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第10話(最終話) 結末
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探偵事務所からナノフォンに連絡があったのは、翌日の昼である。おれは盗聴を恐れて一旦ナノフォンを切り、再び車で新宿に向かう。昨日と同じように事務所の呼び鈴を鳴らした。
「お待ちしてました。ごぶさたしてます」
ドアを開いて現れたのは、所長の吉富だ。おそらく年齢は60歳前後。白髪をオールバックにしており、小さな目は、すでに絶滅したアフリカゾウを思わせた。身長は180センチぐらいあり、筋肉質の体型だ。今の職業につく前は、警視庁の警部だった。
おれは再び昨日の個室に案内される。ロボットが、吉富所長とおれのために、日本茶の入った湯飲みをもってきた。所長は現時点でわかった情報を説明する。内容は、楓ちゃんがおれに話した会社の噂を裏づけるものだった。
やはり入福は元俳優で、まだ若かった20代の頃には宇宙船乗りをしながら『ゼムリャー』に所属していたが役者としてはさっぱり売れず、転職してコロニー公社に入ったのだ。現在『ゼムリャー』の社長をやってる青谷とは、今も交流が続いていると判明した。
「やっぱり青谷さんが、邪魔したのか」
おれは怒りを抑えきれずにそう吐きだした。あの傲慢さを絵に描いたような顔が、浮かんだ。
「あくまで状況証拠です。これだけをもって、法廷に持ちこめるだけの証拠は揃ってないですしね。入福さんは現在行方不明だそうで、離婚して実家に帰った元奥さんも、コロニー公社の元同僚も、入福さんの居所がわからないそうです」
吉富所長は、低い声で説明する。
「とりあえず、今回わかったのはこれだけです。調査は続行いたしますか。追加料金かかりますし、これ以上の情報が出てくるかわかりませんが」
「ぜひとも調査を続けてください。今のぼくは、藁にもすがりたい心境なんで」
つい涙ぐみながら、おれは頼んだ。われながら、情けない。
「承知しました。それではさらに続行します。とりあえず元奥さんの家に張りこんで、本当に元夫と接点がないか調べてみます。あまりお気を落とされぬよう」
こっちの涙には気づかないふりをして、吉富所長が励ました。
「ありがとうございます」
おれは深く一礼した。
どこからか、ナノフォンの鳴り響く音がする。頭が痛い。二日酔いだ。日本酒とワインとウォッカを浴びるほど飲んだうえ、大麻も少しやったのだから、無理もない。こんな生活を続けていたら、やがては突然死するかもしれぬ。
それは、それでいい気もした。死ねばおれは、あらゆる苦悩から解放される。
マスメディアは、生前ボロカスに書いてきた事など忘れ、夭折したヒーローとして、おれを好意的に描いてくれるに違いない。
おれは右手をあっちこっちに動かして、ようやくベッド脇のサイドテーブルから床に落ちてたナノフォンを取りあげた。その勢いで床に落ち、頭をぶつける。痛む頭を抑えながら、ナノフォンに出た。声の主は、富永だ。
「朝早くから、お疲れ様です」
おれは、眠い目をこすりながら、言葉を発した。
「もう昼ですよ」
呆れた様子を、極力抑えた語調で向こうが返事をする。
「何か、わかりましたか?」
おれは、質問の言葉を投げる。
「一昨日の件です。直接会ってお話したいのですが、またこちらへ来ていただけますかね? あれから、色々わかりましたんで。ご都合はいかがでしょう?」
「すぐ行きます」
おれはナノフォンを切った。それから頭痛薬を口の中に放りこむと、痛みは一瞬にして引いてゆく。ヘアスタイルを整えて、デンタル・カプセルを口の中に入れる。これは口中で溶けると、中に入ったナノマシンが瞬時に歯を綺麗にして、口臭も消すというスグレモノだった。
