妹ばかり可愛がられた伯爵令嬢、妹の身代わりにされ残虐非道な冷血公爵の嫁となる

村咲

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エピローグ

トゥルーエンド(5) ※父視点

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 ――命を……奪うつもりはない?

 伯爵は瞬いた。
 呆然とする彼に笑みを向けたまま、公爵はゆっくりと近付いてくる。

「貴殿はアネッサと血のつながった父親だからな。出来る限り丁寧に扱うつもりだ」
「な…………」

 思いがけない言葉すぎて、伯爵はすぐに意味を理解することができなかった。

 ――アネッサ? 丁寧に扱う? ……私を?

「アネッサを悲しませないためにも、貴殿には長生きをしてもらいたい」
「アネッサのため……? どうして……し、死んだのでは……?」
「まさか」

 ありえない、と公爵は首を横に振った。
 その目には、先ほどまで一切浮かんでいなかった感情が見える。
 化け物にあるはずのない――優しさや、親しみのような感情が。

「元気にしている。今ごろ俺の部屋で、大人しく寝ているはずだ」

 夜明け前の空を見上げ、公爵は思い返すように小さく笑った。
 それから、彼は伯爵の目の前で足を止める。

 そのまま彼は腰を曲げ、伯爵に向けて手を伸ばした。

「ひ……っ」

 と反射的に悲鳴が漏れるが、なんてことはない。
 公爵は伯爵の腕を掴み、震える彼を立ち上がらせるだけだ。

「公……爵……?」
「いつまでもこんな場所ではなんだろう。貴殿のために部屋を用意してある。案内しよう」
「な……部屋……なぜ……?」

 疑惑を浮かべる伯爵に、公爵は薄く目を細めた。
 足に力の入らない伯爵を支えながら、告げるのはいつか聞いた言葉だ。

「言っただろう――歓迎する、と」
「は……」

 伯爵の喉から、一つ息が漏れる。
 公爵に目を向ければ、そこにあるのはやはり魔王と同じ恐ろしい顔だ。
 うっすらと浮かぶ酷薄そうな笑み。感情の見えない目。整いすぎて逆に不気味な美貌と、圧倒的な威圧感。
 だけどこの態度はなんであろうか。

 逃げ出す直前に見た姿とはまるで違う。
 丁寧な彼の態度に、伯爵はふと、いつか読んだ手紙のことを思い出す。

 ――『噂ほど冷血な人物ではない』。

 少し怖いけど、意外に親切で――――。

「は、はは……」

 喉の奥から、思わず笑い声が漏れる。
 目の端から涙がにじむのは、恐怖ではなく――安堵のためだろう。

 考えてみれば、あのときの公爵はアネッサを助けに来たのだ。
 メルヒランを殺したのは、あの無謀な愚か者が公爵の命を狙っていたから。
 まっすぐにアネッサを捕まえたのも――嬲り殺しにするためではなく、無事を確認するためだった。
 アネッサこそ恐怖の表情を浮かべていたものの、公爵はむしろ嬉しそうに笑んでいたではないか。

 そう考えると、納得がいく。
 たしかに恐ろしい男だが、思い返してみると、彼が伯爵になにかしたことはない。
 公爵邸では実に丁寧に扱われたし、公爵も伯爵の言葉をよく聞いていた。

「ははははは……!」

 思わず口から笑い声が漏れる。
 ほっとした拍子に力が抜け、体が崩れ落ちそうになるが、公爵がしっかりと伯爵の体を掴んで支えてくれている。

「はは……す、すまない閣下。私は貴殿を誤解していた。ああ、まったくひどい勘違いだ」

 恐れる必要など、最初からなかったのだ。
 愛する妻子や、リヴィエール伯爵家まで差し出して命乞いをしたことが、今となっては恥ずかしい。

 ――ああ……馬鹿馬鹿しい。

 恐怖にかられ、自ら伯爵家を没落に追い込もうなどと、我ながら愚かしい考えだった。
 森を出る前に公爵に出会えたのは幸運だろう。
 さもなければ、伯爵は誤解したまま逃げ回り、無意味に当主の座を投げ出す羽目になっていた。

 ――落ち着いてみれば……なんということはない。

 頭を振れば、混乱していた頭も少し冷えてくる。
 もう終わりだと思っていたが――あらためて考えれば、今回の状況はむしろ好機だ。

 今の公爵の様子を見るに、彼は伯爵を尊重している。
 これなら、アネッサにどれほどそそのかされても伯爵を陥れるような真似はしないだろう。
 公爵はアネッサを選び、アーシャが手元に残ったのだ。
 公爵家と縁を繋ぎつつ、アーシャでさらに良い家へ取り入ることができる。

 ふ、と伯爵の口元に笑みが浮かぶ。
 恐怖したぶんだけ、感情の落差も大きかった。

「いや、いや、失礼した、閣下。貴殿の話は聞いていたというのに。本当は、優しい性格であると」

 安堵と期待にゆるみきった顔で、伯爵は体を支える公爵を見上げ――。

「優しい?」

 ひゅっ、と喉の奥から息が漏れた。
 深い藍色の瞳に、一瞬で血の気が引いていく。

 公爵の瞳に、伯爵が映っている。
 そこには、優しさどころか、侮蔑や嫌悪の感情すらも見えない。
 ただ、捕らえた獲物を見るだけの、無情な残忍さだけがあるだけだ。

「どこの間抜けが、そんな馬鹿なことを言ったんだ」

 その酷薄な目を細め、公爵はいかにもおかしそうに、くすりと笑った。
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