5 / 10
第5話 ひまりとの思い出
しおりを挟む
「ありがとうございます」
おれは脳内で入福に返信すると、去りゆくスターシップに向かって、敬礼をした。おれが、重力のあるマリン・スペースへとつながる通路へ向かう途中、向こうから金髪の若い白人女性……いや、女性型パースノイドが飛んできた。
パースノイドは人そっくりに作られたロボットの呼称である。当然呼吸もしないので、コスモ・スーツは着ていない。引力はないが、呼吸可能な空気はあるので、おれはヘルメットを脱いだ。
「はじめまして。江間さんですね」
パースノイドは、咲きほころんだ薔薇のように華やかな笑みを浮かべながら、アナウンサーのごとく、耳にここちよい綺麗な発音で話した。言語はイングリッシュだが、耳にはめた翻訳機が、ジャパニーズに変換した。
「わたしは、ソフィアと申します。7月29日まで、わたしが『エデン』のガイドをつとめます」
「よろしくね」
ウィンクしながら日本語で答えたが、耳にはめた翻訳機が、英語に訳して相手にぶつけた。おれは通路の右にあるフックをつかみ、フックについたボタンを押す。すると通路の溝に沿ってフックとおれが移動を始める。ソフィアは通路の左にあるフックをつかんで、やはり同じ様に移動した。
「久々の長期オフなんで、海を観るのが楽しみだよ。誰もいない渚なんて、歌謡曲の歌詞みたいで最高だぜ」だんだんテンションの上がってきたおれは、自分の左を移動するソフィアに向かって声を投げた。「ま、パースノイドの君にはわからないだろうけど」
「そうですね。わかりませんわ」
気持ちのいい笑みを湛えて、ソフィアが答えた。人間そっくりとは言っても、やはりパースノイドは、どこかおれ達とは違う。気持ちが高まるにつれ、ひまりを連れてこられなかったのが、本当に残念だと、改めて思った。
ひまりのやわらかな笑みと、よく通る声が、おれの脳に再生される。今彼女は、どこでどうしているだろう。おれは、かけがえのない宝石を失ってしまったのだ。
「こちらが緊急用の無線機です。なので時刻表示や他の機能はありません」重力ゾーンに辿りつくと、ソフィアが腕時計型の機械をこちらによこした。
「ありがとさん」
渡された無線機を、おれは左腕にはめた。車でもナノフォンでも、ゴテゴテと様々な機能のついた機械に慣れてるので、無線のみの機械なんて、変な感じだ。
「防水なので、そのまま海水浴しても問題ありません」
「おお! それは、ありがたいわ」
重力ゾーンの自動ドアが開くと、目に鮮やかな純白のビーチに、フェルメール・ブルーの澄んだ海が広がっていた。思わずおれは子供のようにバカみたいな歓声を上げながら、そのまま砂浜を走りはじめる。
太陽のない青空から、巨大なミラーが反射させた灼熱の日光が矢のように降りそそぐ。
おれは思わず着ている衣服を全部脱ぎすて、左腕の通信機以外全裸になって、海の中に飛びこんだ。地球の海と違ってクラゲやサメのような、危険な生物は存在しない。
まさに宇宙の楽園(エデン)である。人が作りだした、人間のための、都合のいい『自然』。頭でそうとわかっていても、おれはそいつを堪能した。最初の十二日間、おれはこの海で考えうる、全ての娯楽に興じてみる。
ヨット、サーフィン、スキューバ・ダイビング、水泳、浜辺でのひなたぼっこ、釣り……夜は夜で、満点の星空と、地球でよりも大きく見える月の光景を堪能しながら、心地よい孤独に浸る。
時折おれは持ってきたイメージ・ギターを弾きながら、新曲を作ったりもした。ギターから伸びたコードは、おれのかぶるトロード・メットとつながっており、楽器の弦をつまびきながら歌を歌い、同時に脳でコンテンツの映像をイメージする。
おれの想像したホロ動画は、イメージ・ギターに組みこまれたメモリー・チップに保存された。そんな時でも思いだすのは、やはり、ひまりの顔だった。彼女は同じスラム街の出身で、幼なじみだ。
2人共外壁のひび割れた低所得者向けのアパートに住んでいたのだ。窓が割れても金がないのでガムテープで補修するような地区だった。治安は悪く、ストリート・ギャングが出没するような、ゴミ貯めのような街だったのだ。