少々値段は高いのだが、こういう時は便利である。貧しかった頃は、とてもじゃないが買えなかった代物だ。今の日本は富める者は益々富み、貧乏人はどんどん貧しくなってゆく、超格差社会であった。
消費税が食料も含めた全ての商品に一律二十パーセントも加算される時代なのだから、無理もない。金持ちには痛くもかゆくもないだろうが、貧乏人には、きつい税制だ。おれは自分の部屋を出るとエレベーターに乗りこみ、地下一階のボタンに触れた。金属の箱は、音もなく下がりはじめる。
やがて箱は目的地に到着し、左右に自動ドアが開いた。地下は駐車場になっている。おれは自分の車に向かった。昨日は韓国の現代(ヒュンダイ)社製の赤い電気自動車だったが、今日はその横にあるトヨタの青いクーペを転がす事にする。
やがておれが乗りこんだクーペは設定したナビ通りに走り、新宿にある、コロニー公社の東京支社ビルに向かった。昨日と同じく円筒形の異彩を放つ建物が、視界に浮かぶ。一昨日は、普段からよく使ってる別のビルに駐車したが、今日は満車表示が出てたので、コロニー公社の地下に停めた。
車はビルの地下に向かってスロープを滑りおりる。白いラインの中に駐車し車外に出ると、案内用のロボットが、足の底についた小型タイヤを滑らせながら、接近してきた。
「お待ちしておりました。江間様ですね」
ロボットはまるでアナウンサーのように流暢な日本語で挨拶すると、おじぎをした。機械じかけの人形は身長1メートル50センチぐらいだろうか。お椀を伏せたようなドーム型の頭部、まるっこい茶色のボディで、相手の人間に威圧感を与えないようなデザインになっている。
おれはそんなロボットの後について地下からエレベーターに乗りこみ、昨日と同じく42階へ上昇した。目的階へ到着すると、おれとロボットは廊下に出る。そして昨日と同じ応接室に案内される。そこにはすでに、富永の姿があった。
ロボットが去り、江間は富永の向かいに座った。彼の雰囲気は一昨日とわずかだが、どこかが違う。一昨日おれから話を聞いた時には隠しきれない狼狽を感じたものだが、今日はそんな様子は微塵もなかった。
「本日は、お疲れ様です」
木で鼻をくくったような口調で富永が言葉を発した。慇懃無礼を、絵に描いたような態度である。
「一昨日の件、こちらで調べさせていただきました。確かにあなたのおっしゃった通り元社員の入福が、我々の知らぬところで勝手に『エデン』に入ったのが確認されました」
「勝手になんて、入れるんですか?」
おれは、言葉を荒げて聞いた。
「退職時彼はセキュリティ・カードを返却したのですが、ひそかにこれを複製していたんです。そこはあなたに謝罪しなければなりません」
「ぼくが本来地球に帰る日時よりも、まる1日遅れてしまった件については、わかりましたか?」
「わかりました。『エデン』のミラーは本来24時間かけて、一昼夜を作りだすように設定されていたのですが、故障のために現在はそれが遅れ、25時間で一昼夜を作りだす動きになっているのです」
それを聞いて愕然とした。
「それでぼくは24時間分も、遅刻するはめになったんだ。直そうとは思わなかったんですか」
「その頃には経年劣化であちこちガタがきて、閉園の話が出ていたので、とりあえずは直さない話になったんです。もちろん入福も知ってました。結局リニューアルして再オープンする話になり、ミラーも修理いたしますが」
「それではこの件を『ケンタウリ』の会長に話します。そうすれば、ぼくが約束をすっぽかしたわけではないと、向こうもわかってくれるはずです」
「申し訳ないが、この件は内密にしていただきたい」
低いトーンで、富永がきっぱりと宣言した。その目には光がない。
「どうしてですか?」
おれは思わず大声になって詰め寄った。
