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変わりゆく王宮(2)
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――なんて。
リリアが陰でこそこそと動いていることなんて、もちろんわかっている。
オルディウスに使者をやったのも、その使者が戻る一か月後まで魅了を抑えようとしていることも、私のテオドール様はお見通しだ。
リリアが姑息に人を入れ替えるせいで、たしかに魅了の広まり方は緩やかだった。
魅了にかかっていても効きが浅く、わずかな正気を残した人ばかり。王宮の奥に入ろうとしても、『それだけはできない』とまだ抵抗する意思を残している。
でも、それも最後の抵抗というだけ。
完全に魅了に落ちるのは時間の問題。リリアは使者が戻るまでギリギリ維持しようとしているみたいだけど――――。
私のテオドール様はとても優秀な方。
なんの対策もしていないわけがないの。
「――――ああ、そう。そうだ。必ず足止めをしろ」
王宮の影で、ひそかに囁く声がする。
ほとんど人の通らない建物の裏手。鬱蒼とした木々に覆われた、深い影の落ちる場所。
誰もいない茂みへと、声は語りかけるように話し続ける。
「街道に潜伏させた奴らにそう命じろ。一日だけでいい。だけど、永遠に足を止めてしまっても構わない。たとえオルディウスの人間がいても、だ」
そこまで言ってから、声はふっと息を吐く。
続く言葉には、固い意志と、強い決意と――――妄信的な響きがあった。
「決して邪魔はさせない。僕はルシアを元の地位に戻すためなら、どんなことだってするつもりだ」
〇
「――――テオドール様?」
すっかり魅了に侵された王宮の、人の気配のない裏道。
明朝にはヴァニタス卿が戻ってくるという日の朝早く。
やはり散策中だった私は、一人で茂みに向かうテオドールに背後から呼び掛けた。
近くに姉がいないのは珍しい。
あまり話をしたいと思える人物ではないけれど、そもそもこの男とはこれまでほとんど接触してこなかったのだ。なにか情報を引き出すなら、今しかないだろう。
そう思って、私はにこやかな令嬢の顔を取り繕う。
「こんなところでお一人なんて、どうされました? もしかして、誰かとお話しされていましたか?」
「……………………君は」
話しかけた私に、テオドールははっとしたように振り返った。
驚いた瞳が私を映し、瞬く。一瞬、言葉さえも出ないようだった。
だけど、その顔が少しずつ歪んでいく。
目元を歪め、口元を歪め、不快さを露わに彼は私を睨みつけた。
「君は――ルシアの妹だな。ルシアを陥れ、追放した君が、僕になんの用だ」
「なんの用……って、お姿をお見かけしましたので、ご挨拶をさせていただこうと」
私はそう言うと、テオドールを下から覗き込む。
上目で顔を見上げながらドレスの端を掴んで一礼するけれど、テオドールの方は眉をひそめるだけだ。
「そうやって、僕に取り入ろうというつもりか。ルシアから君のことは聞いている。仲の悪い姉を陥れるために、さんざん卑怯な手を使ったと。ルシアの周囲の人間を奪って、嘘を吹き込んで、孤立させたのは君だろう」
「そんな……そんなことありません。誤解です!」
「だけど、僕は騙されない。僕はルシアがどれほど素敵な女性かを知っている。君と違ってね」
「テオドール様、そんな言い方……」
嘆くように言いながら、私は内心で舌打ちをした。
どうやらこの男と会話をするのは難しいらしい。
――余計な口出しだったわ。
これなら、気付かない振りをして離れるべきだった。
自ら面倒に首を突っ込んでしまった――と、後悔が頭をよぎったときだ。
「――テオドール様、どちらにいらっしゃいますの!」
さらなる面倒を呼ぶだろう姉の声が、少し離れて響き渡った。
人影を探して、姉は周囲に視線を巡らせる。
ぐるりと大きくあたりを見回し、その視線がテオドールを捉えた瞬間、姉の顔に喜びが浮かんだ。
「こちらにいらしたのですね、テオドール様! こんなところでなにを――」
していたのか、と聞くよりも先に、姉の視線は隣にいる私も捉える。
途端に姉の顔が強張った。怒りとも憎しみともつかない表情が浮かび、不愉快そうな目が私を睨む。
「――どうして、あなたがここにいるの」
低い声音は責めるようだ。
冷たい嫌悪感を隠さない姉の態度に、私は内心で眉をひそめ――
ひそめたまま、一瞬だけ固まった。
こちらに大股で近づいてくる姉の周囲に、魅了の効果の深い男性たちの姿がある。
その中でも、ひときわ姉と距離の近い人物の――見慣れた顔を見たからだ。
「――――」
息を呑む私の視線の先。
姉の横。姉の隣。姉のすぐ傍で姉を見つめ、私には見せたことのない甘い微笑みを浮かべるのは――。
