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不穏の予兆(4)

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「……魅了魔術ぅ?」

 私のつぶやきに、ジュリアンは信じられないと言いたげな顔をした。

 自分で言っておいてなんだけれど、彼の言いたいことはよくわかる。
 私だって、正直なところありえないと思っている。

「まさかあ。魅了魔術って、とっくに失われた古代魔術だよ? ないない。たしかに、古代魔術を『発現』させる魔術師もたまにいるけどさあ」

 手を横に振って否定するジュリアンに、私はぐぬ、と顔をしかめた。
 私はこれでも、魔術の名門バークリー家の娘である。もちろん、古代魔術のことは知っている。

 今より数千年以上前、この世界には古代魔術文明が栄えていた。
 この時代の魔術は、特別な技術ではなく日常的に使われるもの。人々は誰もが豊富な魔力を持ち、子どもでも現代の魔術師より高度な魔術を操っていたという。

 しかしその古代文明は、複雑さを増し高度になりすぎた魔術自身によって崩壊した。
 現代に残っているのは、当時の技術の高さを示す古代遺跡と、そこから発掘される魔道具のみだ。
 古代魔術文明崩壊後の魔術は衰退の一途をたどり、かつての魔術を使うこともままならない。人々が持てる魔力も次第に減っていき、今ではもう、魔術自体が特殊な技術になっていた。

 ただ、現代でもごくごくまれに失われた古代魔術の才能を持つ人間がいるという。
 古代魔術文明の痕跡が消えたあと、まるで取り残されたようにぽつんと与えられた才能は、そのままでは使えない。この『才能』に他者が魔力を流し、『発現』させることではじめて使えるようになる。

 使える魔術は、多くの場合一つだけ。
 そして、その一つだけでも国を傾けるほどに強大なのが古代魔術だ。
 天変地異を起こす魔術、無条件に相手を死に至らしめる魔術、あるいは死者さえ生き返らせる魔術に――他者の心を意のままに操る、魅了魔術。
 どれも悪用すれば、災害級の危険にもなりえた。

「たしかに、それなら理屈は通るけど。ちょっと信じられないな。ルシアが魅了でオルディウスを惑わし、テオドール皇子を利用して戻ってきた――なんて」
「……そう、よねえ。やっぱり」

 私としても、あまり現実的な考えでないとはわかっている。
 わかっているのだけど――。

「そんな気になる?」

 私の顔を覗き込んで、ジュリアンが肩を竦めた。
 私の渋い表情に気付いたのだろう。彼は少し考えるように「うーん」と唸る。

「魅了魔術ねえ……。ルシアが発現させたとは信じにくいけど――たしか、オルディウスは古代遺跡の発掘にも力を入れていたはず。魅了を封じた魔道具がある可能性は、まあ、あると言えばあるかな……」

 発掘された魔道具の中には、古代魔術が封じられたものも少なくない。
 ただし、惜しくもと言うべきか幸いにもと言うべきか、魔道具の大半は壊れて使い物にならなくなっている。
 たとえ使えたとしても、実際の古代魔術に比べたらはるかに威力は落ちる。使用できる回数も決まっていて、たいていは一度きりで打ち止めだ。

「発掘の盛んなオルディウスなら、僕たちの知らない魔道具もあるかもしれない。普通は国宝だけど……オルディウスの皇子もいるなら、手にすることもできる。可能性だけ考えると、まあまあ考えられるか」
「……ジュリアン」

 トントンと机を小突きながらつぶやくジュリアンに、私は顔を上げた。
 魅了魔術は今となっては伝説に近い。古代魔術を発現させた人間の記録も魔道具の使用記録も、もう百年以上残されていない。
 魔術が衰退し続けるこの時代。魔道具は朽ち続け、古代魔術の使い手はもう現れないのではないかとさえ言われている。

 それだけ、ありえない考えなのだ。
 馬鹿馬鹿しいと切り捨てられてもおかしくはないけれど。

「そのあたりも、ヴァニタス卿に探ってみるよう伝えておくよ。――リリアが言うことなら無下にはできないからね」

 飄々と言ってのけるジュリアンから、私は「むう……」と目を逸らした。
 どうも、こういうときのジュリアンは苦手だ。どういう顔をすればいいのかわからなくなってしまう――――。



「――――ジュリアン殿下! こちらでしたか!!」

 ……などと言っている場合ではない。
 突如として響いた声に、私は一瞬で表情を作り上げる。

 どうしたのかと振り返れば、慌てたように事務室へと駆け込んでくる騎士が見える。
 ライナスではない。王宮を警備する近衛騎士の一人だ。

「大変です! 離宮にいるはずのテオドール殿下と連れのルシア様が、中庭に出ていきなり騒ぎ出して……!」

 血相を変えた騎士の報告に、私の胃がキリ……と痛んだ。
 ジュリアンは隣で、「問題起こすの早いなー」と笑っている。
 笑っている場合か。
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