねません」
ウスモヤ導師の一件は、300年に渡る導師の治世でも、特筆すべき事件であった。
ウスモヤにも1人だけ息子がいたが病弱なため、息子を殺害して、甥を後継者につけたのだ。
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