今や姉の取り巻きとしてすっかり有名になっていた、ジュリアンだった。
リリアが陰でこそこそと動いていることなんて、もちろんわかっている。
オルディウスに使者をやったのも、その使者が戻る一か月後まで魅了を抑えようとしていることも、私のテオドール様はお見通しだ。
リリアが姑息に人を入れ替えるせいで、たしかに魅了の広まり方は緩やかだった。
魅了にかかっていても効きが浅く、わずかな正気を残した人ばかり。王宮の奥に入ろうとしても、『それだけはできない』とまだ抵抗する意思を残している。
でも、それも最後の抵抗というだけ。
完全に魅了に落ちるのは時間の問題。リリアは使者が戻るまでギリギリ維持しようとしているみたいだけど――――。
私のテオドール様はとても優秀な方。
なんの対策もしていないわけがないの。
「――――ああ、そう。そうだ。必ず足止めをしろ」
王宮の影で、ひそかに囁く声がする。
ほとんど人の通らない建物の裏手。鬱蒼とした木々に覆われた、深い影の落ちる場所。
誰もいない茂みへと、声は語りかけるように話し続ける。
「街道に潜伏させた奴らにそう命じろ。一日だけでいい。だけど、永遠に足を止めてしまっても構わない。たとえオルディウスの人間がいても、だ」
そこまで言ってから、声はふっと息を吐く。
続く言葉には、固い意志と、強い決意と――――妄信的な響きがあった。
「決して邪魔はさせない。僕はルシアを元の地位に戻すためなら、どんなことだってするつもりだ」
〇
「――――テオドール様?」
すっかり魅了に侵された王宮の、人の気配のない裏道。
明朝にはヴァニタス卿が戻ってくるという日の朝早く。
やはり散策中だった私は、一人で茂みに向かうテオドールに背後から呼び掛けた。
近くに姉がいないのは珍しい。
あまり話をしたいと思える人物ではないけれど、そもそもこの男とはこれまでほとんど接触してこなかったのだ。なにか情報を引き出すなら、今しかないだろう。
そう思って、私はにこやかな令嬢の顔を取り繕う。
「こんなところでお一人なんて、どうされました? もしかして、誰かとお話しされていましたか?」
「……………………君は」
話しかけた私に、テオドールははっとしたように振り返った。
驚いた瞳が私を映し、瞬く。一瞬、言葉さえも出ないようだった。
だけど、その顔が少しずつ歪んでいく。
目元を歪め、口元を歪め、不快さを露わに彼は私を睨みつけた。
「君は――ルシアの妹だな。ルシアを陥れ、追放した君が、僕になんの用だ」
「なんの用……って、お姿をお見かけしましたので、ご挨拶をさせていただこうと」
私はそう言うと、テオドールを下から覗き込む。
上目で顔を見上げながらドレスの端を掴んで一礼するけれど、テオドールの方は眉をひそめるだけだ。
「そうやって、僕に取り入ろうというつもりか。ルシアから君のことは聞いている。仲の悪い姉を陥れるために、さんざん卑怯な手を使ったと。ルシアの周囲の人間を奪って、嘘を吹き込んで、孤立させたのは君だろう」
「そんな……そんなことありません。誤解です!」
「だけど、僕は騙されない。僕はルシアがどれほど素敵な女性かを知っている。君と違ってね」
「テオドール様、そんな言い方……」
嘆くように言いながら、私は内心で舌打ちをした。
どうやらこの男と会話をするのは難しいらしい。
――余計な口出しだったわ。
これなら、気付かない振りをして離れるべきだった。
自ら面倒に首を突っ込んでしまった――と、後悔が頭をよぎったときだ。
「――テオドール様、どちらにいらっしゃいますの!」
さらなる面倒を呼ぶだろう姉の声が、少し離れて響き渡った。
人影を探して、姉は周囲に視線を巡らせる。
ぐるりと大きくあたりを見回し、その視線がテオドールを捉えた瞬間、姉の顔に喜びが浮かんだ。
「こちらにいらしたのですね、テオドール様! こんなところでなにを――」
していたのか、と聞くよりも先に、姉の視線は隣にいる私も捉える。
途端に姉の顔が強張った。怒りとも憎しみともつかない表情が浮かび、不愉快そうな目が私を睨む。
「――どうして、あなたがここにいるの」
低い声音は責めるようだ。
冷たい嫌悪感を隠さない姉の態度に、私は内心で眉をひそめ――
ひそめたまま、一瞬だけ固まった。
こちらに大股で近づいてくる姉の周囲に、魅了の効果の深い男性たちの姿がある。
その中でも、ひときわ姉と距離の近い人物の――見慣れた顔を見たからだ。
「――――」
息を呑む私の視線の先。
姉の横。姉の隣。姉のすぐ傍で姉を見つめ、私には見せたことのない甘い微笑みを浮かべるのは――。
今や姉の取り巻きとしてすっかり有名になっていた、ジュリアンだった。
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