おれの父親は酔っては妻子をなぐるようなクズ野郎で、母親はアル中だった。家庭におれの安らぎはなく、外でひまりと会えるのだけが、おれにとっての数少ない癒しだったのだ。彼女の家も、家庭に問題があったので、互いの、傷をなめあうような関係だった。
最初は遊び友達だったが、やがて男女の関係になったのだ。特に約束をかわしたわけではないのだが、そのうちいつか、結婚するつもりでいた。やがて『ゼムリャー』に所属してメジャーデビューしたおれのコンテンツが売れ出すと、ライブには、それまで以上に大勢のファンが集まりはじめる。
会場も小さな場所から武道館とか、横浜アリーナとか、東京ドームとか、スペース・コロニーをまるごと一基コンサート会場にしたミュージック・コロニーとか、大きな箱でやるようになったのだ。若い女性ファンも増え、そのうちの何人かと寝るようになった。
無論ひまりには秘密にしてたが、今思えば、そのうち浮気がばれるのは時間の問題だったのだ。おれの感覚では、ファンと寝るのはお遊びで、あくまで本命はひまりだったが、当然ながら彼女の方は、そんなふうには考えない。
思いだしたくない、それでいて思いださずにはいられない醜悪な大喧嘩が、2人の間で果てしなく繰り返された。ある時おれは、酒に酔った勢いもあり、思わずひまりを殴ってしまう。
それまで親父のようなDV野郎を嫌っていたので、男同士の喧嘩はともかく、女は殴らないのがポリシーだった。なので自分の行為に対して、おれ自身が驚いた。その時の、彼女の顔を、おれは今でも忘れられない。汚い物でも、見るかのような目つきだった。
それからまもなく彼女は合鍵と捨て台詞を叩きつけて、2人で住んでたマンションから出ていったのだ。本当ならひまりと、ここに来たかった。別の女と来る気にもなれず、おれは1人でここに来たのだ。
入福から、なるべく1人でお願いしたいと要請されたというのもある。両親はすでに死んでいた。おれの父親は酒場で自分からからんだ相手に返り討ちにあい、打ちどころが悪くてそのまま死んだのだ。
母親の方もアル中がひどくなり、後を追うように亡くなった。記憶の中にいるお袋は、いつも酒を飲んでいた。家事もまともにやらないので、おれは自分が食うメシは、自分で作るようになっていたのだ。
おれは脳内で入福に返信すると、去りゆくスターシップに向かって、敬礼をした。おれが、重力のあるマリン・スペースへとつながる通路へ向かう途中、向こうから金髪の若い白人女性……いや、女性型パースノイドが飛んできた。
パースノイドは人そっくりに作られたロボットの呼称である。当然呼吸もしないので、コスモ・スーツは着ていない。引力はないが、呼吸可能な空気はあるので、おれはヘルメットを脱いだ。
「はじめまして。江間さんですね」
パースノイドは、咲きほころんだ薔薇のように華やかな笑みを浮かべながら、アナウンサーのごとく、耳にここちよい綺麗な発音で話した。言語はイングリッシュだが、耳にはめた翻訳機が、ジャパニーズに変換した。
「わたしは、ソフィアと申します。7月29日まで、わたしが『エデン』のガイドをつとめます」
「よろしくね」
ウィンクしながら日本語で答えたが、耳にはめた翻訳機が、英語に訳して相手にぶつけた。おれは通路の右にあるフックをつかみ、フックについたボタンを押す。すると通路の溝に沿ってフックとおれが移動を始める。ソフィアは通路の左にあるフックをつかんで、やはり同じ様に移動した。
「久々の長期オフなんで、海を観るのが楽しみだよ。誰もいない渚なんて、歌謡曲の歌詞みたいで最高だぜ」だんだんテンションの上がってきたおれは、自分の左を移動するソフィアに向かって声を投げた。「ま、パースノイドの君にはわからないだろうけど」
「そうですね。わかりませんわ」
気持ちのいい笑みを湛えて、ソフィアが答えた。人間そっくりとは言っても、やはりパースノイドは、どこかおれ達とは違う。気持ちが高まるにつれ、ひまりを連れてこられなかったのが、本当に残念だと、改めて思った。
