妹ばかり可愛がられた伯爵令嬢、妹の身代わりにされ残虐非道な冷血公爵の嫁となる

村咲

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その後の話

3話

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 と、いうわけで――。

 ――やらかしたわ……。

 冷気漂う部屋の中、私は絶賛後悔中であった。

 背後にはヴォルフ様の気配。
 腰には、逃がすまいと言わんばかりのヴォルフ様の腕。
 さらりと垂れ落ちる青銀の髪が見えるけど、ヴォルフ様本人の姿は見えない。

 なぜなら現在、私はヴォルフ様に背後から抱きしめられているからだ。

 ――ひええええ!!

 とは言わない。さすがにもう、七日も同じ部屋で過ごしたのだ。

 なにせ、ただでさえスキンシップの激しいヴォルフ様。
 人目をはばかる必要のない部屋の中とあっては、もう抱きしめられるなんて当たり前みたいになってくる。

 現在はソファの上。普通に座って、普通に抱きしめられているだけ。
 気恥ずかしくて落ち着かないけど、このくらいなら慣れてしまった。

 ――だって、いつももっとすごいことをされているし……。

 ヒイヒイ言わされているし。
 あられもないことをされているし――いやいや! この状況でなにを考えているの!!

 ひええ……と赤くなっている場合ではない。
 絶対零度の威圧感が、背後に控えているのだ。
 凍りつくような緊張感の中、私を捕らえたまま、ヴォルフ様がかすかに身動ぎをした。

「アネッサ」

 耳元に、くすぐるような声がする。
 低く、底冷えのするような――毒のように甘い声だ。

「君は本気で言ったのか? ――――外に出たい、と」

 外に出たい――とは、私が少し前に告げた言葉だ。
 外に出たいのは本心だけど、なかば軽い気持ちで口にしたのは、きっと失敗だったのだろう。

「本当に?」

 腰に回されたヴォルフ様の腕に、力が込められる。
 痛むほどの力ではないけれど、逃げられないことを思い知らされるような強さがある。

「ヴォルフ様……その」

 ――怒っていらっしゃる……?

 とおそるおそる振り返れば、背後のヴォルフ様と至近距離で視線が合う。
 息を呑むような美貌に浮かぶのは、笑みのようでいて、笑みではない。
 ぜんぜん笑っていないときに、ヴォルフ様がよく浮かべる表情だ。

 冷たい凄みのあるその様子に、私は体を硬らせる。
「ひっ」と口から出かけた悲鳴を呑み込み、――それでも、どうにか言葉を告げる。

「その、外に出て……やりたいことがあって……」
「やりたいこと?」

 私の言葉を繰り返し、ヴォルフ様は目を細めた。
 もちろん、愉快でないということは、肌で感じられる。

「部屋の中でできないことなのか? 必要なものがあれば運び込ませるが」

「で、できないことはないですが……外に行きたくて」

「散歩でもしたいのか? それなら、せめて怪我を治してから言ってくれ。自分がどうしてこの部屋にいるか、君自身でもわかっているだろう」

 ぐ、と言葉に詰まる。
 なにも言い返せないのは、ヴォルフ様の威圧感が怖いから、ではない。
 反論できないくらいに正論だからだ。

 安静を無視して、怪我の治りを遅らせたのは私。
 そのうえ夜中に出歩いて、誘拐されたのも私。
 それでも懲りずに部屋を抜け出した結果、ついにヴォルフ様の部屋に強制移動することになったのだ。

 それで軟禁はさすがにやりすぎでは? と思うけど、さんざん好き勝手した私に文句を言う資格はない。
 大切にしてもらっているのはよくわかるし、そもそもこの軟禁だって、今の今まで気づかなかったくらいだ。

 ヴォルフ様は、別に私を力尽くで閉じ込めていたわけではない。
 私自身が、外に出ようと思わなかっただけなのだ。

 ――今だって……怖いけど……。

 ちらり、と私はヴォルフ様の表情を窺う。
 顔に浮かぶ、感情の読めない笑み。
 口角の上がる口元に、笑っていない瞳の色。
 私を抱く手の力は強いけど、決して傷つけようとはしない。
 告げる言葉だって、こっちのぐうの音が出ないほどの正論だけだ。

 ――きっと、怒っているわけではないんだわ。

 いや――本当は腹を立ててはいるんだと思う。
 だけど、それを表に出さないようにしてくれているのだ。

 本気で怒れば――ヴォルフ様がそうしたいと望むなら、私に言うことを聞かせるのは簡単だ。
 威圧感だけで怯えてしまって、私はきっと声も出せなくなるだろう。

 でも、ヴォルフ様はそうはしない。
 私と話して、私の言葉を聞いて、納得させようとしているからこその、この表情なのだ。

 だから――。

「もうほとんど治りかけなんだろう? 医者も、あと二、三日程度だと言っていたはずだ。それまで待てないのか」

「ヴォルフ様」

 恐怖を飲み込み、私はヴォルフ様に顔を向けた。
 ぎゅっと手のひらを握りしめると、かすかに眉間にしわを寄せる彼を見つめ、口を開く。

「お願いします。……わがままだとはわかっているんですが――どうしても、外でやりたいことがあるんです」

「…………」

 ヴォルフ様の顔から笑みが消える。
 私を抱く手は離さないまま、彼は無表情に私を見下ろした。

 表情を消した彼の視線は険しい。
 思わず逃げたくなるけれど――目を逸らさない。

 そのまま、しばらく。
 長い沈黙ののち、先に目を逸らしたのはヴォルフ様だった。

「…………俺は少し、君に甘すぎると思う」

 小さなため息とともに、彼は観念したようにそう言った。

「どこでなにをしたいんだ。……内容次第では、外に出ることを許してもいい」

 小さく頭を振り、彼は私を見つめ直す。
 冷たいくらいの無表情の中、瞳に、ほんのかすかな優しさが見えた。



 ――が。

「どこで? なにを……?」

 口ごもるのは私の方だった。

 ヴォルフ様が譲歩してくれたのはよくわかる。
 内容次第では許可する、というのも、当然といえば当然――なのだけど。

 答えを待つヴォルフ様から、私はそっと目を逸らした。
 気圧されたわけでもなく、恐怖でもなく――後ろめたさゆえに。

「…………い、言えません」

「――アネッサ」

 ヴォルフ様の口元に、消えていた笑みが浮かぶ。
 にっこりという言葉が似合いそうなその表情は、それはそれは凄惨な微笑みで――――。

 反射的に、全身に鳥肌が立つ。
 腰を抱く腕の力が強い、というか痛い!

 あっこれ今度は完全に怒っていらっしゃいますね!! わかります!!!

 などと震え上がる私に、ヴォルフ様は怒りを込めてこう告げた。

「許すわけがないだろう!!」

 で、ですよね――――!!!!
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