上 下
37 / 58
エピローグ

トゥルーエンド(3) ※執事視点

しおりを挟む
 頑なな主人の態度に、シメオンは肩を竦めた。
 前々からシメオンの誘いにつれない態度だったが、ここ最近は明確に拒絶するようになってしまった。
 思い当たる節は、一つしかない。

「アネッサ様ですか……」

 はあ、とため息を吐けば、ヴォルフが据えた視線を向けてくる。

「アネッサになにか文句があるのか」
「ありませんよ。ありませんけどね……」

 シメオンの心情としては複雑だ。
 ヴォルフは魔界でこそ輝くと思い、長年ことあるごとに魔界への引っ越しを勧めて来た一方で、彼はヴォルフ自身の幸福もまた願っている。
 アネッサがヴォルフにとって必要な存在であることはわかっているので、こうなると無理に引き離すことも難しい。

 それに、シメオンとしても、アネッサのことを憎からず思ってはいるのだ。

「…………まあ、拾い物の奥様だと思いますよ。どうして今まで相手がいなかったのか不思議なくらい」

 容姿が特段優れている、というわけではないが、彼女自身の気立ては良い。
 他人に対しても親身で、わけへだてなく、使用人たちも大切にする。
 少しばかり無茶をするところはあるが、それも愛嬌だろう。

 だが、シメオンが一番に評価するのはそこではない。
 ここ最近、アネッサがヴォルフの部屋に来るようになってから判明した事実だ。

「なぜか、仕事がヴォルフ様より出来ますし」

 アネッサが部屋を移って以降、彼女は暇を持て余しているのか、ヴォルフの持ち込んだ仕事を手伝うようになっていた。

 最初に彼女が「手伝いたい」と言い出したときは不安だったが、任せてみるとこれが感心するくらいによくできる。
 今ではシメオンも、不慣れなヴォルフよりもアネッサの方を頼りにしているくらいだった。

 もっともヴォルフ自身は、その事実がたいそう気に食わないらしい。
 彼は「む」と口をつぐみ、常人なら裸足で逃げ出すような目でシメオンを睨みつける。
 しかし、凍てつく視線を受けても、シメオンは表情一つ変えない。
 すました顔でヴォルフを見つめ返す。

「アネッサ様はヴォルフ様より仕事が丁寧ですよね。よく気も付きますし」
「く……っ」
「ご実家の家業を手伝っていらっしゃったようですね。手慣れているからか、仕事が早くて助かります」
「く、くそ……!」
「ヴォルフ様もアネッサ様を見習っていただけるといいのですけど」
「悪かったな!」

 耐え切れず叫ぶヴォルフを見て、シメオンは内心で苦笑する。

「見栄を張らずに、仕事を教えてもらうといいですよ」
「誰がそんなことをするか! 仕事なんて俺一人で十分だ!」

 そう吐き捨てるヴォルフの心情を、シメオンは知っている。
 アネッサに負けたのが相当に堪えたらしく、最近の彼は一人で領地の勉強をしているのだ。

 ――教えていただいた方が早いでしょうに。

 アネッサも喜ぶだろうし、なんだかんだとヴォルフも楽しめるだろう。
 が、それはやはり、彼のプライドが許さないらしい。
 魔族らしからぬ悔しさをにじませる主人に、シメオンは笑い混じりにこう告げた。

「ヴォルフ様、見栄っ張りですよねえ」
「それがどうした」

 ヴォルフは悪びれもせず、「ふん」と鼻を鳴らす。

「好きな女のために見栄を張ってなにが悪い」

 自覚があるからたちが悪い。
 堂々と胸を張る主人に、シメオンは何度目かのため息をついた。

「その見栄の結果がこれですか」

 そう言って、シメオンは森の茂みの奥に目を向ける。

 ヴォルフの魔法が張られた茂みの先。
 罠にかかったとも知らず、一人の男が同じ場所をぐるぐると走り続けている。

 この哀れな獲物は、ヴォルフの見栄の犠牲者だ。
 永遠に満たさない強烈な欲望を誤魔化す、代替手段。
 魔族の欲を一身に受けるアネッサを守るための、身代わりである。

「俺は死んでも見栄を張り続けるぞ」

 言いながら、ヴォルフは口元に残忍な笑みを浮かべた。
 飢えた目が男を捉え、藍色の瞳に欲望が宿る。

 魔族の衝動は本能。
 色濃く血を継ぐほどに、抱く欲望も強くなる。
 魔王の血を引くヴォルフであれば、なおさら。肉欲で代替しきれるはずがない。

 だからこその見栄だ。
 なにより求める恋人の傍で、平気な顔をしているための。

 ――実に人らしく、……なにより魔族らしい。

 震えるほどに美しい横顔を見つめ、シメオンは感嘆の息を吐く。

 ヴォルフは魔王に似ていても、決して魔王ではない。
 人の血を受け継ぐ彼に、彼なりの優しさや情があることを、シメオンは気づいている。

 ヴォルフは心無い、残虐なだけの魔族ではない。
 彼は愛を知り――だからこそ、魔族以上の非道にもなれるのだ。

 ――美しい。

 愛ゆえの残酷さに、シメオンはうっとりと目を細めた。
 自身の主人の在り方は複雑で、あまりに魅惑的だ。

 ――ヴォルフ様。惜しい。本当に惜しい。

 彼が魔界にいれば、きっと魔王にも劣らぬ偉大な魔族になっていただろうに。
しおりを挟む
感想 1,177

あなたにおすすめの小説

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

夫の書斎から渡されなかった恋文を見つけた話

束原ミヤコ
恋愛
フリージアはある日、夫であるエルバ公爵クライヴの書斎の机から、渡されなかった恋文を見つけた。 クライヴには想い人がいるという噂があった。 それは、隣国に嫁いだ姫サフィアである。 晩餐会で親し気に話す二人の様子を見たフリージアは、妻でいることが耐えられなくなり離縁してもらうことを決めるが――。

なにひとつ、まちがっていない。

いぬい たすく
恋愛
若くして王となるレジナルドは従妹でもある公爵令嬢エレノーラとの婚約を解消した。 それにかわる恋人との結婚に胸を躍らせる彼には見えなかった。 ――なにもかもを間違えた。 そう後悔する自分の将来の姿が。 Q この世界の、この国の技術レベルってどのくらい?政治体制はどんな感じなの? A 作者もそこまで考えていません。  どうぞ頭のネジを二三本緩めてからお読みください。

人生の全てを捨てた王太子妃

八つ刻
恋愛
突然王太子妃になれと告げられてから三年あまりが過ぎた。 傍目からは“幸せな王太子妃”に見える私。 だけど本当は・・・ 受け入れているけど、受け入れられない王太子妃と彼女を取り巻く人々の話。 ※※※幸せな話とは言い難いです※※※ タグをよく見て読んでください。ハッピーエンドが好みの方(一方通行の愛が駄目な方も)はブラウザバックをお勧めします。 ※本編六話+番外編六話の全十二話。 ※番外編の王太子視点はヤンデレ注意報が発令されています。

もう終わってますわ

こもろう
恋愛
聖女ローラとばかり親しく付き合うの婚約者メルヴィン王子。 爪弾きにされた令嬢エメラインは覚悟を決めて立ち上がる。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。