ひまりのやわらかな笑みと、よく通る声が、おれの脳に再生される。今彼女は、どこでどうしているだろう。おれは、かけがえのない宝石を失ってしまったのだ。
「こちらが緊急用の無線機です。なので時刻表示や他の機能はありません」重力ゾーンに辿りつくと、ソフィアが腕時計型の機械をこちらによこした。
「ありがとさん」
渡された無線機を、おれは左腕にはめた。車でもナノフォンでも、ゴテゴテと様々な機能のついた機械に慣れてるので、無線のみの機械なんて、変な感じだ。
「防水なので、そのまま海水浴しても問題ありません」
「おお! それは、ありがたいわ」
重力ゾーンの自動ドアが開くと、目に鮮やかな純白のビーチに、フェルメール・ブルーの澄んだ海が広がっていた。思わずおれは子供のようにバカみたいな歓声を上げながら、そのまま砂浜を走りはじめる。
太陽のない青空から、巨大なミラーが反射させた灼熱の日光が矢のように降りそそぐ。
おれは思わず着ている衣服を全部脱ぎすて、左腕の通信機以外全裸になって、海の中に飛びこんだ。地球の海と違ってクラゲやサメのような、危険な生物は存在しない。
まさに宇宙の楽園(エデン)である。人が作りだした、人間のための、都合のいい『自然』。頭でそうとわかっていても、おれはそいつを堪能した。最初の十二日間、おれはこの海で考えうる、全ての娯楽に興じてみる。
ヨット、サーフィン、スキューバ・ダイビング、水泳、浜辺でのひなたぼっこ、釣り……夜は夜で、満点の星空と、地球でよりも大きく見える月の光景を堪能しながら、心地よい孤独に浸る。
時折おれは持ってきたイメージ・ギターを弾きながら、新曲を作ったりもした。ギターから伸びたコードは、おれのかぶるトロード・メットとつながっており、楽器の弦をつまびきながら歌を歌い、同時に脳でコンテンツの映像をイメージする。
おれの想像したホロ動画は、イメージ・ギターに組みこまれたメモリー・チップに保存された。そんな時でも思いだすのは、やはり、ひまりの顔だった。彼女は同じスラム街の出身で、幼なじみだ。
2人共外壁のひび割れた低所得者向けのアパートに住んでいたのだ。窓が割れても金がないのでガムテープで補修するような地区だった。治安は悪く、ストリート・ギャングが出没するような、ゴミ貯めのような街だったのだ。
おれの父親は酔っては妻子をなぐるようなクズ野郎で、母親はアル中だった。家庭におれの安らぎはなく、外でひまりと会えるのだけが、おれにとっての数少ない癒しだったのだ。彼女の家も、家庭に問題があったので、互いの、傷をなめあうような関係だった。
最初は遊び友達だったが、やがて男女の関係になったのだ。特に約束をかわしたわけではないのだが、そのうちいつか、結婚するつもりでいた。やがて『ゼムリャー』に所属してメジャーデビューしたおれのコンテンツが売れ出すと、ライブには、それまで以上に大勢のファンが集まりはじめる。
会場も小さな場所から武道館とか、横浜アリーナとか、東京ドームとか、スペース・コロニーをまるごと一基コンサート会場にしたミュージック・コロニーとか、大きな箱でやるようになったのだ。若い女性ファンも増え、そのうちの何人かと寝るようになった。
無論ひまりには秘密にしてたが、今思えば、そのうち浮気がばれるのは時間の問題だったのだ。おれの感覚では、ファンと寝るのはお遊びで、あくまで本命はひまりだったが、当然ながら彼女の方は、そんなふうには考えない。
思いだしたくない、それでいて思いださずにはいられない醜悪な大喧嘩が、2人の間で果てしなく繰り返された。ある時おれは、酒に酔った勢いもあり、思わずひまりを殴ってしまう。
それまで親父のようなDV野郎を嫌っていたので、男同士の喧嘩はともかく、女は殴らないのがポリシーだった。なので自分の行為に対して、おれ自身が驚いた。その時の、彼女の顔を、おれは今でも忘れられない。汚い物でも、見るかのような目つきだった。
それからまもなく彼女は合鍵と捨て台詞を叩きつけて、2人で住んでたマンションから出ていったのだ。本当ならひまりと、ここに来たかった。別の女と来る気にもなれず、おれは1人でここに来たのだ。