「すでに退職したとはいえ、うちの元社員があなたを騙して、しかも絶滅危惧種の動物の狩猟に加担していたなんてばれれば、公社としては大打撃ですからね……それに困るのはあなたも同じです。絶滅危惧種の動物を殺してならないのは、あなたもご存知のはずですよね? もしもあなたがこの件を『ケンタウリ』の会長に話したら、申し訳ないがこのスキャンダルを太陽系中に流します」
富永は、江間の腹の内を読んだかのように、さらに続けた。
「こっそり内密に話せば、わかりはすまいと思ってるなら、大違いです。あなたの体内にはすでに、我々の放ったスパイ用と、暗殺用のナノマシンが潜入してます。それは常にあなたを監視し、少しでも『ケンタウリ』の事務所や会長に近づこうものなら、暗殺用ナノマシンが毒薬を放出する手はずになってます」
「ハッタリだろう!? 適当な話すんじゃねえよ!」
怒りのあまり、おれはどなった。頭から湯気が出そうな勢いだ。
「信じたくないなら、信じなくてもいい」
富永は、手元にあった何かのリモコンスイッチを押す。その直後、江間の全身を強烈な不快感が襲った。
「今試しに、あなたの体内のナノマシンからちょっとだけ毒を放出しました。命に関わる量じゃないからご心配なく。すぐに、気分が悪いのも収まります」
富永の宣告通り、悪寒はやがて霧散した。後には全身から流れる脂汗と、恐怖が残る。心臓の鼓動が早鐘のようになっている。普通のサラリーマンに見えた富永が、今はラスボスに思えてきた。
「コロニー公社ってのは、もっと健全な優良企業だと思ってたぜ」
本当は口をきくのも苦しかったが、精一杯の虚勢を張った。
「そうありたいところですが、世の中我々を食い物にしようと手ぐすね引いてる連中が、うじゃうじゃいましてね」
富永は、口の端を曲げて笑った。
「ただ我々も、鬼畜ではない。あなたがこの件を内密にするならば、このリモコンは押しません。ただし、仮にこの件が他の者の手によって発表されたとしても、我々はあなたが関与したとみなして、スイッチを押す。ちなみに簡単に苦痛なく死ねると思ったら間違いですよ。先程あなたが味わった悪寒以上の激しい痛みにのたうちまわりながら、死んでゆくような毒薬をナノマシンにしこんでますから。ついでに言うと現代の医学では、この毒が血液中に回ってしまうと、助ける事はできません」
「まるであんたらヤクザだな」
「何とでも言いなさい。これも組織防衛のためだ。わが社と関連企業の従業員が全部で一体何万人いると思ってるんですか⁉ 私を含む従業員と、家族の生活を守るためにも、汚れ役を引きうける者が必要なんです。ついでに言うと、この会話を録音しても、無駄ですからね。この室内には特殊な電波が流れてて、録音機器を破壊するようにできてます。嘘だと思うなら、後でそのナノフォンを確認してみてください」
富永は、おれが左腕にはめたナノフォンを指さした。ここへ来る直前に録音モードにしたはずが、録音中を意味するランプが消えており、代わりに故障中を示す赤いランプが点灯している。
「どこまでも用意周到だね」
おれは、つぶやくように話した。
「うちの娘が、受付の増沢同様あなたの熱心なファンでしてね。あなたを殺して娘の涙を見るような状況にしたくないので、今日はこのままお帰りなさい。どうせ今までさんざん金を貯めてるでしょう。生活に困るわけじゃないんだ」
おれは崖から突きおとされたような気持ちになり、そこから1歩も動けなかった。それからどれだけの時間がたったろう。実際には5分も経過していないとは思うのだが、永遠にも等しく思える時間が過ぎ、何度も富永にせっつかれながら席を立ち、思い足を引きずるようにドアへと向かった。
扉が自動で横に開くと、外に出た。室外の通路には、彼をここまで連れてきた警備ロボットの姿がある。
「わたくしが、駐車場へ案内します」
電気じかけの人形は、頭部についたスピーカーから流暢な日本語で声をかけてきた。おれはロボットと共にエレベーターを地下まで降り、駐車場へと引きかえす。自分の愛車に乗りこむと、ナビの目的地を世田谷のマンションに向けて設定した。
それからしばらくは、ネットやテレビで、おれに関する悪いニュースが流された。中には残念ながら真実も含まれていたが、デマも多い。多分『ゼムリャー』の嫌がらせだろう。銅田さん共々、実質的に芸能界を追われたも同然だった。
青谷らしいやり口だ。今まで事務所を出た役者も、そうやってひどい目にあわされたのだ。マンションの1階の入口付近にはいつのまにか常時メディアの取材陣が殺到し、おれは部屋から1歩も出られなくなってしまった。
天国から一気に地獄へ落とされたような気分である。真昼間から部屋でスコッチをフラスコごと飲んでいたら、床に放りだしたナノフォンの着信音が鳴りはじめた。着信音は、誰がかけてきたかによって変えている。この音は、銅田さんがかけてきた時のものだ。おれは床を這いながら、ようやくナノフォンに辿りついた。
「はい、もしもし。一体どったの?」
呂律の怪しい口調でおれは質問した。
「ニュースがあるの」
「悪いニュースかい? それとも、もっと悪いニュース?」
「いいニュースよ」
笑いながら、相手が答える。
「アメリカの芸能事務所の人間が、あたしに接触してきたの。あなたの曲を向こうで売りだしたいんですって」
過去にもおれの生みだしたコンテンツを海外や、月面等の地球外で売りだしたケースはあるが、正直日本国内程は売れてなかった。
「どうなんだろ。ありがたい話だけど、アメリカでどれほど売れるもんだか」
「裸一貫からやりなおすチャンスじゃない。『ゼムリャー』や『ケンタウリ』のおえらいさん達の鼻を明かしてやりましょうよ」
「それも、そうだな……。元々どん底から這いあがってきた身だし」
ほんの少しだけ、胸の奥から希望が蘇るのを感じた。アメリカデビューなら、全編英語のコンテンツを作らねば。それには英語の勉強も必要だろう。おれはスコッチの半分以上ある中身を流しに全部捨ててしまうと、フラスコをゴミ箱に放りこんだ。
「お待ちしてました。ごぶさたしてます」
ドアを開いて現れたのは、所長の吉富だ。おそらく年齢は60歳前後。白髪をオールバックにしており、小さな目は、すでに絶滅したアフリカゾウを思わせた。身長は180センチぐらいあり、筋肉質の体型だ。今の職業につく前は、警視庁の警部だった。
おれは再び昨日の個室に案内される。ロボットが、吉富所長とおれのために、日本茶の入った湯飲みをもってきた。所長は現時点でわかった情報を説明する。内容は、楓ちゃんがおれに話した会社の噂を裏づけるものだった。
やはり入福は元俳優で、まだ若かった20代の頃には宇宙船乗りをしながら『ゼムリャー』に所属していたが役者としてはさっぱり売れず、転職してコロニー公社に入ったのだ。現在『ゼムリャー』の社長をやってる青谷とは、今も交流が続いていると判明した。
「やっぱり青谷さんが、邪魔したのか」
おれは怒りを抑えきれずにそう吐きだした。あの傲慢さを絵に描いたような顔が、浮かんだ。
「あくまで状況証拠です。これだけをもって、法廷に持ちこめるだけの証拠は揃ってないですしね。入福さんは現在行方不明だそうで、離婚して実家に帰った元奥さんも、コロニー公社の元同僚も、入福さんの居所がわからないそうです」
吉富所長は、低い声で説明する。
「とりあえず、今回わかったのはこれだけです。調査は続行いたしますか。追加料金かかりますし、これ以上の情報が出てくるかわかりませんが」
「ぜひとも調査を続けてください。今のぼくは、藁にもすがりたい心境なんで」
つい涙ぐみながら、おれは頼んだ。われながら、情けない。
「承知しました。それではさらに続行します。とりあえず元奥さんの家に張りこんで、本当に元夫と接点がないか調べてみます。あまりお気を落とされぬよう」
こっちの涙には気づかないふりをして、吉富所長が励ました。
「ありがとうございます」
おれは深く一礼した。
どこからか、ナノフォンの鳴り響く音がする。頭が痛い。二日酔いだ。日本酒とワインとウォッカを浴びるほど飲んだうえ、大麻も少しやったのだから、無理もない。こんな生活を続けていたら、やがては突然死するかもしれぬ。
それは、それでいい気もした。死ねばおれは、あらゆる苦悩から解放される。
マスメディアは、生前ボロカスに書いてきた事など忘れ、夭折したヒーローとして、おれを好意的に描いてくれるに違いない。
おれは右手をあっちこっちに動かして、ようやくベッド脇のサイドテーブルから床に落ちてたナノフォンを取りあげた。その勢いで床に落ち、頭をぶつける。痛む頭を抑えながら、ナノフォンに出た。声の主は、富永だ。
「朝早くから、お疲れ様です」
おれは、眠い目をこすりながら、言葉を発した。
「もう昼ですよ」
呆れた様子を、極力抑えた語調で向こうが返事をする。
「何か、わかりましたか?」
おれは、質問の言葉を投げる。
「一昨日の件です。直接会ってお話したいのですが、またこちらへ来ていただけますかね? あれから、色々わかりましたんで。ご都合はいかがでしょう?」
「すぐ行きます」
おれはナノフォンを切った。それから頭痛薬を口の中に放りこむと、痛みは一瞬にして引いてゆく。ヘアスタイルを整えて、デンタル・カプセルを口の中に入れる。これは口中で溶けると、中に入ったナノマシンが瞬時に歯を綺麗にして、口臭も消すというスグレモノだった。
少々値段は高いのだが、こういう時は便利である。貧しかった頃は、とてもじゃないが買えなかった代物だ。今の日本は富める者は益々富み、貧乏人はどんどん貧しくなってゆく、超格差社会であった。
消費税が食料も含めた全ての商品に一律二十パーセントも加算される時代なのだから、無理もない。金持ちには痛くもかゆくもないだろうが、貧乏人には、きつい税制だ。おれは自分の部屋を出るとエレベーターに乗りこみ、地下一階のボタンに触れた。金属の箱は、音もなく下がりはじめる。
やがて箱は目的地に到着し、左右に自動ドアが開いた。地下は駐車場になっている。おれは自分の車に向かった。昨日は韓国の現代(ヒュンダイ)社製の赤い電気自動車だったが、今日はその横にあるトヨタの青いクーペを転がす事にする。
やがておれが乗りこんだクーペは設定したナビ通りに走り、新宿にある、コロニー公社の東京支社ビルに向かった。昨日と同じく円筒形の異彩を放つ建物が、視界に浮かぶ。一昨日は、普段からよく使ってる別のビルに駐車したが、今日は満車表示が出てたので、コロニー公社の地下に停めた。
車はビルの地下に向かってスロープを滑りおりる。白いラインの中に駐車し車外に出ると、案内用のロボットが、足の底についた小型タイヤを滑らせながら、接近してきた。
「お待ちしておりました。江間様ですね」
ロボットはまるでアナウンサーのように流暢な日本語で挨拶すると、おじぎをした。機械じかけの人形は身長1メートル50センチぐらいだろうか。お椀を伏せたようなドーム型の頭部、まるっこい茶色のボディで、相手の人間に威圧感を与えないようなデザインになっている。
おれはそんなロボットの後について地下からエレベーターに乗りこみ、昨日と同じく42階へ上昇した。目的階へ到着すると、おれとロボットは廊下に出る。そして昨日と同じ応接室に案内される。そこにはすでに、富永の姿があった。
ロボットが去り、江間は富永の向かいに座った。彼の雰囲気は一昨日とわずかだが、どこかが違う。一昨日おれから話を聞いた時には隠しきれない狼狽を感じたものだが、今日はそんな様子は微塵もなかった。
「本日は、お疲れ様です」
木で鼻をくくったような口調で富永が言葉を発した。慇懃無礼を、絵に描いたような態度である。
「一昨日の件、こちらで調べさせていただきました。確かにあなたのおっしゃった通り元社員の入福が、我々の知らぬところで勝手に『エデン』に入ったのが確認されました」
「勝手になんて、入れるんですか?」
おれは、言葉を荒げて聞いた。
「退職時彼はセキュリティ・カードを返却したのですが、ひそかにこれを複製していたんです。そこはあなたに謝罪しなければなりません」
「ぼくが本来地球に帰る日時よりも、まる1日遅れてしまった件については、わかりましたか?」
「わかりました。『エデン』のミラーは本来24時間かけて、一昼夜を作りだすように設定されていたのですが、故障のために現在はそれが遅れ、25時間で一昼夜を作りだす動きになっているのです」
それを聞いて愕然とした。
「それでぼくは24時間分も、遅刻するはめになったんだ。直そうとは思わなかったんですか」
「その頃には経年劣化であちこちガタがきて、閉園の話が出ていたので、とりあえずは直さない話になったんです。もちろん入福も知ってました。結局リニューアルして再オープンする話になり、ミラーも修理いたしますが」
「それではこの件を『ケンタウリ』の会長に話します。そうすれば、ぼくが約束をすっぽかしたわけではないと、向こうもわかってくれるはずです」
「申し訳ないが、この件は内密にしていただきたい」
低いトーンで、富永がきっぱりと宣言した。その目には光がない。
「どうしてですか?」
おれは思わず大声になって詰め寄った。
「すでに退職したとはいえ、うちの元社員があなたを騙して、しかも絶滅危惧種の動物の狩猟に加担していたなんてばれれば、公社としては大打撃ですからね……それに困るのはあなたも同じです。絶滅危惧種の動物を殺してならないのは、あなたもご存知のはずですよね? もしもあなたがこの件を『ケンタウリ』の会長に話したら、申し訳ないがこのスキャンダルを太陽系中に流します」
富永は、江間の腹の内を読んだかのように、さらに続けた。
「こっそり内密に話せば、わかりはすまいと思ってるなら、大違いです。あなたの体内にはすでに、我々の放ったスパイ用と、暗殺用のナノマシンが潜入してます。それは常にあなたを監視し、少しでも『ケンタウリ』の事務所や会長に近づこうものなら、暗殺用ナノマシンが毒薬を放出する手はずになってます」
「ハッタリだろう!? 適当な話すんじゃねえよ!」
怒りのあまり、おれはどなった。頭から湯気が出そうな勢いだ。
「信じたくないなら、信じなくてもいい」
富永は、手元にあった何かのリモコンスイッチを押す。その直後、江間の全身を強烈な不快感が襲った。
「今試しに、あなたの体内のナノマシンからちょっとだけ毒を放出しました。命に関わる量じゃないからご心配なく。すぐに、気分が悪いのも収まります」
富永の宣告通り、悪寒はやがて霧散した。後には全身から流れる脂汗と、恐怖が残る。心臓の鼓動が早鐘のようになっている。普通のサラリーマンに見えた富永が、今はラスボスに思えてきた。
「コロニー公社ってのは、もっと健全な優良企業だと思ってたぜ」
本当は口をきくのも苦しかったが、精一杯の虚勢を張った。
「そうありたいところですが、世の中我々を食い物にしようと手ぐすね引いてる連中が、うじゃうじゃいましてね」
富永は、口の端を曲げて笑った。
「ただ我々も、鬼畜ではない。あなたがこの件を内密にするならば、このリモコンは押しません。ただし、仮にこの件が他の者の手によって発表されたとしても、我々はあなたが関与したとみなして、スイッチを押す。ちなみに簡単に苦痛なく死ねると思ったら間違いですよ。先程あなたが味わった悪寒以上の激しい痛みにのたうちまわりながら、死んでゆくような毒薬をナノマシンにしこんでますから。ついでに言うと現代の医学では、この毒が血液中に回ってしまうと、助ける事はできません」
「まるであんたらヤクザだな」
「何とでも言いなさい。これも組織防衛のためだ。わが社と関連企業の従業員が全部で一体何万人いると思ってるんですか⁉ 私を含む従業員と、家族の生活を守るためにも、汚れ役を引きうける者が必要なんです。ついでに言うと、この会話を録音しても、無駄ですからね。この室内には特殊な電波が流れてて、録音機器を破壊するようにできてます。嘘だと思うなら、後でそのナノフォンを確認してみてください」
富永は、おれが左腕にはめたナノフォンを指さした。ここへ来る直前に録音モードにしたはずが、録音中を意味するランプが消えており、代わりに故障中を示す赤いランプが点灯している。
「どこまでも用意周到だね」
おれは、つぶやくように話した。
「うちの娘が、受付の増沢同様あなたの熱心なファンでしてね。あなたを殺して娘の涙を見るような状況にしたくないので、今日はこのままお帰りなさい。どうせ今までさんざん金を貯めてるでしょう。生活に困るわけじゃないんだ」
おれは崖から突きおとされたような気持ちになり、そこから1歩も動けなかった。それからどれだけの時間がたったろう。実際には5分も経過していないとは思うのだが、永遠にも等しく思える時間が過ぎ、何度も富永にせっつかれながら席を立ち、思い足を引きずるようにドアへと向かった。
扉が自動で横に開くと、外に出た。室外の通路には、彼をここまで連れてきた警備ロボットの姿がある。
「わたくしが、駐車場へ案内します」
電気じかけの人形は、頭部についたスピーカーから流暢な日本語で声をかけてきた。おれはロボットと共にエレベーターを地下まで降り、駐車場へと引きかえす。自分の愛車に乗りこむと、ナビの目的地を世田谷のマンションに向けて設定した。
それからしばらくは、ネットやテレビで、おれに関する悪いニュースが流された。中には残念ながら真実も含まれていたが、デマも多い。多分『ゼムリャー』の嫌がらせだろう。銅田さん共々、実質的に芸能界を追われたも同然だった。
青谷らしいやり口だ。今まで事務所を出た役者も、そうやってひどい目にあわされたのだ。マンションの1階の入口付近にはいつのまにか常時メディアの取材陣が殺到し、おれは部屋から1歩も出られなくなってしまった。
天国から一気に地獄へ落とされたような気分である。真昼間から部屋でスコッチをフラスコごと飲んでいたら、床に放りだしたナノフォンの着信音が鳴りはじめた。着信音は、誰がかけてきたかによって変えている。この音は、銅田さんがかけてきた時のものだ。おれは床を這いながら、ようやくナノフォンに辿りついた。
「はい、もしもし。一体どったの?」
呂律の怪しい口調でおれは質問した。
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「いいニュースよ」
笑いながら、相手が答える。
「アメリカの芸能事務所の人間が、あたしに接触してきたの。あなたの曲を向こうで売りだしたいんですって」
過去にもおれの生みだしたコンテンツを海外や、月面等の地球外で売りだしたケースはあるが、正直日本国内程は売れてなかった。
「どうなんだろ。ありがたい話だけど、アメリカでどれほど売れるもんだか」
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「それも、そうだな……。元々どん底から這いあがってきた身だし」
ほんの少しだけ、胸の奥から希望が蘇るのを感じた。アメリカデビューなら、全編英語のコンテンツを作らねば。それには英語の勉強も必要だろう。おれはスコッチの半分以上ある中身を流しに全部捨ててしまうと、フラスコをゴミ箱に放りこんだ。
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