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第1話 恋人たち
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気持ちよく晴れた5月の昼下がり。
今思えば皮肉だが、その時はまるで天上の神様が達也(たつや)と恋人を祝福するため、ありったけの陽光を地上にそそいだように感じていた。
彼は今、自分で買った中古の国産車を運転して、母の佳代子(かよこ)が、今は1人で住む実家に向かっている。
実家のある場所は渋谷区の松涛で、近くに公園や美術館がある場所だ。
佳代子には、お金を出すから新車の高級車を購入するよう勧められたが、達也は、自分が稼いだ分だけで買いたいから断った。
助手席には彼の愛しい人がいて、これから彼女を母に初めて紹介するのだ。将来は結婚を考えていた。
きっと佳代子も喜ぶに違いない。達也は今30歳だ。できればすぐにでも入籍して子供が欲しい。
生まれた子供はきっと可愛いに違いない。
そして成長した子供達が、大人になるまで見守るのが夢だった。
自分の子供と酒が飲めたら、どんなに幸せな心地だろう。
彼の父はまだ、達也が幼い頃亡くなった。あの時の喪失感を、未だ忘れられずにいる。
これから生まれる子には、そんな体験をさせたくない……そんなふうに思考をめぐらせてゆくうちに、やがて前方に、目的の家が接近してきた。
「すごい家ね……大きい」助手席のアンジェラが、目を丸くした。「タツヤは、ここで生まれたんでしょう」
彼女の日本語の発音は拙いが、そこも愛らしく達也には思えた。
「大学出るまで住んでた。おれが自分で建てたならかっこいいけど、たまたま実家に、ちょっとカネがあっただけ」
彼はブレーキを踏んで、車を止めた。中にいる母親が気づいたようで、家の敷地内の駐車場に通じるゲートが開き始めた。
ゲートが開くと達也はアクセルを踏み、ハンドルを切って、車を駐車場に乗りいれる。
達也は車をストップさせるとそこから降り、彼女と一緒に玄関へ向かう。
庭木は、専門の庭師が定期的に手入れするので、今日も綺麗に刈りこまれていた。
2人が来るのを待ちかねたように真っ白な扉が開き、中から佳代子が現れる。
彼女は現在55歳だが、実年齢より若く見える。
同世代の女性と比べ長身で、達也と同じ身長170センチほどあった。
「もう来ると思ってたのよ」
佳代子は満面の笑みだったが、アンジェラの顔を見て、一瞬凍りついた表情になる。
が、すぐにとってつけたような、ぎこちないスマイルを作りなおした。
予想外の反応だったので、達也の胸にさざなみが広がった。
「よくいらっしゃったわね。あなたが、お友達かしら」
「そうです。アンジェラといいます」
「お国はどちら。生まれた国」
「フィリピンです」
「彼女とは共通の友人を通じて知りあったんだ。日本では家政婦をしてる」
達也は母に説明したが嘘だった。本当の彼女は歌舞伎町にあるフィリピン・パブのホステスだ。
アンジェラの実家は農家だがとても貧しく、一家の家計を支えるため、日本へ出稼ぎに来ていたのである。
「そうだったの。ともかくあがってくださいね」
佳代子はこわばった笑顔を浮かべながら、ダイニング・ルームに2人を案内した。
テーブルには料理研究家として知られる彼女手作りの料理の数々が並んでおり、早速三人は卓を囲んで、食べはじめた。
アンジェラは「おいしい」を連発しながら、満面の笑みで食べ物を口にしている。改めて思うが、確かにどれも味がよく、彩りも綺麗だ。
最初のうちは達也が勤務する医療機器の輸入販売会社の話や、佳代子の得意料理の話をしていたが、いつまでもそんな雑談しててもしかたないと思った彼は、単刀直入に思いのたけを、母にぶつける。
「ぼく達結婚を考えてる」
が、佳代子はそれには直接答えずに、穏やかな笑顔を崩さぬまま、逆に彼に質問してきた。
「2人はどのぐらいつきあってるの」
「1年だけど」
「まだちょっと早くないかしら」
「だったら、何年ならいいの」
「難しい質問ね。結婚は一生の話だから、もう少し考えてもいいんじゃない。それより、こちらも食べてみて」
何となく、はぐらかされた形になった。食後に日本茶が出たのだが、緑茶の苦手なアンジェラは手をつけなかった。
薬みたいな味がするという理由で、以前から飲みたがらないのだ。それも佳代子は、気にいらないようである。
やがてあれだけ美しい陽光をさしのべていた太陽も西に傾いて夕闇も迫り、達也とアンジェラは帰る流れになった。
玄関に向かった達也を佳代子が呼びとめる。
「ちょっとだけ、話があるの。アンジェラさんは先に行ってて」
「すぐ行くから」
達也は車のキーを、恋人に預けた。アンジェラは少し淋しげな顔でうなずくと、玄関の扉を開いて、外に出た。
「お母さんは反対よ」ドアが閉じられ、アンジェラの足音が遠ざかっていった後、唐突に佳代子が宣言した。
「誰が外人なんかを、あなたの嫁にするもんですか」
「ちょっと、ひどいだろ。差別じゃないか」
「何言ってるの。あなたにはお母さんが、日本人の、ちゃんとした家柄の女性を見つけてあげるわ」
「冗談じゃないよ。おれの奥さんになる人は、自分で決める。母さんなんか、大嫌いだ」
達也は思わずどなってしまった。そして、そんな自分に驚愕する。
今まで母とは喧嘩らしい喧嘩をした記憶がないし、彼女をどなった経験もない。
彼は背中を母に向け、玄関に向かって早足で歩いた。後ろから彼を呼ぶ声がしたが、ふりむくつもりは毛ほどもない。
靴を履いてドアを開ける。後ろ手に扉を強くバタンと閉めて、自分の車に向かって急いだ。
今思えば皮肉だが、その時はまるで天上の神様が達也(たつや)と恋人を祝福するため、ありったけの陽光を地上にそそいだように感じていた。
彼は今、自分で買った中古の国産車を運転して、母の佳代子(かよこ)が、今は1人で住む実家に向かっている。
実家のある場所は渋谷区の松涛で、近くに公園や美術館がある場所だ。
佳代子には、お金を出すから新車の高級車を購入するよう勧められたが、達也は、自分が稼いだ分だけで買いたいから断った。
助手席には彼の愛しい人がいて、これから彼女を母に初めて紹介するのだ。将来は結婚を考えていた。
きっと佳代子も喜ぶに違いない。達也は今30歳だ。できればすぐにでも入籍して子供が欲しい。
生まれた子供はきっと可愛いに違いない。
そして成長した子供達が、大人になるまで見守るのが夢だった。
自分の子供と酒が飲めたら、どんなに幸せな心地だろう。
彼の父はまだ、達也が幼い頃亡くなった。あの時の喪失感を、未だ忘れられずにいる。
これから生まれる子には、そんな体験をさせたくない……そんなふうに思考をめぐらせてゆくうちに、やがて前方に、目的の家が接近してきた。
「すごい家ね……大きい」助手席のアンジェラが、目を丸くした。「タツヤは、ここで生まれたんでしょう」
彼女の日本語の発音は拙いが、そこも愛らしく達也には思えた。
「大学出るまで住んでた。おれが自分で建てたならかっこいいけど、たまたま実家に、ちょっとカネがあっただけ」
彼はブレーキを踏んで、車を止めた。中にいる母親が気づいたようで、家の敷地内の駐車場に通じるゲートが開き始めた。
ゲートが開くと達也はアクセルを踏み、ハンドルを切って、車を駐車場に乗りいれる。
達也は車をストップさせるとそこから降り、彼女と一緒に玄関へ向かう。
庭木は、専門の庭師が定期的に手入れするので、今日も綺麗に刈りこまれていた。
2人が来るのを待ちかねたように真っ白な扉が開き、中から佳代子が現れる。
彼女は現在55歳だが、実年齢より若く見える。
同世代の女性と比べ長身で、達也と同じ身長170センチほどあった。
「もう来ると思ってたのよ」
佳代子は満面の笑みだったが、アンジェラの顔を見て、一瞬凍りついた表情になる。
が、すぐにとってつけたような、ぎこちないスマイルを作りなおした。
予想外の反応だったので、達也の胸にさざなみが広がった。
「よくいらっしゃったわね。あなたが、お友達かしら」
「そうです。アンジェラといいます」
「お国はどちら。生まれた国」
「フィリピンです」
「彼女とは共通の友人を通じて知りあったんだ。日本では家政婦をしてる」
達也は母に説明したが嘘だった。本当の彼女は歌舞伎町にあるフィリピン・パブのホステスだ。
アンジェラの実家は農家だがとても貧しく、一家の家計を支えるため、日本へ出稼ぎに来ていたのである。
「そうだったの。ともかくあがってくださいね」
佳代子はこわばった笑顔を浮かべながら、ダイニング・ルームに2人を案内した。
テーブルには料理研究家として知られる彼女手作りの料理の数々が並んでおり、早速三人は卓を囲んで、食べはじめた。
アンジェラは「おいしい」を連発しながら、満面の笑みで食べ物を口にしている。改めて思うが、確かにどれも味がよく、彩りも綺麗だ。
最初のうちは達也が勤務する医療機器の輸入販売会社の話や、佳代子の得意料理の話をしていたが、いつまでもそんな雑談しててもしかたないと思った彼は、単刀直入に思いのたけを、母にぶつける。
「ぼく達結婚を考えてる」
が、佳代子はそれには直接答えずに、穏やかな笑顔を崩さぬまま、逆に彼に質問してきた。
「2人はどのぐらいつきあってるの」
「1年だけど」
「まだちょっと早くないかしら」
「だったら、何年ならいいの」
「難しい質問ね。結婚は一生の話だから、もう少し考えてもいいんじゃない。それより、こちらも食べてみて」
何となく、はぐらかされた形になった。食後に日本茶が出たのだが、緑茶の苦手なアンジェラは手をつけなかった。
薬みたいな味がするという理由で、以前から飲みたがらないのだ。それも佳代子は、気にいらないようである。
やがてあれだけ美しい陽光をさしのべていた太陽も西に傾いて夕闇も迫り、達也とアンジェラは帰る流れになった。
玄関に向かった達也を佳代子が呼びとめる。
「ちょっとだけ、話があるの。アンジェラさんは先に行ってて」
「すぐ行くから」
達也は車のキーを、恋人に預けた。アンジェラは少し淋しげな顔でうなずくと、玄関の扉を開いて、外に出た。
「お母さんは反対よ」ドアが閉じられ、アンジェラの足音が遠ざかっていった後、唐突に佳代子が宣言した。
「誰が外人なんかを、あなたの嫁にするもんですか」
「ちょっと、ひどいだろ。差別じゃないか」
「何言ってるの。あなたにはお母さんが、日本人の、ちゃんとした家柄の女性を見つけてあげるわ」
「冗談じゃないよ。おれの奥さんになる人は、自分で決める。母さんなんか、大嫌いだ」
達也は思わずどなってしまった。そして、そんな自分に驚愕する。
今まで母とは喧嘩らしい喧嘩をした記憶がないし、彼女をどなった経験もない。
彼は背中を母に向け、玄関に向かって早足で歩いた。後ろから彼を呼ぶ声がしたが、ふりむくつもりは毛ほどもない。
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