入福から、なるべく1人でお願いしたいと要請されたというのもある。両親はすでに死んでいた。おれの父親は酒場で自分からからんだ相手に返り討ちにあい、打ちどころが悪くてそのまま死んだのだ。
母親の方もアル中がひどくなり、後を追うように亡くなった。記憶の中にいるお袋は、いつも酒を飲んでいた。家事もまともにやらないので、おれは自分が食うメシは、自分で作るようになっていたのだ。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
コラテラルダメージ~楽園11~
志賀雅基
SF
◆感情付加/不可/負荷/犠牲無き最適解が欲しいか/我は鏡ぞ/貴様が作った◆
惑星警察刑事×テラ連邦軍別室員シリーズPart10[全36話]
双子惑星の片方に小惑星が衝突し死の星になった。だが本当はもうひとつの惑星にその災厄は訪れる筈だった。命運を分けたのは『巨大テラ連邦の利』を追求した特殊戦略コンピュータ・SSCⅡテンダネスの最適解。家族をコンピュータの言いなりに殺されたと知った男は復讐心を抱き、テラに挑む。――途方もない数の犠牲者が出ると知りながら。
▼▼▼
【シリーズ中、何処からでもどうぞ】
【全性別対応/BL特有シーンはストーリーに支障なく回避可能です】
【ノベルアップ+にR無指定版/エブリスタにR15版を掲載】
錬金術師と銀髪の狂戦士
ろんど087
SF
連邦科学局を退所した若き天才科学者タイト。
「錬金術師」の異名をかれが、旅の護衛を依頼した傭兵は可愛らしい銀髪、ナイスバディの少女。
しかし彼女は「銀髪の狂戦士」の異名を持つ腕利きの傭兵……のはずなのだが……。
地球の天使、ルミエールと行く、三百年後の未来
Taka123M
SF
孤独な研究者タクミは、大学での理論「SMAI(Super Mind AI)」が認められず、失望と挫折の日々を送っていた。ある日、交通事故に遭い命を落とすが、その直後、量子コヒーレント空間に意識が飛ばされ、そこで天使ルミエールと出会う。
ルミエールは、未来の地球がタクミの理論によって引き起こされた問題に直面していることを伝える。タクミはルミエールとともに三百年後の未来に向かい、問題を解決するために立ち上がる。二人は未来のパリや日本を巡り、ミカミ財団やTOTOとの対決を経て、最終的に平和と調和を取り戻す。
その過程で、タクミは自分の理論と向き合い、トラウマを克服し、ルミエールとの絆を深めていく。最終的に、二人がどうなるかはお楽しみにしてください。
ゴースト
ニタマゴ
SF
ある人は言った「人類に共通の敵ができた時、人類今までにない奇跡を作り上げるでしょう」
そして、それは事実となった。
2027ユーラシア大陸、シベリア北部、後にゴーストと呼ばれるようになった化け物が襲ってきた。
そこから人類が下した決断、人類史上最大で最悪の戦争『ゴーストWar』幕を開けた。
ヒト・カタ・ヒト・ヒラ
さんかいきょー
SF
悪堕ち女神と、物語を終えた主人公たちと、始末を忘れた厄介事たちのお話。
2~5メートル級非人型ロボット多目。ちょっぴり辛口ライトSF近現代伝奇。
アクセルというのは、踏むためにあるのです。
この小説、ダイナミッ〇プロの漫画のキャラみたいな目(◎◎)をした登場人物、多いわよ?
第一章:闇に染まった太陽の女神、少年と出会うのこと(vs悪堕ち少女)
第二章:戦闘機械竜vsワイバーンゴーレム、夜天燃ゆるティラノ・ファイナルウォーズのこと(vsメカ恐竜)
第三章:かつて物語の主人公だった元ヒーローと元ヒロイン、めぐりあいのこと(vsカブトムシ怪人&JK忍者)
第四章:70年で出来る!近代国家乗っ取り方法のこと/神様の作りかた、壊しかたのこと(vs国家権力)
第五章:三ヶ月でやれる!現代国家破壊のこと(vs国家権力&人造神)
シリーズ構成済。全五章+短編一章にて完結
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる